一夜開けたら、石斛が花開いていた。 昨日写真を撮った時は未だ蕾だった。
この石斛は、クロガネモチの木のてっぺん近くの股にて、生活している。
元々は、この家から一里ほどの所にあった、江戸時代の金山跡地の崖から取って来た物だ。 浅野藩の中で、ここと太田銀山街道の一部が天領として存在していた。 その金山跡地の北側に、西日本有数の動物園がある。 私が住むこの街も、その時代の精錬技術と、砂鉄の精錬技術の伝承地で、未だに鋳物の街として名を残している。 江戸時代には、この街では藩の内密の作業として、贋金創りがなされていたそうだ。 幕府にバレた時、その責任を町民に押し付けて逃れたそうである。 その陰で、その家は、代々藩の影の仕事を任されて、今日に至っているそうだ。 郷土史研究会に所属する我が奥様は、いたく贋金作りに興味を持っていたかと思っていたら、古文書の方に興味があった様である。 今は、公民館が休館のため、古文書解読が出来ないでいる。 その分、家の中にある本をひっくり返して、再度お読みである。 ある時は、昼間、またある時は夜中に‥‥。 その感想を、食事の時延々とご報告いただいているが、‥…。
私としては、ゆっくり食事がしたいと、‥‥‥。
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