「ホンダ ベンリー」である。 便利であるから「ベンリー」と名付けてそうだが、嘘か誠か確かめたことはない。 昭和四十年代前半、スパーカブではいけない距離をこの車体なら行けた。 こんなに懐かしいものが、スーパーの駐輪場に止められていた。
無用心だと瞬間に思った。 こんなプレミヤの付いたバイクを、近頃見たことがない。盗難にあわねば良いがと思ったのである。
荷台には荷物が山盛り。 現役で働いているようである。
この90ccのバイクで、昭和四十四年、東京まで行った友人がいる。 広島市役所の東京事務所に転勤が決まった時、彼はどうしてもこの愛車を伴って行きたかった。 当時、国道の制限時速は時速40kmの時代である。 彼は土曜日の昼過ぎ広島を出発、一睡もせずに走り、月曜日の未明に東京へ着いたそうである。
当時は国道沿いには、「モーテル」という食事のできる店が多く存在したが、近頃は見かけない。 彼は今年69歳である。 急に懐かしくなり電話してみたところ、大腸癌で入院中とのことであった。 近々見舞いに出かけてみよう。
あの頃は、飲酒運転には寛大でしたね。
もっとも運転できないほど飲む人はいませんでした。
ただ一度だけ、消防団の出初式の打ち上げで、酩酊した隊員が消防車で三軒となりの家に突入したのを覚えています。昭和三十年の1月のことでした。 原爆で焼け残っていたその家は崩壊。 広島市内の消防団員がお金を出し合い、家を建て替えてのは当時話題になりました。
田舎といえども、昔の人は粋なことをしたものです。松前や江差まで遠出し、夜には寿司屋で酒を飲んだそうです。