藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

深山 霞の「霞的心」  持ってい生まれた才能を見つけ出せるのが本当の「棟梁」

2013-02-15 17:37:36 | 社会・経済

私の建築屋人生は、ビル建設から始まった。私は建設の専門の学校を出たわけではない。

家族を養うためにオヤジと始めたのが建築の下請け工事である。 誰にも教わることなく、図面一枚渡されただけで最初はスタートした。 広島の地に、軽量コンクリートという新建材が登場したが、誰も施工する者がいなかった。 渡された図面と、メーカーから来た技術屋の少しの説明だけで、四階建てのビルの外装工事をやってみせた。ゼネコンもメーカーも驚いた。

競争相手がいないので、道具も自分で考案して施工した。 新しく考案した道具も少なくない。 その後私が建築屋として思ったことは、木造建築程難しいものはないということだ。

日本鋼管の工場や、マツダの防府工場のような大規模工場を建設するより、否、原発を建設するよりも、一般住宅の木造の方がむつかしい。

どこが難しいかというと、大工の棟梁より少しだけ頭を働かせることが出来るかどうかである。 素人は、大工のカンナは良く切れる方が、柱の仕上がりが美しいと思われる。 違うのである。 カンナは大工の腕でかけるもので、カンナの切れ味でかけるものではない。 そのことを知ったのは、ある大工の仕事の監督をした時で有る。

一時間に一回、カンナを研ぐ。 一見サボっているように見える。しかしその大工の削った柱は、実に美しい。 色気がある。 他の大工の削った柱には色気がない。その大工のカンナは、三ヶ月で歯がなくなる。 新しいカンナを買うとまづ焚き火に歯を投げ入れる。 歯をなますのである。 鋼が幾分柔らかくなると不思議と削った柱の光沢に色気が出てくる。 しかし、なまったカンナで柱を削るには、それなりの腕が必要なのだ。  

その大工が、昼休みに話しかけてきた。 「この指し金で六角形がかけるか」 と言ってきた。 私の能力を試しにかかったのだ。 書いてみせた。 「八角形はかけるか」 書いてみせた。 それ以来この大工は、私に一目置いて仕事をしてくれた。 その時九角形も書いて見せた。 

腕の立つ大工は、差し金一つでどのような形状もつくりだす。 しかし近頃の大工にはそのような腕を持った人が少なくなった。 

僅かに宮大工を目指す人たちの中には存在する。 そうした人達は文化財の修復に追われ、我々庶民の住宅には携わらなくなった。 悲しいかな技術の継承もままならなくなっている様である。

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