藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

少しは秋めいてきた

2012-09-20 15:35:30 | 社会・経済

015 戦国大名 安芸武田氏の居城跡、武田山である。 甲斐武田氏の流れを汲む名家であったが、毛利氏の策略によって滅んだ。子孫は近郊に未だに点在し、武田学園は、大学院を持つほどの私学の雄である。 因みに、宮沢喜一元総理も、一族である。

現在は、市民ハイキングの格好の場所である。

014 武田氏に対抗し、この地、可部に勢力を持っていたのが熊谷氏である。熊谷直実の末裔で、この写真の山城に居を構え巧みに生き延びてきた。武田氏とは、同じ源氏の流れのなかで、付かず離れず家名を保っていたが、毛利氏の前に屈した。後に関が原で敗軍の将となった毛利氏が長州へ封鎖された時も、行動を共にしたが、キリシタン禁止令のとき、改宗を拒み、一族皆「磔」になった。萩市の西方の海近くに、碑が残っている。一部の熊谷氏は可部に残り今も子孫は繁栄している。「エビス電工」という中堅の電気工事会社がそれである。

この山は「高松山」と呼ばれ、嘗ては京都の大文字焼きと同じ日に、「大」の字の送り火が燃やされた。現在では山火事が発生すると大変なので、電灯で代わりをしている。

可部町の地形は、小さな京都と言えるであろう。比叡山の代わりが、福王寺。右大文字山が、高松山。左大文字が、阿武山。加茂川が、根も谷川。嵐山が太田川。

風水上、非常に繁栄をする地形をしているが、規模が小さいだけに、毛利氏は川下の広島に、戦国大名としての居城を構えてが、いざと言う時のための備えを可部にしていたと言われている。「攻めやすく守り易い」地形である。

やっと今日、30度を下回った。 いよいよ秋である。先ほどから鹿がしきりに鳴いている。どうも子連れのようである。 ベランダから覗いてみるが、姿は見ることが出来ない。少し遠くに居るようだ。 空気が澄んできた分、声が近く聞こえたのであろう。

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2 コメント

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深山さんのブログも涼しくなって落ち着いてきたよ... (北国)
2012-09-20 17:29:58
深山さんのブログも涼しくなって落ち着いてきたように感じます。国の指導部に対する真摯な意見と体調、心配しておりますが気候も良くなり回復を願っています。余計なことを書いたでしょうか。
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ご心配いただきありがとうございます。 (深山 霞)
2012-09-20 18:33:08
ご心配いただきありがとうございます。
胸膜肥厚が進行してくると、呼吸が難しくなってくる。肺に弾力がなくなるのです。涼しくなって少し楽になりました。
広島県の湯崎知事は、オスプレイの試験飛行に不快感を表明しました。
いよいよ全面戦争です。オスプレイの試験飛行が強行されると、広島県に持つ3議席の民主党の議席は全て無くなるでしょう。
坂本竜馬の持ち舟が沈んでいる鞆港の埋め立て工事も、知事の判断で中止しました。若い知事ですががんばっています。
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