藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

深山 霞の「霞的心」  「おもてなし」と「持て成す」の違い。

2013-02-27 00:12:01 | 社会・経済

椴法華村の「かわぐち えいこう」氏のブログにコメントを送った。

内容は「おもてなし」と言う言葉についてである。 そのコメントにブログ広場の「志村 建世」氏がコメントを送られた。 私も昭和四十二年までは、氏のご指摘のように思っていたし、理解していた。 がしかし昭和四十二年、それは大いなる歴史の中で生まれた言葉、「おもてなし」という言葉の歴史まで遡らなければならないと知ったのである。

そもそも「持て成す」とは、何らかの求め行う行為をいうのであって、無償の「持て成し」は存在しない。 このことを教えられた時、「広辞苑」をひも解き確認して驚いた。 確かにそこに書かれていたのは、「持て成す」事は見返りを求めて行うことで、商取引など有利に導くときに、相手を「持て成す」のであり、それに対し、「おもてなし」はどの辞書を引いても存在しない。 存在しなくて当たり前なのである。 「おもてなし」なる言葉は、「千利休」が創設した言葉で、通常社会ではあまり使われることがない。 使われるのは、「わび茶」の社会だけなのである。 「わび茶」対し「武家茶」では「持て成し」というらしい。「茶道」を嗜む事な無い私には、らしいとしか記述できない。

この違いを昭和四十二年に遡って、記憶をたどりながらここに記述してみたい。 

お茶は、「空海」や「最澄」が中国から 「種」 を持ち帰り、薬として使用したというような伝承が色々存在し、これが「確かなも」のであるという確証はどこにも存在しないそうである。 ただ、鎌倉時代禅宗の寺院で、「薬」 として使用されたことが知られており、その為に一杯のお茶を飲むことを「一服」するといい「薬」と同じ数え方をする。これは「タバコ」も同じである。その他には、一休みをやはり「一服」しようかと言う。これは「お茶」を飲んだり、「タバコ」吸いながら休むことを言う。 これら「一服」は、体を厭うことから始まったらしい。

このお茶が、「現代茶道」に行き着くには、千利休の出現を待たねばならぬらしい。 それまでは、室町幕府の武士や貴族、門跡寺院で、作法やしきたりが出来上がっていった。 これを政治的に利用したのが、「織田信長」だそうである。 彼は功績のあった家臣のみに「茶道」を行うことを許し、この中で発達したのが「武家茶道」だそうである。 また「茶道」の地位を高めた功績は大なるものがあるそうだ。 この「武家茶道」を伝承したのが、「豊臣秀吉」で 「持て成し」を行うためには、「名物モノ」の「茶器」が必要となり又、「黄金の茶室」が必要であった。 町家衆出身の「千利休」は対峙するかのように「おもてなし」の「茶道」を主張した。 三畳の茶室で十分であったのだ。 がしかし、「おもてなし」の「茶道」の奥は深く、 一度の「茶会」にその亭主は、有に一ヶ月位の準備期間をかけたらしい。 まず「茶会」で使用する「茶碗」をてひねりで作る。 これが「楽茶碗」だそうである。 素人が焼いた茶碗は脆く、その時代のもので現存するものはほとんど無いそうで、あれば重要文化財だそうだ。 そこから、「一楽、二萩」と言われるようになったそうだが、そういった名品にお目にかかったことがないので一度見てみたいと思っている。 大阪に行けば見ることが出来るらしい。 奥様が定年後一度見にゆく計画でいる。 その次に、「茶杓」を自ら削る。 「風呂」と呼ばれる「茶釜」をかける入れ物の 「灰」 を藁を燃やして作る。・・・・・・・・・・。 準備は延々と自らの手で行うらしい。 その中で、今日まで残された道具類が多く存在するらしいが、いずれもそれぞれの家元の家宝だそうである。

こうした話を二時間にわたって語ってくれたのは、当時広島市の社会教育課長である。 語ってくれた場所は、「頼山陽文徳殿」という、「頼山陽」が脱藩したとき幽閉された場所で、「賴山陽」は幽閉の期間ここで猛勉強したそうである。 被爆建物「旧日銀広島支店」跡地の裏に現在も存在する。 氏は変人で「京大」卒、京大在学中に「武者小路千家」に弟子入りし、師範の免許を受けたそうである。

 しかし「茶道」では飯が食えぬと、教員になった。 原爆慰霊牌の「獻茶」は、氏の発案で全ての流派の茶人が参加して行われる。 博学で市役所に知れ渡っていたが、出世に興味がなく教育長になるより、晩年は 「小学校の校長」 の道を選んだ人であった。 この人の話の中で最も「おもてなし」だと思ったのは、「茶会」当日の「亭主」がする「掃除」である。 

自ら路地や庭を掃き清め、水を打ちその後、集めた落ち葉を洗い清めた後に、その中からよりすぐった落ち葉のみを、再び庭に置くのだそうである。 この作業が一番その家の「亭主」の人間性や、美意識が現れる時だと語られた時に、身震いした記憶がある。 

帰宅後 所有する辞書全てを見たが、「持て成し」は出てくるが、「おもてなし」はどのように検索しても、古語辞典にも出てこない。 例として「持て成し」のところに、「思わぬおもてなしを受けた」と言う例があったが、そこにあった説明では、予期せぬ「持て成し」をいい、相手の利益誘導がうかがわれる時には使用しないと、記載されていたように記憶している。 

その辞書がどの辞書であったのかは、残念ながら思い出せない。 現在身の回りに有る辞書は結婚後購入したものばかりで、当時の物がない。 ないはずである。 私は駆け落ち結婚した身であるから。

その後この課長から、茶室の資料をお借りして勉強してみた。 三年ほどかかったように記憶している。 たまたま 「公民館建設工事」 を落札し、その和室の中に「茶道」の稽古が出来る様に設計してあったが、不自然なのでそれを指摘し、設計変更して施工した処、そのことが評判になり、広島市内に五箇所も「茶室」工事を頼まれ、設計施工した。「芸は身を助ける」ことになった。

「おもてなし」 この言葉については、非常に興味がある。 「国文学」を専攻された方や、「茶道」の知識をお持ちの方、ご教授ください。

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