野生動物の事を考えていた。「鹿食免」の札の、後遺症だ。 戦前から流行っていたのは、小金を貯めた「親父(おやじ)さん」が、「狸の襟巻」をしていた。 戦後、復興と共に、成人式などで、若い女性が「狐の襟巻」をしている姿が多かった。 その後それらは、「羊の一枚皮」を、肩からすっぽり掛けるのが流行った。 いつの間にか、「狸の襟巻」とともに消えて行った。 我が家の奥様は、成人式に親から「狐の襟巻」を買っていただいたが、家に帰った時には無かったそうだ。 「おちょこちょい」は、70過ぎても治っていない事は、確かである。 新成人が多いい時代、「狐」の養殖が、ブームに成ったことが有った。 あの膨大な数の「狐の襟巻」は、今どこに行ったのだろうか。 私が二十四歳後の頃、紬の和服を作った時、近所のおじさんから、「狸の襟巻」を頂いたが、一度だけ友人と飲み屋に出かける時、付けて行ったら、店中で受けた。 それでなくとも、老けて見えるタイプだったので、「質屋の爺さんが、取り立てに来たのかと思った。」と揶揄われた。 その冬は私のトレードマークに成ってしまった。 そう言えばこの頃から、良くTVインタビューを受ける事が多くなった。 昼時間に、喫茶店に入って、なじみのマスターに、「ナポリタンと、キリマン一つ」と言ったとたん。TVカメラと、アナウンサーからインタビューされた。 「ナポリタン」の発祥の地の一つが広島である事を知っているかと言う問いであった。 勿論よく知っていたし、喫茶店の、モーニングサービスの発祥地も広島の○○店だと、ひとくさり「薀蓄」を述べたら、その夜、地元TVで、でかでかと放映された。 甚平さんを着て、広島の本通りの古本屋で、本を探していたり、日赤の前の横断歩道で、若い女性が自動車と接触。 背負って日赤に運んだら、これまたTVにつかまり仕事どころではなくなった。 どうも人より変わった人間なので、TVに映したくなるようだ。 近頃は、何処にでもいる「じじい」になったので、TVインタビューに出会う事が亡くなった。
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