私は大きな忘れごとをしていた。 本体の私より先に「荼毘」に付されたのは、2つではなかった。 2番目に全摘出した、前立腺の事を失念していた。 以来、戸籍上では「男」だが、実質「無性」なのである。 よって荼毘は過去に3回。 ところで、今一つの藤森氏の系統について本日は書いて置く。 神功皇后が三韓征伐に行き、その後九州の氾濫を押さえ、帰郷した時、押収した敵方の武器を地下に埋設したのが、藤森神社(京都)の始まりである。 当初は山代の国の深草に有ったが、後に京都に移されたらしい。 当時の敷地は広大で、後にはその敷地内に京都大学が作られた。 如何にせん、戦関系の神であるので、勝負事の信者が多いいらしい。 特に競馬ファンの参拝が多いいと聞く。 この藤森神社一党の名字が「藤森」である。 ややっこしいのは、この藤森神社を訪れた時、苗字の由来をうかがった時、本来この神社は、山代の国の深草の藤森氏に建てられ預けられたそうである。 その為に藤森神社と言うらしい。 そんな事を考慮すると、出雲の大神、大国主命の子供が祭られる「諏訪神社」とその一党。 「藤森神社」とその一党、「山代の国の深草の藤森氏」の一党と三流れが有る様だ。 ところで、仏教により、獣肉を食すことが禁じられて、江戸時代が一番厳しく取り締まられた。 がその中で二か所だけ、狩猟が許された場所がったそうだ。 皆さんが良くご存じの「マタギ」の里と呼ばれた場所である。 これらの場所は、農業だけでは生活が出来かねたからで、狩猟が禁じられたのは、「鉄砲」が、庶民に広がるのを幕府が恐れたからだそうである。 但し、「カンナ流し」や、「金銀銅」の採掘場近辺では、山を追い出された野獣対策に「鉄砲」の所持と狩猟が許された。 そこに 「鹿食免」のお札が必要となって、「諏訪神社が」一手にお札を取り仕切っていたそうである。 元々が、出雲のカンナ流しの地が発祥地の神様である。 大量の炭を焼き、大量の砂鉄処理の為には、「肉食」は、欠かせなかったようだ。 「安芸の国」「備前、備後」もまた、砂鉄の国だった。
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