藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

何故?「鹿食免」と言うお札。

2023-05-29 07:53:57 | 日記・エッセイ・コラム

 

さて、獣肉を食するに、その種類は多数ある。 山鳥、猪、熊、狸、・・・・。 その中で敢て「鹿食免」としたのだろうか。 

 「早起きは、三文の徳」と言う言葉は、皆さん良くご存じであろうと思う。 この言葉の、発祥の地は「大和」(奈良)と言われている。 奈良には「春日大社」が有り、そこには、四柱の神が祭られているが、その一番が「武甕槌命」(タケミカヅチノミコト)で、この神は常陸の国鹿島から、「鹿」に乗っておいでになったそうである。 奈良では、鹿こそ神なのだ。 本来「神」である物は死なないのだが、奈良の鹿様は、良くお亡くなりに成る。 その亡くなった場所が、私の店の前だったら、その家の主人が、奉行所に知らせて、その上に、その鹿の埋葬を手厚くしなければならなかったそうだ。 その運搬費だけでも「三文」かかったそうである。 そこで、他の店より早く店を開けてもし、「鹿」の遺体が我が家の前に見つけたら、他の店の前にもって行ったそうである。 またその逆も有り、他の店より早く店を開けておくと、「鹿」の死骸を持ってこられる心配がなかった。 そこから生まれた言葉だそうだ。 鹿に乗っておいでに成った神社は、他にも有り、有名なのが、「下賀茂神社」「上賀茂神社」もそうである。 これらの神様は不思議な事に、「藤原氏、中臣家」の氏神である。天皇家の神様は?・・・・、よくよく考えたら、見受けられない。 天皇様自体が「神様」であった。 さてそこで、鹿の肉を食するにあたって、他の獣とは一線を画して崇めたのが、一枚のお札の成り立ちなのだ。 「鹿食免」このお札を神棚に捧げ置けば、大きな顔で「鹿」を食べる事が出来たのである。それにしても「奈良」では、「鹿」を食したとは聞かない。 奈良の町では、「お鹿様」は、道路の真ん中に寝そべって、食べ物を呉れない奴らを見下しているように感じたのは、私だけであるか。 い行く島の「鹿」は、誰も信心していない。ただ島内では、墓も作れず、葬儀も出来ない決まりである。 よって、たいせつにされているのではなく、関心がないのだ。 ただ県外の方たちは、奈良の鹿と同じく、神の使いと勘違いして餌などおやりである。 いちじき、京都大学の力を借りて、「猿」もいたが、元来いない物はいない方が良い事となり駆除された。 子供や、女性の被害が無くなって、広島人はほっとしている。 

    

コメント (1)
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