あえて広島市主催の祈念式典へは参加せず、原爆ドーム周辺部での、各グループの集会を覗いてみた。
今年の広島は大きな変化がおき始めた予感を感じさせた。 右翼の街宣カーの数が少ない。 体制内改革を目指した、民主党の集会に力がない。 参議院で一定の成果を挙げた共産党系の集会もどこか動員能力にかけて、迫力がない。
自民党系の主な集会、戦没者学徒動員慰霊祭に地元外務大臣の参加が見当たらない。献花の名簿の中さえない。
大きな地盤変動がおき始めているように感じる。
福島の原発事故が、国民の意識を大きく変え始めたようである。 「カクマル派」と非難されながら67万票を獲得した東京地方区の「山本太郎」の当選現象が、今全国の国民に伝わり始めたようである。 自民党の女性議員も、自民党議員というより、一市民の大衆においが強い。赤いTシャツに、スニーカー。 嘗て「土井たか子」が「山が動いた」と発したときの現象に似ている。 既成政党の中での改革を目指した、鳩山、管、小沢の目論みは国民からはっきり「ノー」を突きつけられた。
盛り上がるリベラル派の集団が、山本太郎の当選を勝ち取り、今後三年間の指導的役割を果たしていくであろうことがはっきりしてきた。 規制緩和政策は、市民救済の政策ではなく、原発開発事業からはじき出されるであろう企業の、救済政策であることが見えてきた。
ないのは、彼らをまとめるリーダーだけである。 それが誰なのか今私の頭の中にはうっすらと姿が浮かび始めた。 被爆70年に向けて各派に呼びかけることの出来るのは、被爆者である私たち以外にいないことを、今年の平和式典で感じた実感である。
広島松井市長は、原発再会を前提にした施策であることから、安部総理の祈念式典の出席を断るべきだとの申し込みに、「たとえヒットラーでも参加を拒むことはない」と、公言した。
昨日私はこの話を聞き、抗議文を市長秘書室に届けた。 受け取ることを拒否されたが、本館地下二階の秘書室のポストに入れてきた。 本名ははっきりと書いておいた。 ただし住所は書かなかった。 トラップを仕掛けたのだ。 本名から住所を調べ送り返して来たときは、公務による個人情報の勝手な利用で市長を告発してやろうと思ったのだ。
福島の原発事故で、日本の地盤変革が始まったことだけは事実である。
安部総理は、福島の新しい被爆者と広島の被爆者の分断のために、広島被爆者の原爆症の認定基準の緩和を祈念式典で公言した。 この一言が、十年後の福島に大きな影響を及ぼすであるう。