藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

藤本儀一氏の死に寄せて

2012-11-03 17:40:47 | 社会・経済

藤本儀一氏が亡くなった。死因は「中皮腫」だそうである。

何故に作家が「アスベスト」被害者なのだろうか。氏は大阪の人である。しかしその振る舞いは、洗練され磨かれていた。

なぜに「中皮腫」?。

 辿り着いたのは、TVスタジオに25年間も通い続けた結果なのであろうと想像した。

 TVスタジオや劇場などは、防音上大量の「アスベスト」が使用されていた。  

又、地域的にも「アスベスト」加工工場が多く存在してきた歴史的事実が其処に存在する。「尼崎訴訟」「泉南訴訟」・・・。その被害者は住民にも及んでいるが、国の取ってきた対策はお粗末な物であった。

 嘗ての「水俣病」や「イタイイタイ病」に対する対応と同じであり、被害者の救済などは後回しなのだ。

 文化人にまで及んだ「アスベスト」被害を、真剣に考える政治家は何処にも見当たらない。

 氏の冥福を心から祈りたい。

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キューポラの町「可部町」

2012-11-03 17:19:20 | 社会・経済

001

「キューポラのある町」での事は、今私の住む町にも当てはまる。この町には三つの鋳物工場があり、その何れもが嘗ては、日本で名をはせた工場であった。嘗ては、「戦艦大和」等の部品を作ってきたし、戦後も復興の一翼を荷い、頑張ってきたが現在ではその面影もない。<msnctyst w:st="on" addresslist="11:埼玉県川口市;" address="川口市">

川口市

</msnctyst>も嘗ての「キューポラ」の町ではなくなっているのだろうと想像する。この町の「大和重工」は、昭和30年代、<msnctyst w:st="on" addresslist="11:埼玉県川口市;" address="川口市">

川口市

</msnctyst>に進出したが、昭和60年代に撤退し、この町のみの工場として現在はマンホールの蓋を中心に製造している。嘗ては「三菱精機」や「油谷重工」と言った、日本の精密機械工場の代表的工場に加工用材料を納入し、この町の経済を支えてきたが、今やその面影もない。

昨夜夢を見た。小学校時代の同窓生の夢である。昭和37年か、38年に三人の同窓生が、生まれ育った己斐の町を後にして、北朝鮮へ帰っていった。彼らは今日、如何に暮らしているのであろうか。うち一人は同じ町内の女の子であったが、足が速く「運動会」のスターであった。何処か「吉永小百合」に似た、雰囲気がある子であったが。

半世紀前の事である。

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