闇に響くノクターン

いっしょにノクターンを聴いてみませんか。どこまで続くかわからない暗闇のなかで…。

前のアルバイト先で再面談

2009-07-31 20:51:36 | 求職日記
今日は、昨年10月にやめた前のアルバイト先を訪問し、そこの担当主任ともう一度前のアルバイトをやらせてもらえないか話し合いをし、9月から再就業の内諾をもらってきた。
前の仕事を辞めたときの事情はこのブログにも簡単に書いているが、そのあとに見つけて今も行っているスーパーのアルバイトからの収入がおもわしくなく、みっともないが背に腹は変えられないと、前のアルバイト先に再就業をたのみこんできたしだい。
もっともこれには若干の複線があって、前のアルバイト先には二つの部門があり、私が当初所属していた一方の部門とは結局人間関係がうまくいかなくなったのだが、もう一方の部門との関係は良好で、なにかあったらまた来て欲しいといわれながらやめたことが前提となっている。
今日はその辺のこともざっくばらんに話し、最初の部門に戻るつもりはないが、私に会ってくれた主任が属しているもう一方の部門であれば、自分もそれなりに仕事がこなせそうだし、ぜひもう一度やらせて欲しいと頼み込んだ。
ただ主任によれば、私がやめてからこの職場にも若干の変化があったとのことで、まずは仕事量の減少から全般的に人員が削減され、以前より少ない人間で業務をこなしているとのことだった。また一方では、それにともない去年はさかんに出していたアルバイトの募集広告も中止しており、アルバイトが止めて欠員がでると、同じ会社の他の勤務先から人を回してもらったり、口コミで穴を埋めていたので、私の復帰そのものは大歓迎だとも言ってくれた。
いずれにしても大きな会社なので主任の一存では採用を決められず、本社の採用係に連絡を入れておくので、8月中旬に私の方から採用係に電話で連絡し、正式な手続きをふんで入社して欲しいと言われた。
これで、ほぼこちらの希望どおりの内容で再就業が内定した。
もっとも労働時間に関しては、仕事そのものが減少しているために、私が希望している週35時間(1日7時間×5日)を満たせるか確約はできないし、それにともない社会保険の加入も確約はできないとのことだったが、それは、現在のアルバイト先であるスーパーでも満たされていないのだから致し方ない。ただ、仮にスーパーと同じだけの時間しか仕事ができないとしても、こちらの職場の方が基本時給が高く、仕事の内容もPC操作中心で疲労が少ないので、少しおちついて翻訳作業ができそうだ。ついでのことながら、以前アルバイトをしていたとき私が出版のあてもないまま翻訳をしていたことは主任も知っているので、現在はその出版にも見通しがつき、翻訳を完成させるためにアルバイトに復帰したいということは明確に伝えてきた。

ついでながら、このブログを読んでくださっている読者の方にアルバイトや派遣社員など、いわゆる非正規労働者と社会保険についての実情を知っていただきたいとおもうので、最後にそれについて簡単に補足しておく。
現在の法律では、ほんらいは労働者保護の観点から、正社員、派遣社員、パート、アルバイトの区別なく社会保険に加入することができるが、その境界線は、一ヶ月に120時間以上労働したかという点にある。つまり一ヶ月に120時間以上労働すれば、アルバイトでも社会保険加入が義務づけられるのだが、その保険料の大半は雇い主である企業が負担しなくてはならない。今私がアルバイトしているスーパーで、仕事がどんなに忙しくても残業が許されず、労働時間が一ヶ月119時間までに抑えられているのはそのためで、もっと具体的にいえば、たとえば月330時間のアルバイト労働を確保しなくてはならないときに、月110時間労働のアルバイトを3人雇う方が、165時間労働のアルバイトを2人雇うよりも、社会保険の負担がない分だけ企業としては安くつくのだ。これをアルバイトとして雇われる側から見ると、労働時間の限界が、そのまま収入の限界ということになる。しかしこれでは、非正規労働者の社会保障の権利を守るために制定されたはずの法律が、ほんらいの主旨を離れて、労働制限という悪い方向に運用されているとしか言いようがない。やや差別的な言い方かもしれないが、配偶者の収入をも期待できる主婦のパートタイマーはともかく、自分の収入だけで生活しなくてはならない者にとって、この時間の壁は大きい。しかも、仕事を失った中・高齢者には正社員としての再就職の道がほとんどなく、大半がアルバイトなどの非正規労働者として生活していかなくてはならないにもかかわらずである。今日、主任は言葉を濁したが、再就職先もこのあたりの事情はおそらく同じで、企業の負担増に直結するアルバイトの長時間労働は歓迎されていないということなのだろう。
社会保険の問題に限らず、世の中には、制度や法律を変えればそれだけで性的マイノリティーなどの社会的弱者は救済されると考えるひとも多いようだが、制度や法律が変われば、今度はその制度や法律の範囲のなかで合法的に新たな弱者切捨てが生じることがありうるということも、多くのひとに知っておいていただきたい。

不動産屋を再訪する

2009-07-30 19:57:41 | 住めば都
今日は不動産屋へ行き、部屋探しの相談をしてきた。
実はこの不動産屋(仲介業者)は京王線沿線にあり、私が部屋を探している小田急線沿線からは少し離れているのだが、対応が親切で信頼できる感じなので、このあいだからずっとこの不動産屋といろいろ相談している。それに今の不動産探しは、結局、自分で情報を集めるというより、不動産屋にとっても、ウェブから顧客の要望に合った情報を拾って紹介する仲介業務が中心なので、ある鉄道の沿線にあるとか、目的の駅に近いといった不動産屋のロケーションは、物件探しにあまり関係ないような気がしている。
で、六月末に目をつけた物件が、こちらの条件と先方の条件が合わず流れてしまったので、あらためて仕切りなおしということにし、不動産屋に行って、もう一度初期条件を指定して、物件を選びなおしてきたというわけ。この程度の作業であれば、電話やメールでもよさそうなものだが、このあたりは、実際に不動産屋に行ってこちらも懸命に部屋を探していると印象付けることが、相手との関係のなかで重要ではないかと私はおもっている(私の場合は、特に作業が長引いているので)。
幸い、Uが丘とK堂によさそうな物件があったので、来週それらを中心に内見させてもらうことを打ち合わせてきた。どちらも駅から5分ほどの便利な場所にあり、今度こそうまく決まればよいとおもっている。

さて、部屋探しの状況はこんな感じだが、アルバイトの転職の方は、明日、前のアルバイト先に再面接に行くアポイントが入った。先方もこちらのことはよくわかっているので、面接してくれるということは採用してくれるということであり、明日は、勤務日程などについての確認がメインの話になるだろうと予想している。一度やめたアルバイト先に再就職というのは、ややみっともないような気がするが、今の私は、そうした外聞はどうでもいいともおもっている。こちらはまずは一安心だ。

それにともなって、今のアルバイトもうまくやめなくてはならないが、突然やめるというと向こうも驚きそうなので、まずは近日中に転居する予定だということをすでに伝えてある。明後日が次の出勤日なので、今度出勤したら、転居が本決まりし、通勤が不便になるのでやめたいというつもりだ(離職の理由として転居をあげると、なぜそんな不便なところに転居するのかときかれそうなので、明後日まで、その明確な理由を考えておかなくてはならない)。

転居と転職と、いろいろなことが絡み合ってちょっとめんどうだが、これをうまく切り抜けると、収入も少し増え、生活ももう少し安定するとおもうので、がんばらなくては。

翻訳に必要な文献を借りる

2009-07-23 00:24:34 | 翻訳への道
今朝はありあわせのものでブランチを簡単に済ませると、まず前のアルバイト先に電話を入れ、主任と次の仕事の話をした。私としては、できれば今日のうちに細かい勤務条件等をつめておきたかったのだが、先方は、「今日は時間がとれそうにないし、9月から来るのだから、話を詰めるのはもう少し先でもいいじゃないですか」と、面談を少し先に延ばされてしまった。しかし向こうが当然のように「9月から来るのだから」と言っていたのには少し安心した。そうなると今度は、現在のアルバイト先であるスーパーに退職の話を切り出さなくてはならない。まずは明日あたり、少しそれを匂わしておくことにしよう。スーパーの方は、人間関係等は円満にいっているので退職のことを切り出すのはちょっと心苦しいのだが、収入と生活がかかっているので致し方ない。

その電話を済ませてから、今度は例によって近くの大学の生協に行って翻訳のコピーを増刷。帰りに、はじめて生協内の書籍コーナーまで足を延ばし、私の翻訳が入るかもしれないシリーズ本をチェック。コンパクトだがいい感じの装幀で、そのシリーズが並んでいる。私の翻訳もほんとうにここに付け加わることになるのだろうか?一方、既刊の本の解説はそれほど長くはなく、これなら私にも書けそうだとちょっと安心。
ちなみに大学構内では何度も空を見上げたが、いつもより少し暗い感じはするものの、日蝕の影響はほとんどわからない。

さて自室に戻って私信などを処理し、コピーを裁断して仕分け。そのあと少しぼんやりしていたら約束の時間が近づいてきた。

EさんとはT大の資料編纂センターの前で待ち合わせたのだが、定刻どおりにあらわれて、まずはセンター前のカフェに入る。そこでまず、彼女が借りてくれた本を2冊受け取り、あとは雑談。このカフェの存在は彼女も以前から気になってはいたのだが、入るのはこれがはじめてという。私はフランスのビール「クローネンブルク」を彼女はペリエをとる。とはいえ、T大構内で話をしていると周囲の耳も気になるので、手早くお茶を済ませ、学外に出ることにする。T大の近辺に落ち着いてゆっくり話せる場所を知らないので、「茶水」はどうと提案し、ただちに移動。お茶の水まで地下鉄に乗ることも考えられたのだが、二人で話をしているのが楽しくなってきたので、どちらからともなく「このまま歩いてお茶の水まで行きましょう」と提案し、結局、三省堂の裏まで歩いてしまった。そこでエスニック料理の店をみつけ、またまたビールを飲みながら、青いパパイヤのサラダ、グリーン・カレーなどをつっつく。
そうこうしているうちに8時になり、今日はまずこれまでと食事と話を切り上げ、もう一度お礼を言ってEさんと別れた。互いにいろいろなことを話したが、ほんとうにあっという間の3時間だった。

実務処理の早さに驚く

2009-07-21 22:23:19 | 求職日記
T大のEさんの反応や実務処理の早さには驚かされる。18日にはじめてお会いしたばかりというのに、すぐにT大の蔵書の調べ方をメールで教えてくれて、それで検索してこちらが必要な文献を伝えたところ、もうその文献を借り出してくれた。こうした手続きの速さも、一種の能力なのだろう。
さて今回借りてもらったのは、私が訳している本の著者の伝記とテクストの英訳で、これがあるととてもたすかる。特に伝記の方はフランスで約100年前に出た本で、今でもこれが著者のことを調べるための基本文献なのだが(要するに、フランスでもこの100年間、著者に対する研究はあまりすすんでいないということ)、古い本なので読みたいけれど入手できないだろうとなかばあきらめていたものだ。
彼女とは明日の夕方、T大近辺でお会いすることになっている。

よいことは重なるもので、私の前のアルバイト先からも、再雇用したいので、あらためて面談し諸条件をはっきりさせたいとの連絡がはいった。この面談も急ぐのだが、こちらは明朝再度連絡をとり、面談の日時を確定することにした。人間関係が原因で一度やめた職場なので(ただしやめる時の理由は、角が立たないよう転居ということにしてあるの)、担当者もこちらもやや慎重になっているのは事実。ただし私の方は、翻訳を実現する(その間の生活を維持する)ためには大幅に妥協してもよいとおもっている。ともかく良い結果がでることを期待しよう。

さあ、明日は慌ただしい一日になりそうだ。

知人の講演でもりあがる

2009-07-19 10:51:34 | 雑記
昨日は、今度は知人が美大で開催されたさる学会で招待講演を行い、それに立ち会ってきた。
講演そのものはこれまで何度か打ち合わせをしていたので非常にスムーズにいった。また講演に合わせ、知人の作品も会場内に展示したが、その搬入や展示もうまくいったし、講演との相乗効果も抜群のようだった。
聴講者は実際に作品をつくっている若い人たちが多いように感じられたが、講演後の質疑応答も非常に活発だった。
会場からの質問のなかには横で聞いていてこちらがドキっとするような鋭いものもあった。
たとえば、若い頃知人に大きな影響を与えたある作品について、「同じ作家の別の作品をどのように評価するか。もし若いときに見たのがその作家の違う作品だったら、それでも影響を受けていたか」という質問があったが、これについて知人は「それは仮定のことなのでなんともこたえようがない。ただその時自分がみたのはある作品であって別の作品ではなかったということだ」と、するりとかわしていた。
また、「芸術活動のモチベーションとしての欲望をどう考えるか、またあなたの場合、それはどうなっているのか」というややきわどい質問にも、「自分の作品は必ずしもつくる対象への欲望に動かされてつくっているわけではなく、むしろこういう形にしたいといったフォルムへの関心が、そのつどそのつど作品へのモチベーションになっている」とこたえていた。
講演後は美大の学食で懇親会があり、講演もおもしろかったが、禅問答のような質疑応答は、あれはあれで本質をついていておもしろかったといった声を多く聞いた。みんな講演にも質疑応答にも非常に満足した様子で、懇親会ももりあがった。
私はというと、いつも知人の横にいてもしかたがないので、若いアーチストたちのグループにまじって、その芸術観や作品論をきいて、とてもおもしろかった。だいいち、何かを表現したいと意気込んでいる若者たちはとても美しい。
そうした若い人たちのなかに、美学を学んでいるT大の学生がいて、講演がとてもおもしろかったとこちらに話しかけてきたのだが、すかさず、共通の知人のことなどを話し、実は今さる本を訳しているのだが資料が足りなくて困っている、ぜひなにか協力して欲しいともちかけ、その場で協力の内諾を得た。これで前の記事に書いたT大での資料探しは少し道が開けてきた感じだ。
そのうち、懇親会はお開きになったので、近くの居酒屋に場所を変え、知人を含め10人ほどで飲み直した。すかさず先ほどのT大の学生にも声をかけ、飲み会に誘ったのはいうまでもない。
ただし念のため書き添えておくと、その学生はキュートな美人ではあるけれど、女性であることはたしかなので、私がいかなる性的下心も抱くことなしに、純粋に美術の話や翻訳の話をしたのはいうまでもない。

はりきって翻訳を再開したものの…

2009-07-18 00:51:27 | 翻訳への道
はりきって翻訳を再開したが、今日とりかかった第三部の冒頭はかなり難しい。意味としてはそんなに難しくないので、著者が言おうとしていることはなんとなくわかるのだが、構文があまりにも複雑で、うまく日本語になってくれないのだ。

それはさておき、大学系の組織から出版するとなると、訳そのものだけでなく、別のテクストとの対校、解説などの厳密さも気になる(とりわけそれが古都の大学となると)。
実は私の翻訳は、もともと自分一人でできるとおもってはじめたものではなく、この著者の研究者であるH橋大学のCさんをあてにして、彼と組んでやろうとおもっていたもので、対校や解説も、ほんらいは彼にやってもらおうとおもっていた。彼ならば、私が訳している著作に関する資料もたくさんもっているはずなのだが、いろいろ誘ってみても、どうも彼はこちらのプロジェクトに乗ってこない。やむなく一人で訳していたのが今回Aさんの目にとまったというわけだ。
いずれにしても資料不足は目に見えていて、早急にそれを補わなくてはならない。Cさんとの連絡は今も継続しているが、彼が資料を貸してくれるかはっきりしないので、別のところからそれを借りる工夫をしなくてはならない。K都に頼むという手も考えられるが、いかんせんK都は遠い。
そこでおもいついたのがT大で、ここにも数名知り合いがいることはいるのだが、私の翻訳にどれだけ親身になって対応してくれるか心もとないとあれこれ考えたすえ、私の最初のセックスの相手がT大で教官をしていることを思い出し、おもいきって彼に頼んでみることにした(私の翻訳のことは、すでに年賀状などでも伝えてある)。
ということで、今さっき、翻訳のコピーを封筒にいれ、添え状も書いた。
明日はさっそくそれをメール便で送ることにしよう。

翻訳の出版が内定

2009-07-16 21:33:20 | 翻訳への道
昨晩はあまりにも暑くてよく眠れず、今朝は10時過ぎまで寝坊してしまった。
今日はアルバイトが休みで、細かい用件をいろいろ予定しているので 、寝ぼけた頭でなにはともあれブランチをとる。昨日、スーパーの特売で売っていた鰻が今朝のメニュー。たまには勢力をつけねば。

さて急いでブランチを済ませると、まず近くの大学生協で自分の翻訳をコピー。いろいろ配ったりして手持ちが少なくなっているので4部追加した。ところで、生協のコピー・コーナーはいつもわりとすいているのだが、テスト前とあって今朝は行列ができている。自分の番になって、コピーしながら学生たちの会話を聞くともなく聞いていた。茶水がどうとか、通学の電車のなかで立ちながら勉強するにはどうすればいいかとか、たわいもない話ばかりだが、聞いているとけっこう楽しい。
1時間強でコピーを終えて自室に戻り、今度は前のアルバイト先に電話を入れる。アルバイトをどうするかについてはこのところいろいろ考えているのだが、現在のスーパーのアルバイトは、社則による労働時間の制限があって、月に120時間以上労働ができず収入が限定されるので(要するにそれ以上長い時間アルバイトをするとアルバイトを社会保険に加入させなくてはならず、企業としての自己負担金が増えるので、人が足りなくても残業させないのだ)、虫がいいようだが、前のアルバイトに戻れないかという相談だ。前のアルバイト先を辞めるとき、主任とはけっこういい関係が築けているので、今日はその主任と話をしてみようとおもったのだが、電話に出たのはその上司のマネージャー。でもマネージャーも私のことをすぐに思い出してくれて、いちおうこちらの話を聞いてくれたので、成果としてはまずまずだ。
めんどうな電話をひとまず済ませると、次はコインランドリーで洗濯。
戻ってくると、近代美術館の学芸員から、週末の知人の講演、自分は行けないが代理の人に行ってもらうのでよろしくとのメールが入っており、美大の担当者に連絡。
それから、例によってコピーを裁断、整理して、生協に製本に行く。そういえば、今朝の学生の会話のなかには、コピーをとる速さの自慢があっておかしかった。
夕方、大学生協から戻ると、今度は待ちに待った古都の大学のBさんからメールが届いている。
内容的にはおもしろいし訳文にも問題はないので、訳が完成するのにかかる2年間は待つことが可能であり、古都の大学からの出版を前提にして訳を完成させて欲しいとある。出版内定だ!
おもわずビールを取りだして自分だけで乾杯してから、テクストの残りの部分を読みはじめた。

上野公園~浅草を散策

2009-07-13 23:16:46 | 雑記
今朝は午前9時頃に起きだして、まずK都大学を紹介していただいたAさんに礼状を書く。そののち、スーパーの特売品の肉をつかって焼き肉のブランチ。付け合わせはサラダだけだがけっこう満腹になる。
それから知人と連絡をとり、今週末に迫った知人の講演について簡単に打ち合わせ。しかるのち、午後、知人と待ち合わせて講演会場となる上野公園に隣接した某美大に行き、美大の担当者と最終打ち合わせ。まずは講演とともに展示する知人の作品の搬入方法やスケジュール、同じく搬出方法とスケジュールを確認したのち、パワーポイントで投射する図版のチェック。ちなみに作品の搬入・搬出を手伝ってくれることになった美大大学院の若者は、アーティスティックな風貌とてきぱきした対応で、好感がもてる。
美大での打ち合わせは非常にスムーズにすすんだが、ちょっと半端な時間に終わったので、知人の提案で浅草を散策することにする。
上野駅から浅草までの移動は、地下鉄で10分もかからない。それからお決まりの浅草寺を参拝し、そのあと、私が提案して浅草寺裏にある山東京伝の机塚を見る。これは京伝が亡くなった翌年の文化14年(1817年)に弟の京山が兄をしのんで建立した石碑。浅草寺の境内はそれなりに参詣客も多かったが、机塚まで足を伸ばすひとはほとんどいない。表の喧噪が嘘のように静かな浅草寺裏で、しばし江戸文学をしのぶ。
そののち今度は知人の提案で、机塚にほど近い甘味所「梅むら」にはいり、冷たい宇治金時氷を食べる。
そうこうしているうちに夕方になったので、浅草で知人と別れ、御徒町で夕食材料を買い込んで自室に戻り、軽い夕食ののち、少し翻訳を校正した。
天候にもめぐまれたが、日常とは違ったタイム・スケジュールで、ふだん会わない人と会い、ふだんめったに歩くことのない場所をぶらぶら歩きまわったので、気分転換になり、良い一日だった。

善は急げ

2009-07-10 00:09:52 | 翻訳への道
善は急げ。
組むと決めたからは、こちらの情報をできるだけ早く送った方がいい。
古都の大学側の担当者Bさんには、今朝(9日朝)さっそく私の翻訳のコピーを送った。添え状の書き方が難しかったが、正式にはまだ何も決まったわけではなし、小訳をお読み頂いたうえで忌憚のないご意見をおきかせくださいという主旨のことを簡単に記した。
実際、このプロジェクトはようやく動き出したばかりで、どうなるかまだ先は見えない。師の人脈から離れた未知の大きな舞台で、自分なりに行けるところまでいって、自分の力を試してみようという決意を新たにした。
自宅近くのメール便の受付所に行くと、いつも利用しているのですっかり顔なじみになった事務員さんが笑顔で迎えてくれた。

さて読書の方は、前の記事にも書いたように、このところ江戸時代の歴史について書いたものを続けて読んでいたのだが、プロジェクトが動きだしたとなるとあまりのんびりしてもいられない。残していたページを急いで読み終えて、翻訳作業に戻る態勢を整えた。
まずは、これまでに訳した部分で気になるところのがあったので、そのチェックから作業再開。古都の大学と組むとなると、その作業もこれまで以上に綿密に行わなくてはならない。
その点でうれしいのはAさんから頂いた手紙で、普通に考えると、AさんにわたしたコピーをそのままBさんに手わたしてくれてもよさそうなものだが、読みかえしてみると、自分の手許にあるコピーには未練があるので、もう一部作製してBさんに送って欲しいとある。Aさんほどの大家が私の訳をそうして丁寧に読もうとしてくれていることはほんとうにありがたいし、手が抜けない。
今日のアルバイトの休憩時間は、スーパーの休憩室でずっと訳の見直しをしていた。

翻訳出版の話で新展開

2009-07-08 22:49:02 | 翻訳への道
転居の話が、友人とのルーム・シェアという条件で申し込んだ段階から進捗がなく、動きがとまっている。まあ、私も友人も、経済的には不安定な身分だし、だいいち、高年齢の男同士のルーム・シェアというのが貸し主には気に入らないのかもしれない。
いずれにしても、こちらからは当面打つ手がないので、ともかく不動産屋からの返事を待とうと決めた矢先、翻訳の方で新しい動きがおこった。

私が去年からはじめた翻訳は、具体的な出版のあてがあってのことではなく、どこかから出せればそれだけでもありがたいし、最悪ネットで公開するのでもいいぐらいの軽い気持ちではじめ、ある程度訳がまとまるたびに、大学時代の恩師であるN先生に読んで頂いているのだが、先日行われた某学会でいろいな人にそのコピーを配布したところ、思いがけずも出版関係に顔の広いAさんから、古都の大学から出すつもりはないかと勧められた。
その折は、先日の記事にも書いたように、古都の大学からの出版を勧めて頂いたのは非常にありがたいが、現在N先生に読んで頂いており、N先生にも考えがあるとおもうので、せっかくながらAさんからの申し出はお受けできないとはっきり返答し、Aさんにも了解して頂いた。
ところが今日、そのAさんから、その後古都の大学の関係者に私の翻訳の話をしたら強い関心を示したのでその関係者にコピーを送ってもらえないかという丁寧な依頼の手紙が届いた。
おもいもよらない展開に戸惑って、今日の午後はずっとこの申し出への対応を考えていたのだが、Aさんと古都の都大学がそれほどまでにというのであれば、ひとまずそれに応じてみようと考え方を変えることにした。
問題はN先生との調整だが、N先生と私のあいだではなんとなく、翻訳が完了したらN先生が太いパイプをもっている某私立大学からの出版をめざすという暗黙の了解ができている(N先生の実績と人脈を知悉しているAさんはこのことをわかっているはず)。そこでひとまず出版のことは棚上げして、N先生には、Aさんが私の訳に興味を示していることを伝えたうえで、純粋に翻訳の技術的な面で相談を継続することにしようと決めた。
一方古都の大学の方も、すぐに出版契約を交わしたいといった具体的なことを言ってきたわけではなく、とりあえずは、出版を前提にまず私の翻訳の内容をみてみたいというのが今回のAさんからの申し出の主旨なので、ともかくまずは読んでもらうということで、関係者にコピーを送ることとした。
N先生とAさんの両天秤でかなり際どい行動のような感じもするが、出版不況で多くの本が日の目をみないなかで、こうして出版の可能性が出て来たこと、しかも古都の大学から処女作がだせるかも知れないというのは、ほんとうにありがたいことだ。
ただいずれにしても、翻訳はまだ完成しておらず、完成するまでにはあと数年はかかりそうなので、あまり欲張らず、まずは完成をめざして着実に作業をすすめることにしたい。