闇に響くノクターン

いっしょにノクターンを聴いてみませんか。どこまで続くかわからない暗闇のなかで…。

神とスキャンダルーーパゾリーニの場合

2006-11-30 14:40:21 | 映画
ブログの更新がまたとどこおっているが、とりあえず、パゾリーニ論にいちおう区切りをつけておこう。
高校生時代の私がみたパゾリーニ映画は『テオレマ』『王女メディア』『デカメロン』の三作だった。それ以外の作品はみようと思ってもみることができなかった。
ただ当時講談社から、パゾリーニが映画撮影と並行して書き上げたrecit(レシ、物語)『テオレマ』が刊行されており、こちらは何度も何度もよく読んだ。それともしかすると『生命ある若者たち』というパゾリーニが若い頃に書いた小説も読んでいたかもしれない。レシ『テオレマ』も『生命ある若者たち』も、今、私の手もとにはないのだが、レシ『テオレマ』はいわゆる映画の「原作」のようなものではなく、ある意味で映画から独立した、パゾリーニの思想を直接伝える媒体となっていた。これによってパゾリーニの「言葉」に触れていたことの影響は強かったと思う。
今手もとに映画『テオレマ』が公開された当時のパンフレットがあるので、レシ『テオレマ』に代わるものとして、このパンフレットのなかからパゾリーニの言葉(Q&A)を抜き出しておきたい。きわめて短いものだが、それでも、パゾリーニの考えははっきりと記されているように思う。

   *    *    *

「現代生活における前後関係の中に大きな寓話的伝説が常に存在していることに、私はつねに心を奪われてきましたが、それ以上に、聖なるものがわれわれの日常生活に絶えず干渉してくることが気になっていました。私が文字で書いたり、映画撮影した私の作品の中で抉りだそうと試み、「テオレマ」の中で寓話の形で説明しようとするのは、異議をさしはさむことができないと同時に理性的な分析からすりぬけてしまうこの聖なるものの存在です。」
ーー数学的な証明と類似するようなお伽噺と結びつく過度の単純化を心配なさらないのですか?
「私は今なお表現としての詩情だけに心を惹かれますし、お伽噺は、その意味するものが複雑であればあるだけ詩的だと思っています。私はリアリズムをもってしては何も見ることができない現実を見出します。私が映画にますます惹きつけられるのは、この現実が私の唯一の一大関心事だからです。」
ーーあなたはスキャンダルを探し求めていられるのですか?
「神はスキャンダルなのです。キリストは、もし再来したとしたら、スキャンダルとなるでしょう。彼は彼の時代にもそうであったし、今日生きていてもそうなるでしょう。私の映画に出てくる見知らぬ男ーーテレンス・スタンプが演じ、その男前の点からも明白なのだがーーは、現実の前後の関係の中に挿入されたイエスでもなければ、エロスでもないのです。それは、具体的な徴候、不可思議な様相によって、人類をその誤った安泰から抜けださせる冷酷な神の、エホヴァの使者なのです。それは、ごく僅かの費用で手に入れ、そのお陰で、正統派的な考えを持つ人たちやブルジョワ階級の人たちが生きているというよりも草木のように無為に世を送っている良心というものを破壊する神なのです。」

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このなかで私がひかれるのは、「お伽噺は、その意味するものが複雑であればあるだけ詩的だと思っています。私はリアリズムをもってしては何も見ることができない現実を見出します」ということと、「神はスキャンダルなのです」ということの二点だ。この二点だけをとりだしても、パゾリーニは21世紀の現代の安閑とした状況のなかに鋭く屹立していると思う。
ところで、パゾリーニのいう「お伽噺」が先に書いた「解釈学」の問題と直結してくるのはいうまでもないが、「神」も、パゾリーニにとっては同じ問題を含んでいたと思う。つまり、それは「善なるもの」などではけしてなく、逆に、それを観てしまったもの、知ってしまったものを破壊してしまう可能性のある根源の「叫び」だ。そして、さまざまな現象に対してつねに一義的な「意味」を求めてやまない近代の異性愛社会を突き崩していく可能性を秘めた多義的で流動的なもの以外のなにものでもない。したがってパゾリーニにとっての性(同性愛)とは、世界に対して異議を申し立て、世界そのものを変革していく根源的な役割を担うものであった。パゾリーニのいうスキャンダルとは、この根源的な多義性・流動性そのものであり、これにくらべれば、世に言う一義的なスキャンダルなどスキャンダルでもなんでもない。ゆえに性の表現は、多義性を求めてお伽噺(寓話)へと回帰していく。
高校時代の私は、パゾリーニのメッセージをほぼこのように受け止めていたように思う。

営業日誌

2006-11-26 22:59:43 | 雑記
イタリアへ送る原稿はやっとなんとかかたちがついて、(注をもう少し直したいのだが)とりあえずちょっと一息ついている。なにぶん英語なのでどのくらい書いたか量がうまく説明できないが、注もいれてちょうど400行ある。日本語だと原稿用紙20-30枚はある分量だ。

その間、私が編集に携わった本の発売がいよいよ近づいてきて、こちらもとてもあわただしくなってきた。
先日は、書店に営業活動?に行くところまで記したが、それはなんとなくうまくいって、その書店でも一番目立つスペースに平積みしてもらう約束をとりつけた。16日は、伊勢丹にボージョレを買いに行った帰りに紀○国屋書店に立ち寄り、ここでもなんとか目立つ場所においてくれるようお願いした。京都にも、著者がサインすることを前提に少し多目に買い取るという書店がでてきた。いずれも感触はよい。
また東京でサイン会をやってくれるところが一箇所でてきた。サイン会をやると、読者の反応が直接わかって著者にとっても刺激になるので、売り上げ貢献というだけでなく、書いた側の問題としてもありがたい。
しかしこれだけでは心許ないので、朝○新聞の文化部に電話を入れ、なんとか書評欄で取りあげてくれるよう、直接依頼。この依頼がうまくいくかはわからないが、新聞社の文化部には紹介を希望する新刊書が次々にもちこまれてくるので、ただ送っただけでは忘れられてしまう。
メディアによる紹介も、新聞だけでは心細いのであちこちさまざまなところで取りあげてもらわなくてはならないのだが、出版社に電話したら、新聞社にはたらきかけていなかっただけでなく、その辺の準備がまったくできていない。贈呈本をどうするか、週明けに急いで打ち合わせしなくてはならない。
原稿はほぼできあがったというのに、なんだか忙しくなるばかりだ。

流動的ーー和歌のなかの「肉体性」

2006-11-19 13:19:09 | テクストの快楽
今朝は、イタリアの読者に伝えたいと思っている藤原定家の歌

  いつしかとかすめる空の気色かな たゞ夜の程の春のあけぼの

のことをずっと考えていた。
この歌、「霞」「春のあけぼの」といった決まり切った言葉を並べていて、陳腐といえばものすごく陳腐なのだが、読みかえしているうちに、いかにも定家らしいいい歌ではないかと思えてきた。「霞」も「あけぼの」も、要するに境界がさだまらない曖昧なものなわけで、定家に限らず中世歌人はみなこの曖昧性を好んだわけだが、読みかえしているうちに、この曖昧性は、すぐ前の記事に書いたhermeneuticという考え方と繋がってくるのではないかと思えてきたのだ。
当初の日本語の下書きでは、この歌は単なる一例として紹介するだけ、そのなかでこの歌の「意味(訳)」も必要になるというほどのことだったのだが、深く読み込んでみると、この歌は、今回の私の原稿の主題そのものとも、深く通底していると気づいた。
この歌のことはローマのMさんにはまだ伝えてないのだが、これまでのメールのやりとりのなかで、Mさんは「multiple, fluid, polyphonic and polymorphic sound-concept」を重視すると言ってきている。これは、「多元的、流動的、ポリフォニー的、多形態的な響きの概念」というほどのことだろうか(ーーついでにちょっと書いておくと、「流動的」「多形態的」というのはものすごくgay的な概念だと思う)。また、「the perspective of "the physical understanding" is very very important」つまり、「<肉体をとおしての理解>という見方は、とてもとても重要だ」とも書いている。おそらく彼はノンケだと思うが、このあたりの考え方は、私ともピタリと波長が合う。
そして、このMさんの言葉と定家の歌を照合すると、定家の歌は、まさに「多元的、流動的、多形態的」なのだ。

ちなみに私は、とあるものから喚起されたイメージや感情をストレートに書き記そうとした西行や実朝の歌よりも、そうしたイメージや感情の源泉となる世界を、多元的、流動的なままで書きとめようとした定家の歌を好む(実朝の歌など、ノンケぶっていていやになる)。

  おほぞらは梅のにほひに霞みつゝ くもりもはてぬ春の夜の月

流動的な世界を流動的なままに記したこうした歌は、定家といえどもそうたびたびは詠むことができなかった。今日の記事の冒頭に記した

  いつしかとかすめる空の気色かな たゞ夜の程の春のあけぼの

の歌も、この「おほぞらは…」の歌の世界と直結している。
定家のこうした歌はある意味でものすごく日本的なのだが、変に手を加えなくても、感情的なものや感覚的なものではなく、言葉のもつ「肉体性」をとおして、そのままのかたちでイタリア人にもきっとわかってもらえるのではないかと、今私は思い始めている。

註:場合によっては、fluidは「くねくね」とオカマチックに訳すべきかもしれない。polymorphicも、「男・女」などがそれに含まれてくるかもしれない。しかしこの場合にも、私はそのくねくねしたものが好きだ(笑)。

gayと解釈学と錬金術の親近性

2006-11-17 14:20:47 | 雑記
はじめたばかりのブログなのに、このところ何も更新できず失礼しました。お詫びします。土曜日から英作文にかかりきりになり、先ほどようやくそれをローマに送って、今は一息ついています(BGMはレスピーギの「ローマ三部作」)。

   *    *    *

今回の私の原稿、非常に簡単に要約すると、藤原定家の和歌を少し紹介して、それを密教の言語論で説明するというもの。全体は①和歌についての簡単な序説、②定家の歌の紹介、③密教によるその解釈となる。このうち、①と②は比較的書きやすいし、理解しやすいと思うので、もしかするとまったく理解されない可能性のある(それに表現もとても難しい)第三部をまず先に書いて、これでいいか先方にみてもらうことにした。いずれにしても、この原稿の読者はおそらく定家という名前も空海という名前もはじめて聞くことになると思うので、その辺はちょっと工夫した。
それと、先方の媒体概要がさっぱりわからず、どのくらいの分量で書いたらいいかまるで見当がつかない。これが日本語の原稿であれば、何文字とか原稿用紙何枚とか、互いに見当がつくのだが、英文では、こちらも長さが説明できないし、逆に向こうから何文字で書いてくれと指定されても、私の能力ではそれに合わせることができない。要するにこれは、こちらが書いたものをそのまま掲載してもらうしかないのだ。ということで、先方にも編集のつごうがあるだろうから、分量的な目安としても、これはどうしても至急原稿化する必要があったというわけ。
「こんな感じ」と先に送った部分に関しては、すでに「小説みたいでおもしろい。先が気になる」という返事をもらっているので、第三部全体をどう読んでくれるか、反応がとても楽しみだ。
ちなみに、先週日本語で書いた下書きは、注をいれて原稿用紙約24枚。英文にするに際し削った部分も少しあるが、日本人ならだれでも知っていることでも向こうにとってはおそらくははじめてだろうということで書き足した部分もあり(たとえば、「イロハ」が意味をもつということとその意味)、全体は「原作」より少し長い。これは、生まれてこの方、私が書いた最も長い英作文ということになる。
原稿全体の内容はともかく、日本語で考えていたときは見逃していて、訳してみてはじめて気が付いたことがいくつかある。ここではそのことを少し書いてみたい。
その一番大きなものは「解釈学」という学問のこと。
この「解釈学」という言葉は、「解釈学的読み」ということで、私の引用文のなかに登場し、全体の結論で、私はもう一度この言葉をキーワードとして引用している。ところがその「解釈」の「解釈」を私は根本的に間違えていて、これは、いわゆる(文章等の)「解釈」に関する学問なのだなと考え、最初、intepretativeという言葉をそれにあてていた。しかしこのinterpretativeという言葉は、どう考えても「解釈的な」であって「解釈学的な」ではない。そのことがとても気になって手許の辞書をみてもそれらしい言葉、たとえばintepretologyといった言葉は辞書にはない。
そこでグーグルで「解釈学」を検索して、問題はすぐに解決した。
「解釈学」というのは、英語でhermeneuticと呼ばれる学問で(遺憾なことにこの単語も手許の辞書にはない)、形容詞形も同じ。で、このhermeneuticとは何かをwikipedia等でみると、要するに、『聖書』等の普通には解釈できないものを解釈する学問・技術とある。夢占いとか、巫女の口寄せなども、いってみれば、このhermeneuticということでひろくくくられると思う。つまり、同じ「解釈」でも、interpretationというのは正解のある解釈なのだが、hermeneuticでいう解釈というのは、正解のない解釈のことなのだ。
もっとくわしく調べてみると、hermeneuticという言葉の頭のherme-という部分は、ギリシア神話のヘルメス神に由来しており、hermeneuticというのは、神の託宣を人間の言葉に翻訳するというのが一番近いイメージだろう。実は錬金術というのがこれに近い考え方で、辞書には、hermeneuticはなくてもhermetic(錬金術)はちゃんとのっている。錬金術というと、普通は鉱物や石を金に変える原始的で奇妙な科学的技術というイメージがあると思うが、ほんとうはこれは、石や鉱物の解釈の変更の技術で、石や鉱物のなかに、やり方によっては金として表現される要素が隠されているから、それを表面化させるのがhermeticなのだということになると思う。
で、わたしがなぜこのhermeneuticにひっかかったかというと、男の男性性のなかに女性性をみいだしたりするgayという存在は、ものすごくhermeneuticな存在だと思えるからだ(錬金術なども、まあ、gay的といっていえないことはないだろう。最初から石は石、金は金と断定してしまえば、錬金術など存在理由をいっぺんに失ってしまう。しかしgayにとって、錬金術はそのいかがわしさ、うさんくささそのものが魅力的だとはいえないだろうか)。
新宿二丁目などに行くとときどきgay tasteということが話題になるが、このgay taste、私からすると性に関するhermeneuticな読みとものすごく深く関わっているような気がする。「気がする」というより、私の場合、あきらかにそうだ。
そこでさらに考えてみると、たとえばパゾリーニの映画などは、作品をとおしてある確固たる interpretationを提示するというより、作品そのものがいろいろ「解釈」できるようになっていて、断定的な見方を拒否している。画面に直接現れるペニスや排泄物よりも、その構造的なところで、パゾリーニの作品はgay的なのだと思えてきた。

営業に行ってきます♪

2006-11-10 13:23:13 | 雑記
ブログを更新して、はやくパゾリーニ論の続きを書きたいのだが、このところなぜか突然忙しくなって、ゆっくり考えている時間がない。考える時間がないどころか、睡眠時間も充分にとれない。まあこのブログは、決まったテーマについて書くというよりは、自分の日常を書くということではじめてわけだから、あまり難しく考えず、今日は「わが忙し記」を記してみたい。

   *    *    *

忙しさの第一弾は、あるインタビューの原稿校正。これは、私の知りあいが日○大学の学生からインタビューをうけ、その学生から原稿ができあがったので目をとおして欲しいと連絡があったのを、結局私が目をとおすこととなったもの。
ところがこの原稿がなんともいえないしろもので、「神の領域を侵犯する」という発言を「神の領域を審判する」と誤転換しているなんていうのはかわいい方。続く箇所では、「人間は神の似姿」という発言を「神の見姿」などととんちんかんに記している。学校からインタビューの課題を与えられ、インタビューだけはしたものの、自分がインタビューした相手が何を言っているのか、まったく理解していない。全体がこの調子なのでちょっと絶望的になってしまった。
なかでもさっぱり意味がわからなかったのは、「写術」ということば。これは「写真術」だろうかなんだろうかと知りあいにバックしたところ、彼もちょっと考えて、「う~む、これは<写実>だね」ということになった。難しい言葉でもなんでもない。こんな基本的な言葉がちっとも伝わっていないのだ。
そんなことで四苦八苦してようやく校正し、向こうの締め切りにあわせてその学生にバックしたのだが、ありがとうはおろか、届いたとの事務的な連絡もこない。
いったいどうなっているんだろう。

忙しさ第二弾は、私が編集・校正した本の刊行が間近に迫ったこと。これは昨日出版社に電話をいれて知ったのだが、刊行まで一カ月となれば、絶対に置いてくれそうなところに連絡して、本を買い取ってもらわなくてはならない。こういうお得意さんは、刊行と同時に著者署名本を相当部数置いてくれるので、刊行を勢いづけるためにとてもありがたいのだが、署名本は取次店に返本できないので、原則買い取りになる。その部数や仕入れ価格・条件を決めるのが一仕事。ともかくお得意さんに電話を入れて本の概要を伝え、買い取るという内諾をもらったうえで出版社につなげた。
とまあ、出版も仕事としてはいろいろ大変なのだが(まして私のようなフリー編集者は雑用を嫌っている暇がない)、こんなに苦労しても、おそらく著者にはいる印税は数十万円といったところだろう。まして、私のところにはどれだけの恩恵がまわってくることか…。ぼやいていても仕方がない。
編集作業をしながら、某大手書店に今こういう本をつくっていると伝えて、それなら自分のところでサイン会をしてもいいという内諾をもらってあるので、今日はその詰めに行ってこなくてはならない(だから、この記事も早く仕上げなくては!)。

と、ここまでは他人のための仕事。
校正と諸連絡の合間に、ローマのMさんにおくる論文の日本語原稿を作成した。実は今回の論文、日本語で書いておいたものがあったので引き受けたのだが、それでも、日本人に向けて書いた論文をそのまま翻訳するというわけにはいかず、まずはそれを、日本文化のことを何も知らない外国人向けに手直しした。ほんとうは、細かいところまだ少し手直ししなくてはならないのだが、英語にするとき、表現上の問題もあって細部はどうせまた少し変わってくるだろう。ということで、こちらはいちおう完成。
こんな仕事は、どんなに眠くても楽しい。

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さて今から無精髭をそって、書店に営業に行ってきます。

クールな甘さーー鷹野隆大のメール・ヌード写真展

2006-11-08 15:52:41 | アート
昨日ようやく、鷹野隆大さんのメール・ヌード写真展「男の乗り方」を観た。
ヌードというから、ものすごく騒々しい作品を予想していたのだが、予想に反して作品は非常に静か、そして非常に美しい。私は、↑の公式サイトで紹介している若者を被写体としたもう一枚の作品がとても気に入ってしまった。
会場のツァイト・フォト・サロンは、画廊としてはそれほど狭いというわけではないが、鷹野さんの巨大な作品(2m×3mほどのサイズだろうか)のせいで会場が狭く感じられる。展覧会は、そんな巨大な作品が会場に五、六点だけ。そのそっけなさがいい。
被写体のなかにはペニスを勃起させて寝ころんでいる若者もあったが、だからといって、被写体の力やなまなましさで圧倒してくるというより、鷹野さんの作品は、それを写している鷹野さんの視線、あるいは鷹野さんの存在そのものをすごく感じさせる。その存在のありようが、ものすごく深くて、ものすごく静かなのだ。
なんというか、人間の肉体にズバっと切り込む鷹野さんの写真は、これ以上ないほど具象的なのに、不思議な奥行きがあって、とても抽象的にも感じられる。その抽象性は、全体のトーンがクールで、人間というよりオブジェを撮っているような無機質さを感じさせるということからくるのかもしれないが、それでいて作品のどこかに甘さがあり、自然な色っぽさがただよってくる。その甘さや色っぽさがおしつけがましくないから、心地よくそれにひたることができる。私は、作品の前でとてもいい時間を過ごすことができた。
会期が16日までなので、会期中にもう一度行ってみたい。

【参考】
鷹野隆大インタビュー(「@GALLERY TAGBOAT」サイト内)

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この展覧会を紹介してくださった「Heart Beat」サイトのコージさん、どうもありがとうございます。

パゾリーニ・シャワー

2006-11-07 13:29:39 | 映画
ブログを立ち上げて一週間ほどしかたっていないが、毎日数多くの人がアクセスしてくれている。アクセスしてくださった方、どうもありがとうございます。
このブログ、ネットをとおしていろいろな人と知り合いたいと思い、そのために等身大の自分を書くようにしているのだが、うまくいっているかどうか…。それと、現在の自分を知ってもらうためには過去のことも必要かとは思っているのだが、なにせGAYとして過ごしてきた時間が長いので(笑)、過去のことばかり書いているとなかなか現在に到達しそうにない。
ところで、ブログを立ち上げたばかりというせいもあるが、自分が書いた記事を読み返してみると、社会問題や時事的な問題についての書き込みがまったくなく、ひたすら自分のこと、それも自分の美意識のことばかり書いているような気がする。
私の場合、もともと社会問題にはあまり関心がなく、このブログでも、ゲイ・リベレーションの問題を含め、そうした問題にコミットすることはほとんどないだろうと思う(さまざまな社会問題に対する意見を書けば、私の「考え方」は手っ取り早くわかってもらえるかもしれないが…)。このため私が、新宿二丁目をはじめとする「リアル」の世界でも、「なんかもってまわったようなことばかり言って、わかりにくいヤツだ」と思われていることはある程度自覚しているが、基本的に社会問題にコミットしないというのは、私の価値観・人生観の問題でもある。なんというか私にとって、GAYであるということと社会問題にコミットしないということは、自分のなかの深いところでリンクしているように思う。そんな考え方はあまりにも幼すぎるという批判は、あまんじて受けいれよう。

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前置きはこのくらいにして、今日は、自分の高校時代のことなども振り返りながら、イタリアの映像作家パゾリーニ(1922年-75年)を例に、私の映画の見方、考え方を少し書いてみよう。

私が映画のおもしろさに開眼したのは高校時代だが、現在と違ってDVDやビデオがあるわけではなし、映画を観るというのは、文字通り映画館とテレビがたよりだった。しかし、地方には映画館そのものが少ないし、テレビで放送される映画も限られていた。高校生の私は、映画に強く憧れながら映画に飢えていた。
ちなみに、私に一人で映画を観にいくという習慣ができたのは中学三年のときだった。しかし、私が住んでいた小さな町には映画館がないので映画を観るためには隣の町まで行かなくてはならず、映画を観ること自体、中学生にはかなりの冒険だった。映画館のある隣の町というのは小さな城下町で、町の構造が迷路のように複雑だったが、私はそのまがりくねった道を駅から映画館と本屋までの近道だけ覚え込んでいた。
幸い高校はその映画館のある町だったので、高校に入ると、すぐ映画館(洋画封切館)に入り浸るようになった。
こうして、高校に入ると同時に本格的に映画を観だしたのだが、映画館に通いだした直後の夏ごろに観たパゾリーニの『テオレマ』にしびれるようなショックを受け、頭のなかからパゾリーニのことが離れなくなった。とはいえそれは、自分で映画をつくりたいという方向の関心ではなく、パゾリーニの語り部となりたい、パゾリーニをとおしてGAYとは何かを語りたいということだったように思う。高校時代の私のあこがれの職業は映画評論家だった。
実はこの年(1970年)、パゾリーニ映画は日本で三本公開され、ちょっとしたパゾリーニ・ブームという感じになっているのだが、地方都市には『豚小屋』は廻ってこず、私がみたのは『テオレマ』と『王女メディア』だけ。でもこれだけで、パゾリーニが当時の私の精神的な偶像になるには充分だった。
パゾリーニというと、発展場?で若者に惨殺されたという死に方がショッキングだったことと、亡くなる直前につくった『ソドムの市』(75年)がスカトロ&サド・マゾのグロテスクな作品だったので、一般的にはその印象が強烈に刻みこまれてしまっているように思うが、私は、パゾリーニの頂点は『奇跡の丘』(64年)、『アポロンの地獄』(67年)、『テオレマ』(68年)の三作だと思っている。このうち『奇跡の丘』と『アポロンの地獄』は田舎では観ることができず、たまたま観た『テオレマ』で、パゾリーニにはまったというわけだ。
さてパゾリーニのことを書きすすめようとして、ここで一瞬手が止まってしまったのだが、パゾリーニ作品の凄さを一言で簡単に表現するのはとても難しい。
上にも書いたように、一般には、パゾリーニに凄さというのは性表現の過激さという風に考えられているように思うが、そうではなくて、なんというか、対象の本質にずばっと切り込んでくる、その鋭さ、斬新さがパゾリーニの身上だと思う。パゾリーニ以降、性表現でも感覚的なものでも、ある意味でパゾリーニを上回る過激な映像作家は出たかもしれないが、パゾリーニが切り開いた心的表現のリアリズムということでパゾリーニを超える作家は、いまだ出ていないのではないだろうか。
この「心的表現のリアリズム」ということを一番よくわかってもらえるのは『奇跡の丘』だろう。この映画は聖書の『マタイ伝』を映画化したものだが(原題はずばり『マタイ伝』)、一般の教養娯楽的聖書映画やハリウッド・スペクタクルのように、大量の資金を投入し、きちんと時代考証をして、西洋人の心の原点である聖書の世界をいかにもそれらしく描いたものではなく、逆に、直接目に飛び込んでくる映像は少しも聖書の世界らしくないところに特徴がある。
この映画が撮影された当時のイタリアでは、パゾリーニはマルクス主義者、無神論者とみなされており、その彼が聖書を題材とした映画を撮るというだけで、聖書に対する冒涜ではないかと思われていたらしいが、できあがった作品は、聖書を真っ正面から見据えたストレートなもので、その剛直なまでのストレートぶりが、習慣でなんとなく神を信じているといった人々に強い衝撃を与えた。
私は大学時代に、たぶん当時京橋にあったフィルム・センターでこの映画を観たのだが、そのとき最もショックを受けたのは、キリストがガリラヤ湖をわたるシーンだった。それは、金をかけられないのでどこかの浅瀬で撮影してそれをキリストが徒歩で湖をわたるシーンにあてているのがバレバレの拙い映像なのだが、「こんなちゃっちい水上歩行シーン、嘘じゃん」とたかをくくって観ていたら、次に、パゾリーニにものすごいうっちゃりを喰らわせられた。
聖書を読むとわかるが、キリストはあまり奇跡を行っておらず、したがってキリストの人間性を強調したような読み方、映画のつくり方も可能なのだが、このガリラヤ湖の場面は、そんなキリストが奇跡を行った非常に重要な場面だ。
そのシーンのなかで、キリストが行った水上歩行の奇跡を見た弟子のペテロが「主よ、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください」というと、キリストは「ここまで来い」と命じる。そこでペテロが水上を歩こうとするとすぐに溺れてしまう。すかさずキリストは、「私の言葉を疑いましたね」と言う。このあたり、パゾリーニは文字通り聖書のテクストにそって画面を構成している。ただ視覚的映像が、われわれが頭のなかに組み立てようとするイメージを裏切るようにできているのだ。
このペテロとキリストのやりとりを観ていたとき、私は、こんなシーンはどうせ嘘と思いながら観ていた自分の弱点をつかれたようで、ものすごい衝撃を受けた。そのシーンの映像が嘘というのなら、そもそもキリストの奇跡も嘘であり、この映画を観る意味などどこにもないのではないか。逆に、何らかの意味でキリストの存在や奇跡を信じるならば、あるいは少なくとも、キリストとは何だったのかを自分なりに真剣に考えようとするならば、一つ一つのシーンのリアリティーをどうこういうことにはまったく意味がないのではないか。要するにここでパゾリーニは、あるシーンのもつ映像としての部分的リアリティーを問題にしているのではなく、何か(誰か)を信じるということのリアリティーそのものを問題にしているのだ。
そのことに気づいて文字通り脳天が割られるようなショックをうけながら続く展開を観ていると、パゾリーニの意図、パゾリーニが誰にでも嘘だと見破れるちゃっちい映像で聖書を映画化した理由がものすごくわかるような気がした。観客の目にうつる映像をほんものらしくすればするほど、その映像は嘘になってしまう。聖書の真実を伝えようとしたら、映像はそれらしく見えない方がいいのである。映像表現のリアリティーということについて、これほど深く考えている作家を、私は他にほとんど知らない。
これに続いて制作された『アポロンの地獄』も、この『奇跡の丘』の方法をさらに徹底させて、それにGAYであるパゾリーニ自身の自伝的要素をからめたものすごい傑作であった。去年ある機会があって、GAY映画とは何か、自分にとってベストのGAY映画とは何かをいろいろ考えたのだが、私からすると、この作品はパゾリーニのGAY性とからんだ、最高のGAY映画だ。
で、『テオレマ』。こちらはうってかわって舞台を現代イタリアに移し、GAYであることの問題を正面からとりあげているよりストレートな、それでいて非常に象徴的な作品だ。タイトルの「テオレマ」は、定理や一般規則を意味する。
話は極めて単純。
あるブルジョア一家にある日ある青年がやってきて、父、母、息子、娘、女中のすべてと性的関係を結ぶ。それによってすべての人が変化する。やがてある日青年が去る。その不在によって一家はさらに大きく変化し、家族は崩壊する。女中だけが神に近づく。
こう書くとなんとも色情狂的な内容なのだが、高校一年の私は、この映画にもうれつに興奮し、自分がGAYであるということを明確に自覚し、それを受け止めて生きようと決意したのだった。まあ、当時の幼い私には、青年(テレンス・スタンプ)の股間が執拗に映されることや、青年と息子がベッドインするシーンがあるだけで衝撃的だったのだが(笑)。

ところでパゾリーニは、『テオレマ』を完成させたあと、ある達成感から、それまでの自分の生き方と方法論を反省し、新しい生き方とそれを反映したまったく新しい方法論を模索していたのだと思う。しかし自分を極限まで追い詰めながら新たな映像表現を追求するという厳しい試みの途中で、彼は殺されてしまった。だから『ソドムの市』は、結果的にはパゾリーニの遺作ではあるが、パゾリーニの最終到達点とはいえないと私は思っている。

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今日の記事、社会問題への私のコミットというようなことから書き始めたのだが、考えてみると、パゾリーニは、マルクス主義者として社会問題にアクチュアルに反応していたというイメージに反して、実際には、社会問題を直接の題材とした映画がほとんどないことに気がついた。そんなところ、パゾリーニは思っていた以上に深く、私の考え方に影響しているような気がする。
それは、ヴィスコンティやフェリーニなどの戦後のイタリアを代表する監督とくらべてみてもはっきりしているし、世代的にパゾリーニに近いゴダールとくらべるとさらに明確になる。なんというか、パゾリーニの関心は、時代や社会を飛び越えて、ひたすら根源へ根源へと向かっていく。その根源とは性の問題なのか、神の問題なのか。いやおそらく、パゾリーニはさらにその先にある虚無との境を見ようとしていたのではないだろうか。

困ったときのGAYだのみ

2006-11-05 23:52:01 | 雑記
向こうの人は反応が早い。ローマのMさんから今日さっそく、編集会議の決定事項と私が送った概要への感想をつげるメールが届いた。感想の方は、あなたが送ってくれた概要はgreatだというもの。そう言われればこちらとしても気分は良い。
それと、他の執筆者は、ローマ大学の関係者を中心に、サンパウロ大学(ブラジル)、バルセロナ大学(スペイン)など、ラテン系が多いけど、いちおうさきざまな国籍の人間が揃っている(ちなみに文化人類学者であるMさんは、ブラジルに強いネットワークをもっている)。どんな結果になるか予測はつかないが、その予測不可能なところがかえっておもしろい。

ということで、外側はこれでよいとして、次は日本のことを英語で書くという難問をどうクリアするかだ。
最終的には誰かにみてもらうしかないのだが、すぐに思い浮かんだのが日系ハーフの友人Mさん。彼はアメリカの大学を出てから日本に活動拠点を移し、日本文化をアメリカに橋渡しすることを自分のアイデンティティにしている。だから、単に英語と日本語ができるというだけでなく、私が考えている日本文化を英語で説明するという目的にもっともふさわしい人だ。ただ困ったことに、私はMさんの連絡先を知らないのだが、そこはそれ、彼もGAYだから、新宿に行けばなんとかコンタクトできるだろうとあたりをつけた。
そこで夕方、私が情報拠点としている新宿三丁目のゲイバー「タックスノット」に顔を出したのだが、店に入るとちょうどMさんがいた。Lucky!。さっそく、Mさんにこれまでの経緯と私が書きたいことを説明し、ともかく英語でなんとか書いてみるので、それをチェックして欲しいと頼んで快諾してもらった。
こんなとき、GAYのネットワークはほんとうにありがたい。

それからMさんとは、歌舞伎や映画のことなどをしばし雑談して、大船にのったような心境で部屋に戻った。

すべての道はローマへ通ず

2006-11-04 13:27:30 | 雑記
昨日さぼったので、今朝は一時間強英語と格闘して、ローマにメールを出した。
今日は、私の日常と関係のある範囲で、このメールのやりとりをするようになった経緯と原稿依頼のことを説明しておこう。

私は編集・翻訳・執筆などの仕事をしたいと思ってはいるが、名もない人間にそうそううまい話があるわけではなし、基本的には、よくいってフリーター、実情は万年失業者のようなものである。
だからいろいろな仕事を引き受けているが、そのうちの一つとして、知人の公的メールを管理している。
その知人に先日、ローマ大学の先生からメールが届き、はじめは純粋にそれを取り次いでいたのだが、そのうちにそのMさんが、メールを取り次いでいる私に興味をもつようになった。
こちらとしては、イタリア人が相手のメールだから、チャオだとか、グラツィエだとか、知っている単語を英語のあいだに少し交ぜて向こうにサービスしていたのだが、すると向こうも喜んで、あなたはイタリア語ができるのかときいてくる。オペラが好きだからそれに出てくる程度はというと、向こうは、自分もオペラが好きだという感じ。すっかりうちとけて、すぐにファースト・ネームでメールを応答するようになった。
こうなれば会ったこともない外国人とのメールもやりやすい。しかも相手はネイティブではなく、イタリア流にくずれた英語を書いてくるので、こちらも気が楽だ。
そうした状態が続くうちに、Mさんの方から、自分はイタリアであるreviewを監修しているのだが、それに日本のことをなにか書いてくれないかとなった次第。媒体は、ウェブとも結び付けて、オンラインで全世界に向けてローマ発の文化情報を届けたいという(より正確にいうと、ローマはいちおう情報発信基地ではあるのだが、そこに集まってくる情報自体は世界規模のものにしたいというのがMさんの発想だ)。
実は私は英語にはあまり自信がないし、だいいち英語で論文を書くこと自体はじめてなのだが、Mさんの発想がリベラルでおもしろいので、ともかくその依頼を引き受けた。
ところで今日は、ローマ市内のバールに集まって、ランチをとりながらその編集会議をやるというが、さすがにそれには行けない。で、編集会議前に、私が書きたいものの英文概要を送ったというわけ。
うまく理解してもらえるといいのだが…。

というような感じで、私はいつもわりと時間があるので、ふだんは部屋で読書したり考え事をしていることが多い(音楽はだいたい「ながら」聴き)。夕方から定期的なアルバイトに出かける。
だからそんなに飲みにもいかないし、食事も部屋で簡単に済ますことが多い。こんな生活は不安定だし楽ではないのは事実だが、年齢のことを考えると別の方向への舵の切り替えも不可能に近いので、こうなればともかく、自分の道を進めるだけ進んで行きたい。
今度のローマの件も、それ自体経済的には無に近いが、自分が前に進むためのなにかのきっかけになってくれればいいと思っている。