闇に響くノクターン

いっしょにノクターンを聴いてみませんか。どこまで続くかわからない暗闇のなかで…。

職場のお気楽ムード

2010-08-28 22:38:10 | 求職日記
昨日は私のアルバイト先で、同じ派遣会社から仕事に来ている派遣アルバイトの新人歓迎会があった。私もいちおう6月に来た新人ということで仲間にいれてもらったが、私の後にも数名のアルバイトが採用され、トコロテンのような感じで、私はもう、新人というよりは中堅に近い待遇になっている。仕事をしていても、業務の進め方で不適切と指摘されることはほとんどなく、自分のペースで作業を行うことを任されているので、来た当初とくらべると、ほんとうに気が楽だ。
職場の同僚も、同じ派遣会社から来ている仲間と気が合うというだけでなく、別の派遣会社から来ているアルバイトの人たちとも、わりといい関係が築けている。
だいいち、昨日は「わが社」の新人歓迎会だというのに、別の派遣会社のアルバイトも顔を出していた。
さて仕事場には、この他に、派遣先生え抜きのアルバイトもかなりいるのだが、この人たちともわりと仲がいい。要するに、職場の雰囲気はかなりいい方だとおもう。
そんなななかで、派遣先生え抜きのアルバイトのなかに、松崎くんという「マイ・アイドル」がいる事は以前も書いたが、この松崎くんとの距離はなかなか縮まらない。それでも最近はなんとなく互いを意識していて、視線が合ったときはどちらからとなく目で挨拶をしている。ただ聞くところによると、この松崎くん、母親も同じ職場でアルバイトをしており、母親の紹介でアルバイトをはじめたらしい。母親も母親だとおもうが、子も子で、なにか乳離れをしていないようでいかがなものかとおもってしまう。
いずれにしても、松崎くんになかなか接近できないので、今は、将を射んとすれば馬からのことわざにしたがって、彼と同年齢の片岡くんというアルバイトに急接近している。

     ☆     ☆     ☆

なにはともあれ、そんなこんなで昨日は終電近くビールを飲んでいたので、今朝は起きるのがとてもつらかった。しかも今日のシフトは早番だというのに、おもうように体が動かない。
仕事場につくと、同じ派遣会社の同僚は、みなダルそうにあくびをこらえて仕事をしているが、派遣先も事情を知っているので、見て見ぬふりをしている。
お気楽ムードに助けられた感じだ。

鎌倉に本を借りに行く

2010-08-22 23:41:52 | 雑記
今日は派遣のアルバイトの休日、例によって普段以上に早起きしてしまった。
起きてからの作業は、ネットでポーランドの列車時刻表の確認。
実はポーランドでの友人の展覧会開催がほぼ決まり(現段階で依然として「ほぼ決まり」に過ぎないのは、日本的感覚では非常に奇妙なのだが、「正式」な決定はまだこちらに届いていない)、私にも9月末にポーランドに来て欲しいという要請があったので、そのスケジュールをつくっていたのだ。
日本とポーランドの間には直行便はなく、ポーランド側からの要請は、私の分の旅費は出すが、十分な予算がとれないので、安いアエロフロート便でモスクワ経由でワルシャワ入りして欲しいというもの。これだと、ワルシャワから展覧会の開催地まで、飛行機か列車を乗り継がなくてはならない。ただし、前からヨーロッパを列車で旅してみたいとおもっていた私は、ワルシャワ経由で現地入りするという瓢箪から駒のような提案に大乗り気で、昨晩から、ポーランドの鉄道のサイト↓にアクセスして、いろいろと時刻表を調べている。
http://www.polrail.com/
試行錯誤でいろいろ調べた結果、私の目的地までは、ワルシャワとウィーンを結ぶ国際特急が走っていることがわかり、また時間も2時間半ほどしかかからない。ワルシャワをちょっと見物してから特急に乗ればよいと、だいたいの算段ができあがった。

スケジュール案ができてそれをポーランドにメールしたところで朝食。メニューを考えるのがめんどうなので、冷蔵庫に入っているありあわせの材料で手軽に済ます。

11時過ぎに朝食を終えて、今度は展示物の説明文づくり。日本の展覧会であれば説明がいらないような簡単なものも、海外での展覧会となると、英文で細かく説明をいれなくてはならない。
この作業が少し進んだところで、前からお願いしていた鎌倉の渋○竜彦未亡人に展示資料を借りにいく時間が迫ってきた。渋○さんからは、暑いので夕方くらいに来て欲しいといわれており、2時に家を出る。朝早かったので、電車のなかで爆睡。4時過ぎに鎌倉着。
渋○邸では、さすがにモノだけ借りて帰るというわけには行かず、まずは未亡人と雑談してから、お目当ての本探し。
今回、渋○家から借りる本は5冊で、なかでは、三○由紀夫さんの推薦文の入ったサド侯爵の『ジュスティーヌ』と、有名な「サド裁判」を引き起こした『続・悪徳の栄え』の初版本(いわゆる発禁本)が目玉。この2冊は渋○家としても貴重本で、なかでも、『ジュスティーヌ』は、せっかく書いてもらった三○さんの推薦文に誤植があるというので、渋○さんが自分で校正した跡がはっきり残っているのには感動した。
またその三○さんの推薦文も非常に力がはいったもので、そのなかに「私は氏がサドの訳業に引きつづき、日本に十八世紀フランス文学の根を据ゑられる仕事に邁進されんことを希望する。「カンディード」も青年の必読書たらず、「危険な関係」も軽薄に読み捨てられた日本では、文芸批評家の多くの目は十九世紀文学及び現代文学に視野を限られてゐる。もし一般に十八世紀文学の教養がもう少し浸透してゐたならば、一例が谷崎潤一郎氏の「鍵」の如きも、あれほど見当外れでない評価をえられたであらう」とあったのは、渋○さんを飛び越えて、現在私が行っている翻訳作業にエールを送られたようでうれしかった。
本探しを終え、渋○未亡人にすすめられるままにビールを頂き、しばらく歓談した後、暗くなった鎌倉を後にした。

床屋に行き、サディズムについて考える

2010-08-18 00:22:27 | 雑記
今日は派遣のアルバイトが休み。休みだからゆっくり寝ていればいいようなものだが、暑さとやるべきことがたくさんあるというプレッシャーで、8時前に起床。
アイスティーで眠気をさまして、ともかく翻訳を先にすすめる。
10時過ぎに朝食。冷蔵庫のなかに入っていた鮭の切り身などを適当に焼く。
その後、ポーランドの展覧会のことで、最近いろいろ手助けしてもらっているIさんに連絡をいれる。すると、ポーランド側の対応が遅いために現場が混乱し、輸送の日程がまちまちに伝わっていることがわかる。あわてて輸送会社に連絡。現場でいろいろ調整しなくてはならないのだが、その手配はすべて、輸送会社にまかせることにする。
連絡が終わって、今度はコインランドリーで洗濯。頭の中をしばしクールダウン。
洗濯が済むのを待つあいだ、アレンスキー(1861年~1906年)のピアノ三重奏曲、ピアノ協奏曲を聴く。この人は、マーラーの翌年にロシアで生まれ、ロシア革命の数年前に亡くなったややアナクロ気味の作曲家だが、ピアノ三重奏曲は旋律が豊かでなかなか聞ける。
そうこうしているうちに洗濯が終わって、今度は、渋○邸に電話。
ポーランドの展覧会では、渋○竜彦さんが訳したサドの書籍の初版本を何冊か展示し、戦後の日本文学界で渋○さんが果たした役割を紹介することになっているので、そろそろその紹介文も考えなくてはならない。渋○邸から拝借する本のなかには、実は、三○由起夫さんが讃辞を書いた『ジュスチイヌ』もはいっており、この二人がサドのなかに何を見たのかが、そのポイントとなるとおもっている。つまり、第二次大戦後の日本社会は、民主主義の美名のもとにあらゆる価値観が崩壊し、ある種のサディズムが跋扈する世界になってしまったというのが、二人に共通する世界観ではないかと、私にはおもえるのだ(ちなみに、渋○さんの卒業論文のテーマは、「サドの現代性について」)。
そんなことをぼけっと考えながら、今度は髪を切りに行く。近所の美容院が、平日の昼は690円で髪を切ってくれるので、最近はこのサービスを愛用している。当初、金額があまりにも安いのでいいかげんではないかと敬遠し、通常料金の理容店に行って髪を切ってもらったのだが、高いにもかかわらずあまりにも画一的な仕上がりで気に入らず、それならばとこの美容院を試してみて、それ以来、ここがお気に入りになっているもの。
髪を切るチョキチョキという鋏の音を聞きながら、うとうとしたり、サディズムについて考えたりした。
その後、今度は区役所に戸籍謄本をとりにいく。パスポートの期限が切れているためだが、私の場合、雲底免許をもっていないので、自己証明に非常に時間がかかる。
そうこうしているうちに夕方になり、あまりにも暑いので軽くビールをひっかけてから、スーパーに翻訳原稿のコピーと夕食の買い出しに行く。寓居の近辺では、スーパーが5円コピーのサービスをしているので私にはとてもありがたい。
夕食はビールと肉野菜炒めで簡単に済ませ、またまたアレンスキーを聞きながら、せっせとコピーを綴じる。
こうしてなんとか数部のコピーができあがったので、添え状を書き、今度はこれを、この翻訳の出版を申し出てくれている某大学の担当者に送る。
さて、なにかとあわただしかったが、これでようやく今日予定していた作業を一通り終えた。あらためて缶ビールをあけ、ようやく、ほっと一息つくことができた。

快楽、神、政治

2010-08-10 23:25:29 | 翻訳への道
今朝は9時少し前に起床。派遣のアルバイトが休みなので、『人間の精神について』のテクストに向かう。そのなかに、文法的に不可解で、日曜日からいくら考えてもどうしても意味のとれないフレーズがあったのだが、英訳を参照することで疑問は氷解した。
私が理解できなかったのは、下方に引用している仏文テクストの中程の「si perçant au fond des coeurs(心の底にこれほどまでも侵入する)」という箇所だったのだが、英訳を読むと、仏語のsiにあたるifの直後にコンマがあってフレーズが二分され、「perçant au fond des coeurs」が挿入句という扱いになっている。これなら私も意味がわかる。要するに二日ほど理解できなかったフレーズは、おそらくテクストの誤植なのだ。

【仏語テクスト】
Voilà ce qui différencie, de la maniere la plus nette, la plus précise et la plus conforme à l'expérience, l'homme vertueux de l'homme vicieux : c'est sur ce plan que le public ferait un thermometre exact, où seraient marqués les divers degrés de vice ou de vertu de chaque citoyen, si (,) perçant au fond des coeurs, il pouvait y découvrir le prix que chacun met à sa vertu. L'impossibilité de parvenir à cette connaissance l'a forcé à ne juger des hommes que par leurs actions ; jugement extrêmement fautif dans quelque cas particulier, mais en total assez conforme à l'intérêt général, et presque aussi utile que s'il était plus juste.

【英訳】
This is what distinguishes the virtuous from the vicious man, in a manner the most clear, precise, and conformable, to experience ; on this plan the public might make an exact thermometer, which would shew the various degrees of virtue and vice in each citizen, if, by penetrating to the bottom of the heart, we. could discover there the value that each sets on his virtue. But the impossibility of arriving at this knowledge forces us to judge of men only by their actions,—a judgment extremely faulty in every particular, but on the whole sufficiently conformable to the general interest, and almost as useful as if it were just.

【試訳】
「以上のようにして、もっとも明瞭、もっとも正確、もっとも経験に合致した方法で有徳な人間と不徳の人間が区別される。心の底に侵入しながら、もしそこに各人が自分の美徳につける代価を見いだすことが可能だったならば、民衆が、各市民の悪徳もしくは美徳のさまざまな度合いが示される正確な温度計をつくっていたのは、そうした見取り図にもとづいてである。こうした認識に到達することの不可能さは、人間をその行動によってしか判断しないよう民衆を強制した。こうした判断は、なんらかの特別な事例においては非常に誤りに陥りやすい。しかし全体としてみれば、一般的な利害関心に十分合致しており、あたかももっとも公正であった場合のように有用である。」

     ☆     ☆     ☆

とりあえず問題が解決したところで、昼食後、次の問題を解決するために図書館に出かける。というのは、上に引用したフレーズの少し前に、アウグスティヌスからの引用文があって、それがどういう文脈からの引用かわからなかったので、その確認のためだ。つまり、引用文「Secudum id quod amplius nos delectat operemur necesse est(行動において、われわれは必然的にわれわれに最大の快楽を与えるものに従う)」が、新約聖書のガラテア書の注解にもとづくものであることはウィキペディアなどで調べてすでにわかっていたのだが、肝心のアウグスティヌスの注解がどういう本なのかよくわからないので、その確認が目的だ。
しかし図書館に行って調べてみると、日本語訳のアウグスティヌス著作集には、目当てのガラテア書注解は含まれておらず、探求はふりだしにもどることとなった。
そこでもう一度ネットで細かく調べてみると、アウグスティヌスのこのフレーズは、キリスト教のジャンセニスト(ヤンセン派)が自説のよりどころの一つとしたものであることがわかり、このため『人間の精神について』の著者も、(宗教的な紛糾を怖れて?)あえてラテン語のままで引用したのではないかという事実が見えてきた。
要するに、ジャンセニストは、アウグスティヌスの権威を借りて、「人間の行動を決めるのは直接的には快楽であり、人間は快楽に反して行動することはできない」としたうえで、その快楽を定めるのは神であり、したがって人間は、快楽にもとづいて行動しているときに最終的には神の意のままに行動しているということを主張しようとしたのだとおもわれる。これはどういうことかというと、快楽を感じることなく、世間体などのために無理に善行を行っても、そのような行為は無意味であり、そういう人間を、神は救済へと定めていなかったという特異な救済論につながってくる。
このためこの独自の快楽論は、17~18世紀にかけて、善行を否定するものとしてキリスト教社会のなかでかなり物議をかもしたのだが、著者は、その議論をもう一度ひっくり返して、ジャンセニストが想定していた神の決定抜きにこの言葉を読み込もうとしているのだと思われてきた。すると、おそらくもともとのアウグスティヌスの文脈では、信仰の快楽を表現していたと思われる表現が、単純に、エピクロス的な快楽主義の表明と解釈できるのだ。
冒頭の引用文のすこし先の部分で、著者は、こうした「快楽主義の哲学」を、次のようなかたちで政治論につなげていく。

     ☆     ☆     ☆

「もし快楽が人間の探求の唯一の対象であるならば、彼らに美徳への愛を吹き込むためには、自然を模倣するだけでよい。快楽はその意志を告げ、苦しみは禁止を告げる。人間はそれに従順に従う。同じ力によって武装しながら、なにゆえ立法家は同じ結果を生み出さないのであろうか。もし人間に情念がなかったならば、彼らを善良にする手段は何もなかったであろう。しかし、啓発されたというよりは尊敬すべき誠実さをもった人々が自分を高めるときに反対した快楽への愛は、個人の情念を一般的な善へとつねに導くことができる歯止めである。美徳に対する大半の人間の嫌悪は、それゆえ、彼らの本性(自然)の堕落の結果ではなく、立法の不完全さの結果である。あえて言うならば、あまりにもしばしば悪徳に快楽を混入しながら、われわれに悪徳をかきたてるのは立法である。立法家の大きな技術とは、それらを分離し、極悪人が罪から引き出す利得と彼がさらされる苦痛のあいだにいかなる釣り合いもとれないようにする技術である。」

「死と乙女」を聴きながら、亡き人をしのぶ

2010-08-09 00:37:09 | わが酒と薔薇の日々
今日は8時30分に起床。シューベルトの弦楽四重奏曲のCD(シネ・ノミネ四重奏団)をかけながら『人間の精神について』にむかう。翻訳がなかなか進まないが10時30分ほどでそれに一区切りつけて、ハンバーグとサラダで朝食。朝食をすませてからスーパーに買い出し。数日分の食料を仕入れ、今晩の夕食は、特売品のチキンでカレーをつくることにする。戻ってから、例によってコインランドリーで洗濯。雑用が済んで、また翻訳とシューベルト。おもうように訳がはかどらなくてすこしぼんやりしていたら、3月に亡くなったMくんのパートナーKさんから電話がきたので、夕食にと誘う。
ということで、夕食はKさんと一緒にカレーを食べる。とりあえずのBGMは、シューベルトの四重奏曲のなかで聴かずに最後に残しておいた「死と乙女」。

Kさんとは、Mくんが亡くなってから何度か会っていろいろな垣根もとれてきたので、今日は、互いにMくんのことをどうおもっていたか、今後の生活設計や仕事をどうするつもりか、形見分けをどうするか、どのようにしてそれぞれの死を迎えるかなど、ざっくばらんに話し合った。亡くなるまで2年間もMくんと会っていなかった私と違い、KさんはなかなかMくんの思い出を振り切ることができない様子だったが、いろいろな話をして、すこし気が晴れたようだった(Kさんに聞いた話では、Mくんの家族も、Mくんの死についてまだふんぎりがついていないようだという)。
カレーがなくなり、話も一区切りついたところで、先日カレシモドキにもらったアードベッグを薦める。カレシモドキと私は、MくんとKさんが住んでいたマンションを一度訪ねたことがあり、このためKさんとカレシモドキも面識があるのだが、そのときの印象や口うるさいMくんが生きていたらアードベッグの独自の風味をどう評するかなどで、話はもう一度もりあがる。
結局、どれだけ話してもMくんの思い出話はつきないのだが、互いに明日の仕事があるからということで、11時過ぎにKさんは帰っていった。
考えてみると、今月はMくんの新盆だ。
私には、Mくんが死んだということが、まだ実感としてピンとこないのだけれど…。

バイト先の若者とはじめて言葉を交わす

2010-08-06 23:41:38 | 求職日記
7月に入ってからアルバイトは超大忙しの状態が毎日続いていたが、今週にはいってその流れも少しとまり、われわれアルバイトも、多少のゆとりを感じながら作業をすすめている。

さて、そのアルバイトの作業用の席が毎日変わるということは前も書いたとおもうが、今日はめぐりめぐって、私が遠くからちらちら眺めるのを楽しみにしている松崎くんという若者の向かいの席だった。この松崎くんだが、年齢は20歳ほどで、天使のようなあどけない顔をしている。美形というよりかわいい系で、いつもなにかけだるそうにしている仕草とあわせて、否が応でもこころをくすぐられる。その松崎くんの向かいの席となると、どうしても彼の方を見ないわけにはいかないのだが、あまり彼の顔だけ見ていては変におもわれるといけないとおもい、必死で、あっちを見たり、こっちを見たりと忙しく彼から視線をはずしながらアルバイトの業務を行った。
それでも今日は終業時間までに全部の作業が終わらず、10分ほど作業が残ってしまったのだが、みると松崎くんも作業がうまく片づかず、残業をしている。
ちょうどタイミングよく、彼とほぼ同時にこちらの作業を終えると、「お疲れさまでした」とはじめて松崎くんの方から声がかかった。しめたという喜びをおさえて、「君こそお疲れさま。終業間際に仕事をわたされるとほんとにこまるよね」とか、調子を合わせておいた。
これをきっかけに、彼ともう少し親しくなれたらいいとおもっている。
アルバイトの作業は大変だが、アルバイトに行く楽しみができた。

カレシモドキと一緒に料理をつくる

2010-08-03 23:14:18 | わが酒と薔薇の日々
みなさんにいろいろご心配頂いたが、先週末、カレシモドキが上京してきた。
薬づけで体調は完全といえないような口ぶりだったが、それでもなんとか寓居にも遊びにきたいとのことで、土曜日の午後、ひさしぶりにカレシモドキと会うことができた。

上京決定までのことを簡単に書いておくと、とりあえずは体調不良ということなので無理をさせてもよくないと、こちらからの連絡は控えていたのだが、先週なかばに連絡が入り、そこでだいたいのスケジュールを決めた。当日は新宿方面から寓居に来るとのことだったので、伊○丹でティラミスとフランスパンを買ってくるように指示。やきもきしながら待っていると、2時少し前に、K堂駅についたという連絡を受けた。
その間私の方は、午前中に近くのスーパーで買い物を済ませた。
迎えに行く途中カレシモドキは古本屋を見つけ、そこにだいぶ未練があるようだったが、後でまた来ればよいと移動を促し、とりあえず寓居に到着。再会を祝してまずはビールで乾杯。
その後、たのんでおいたティラミスとパンを受け取ったが、殊勝にも、おみやげにと酒を差し出された。「すぐあけてください」というので開封すると、箱の中身は、スコッチのシングル・モルトのなかでも私がもっとも愛するアードベッグ。なににするか、モドキなりにいろいろ気をつかって選んだのだろう。「ちょっとためしてくださいよ」と促すので開栓すると、アルコール度数が高いので、瞬間、アルコール分が蒸気のようにたちのぼる。「瓶から湯気が出た」というと、モドキは大喜び。もらったのは、アードベッグのなかでも最近発売された「スーパーノーヴァ(超新星)」という私がまだ飲んだことのないタイプのものなのだが、すぐにテイスティングすると、味も極上。超新星というだけあって、アードベッグ独特のいぶし銀のような雰囲気に加えて、複雑な香りが次々にたちのぼってきて、それがいつまでもつきない。
しばらくして落ち着いてから、今度は一緒に古本屋をのぞきに行くことにする。古本など、田舎でも買えそうなものだが、あちこちの棚から二、三冊の本を選び出しては喜んでいる。私はというと、映画の棚に岡俊雄さんの西部劇の本を見つけた(ただし、すぐには売れないだろうと判断して、こちらは給料日後に買うことにした)。
岡さんは、最初、映画評論家として名前を知り、70年代に『ライアンの娘』『恋』『アメリカの夜』などをベストに推す趣味の良さに関心していたのだが(彼は、どちらかというとテーマよりもそれを表現する技術性の高さを優先させて作品を評価していた)、そのうち、オーディオ評論家としても活躍していることを知って趣味の広さに驚き、最後に、レコード・ジャケットなどをとおしてクラシック音楽の評論家であることを知ってさらに驚いたという存在だ。彼の場合、単に評論の対象ジャンルが広いというだけでなく、それぞれのジャンルで、納得できる作品評をしているのがすごいところだ。こういう人は、その後もう出ていないとおもう。
こうしてカレシモドキとしばらく岡俊雄さんの話をしてから、今度は一緒に夕食をつくることにする。
今回、モドキと会っても例によってセックスなどできそうもなさそうな雰囲気だったし、かといって会話と食事だけでは「会った」という感触が希薄なので、ちょっとひねって、一緒に食事をつくるということを会うことのメインに据えたもの。このところあまり金がないので、これは実利にも合致している。伊○丹でパンを買ってきてもらったのもそのためだ。
選んだメニューは、チキンのトマト煮込みで、ニンニクと玉葱をきざんで炒めるところからはじめて、ああだこうだと言い合いながら、たっぷりと時間をかけて煮込み料理を完成させた。
それなりに手間をかけてつくった手作り料理はカレシモドキにも好評で、ブルゴーニュ・ワイン(選んだのは自宅にあったオートコートドニュイで、そんなにいいワインではないが、なんとなくブルゴーニュの雰囲気は出ている)をあけてじっくりと食べた。
食後はティラミスとエスプレッソ。食後酒はグラン・マルニエ。
こうしてゆっくり食事をしていたらあっという間に時間が過ぎて、9時過ぎに宿泊先のホテルに帰っていった。
さて、次に会えるのはいつになることやら…。