闇に響くノクターン

いっしょにノクターンを聴いてみませんか。どこまで続くかわからない暗闇のなかで…。

映画『ファイブ・イージー・ピーセス』の奥行きに感動

2009-09-28 20:58:44 | 雑記
今日と明日は、またもや新しいアルバイトの連休だ。
のんびり寝ていたいところだが、早起きの変な癖がついてしまい7時半には目が覚めてしまった。やむなく8に起床。起きてから『人間の精神について』の先の部分を読む。
今朝読んだ部分は、内容的にはそれほど複雑ではないのだが、人名でわからないところがあり、ちょっと先にすすまない。やむなくグーグルでいろいろ検索しているうちに、ナポリ大学にこの作品の研究者がいることがわかり、挨拶のメールを出す。
さてしばらくして友達が出かけた後、簡単に朝食をとり、その後部屋を片付ける。
そろそろ転居の挨拶状も出さなくてはならないので、午後は、郵便局に葉書を買いに出かけ、ついでにスーパーとリサイクル・ショップを覗く。リサイクル・ショップに玄関におけるような籐のラックがあって、500円と安かったので購入しようか迷ったが、何に使うのか、自分でもその用途がはっきりしなかったので結局見送った(スリッパ・ラックが欲しいとはおもっているのだが…)。
部屋に戻って『人間の精神について』の続きを読んでいるうちに夕方に。きりがいいところまで読んでビールを飲んだら、その続きを読む気がしなくなってきた。そこで気分転換にDVDを観ることにする。
選び出したのはジャック・コニルソン主演の『ファイブ・イージー・ピーセス』(1970年、ボブ・ラフェルソン監督)。この作品は、私がもっとも好きなアメリカ映画の一つなのだが、今回久しぶりに再見して、その奥行きの深さにあらためて感心し、感動した。
登場人物の一人ひとりが複雑な内面をもっており、それがぶつかりあって、物語はけしてお決まりのコースに流れていかない。何度もみてストーリーはすでによく知っているのに、人間の複雑さ、またそうした複雑な人間が演奏する音楽表現(主人公の家は音楽一家という設定)の複雑さにはっとする(ちなみに、「ファイブ・イージー・ピーセス」という作品タイトルは、「五曲の簡単な小品」という意味)。
余韻を味わいながら部屋で簡単に食事をとり、今こうしてPCに向かっている。
(BGMはアラウが弾くモーツァルトの幻想曲。この曲は作品のなかでほんのちょっとだが使われている。)

雑談去ってまた雑談

2009-09-25 19:59:35 | 雑記
昨日と今日は新しいアルバイトの連休。このところ新しいアルバイトが休みの日はスーパーのアルバイトが入っていてほとんど休めなかったのだが、久しぶりにのんびりしている。

ところで昨日は、新居をルームシェアしている友人が以前から借りていたトランクルームの荷物の引越し。引越しといっても荷物自体少ないし、トランクルームに運び込むときにすでに荷造りしてあるというので、追い立てられるようなあわただしさはまったくない。
一緒に簡単な朝食をとりながら、BGMでかけている曲(モーツァルトのクラリネット五重奏曲)の作曲家あてクイズを出したのだが、「名前がマミムメモではじまる作曲家でしょう」というのですぐあたるとおもったら、意表をついて「メンデルスゾーン」ときた。「違う」というと「ではマーラー」と、ひねったこたえしか戻ってこない。次にようやくモーツァルトがきたが、それから、ミではじまる作曲家や音楽家はあまりいないということになり(ムはムソルグスキー)、美空ひばり、三波春夫、三橋美智也と、話題が変な方向にそれてしまった。次には友人が三善英史を出して、「ヒット曲は一曲しかないけれど、その一曲で残ってるんだからえらいねえ。テレビにもよく出てるよ」とまたまた思わぬ展開(このブログの若い読者のなかには、これらの歌手を知らないというひともいるかもしれないが、悪しからず。私と友人にとっては、彼女と彼らはみななじみ深い名前である)。
そこで今度は、「ところでヒット曲といえば、ノリピーのヒット曲って全然知らないね」と私。「曲を知らないどころか、そんな人がいることも知らなかった」と友人。これは、友人がノリピーなどの世代の歌手やタレントをまったく知らないということではなくて、たとえばドラマなどにも出ていたことから、友人はキ○ンキ○ンを個人的にも知っているのだが、ノリピーは、そうしたアンテナにはまったくひっかからなかったということだ。
さて、そのあたりでたわいもない話題を早々に切り上げて、トランクルームに向かう。引越しは日本○運にたのんであったのだが、てきぱきととてもスムーズ。昼からはじめて夕方までに片付いて、新居もようやく荷物がすべて収まった。

さて今日は、友人は早々と出かけたので、ひとりでゆったりとPCにむかい、翻訳をきりのよいところまで仕上げ、K都大学の担当者に送った。このところ、転居に転職がかさなり、翻訳にあまり時間をかけることができなかったが、それでも七月中旬に再スタートして、実質2カ月で100枚分ほど訳したので、内容はともかく、進行状態はそれなりに評価してもらえるのではないかとおもっている。金欠でK都までなかなかいけず、担当者ともまだ一度も会っていないことが気になるが、挨拶文に当面のスケジュールを添えて、今後の配慮等をお願いした。
原稿を送ってほっとしていたところへ、タイミングよくS城に住むU君から電話。部屋がだいぶ片付いたので、遊びにおいでよと誘って、久しぶりに自室でカプチーノ・コーヒーいれ、コーヒーはどうやっていれるとおいしいか、食器はどうやってそろえればいいかなど、またしてもたわいもない雑談を楽しんだ。

和気藹々とアルバイトの送別会

2009-09-22 08:33:35 | 求職日記
一昨日はスーパーのアルバイトの最終日。
当日が特売日だったので客が多いとわずらわしくていやだなとおもっていたが、シルバー・ウィークで遠出しているひとが多いせいか、客もそれほど多くはなく、ぶじ最後の仕事を終了した。
終了後は、近所の居酒屋で売場の有志が企画してくれた送別会。10カ月程度のアルバイトの離職に送別会を開くというのはあまりきいたことがないが、アルバイト仲間だけでなく売場の主任も出席してくれて、10人程度のけっこう賑やかな飲み会になった。まあ、私の送別を口実にした売場全体の懇親会のような雰囲気だ。前の職場に戻ってすでに仕事をはじめているということは言っていないが、転居のための退職というのは名目で、毎月の収入が少ないための転職だということ(そして転職もうまくいったらしいということ)は主任をはじめみんなうすうす感じているので、それほどしめった雰囲気もなく、最後まで和気藹々と酒を呑みかわわした。
送別会ではセーブしていたので、それほど酒を呑んだわけではないのだが、それでも早番で睡眠時間が少なく、昨日は、酒が残った感じのすこし重い頭で新しい職場に出社。休憩が多いのに救われた感じだ。とはいえ午後は猛烈に眠かったが、なんとか夕方まで仕事をこなした。多少仕事に慣れているということで、自分のペースで仕事をしていても、まわりからうるさく言われることはない。そんなことでそこそこ仕事をしていたら、こちらの主任も、「闇太郎さん、もうだいぶ勘が戻った感じじゃないですか」と言ってくれたので、転職もそれなりにうまくいっている感じだ。昨日は昔仲が良かった同僚の男の子にも再会した。スーパーの仕事は、正社員もアルバイトも仕事内容にあまり違いはなく、基本的には全員で接客しているが、新しい仕事場では、アルバイトはオフィスワークの実働部隊、正社員は作業管理とクライアント応対等と仕事が明確に分離している。このため、実働部隊であるアルバイトの数が正社員より圧倒的に多く、もともとアルバイト同士はとても仲が良い。アルバイトの平均年齢もスーパーよりとても若く(おそらく私が最年長)、その分こちらも精神的に若返る。それに、若い人が相手だと家庭のことが話題になることが少なく、その分、独身のゲイも気が楽だ。
アルバイト終了後は新宿で途中下車し、伊○丹でコーヒーを買って新居に戻った。

着想をつかさどるのは偶然か

2009-09-20 00:43:02 | 翻訳への道
最近、小ブログにあるのは生活臭ばかりで軽チャーな話題が少ないということを反省して、たまには多少軽チャー臭のする記事を書いてみる。これは今日、新しいアルバイトの休憩時間にずっと悩んでいた問題だ。要するに、以下のパラグラフの最後の部分に出てくる二つの仮定文をどう矛盾なく解釈するか、そして続く文の主語代名詞と劣等比較をどう解釈するかの問題なのだが…。

例によってまずはフランス語原文。

Or, dans tout ouvrage, si ces belles idées, de quelque genre qu'elles soient, sont, pour ainsi dire, le trait du génie ; si l'art de les employer n'est que l'oeuvre du temps et de la patience, et ce qu'on appelle le travail du manoeuvre ; il est donc certain que le génie est moins le prix de l'attention qu'un don du hazard, qui présente à tous les hommes de ces idées heureuses dont celui-là seul profite qui, sensible à la gloire, est attentif à les saisir. Si le hazard est, dans presque tous les arts, généralement reconnu pour l'auteur de la plupart des découvertes ; et si, dans les sciences spéculatives, sa puissance est moins sensiblement apperçue, elle n'en est peut-être pas moins réelle ; il n'en préside pas moins à la découverte des plus belles idées.

続いて英訳。

Now, if in every work these fine ideas, of whatsoever kind they may be, be in a manner the strokes of genius, if the art employed about them be not a work of time and patience, and what is called the labour of the brain, it is thence certain, that genius is less the price of attention than a gift of chance, which presents these happy ideas to all men, among whom those alone who are fond of glory are attentive to seize them. If chance be generally acknowledged to be the author of most discoveries in almost all the arts, and if in speculative sciences its power be less sensibly perceived, it is not perhaps less real; it no less presides at the opening of the finest ideas.

続いて私の試訳。

「ところで、もしすべての作品において、いかなる分野にせよこれらのすばらしい着想が、言うなれば才能のひらめきであるならば、またもしこうしたすばらしい着想を用いる技術が、ひとが手先の仕事と呼ぶ時間と辛抱の作品でしかないならば、それゆえ、才能が注意の褒美であるよりは、すべての人間にこうした幸運な着想を提示する偶然の賜物であるのは確かである。栄光に敏感でこうした着想をとらえるのに注意深い者のみがそれを利用する。もし偶然が、ほとんどすべての技芸において大半の発見の作者であると一般的に認められており、そしてもし思弁的な学問においては偶然の力が可感的に知覚されることがより少ないとしても、おそらく、その力の現実性が少ないということはない。偶然はすばらしい着想の発見をより多くつかさどる。」

細かい点だが、このパラグラフでは、prix(英文ではprice)をどうとらえるか、またidee(英文ではidea)をどうとらえるかもちょっと難しい。たとえば私は、現時点で仮に、prixには「褒美」、ideeには「着想」という訳語をあてたが、これらはそれぞれ「賞」もしくは「代価」、「観念」の方がいいのかもしれないとちょっと迷う。
また、パラグラフ最後のそれ(elleとil、英文ではどちらもit)という代名詞は、名詞と代名詞にそれぞれ性のあるフランス語の方が、この代名詞がなにをうけているのか限定されてわかりやすい。これは、いわゆるフランス語の明晰さのひとつだろう。ついでながらこの文法上の性をフランス語ではgenre(ジャンル)というが、これに相当する英語の単語が、最近よく耳にするgender(ジェンダー)である。ジェンダーというのはようするに、ある単語やものに人為的な約束によって定められた性(ジャンル=分野)であり、その単語やものに本来的にそなわっているのではないということ。英語の名詞には原則として性(ジェンダー)がないが、性のある、フランス語、イタリア語、ドイツ語などでは、それぞれのあいだで同じ名詞の性が異なることがある。有名な例をあげれば、海はフランス語では女性名詞(la mer)であるが、イタリア語では男性名詞(il mare)である。ゆえにジェンダーは、状況に応じて変わりうるというわけだ。「性的ジェンダーの変更」とか言われてもなんのことだかわかりにくいが、「性的ジャンル(分野)の変更」と言えば少なくとも何を言おうとしているのか理解することはできる。

     ☆     ☆     ☆

さて今日は新しいアルバイトの拘束時間は9時間だったが、休憩が多いので、休憩時間はずっとこの文章のことを考えていた。学生も多い職場なので、欧文の本を広げていても、それに対して興味本位でなにか言ってくる人間やひやかす人間はほとんどいない。退社時刻は夕方だったが、みんな事務所の窓から夕焼けを眺めてとてもきれいだとかなんとか言っていた。そのあたりものんびりしていてとてもいい。
それと、新しい職場は音楽がなにも流れていないのが、個人的にはとてもありがたい。スーパーの売り場は、のべつ幕なしにポップス系の音楽が流れていて、それがストレスと疲労のもとだったということに、あらためて気づかされている。

     ☆     ☆     ☆

【追記】
上に引用した「si…si…(if…if…)」の構文を、私は単純に「もし…ならば、そしてまたもし…ならば」と仮定の併記ととらえたので理解しずらかったのだが、そうではなくて、これは「もし…するときに、もし…ならば」あるいは「もし…だとして、もし…ならば」という風に前の条件を後の条件が限定する三段論法的な構文ととらえると理解しやすいということに後から気づいた。また同時に、引用したパラグラフは、「si…si…(if…if…)」の同じ構文を二度繰り返しているが、これは全体が対句的な構造になっているのではないかとも気づいた。
これらをふまえた改訂版の訳な次のとおり。

「ところで、もしすべての作品において、いかなる分野にせよこれらのすばらしい着想が、言うなれば才能のひらめきであるとしても、もしこうしたすばらしい着想を用いる技術が、ひとが手先の仕事と呼ぶ時間と辛抱の産物でしかないならば、それゆえ、才能が注意の褒美であるよりは、すべての人間にこうした幸運な着想を提示する偶然の賜物であるのは確かである。栄光に敏感でこうした着想をとらえるのに注意深い者のみがそれを利用する。もし偶然が、ほとんどすべての技芸において大半の発見の作者であると一般的に認められており、そしてもし思弁的な学問においては偶然の力が可感的に知覚されることがより少ないとしても、おそらく、その力の現実性が少ないということはない。偶然はすばらしい着想の発見を少なからずつかさどっている。」

アルバイト、早番の連続を切り抜ける

2009-09-18 08:58:51 | 求職日記
日曜日から昨日まで、スーパーのアルバイトと新しいアルバイトの早番出勤が5日続いたが、それもどうやらぶじに切り抜けた。今日はスーパーの遅番出勤なので、数日振りにゆっくりと眠ることができた(とはいえ早番のくせがついて、早く目が覚めたてしまったのだが…)。

さて仕事の方は、スーパーを辞める方も新しい職場になれることも順調にすすんでいる。スーパーからのシフト変更の申し入れは仕事探しの予定が入っているということで切り抜けた。一方新しい職場からも、次の日曜日に出勤してもらえないかといわれたのだが、こちらは、スーパーのアルバイトの最終日だからと断った。でもこうして出勤日を増やせといわれることは、新しい職場で多少は期待されているということなのだろう。こちらも、基本的には出勤日(収入)を増やすために転職するのだがら、悪いことではない。スーパーのアルバイトに正式にきりがついてすこし落ち着いたら、今度は、新しい職場と出勤日(シフト)面のことでいろいろ話し合おうとおもっている。
ということで、現在ほぼ一日おきに二つの職場をこなしているのだが、実のところそれでやりにくいことはあまりない。どちらも、つかず離れず和気藹々とこなしており、仕事内容は違っても、雰囲気だけからいえば似たりよったりだ。
いっぽう、新しい職場の同僚である若者ともすこし親しくなって、昨日は話をしながら一緒に退社した。新しい職場はもともと女性が多く、男性同士のコミュニケーションが少ないのだが、彼は私がやめてから入社し、以前こういうひとがいたと、私のことをすこしきいていたらしい。昨日はまず、仕事の内容のことや、いつまでアルバイトを続けるかといった今後の身のふり方のことなどを話した。

部屋の片付けも順調にすすんでいる。洋服のハンガーやCDラックなど、スーパーから安い組み立て式のものを購入したのだが、それもなんとかうまく組み立てることができた。
ところでこのCDラックは、最初からすべてのCDを入れることができないのを承知のうえで購入したのだが、実際にCDをならべてみると、400枚収納のラックが、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンでほぼいっぱいになってしまった。自分でもちょっと以外なのは、なかでもベートーヴェンのCDが一番多かったことだ。
転居直後は、荷物を開いて一番最初に出てきたバッハのCDをよくきいていたが、このところモーツァルトをとっかえひっかえかけている(今聴いているのはカザドゥシュ/セルのピアノ協奏曲)。

PCデスクとCDが届く

2009-09-13 22:56:40 | 雑記
昨日はスーパーも新しいアルバイト先も休みで、久しぶりに休日らしい休日となった。
とはいえ部屋が片付かないと落ち着かないので、これまで仮置きしていた食器棚の位置をずらすことにする。一人でもちあげられるような重さではないのだが、とはいえこういうときにルームメイトの友人はあまりあてにならないので、S城に住むU君に電話をして急遽来てもらい、「こんなことって、オンナが二人でする仕事じゃないわよね」とかなんとかいいながら、えっちらおっちら食器棚を流しの前まで移動させた。これでキッチンもだいぶ使いやすくなった。移動後は、ヘレンドのヴィクトリアでローズティーをいれ、お気楽な雑談。U君からは、あとになって「ヘレンドへの誘いは危険」というメールをもらったが、そんなことより別の危険を感じてくれればもっとうれしいのに…。
あまり時間がないというU君が帰った後は、知り合いから頂いたチケットがあるので着替えてコンサートにでかける。
天平という若いピアニスト↓のコンサートで、演奏する曲も自分で作曲しているという。
http://www.tempei.com/
頂いたチラシやオフィシャル・サイトのプロフィール等をみると、うたい文句が「ガテン系ピアニスト」。幼い頃からピアノを弾いていたのだが、一時クラシックのピアノ演奏から離れて、肉体労働やロックをやっていたというかわった経歴の持ち主だ。プロフィールからは、私が好きなアメリカ映画『ファィブ・イージー・ピーセス』の世界が思い浮かぶ。ホールに入ると、会場は熱心なファンでほぼ満席。ちなみに私の隣は、ペア・バックをもった同性の二人連れだった。
さて定刻になると、天平は赤いTシャツにジーンズといういでたちで登場し、軽い挨拶ののち、自作の即興曲から演奏を開始した。使用したピアノはベーゼンドルファー。
演奏と曲は、私にはいいのだか悪いのだかよくわからない。早いパッセージでも指も腕もよく動くし、情感たっぷりにたのしそうに演奏しているのだが、曲そのものはポピュラーソングに近いメロディアスで甘いもので、エモーショナルといえばエモーショナルなのだが、数曲きくと平板で奥行きがないようにおもえてきた。
理屈を省いてモノゴトを単純化するというのが天平のいいところで、そのわかりやすさと演奏のダイナミズムが一部の人たちにうけているのだろうが、私としてはもっと構造化されていて、突き放されたものが欲しい。
結局不完全燃焼のまま部屋に戻り、遅い夕食を食べた。

     ☆     ☆     ☆

今日はスーパーの早番の出勤日で、8時前に部屋を出た。実は今日はPCデスクとHMVに注文したCDが届くことになっているのだが、出勤日なので友人に受け取ってもらうことにした。こういう時は、二人住まいは便利である。
仕事の方は日曜日のわりには暇で、可もなく不可もない感じだったが、今になって、シフトを変更して19日に出勤して欲しいといってきた。19日は新しいアルバイトの出勤日なのでスーパーには出れないのだが、すでに新しいアルバイトをはじめているということはスーパーに言っていないので、シフト変更のことわり方が難しい。結局、保留して明日返事をすることにした。ちなみに、ラストの20日は送別会を予定しているという。そんなんだったら、送別会とかよりも、普段の待遇を改善してくれればよかったのに…。
スーパーから飛んで戻ると、PCデスクが届いている。これを電話の横に置き、同時に注文したプリンターの台を組み立てたら、けっこういい時間になった。

ということで、今は新しいPCデスクのうえでこの記事を書いている。
BGMは、届いたばかりのCDからテレマンの無伴奏ヴァイオリンのための幻想曲。
ちなみに今日届いたCDの作曲家と曲目は次のとおり。
・テレマン(1681-1767)ーー無伴奏ヴァイオリンのための幻想曲
・ヴェラチーニ(1690-1768)ーー序曲集
・ダ・リミニ(1690頃-1767頃)ーートリオ・ソナタ
・コレット(1707-1795)ーークリスマスのための交響曲
・コレット(同上)ーーバスーンと通奏低音のためのソナタ
いずれも1,000円もしないような廉価盤ばかりだが、めずらしい曲ばかりなので、けっこう楽しめそうだ(コレットの生没年はアルバムによって異なっており、上記の生没年はウィキペディアによる)。

アルバイトの出戻り初日

2009-09-11 23:34:00 | 求職日記
今日は新しいアルバイト先(=前のアルバイト先)の初出勤日だった。早番なので初日から遅刻しないよう早目に起きて、モーツァルトのピアノ・ソナタを聴きながらメールをチェックしたのち、9時少し前に小田急線に乗り込む(ちなみにこの時間友人は自室でまだ寝ていて、会話のようなものはなし)。新宿駅でのJRへの乗り換えはことのほかスムーズで、しかもK堂駅からアルバイト先の駅まで、最小のホーム内移動で行き着けることがわかった。自宅から勤務先到着までの歩きや乗換え時間をいれて、一時間弱の通勤だ。

勤務先では、これまでずっと私が連絡をとっていた主任だけでなくマネージャーも、「戻ってきてどんな感じですか」とけっこう気をつかってくれる。アルバイト仲間は、半分以上が以前からいた見慣れた顔で(比較的時給がいいからなかなか辞めないのだろう)、これもみんな、突然のことにちょっと驚きながら私のことを歓迎してくれた。前辞めるときにちょっとしたスーヴニールをくれた女の子にも再会して、「スーヴニールは今も大事にしてるよ。あのおかげで戻ってこれたのかもしれないね」と、すぐに打ち解けた。私と波長が合わなかった苦手な女性主任はまだ職場に残っているとのことだったが、今日は出勤しておらず顔を合わせずにすんだ。いずれにしても、アルバイトの「出戻り」ということで周囲から白い目で見られるのではないかという杞憂は、一応吹き飛んだ感じだ。
一方、私がいなかったあいだに若い男子アルバイトもはいっていて、こちらの方は、これからどうやって仲良くなるか、先が楽しみだ。
さて仕事の方は、まず業務研修からスタートで、最初はもう忘れてしまったこともあってちょっと戸惑ったが、やっているうちに少しずつ以前の感覚が戻ってきた。これならなんとかうまく再開できそうな気がする。
お昼は、もう来ることもないだろうとおもっていた社員食堂で主任と一緒にカレーを食べる。転居のことなど、あたりさわりもない範囲で状況を説明した。またスーパーの退職の件も、私としてはなかなか向こうが辞められないということでずっとやきもきしていたのだが、「闇太郎さんに辞められると困るから、先方もなかなか辞めさせてくれなかったんでしょ」と、かえって気をつかってくれた。
午後もずっと研修を続けて、夕方ようやく仕事から解放された。スーパーの通常の仕事より一時間長い。しかし初日の気づかれは多少あるものの、仕事そのものからくる疲労やストレスは、スーパーよりもずっと少ない。なんだかんだといって、要するに、こちらの仕事の方がスーパーの仕事より自分にあっているのだな、戻れてよかったとあらためて感じた。
7時過ぎに部屋に戻り、CD棚(まだきちんと整理されていない)からランダムに取り出したモーツァルトの『コシ・ファン・トゥッテ』を聴きながら、焼肉、サラダ、ビールで初出勤を祝った。

はじめてのお客さん&

2009-09-10 21:35:23 | 住めば都
部屋の整理がなかなかすすまない。
今日はスーパーの仕事が早番だったので、もどるとすぐ、リサイクル・ショップで購入した整理箪笥に洋服をつめはじめたのだが、大きいとおもっていた七段の整理箪笥が、段ボールにぎゅうぎゅうに詰めていた衣類であっという間にいっぱいになってしまい、スペースが足りない。もっともこの段ボールは、港区の旧居から池之端に移るときに荷造りし、池之端の部屋があまりにも狭かったので中の衣類が出せないままになっていたもので、それを考えると洋服の整理は大いにすすんだともいえる。

さて、一昨日、同様に部屋を片付けていたとき、二丁目のバー、クロノス以来の旧友U君から様子をうかがうメールが飛び込んできた。U君には転居のことをまだ話していないのにどうしたわけだろうとおもいながら返信すると、最近、食器やテーブルコーディネイトのことに興味がわくようになり、食器からの連想で、ふと私のことをおもいだしたというのだ。さらにくわしく話をきいてみると、U君も最近転居して今はS城に住んでいるとのことで、それなら住まいも近いからともかくすぐに遊びにくればよいと、誘いをかけた。

小一時間もしないうち、近くまできたとの電話。すぐに迎えに行って数年ぶりの再会を果たす。U君とクロノスであったのは今から15年くらい前のことで、当時の彼は20歳代のかわいい男の子だったのだが、今は30歳代のおいしそうな青年に成長している(ちょっと小太り気味ではあるが…)。
家に近づくと、U君、まず入り口アプローチが気に入り、寓居のなかを見ても、広い、安いを連発している。こちらの部屋選びのポイントがストレートに評価してもらえたようでうれしい。
さて急なことだし、だいいち部屋が片付いていないのでたいしたもてなしはできなかったが、ロイヤル・コペンハーゲンのカップでコーヒーをだし、U君持参のクッキーで予期せぬコーヒーブレイク。久しぶりなので話もはずむが、当日はU君も私も予定があるので、一時間ほどでブレイクを切り上げ、互いに再訪し合うことを約してわかれた。

そそくさとコーヒーセットを片付けると、シャワーを浴びて外出。
当日は、新しいアルバイト先(=前のアルバイト先)の入社手続日で、多少緊張しながらつつがなく手続きを終え、小休憩ののち一般研修をこなしてとりあえずは最初の一仕事を終えた。ちなみに、この最初の研修の時給ですら現在のアルバイト先であるスーパーの通常業務の時給を超えている。これじゃあ、スーパーには落ちこぼれの人材しか集まらなくなるんじゃないか、うまく仕事を切り替えることができてよかったと、まずは一安堵。
会社を出てから、入社手続きの緊張感をほぐすためにちょっと二丁目にいってみようかともおもったが、転居でいろいろと金をつかっているのでがまんすることにし、まっすぐ自宅に戻ってビールで自分を祝福した。

新居の大家さんとお隣さん

2009-09-08 08:43:05 | 住めば都
新居での生活も10日たち、部屋が片付いたとはとうてい言えないが、いろいろなことにようやくなじんできた。
そのなかの一番大きなものの一つが大家さんの存在だろうか。
寓居は大家さんの敷地の一角にあり、ふだんからいやでも大家さんの存在を意識せざるをえないのだが、大家さんがどういうひとなのかは、正直なところまだよくわからない。のんびりした雰囲気からして勤め人や企業家とはとうてい思えないし、おそらく特定の職業をもったことのない昔からの資産家なのだろう。
それでも、このところ毎朝早く起きてゴミを出しにいくと、予定していたかのように大家さんと鉢合わせになる。どうも大家さんは、毎朝早く起きて、近所の路地を掃除するのが趣味のようだ。
そうした折に、「こんにちは」だけではゲイがないので、互いのことを多少話したりするのだが、その最初のきっかけになったのが、私も大家さんも園芸が好きだということ。私の場合は、旧居から多少の鉢植えをもってきて玄関前にならべているのでそれとわかるし、大家さんはというと、庭をきれいに手入れしてあるのでやはりそれと知れる。
そうして会話をするうちにわかってきたことは、大家さんのお父さんが美術関係者で、その縁で大家さんも美術に興味があり、私と友人は美術関係者というふれこみで入居の申し込みをしたので、いったいどういう人間だろうという興味もあって、入居がすんなり決まったらしいということだ。
実はこれはとてもありがたいことで、同性愛云々を別にしても、私と友人がともに独身で、しかも私が50歳代、友人が60歳代というのは、一般的に賃貸住宅を借りるときに大きなハンデとならざるをえない。なんだかんだといって、日本人は「普通」や「標準」が好きだし、ましてやそれに住宅の貸借といったことがからむとなれば、経済的、社会的安定が重視されるのは、貸す側からすれば当然のことだとおもう。
その点ゲイというセクシャリティは、それだけで一般的な標準からははずれていると言わざるをえないし、ましてや高年齢の男同士の入居なので、正面から申し込むと入居を拒否される確立が高い。そこでこちらも最初からそれなりの戦略をたてて、上にも書いたように、友人も私も美術関係の仕事をしており、仕事上、共同生活が必要なのだということを強調して、独身男二人の入居ということをぼかしてある(ちなみに、私が友人の仕事の一部を手伝っているというのは、まったく事実無根というわけではない)。
ところで入居者2人がともにゲイであるということを不動産屋や大家さんに事前に明らかにした場合、ここまですんなり契約できたとはおもえないが、とはいえ、契約を結ぶ際に自分たちのセクシャリティを明らかにすることが必要だとも、私にはおもえない。セクシャリティの問題だけでなく、事前に明らかにすると契約に不利なことは互いにいろいろあるが、それをうまくカバーして契約に結びつけるというのが契約のテクニックなのではないだろうか。要するに、互いに相手のことを知らない者同士で貸借関係を結ぶわけだから、互いを第三者化し、第三者化できた部分で契約を結ぶのが当然のことで、そうした第三者化からもれる部分が出てきうるというのは、契約という行為に最初から含まれているのではないだろうか(これは就職、すなわち労働契約でもほぼ同じだろう。またもしかすると「結婚契約」も似たような面をもつのかもしれない)。
誤解を減らすためにあえて書いておけば、日本の社会では、そしておそらくさまざまな国々においても、同性愛という以前に、独身者には社会的にさまざまな制限があり、同性愛者の多くは独身者であるために、カミングアウトするしないにかかわりなく、独身者としての制限にひっかかるということだ。それならばこうした制限を緩和するために同性愛者の結婚もしくは入籍を認めさせればよいという議論もあるかもしれないが、私は、そうした公的な結婚や入籍の実現が、制限緩和に役に立つとはおもわれない。だいいち、今回の私と友人の場合、そうした入籍といったことにはあてはまらないタイプの同居だ。
要は、社会的な契約を結ぶ際に、セクシャリティ等の条件を明らかにしてもそれが障害とならないように法的に保護するというより、今回のわれわれの入居契約がそうであるように、契約者の詳細にあまり立ちいらずに社会的契約が結べるような慣習ができれば、それが一番よいのではないだろうか。要するに、究極の法治社会とは、法がなんでも規定する社会ではなくて、法がなくてもうまく運用されていく社会だとおもう。

さて、話がだいぶ横道にそれたが、新居では大家さんだけでなくお隣さんともよい関係ができつつある(新居はテラスハウスで、二階建ての建物を上からちょうど半分に分けた構造なので、隣人は一組しかいない)。これはこれでまた不思議な縁なのだが、友人がさる知り合いに転居の話をしたところ、ではそれはこういう場所ではないかという話になり、実はその知り合いがお隣さんとも知り合いで、以前お隣さんに遊びにきたことがあるので、新居のこともよく知っているというのだ。世間というのは、ほんとうに狭いものである。
で、その知り合いは友人がゲイだと知っているし、その知り合いをとおして友人と私がゲイであるということがお隣さんに伝わるかもしれないし、伝わらないかもしれない。いずれにしても、お隣さんがわれわれをゲイとおもうかおもわないかは、どうでもいいことだと私はおもっている。

世田谷での生活を楽しむ

2009-09-04 21:34:37 | 住めば都
昨日ようやく新居にフレッツの回線がつながり、ネットにアクセスできるようになった。このように遅れたのは、NTTの住居管理にミスがあり、私の転居先はフレッツの回線を引くための工事が必要であるにもかかわらず、工事不要と登録されていて、転居と同時の回線接続ができなかったためだ。

     ☆     ☆     ☆

それはさておき、先月末に転居もぶじに済み、今日は世田谷区役所に転入届を出してきた。これでようやく私も世田谷区民になった。実は私は、だいぶ前に駒沢に住んでいたことがあり、世田谷区に住むのははじめてではないのだが、それでも、駒沢とK堂では雰囲気がかなり違う。
ところで、新しい住まいは商店街に近くて買い物は便利だし、それでいてとても静かだ。K堂の駅にも近いのだが、電車の音はまったくきこえない。
またリビングとキッチンが広いうえに、さらに洋間が2部屋あるので、友人との住み分けもうまくいっている。ちなみに心配された冷蔵庫もうまく冷蔵庫コーナーに収まった。ただし冷蔵庫のうえに置こうとおもっていた電子レンジはコーナーからはみ出してしまったので、とりあえず納戸に収納してある。キッチンには床下収納スペースもあり、そこはワイン置き場にすることとなった。今日も、さる知人から転居祝いといってめずらしいギリシアのワインを頂いたので、さっそくそこに収納した。
それと私からすると、新居は壁に本棚がたくさんならべられるのがありがたい。前の部屋は、狭くてならべきれない本もたくさんあって、それらは床に置いたり、段ボール箱にしまったりしていたのだが、新居はそれも全部ならべられそうな雰囲気だ(壁を本棚スペースとして利用する分、納戸の収納は友人の荷物を優先させている)。ただしそうなると今度は本棚が足りない。しかしそこはうまくしたもので、新居の近くにリサイクル・ショップがあるので、今日はそこで、とりあえず文庫本用の本棚を3つ購入した。1つ980円ととても安いのがありがたい。先週まで住んでいた池之端は、下町だから生活に密着した古道具屋があってもよさそうなものだが、実際には観光客相手の半端な骨董屋しかなく、生活に結びつく道具は購入できなかった。だから、こうしたちょっとした収納家具が激安で買えるというのは、ほんとうに便利だ。このあたり、やはり世田谷は大勢の人が活発に生活しているので、いわゆる下町以上に生活に必要なショップ等が充実しているということなのだろう。
ただし以外だったのは、ゴミの分別は世田谷区の方が台東区の方がより遅れていることで、これは処理するゴミが多すぎて、基盤整備が追いついていないということなのだろうか。
ということで、引越してようやく1週間で、まだ開梱していない荷物があちらこちらに散乱し、雑然としているが、それでも世田谷での生活を毎日楽しんでいる。