闇に響くノクターン

いっしょにノクターンを聴いてみませんか。どこまで続くかわからない暗闇のなかで…。

元カレの墓参

2011-08-20 23:50:36 | 雑記
今日は、友人のKさんと一緒に、去年の3月に亡くなった私の元カレMくんの墓参りに行ってきた。Mくんの墓が群馬の霊園にあるということは以前からきいていたのだが、なにせ遠いし、具体的な場所も知らないので、墓参りがずっと延び延びになっていたもの。今回はKさんの強い希望でようやく墓参が実現した。霊園の所在地や行き方の情報などでは、すっかりKさんのお世話になってしまった。ゲイの墓参はけっこう難しいのだが、今回は、われわれがMくんの墓参りをすることをKさんがMくんのお母さんに伝えたところ、お母さんも喜んでいたという。

さて、Kさんとは午前中にK堂駅で待ち合わせ。先方の様子がさっぱりわからないので、墓にもっていくものも簡単には決められず、私は結局、邪魔にならないような小さなブーケを調達してもっていくことにした。
新宿駅から、今度はリゾート草津号という臨時列車に乗り込んでいざ出発。この列車、横一列が3席のゆったり設計で、畳の展望席などもある。
Kさんと二人で、「この場にMくんがいないことが感覚的になんか変だね」などと雑談しているうちに、昼過ぎには渋川駅に着き、バスに乗り換えて霊園に直行。お供え物は持ち帰るという決まりのようだったが、幸い花を飾るスペースはあったので、墓にブーケを供えてしばしMくんをしのんだ。

墓参後、いったん渋川駅に戻り、今度は、せっかく渋川に来たからというので、Kさんと二人で伊香保温泉に行くことにした。
渋川駅から伊香保温泉まではバスで20分ほどの距離。終点でバスを降り、ロープウェイで見晴らし展望台に昇る。この頃から小雨がちらついてきたが、びしょ濡れになるほどではない。どちらからともなく、「そんなに早く帰らないでという、Mくんの涙雨かな」などと話しながらハイキング・コースを20分ほど下り、伊香保名物の石段温泉街に到着。今度は石段を下って、坂下の公共浴場「石段の湯」に飛び込む。入場料は400円。わざわざ群馬の温泉につかりにくるのは年配者だけかと思っていたら、若者もけっこう多く、入浴だけでなく浴場の光景も楽しめた。
入浴後は冷たいビールをひっかけたかったのだが、温泉街には適当な店がなく、店を探しているうちに渋川に戻るバスがきたので、何も飲まずにバスに乗り込む。渋川駅に着くと、今度はJRの列車が到着直前というタイミングで、またしてもビールを飲みそびれ。結局、高崎駅で在来線の快速に乗り換えるときに、時間をみつけてビールと名物の達磨弁当を購入し、Kさんといっしょに車内でそれをほおばった。午後、ほとんど何も食べずにいろいろなところを回ったので空腹で、ビールも弁当もとてもうまかった。途中で快速を新宿を通る湘南ライナーに乗り換え、午後8時半過ぎに新宿に戻った。
ここでKさんと別れ、私はタワーレコードに立ち寄って(カラヤン指揮の『さまよえるオランダ人』などを購入)、帰宅した。

トマト・ラーメンを食べてから翻訳に取り組む

2011-08-13 23:14:14 | 雑記
今日もアルバイトは休み。暑くて起きあがる気力がなく、9時にようやく起床。ブランチは前日にスーパーで見つけた日清食品の「冷たいトマトのラーメン」と茹でたブロッコリー。トマト・ラーメンは変わった食感で、まあ食べられなくはないが、私としては今一の味。やはりちゃんとしたスパゲッティかラーメンの方がおいしい。
その後早めに洗濯などの雑用を片づけ、午後は、『人間の精神について』に取り組んだ。今日訳したのは、勇気についての説明の続きで、無知が勇気を生み出すとしている部分だ。かなり根をつめて訳したので、訳文そのものはかなりたまったが、内容的によく理解できず、未消化の部分も残った。あとでじっくり見直さなくてはならない。
さて夕方、気分転換のためにK堂の街を散策し、スーパーで特売の肉を買い込んで、家で焼き肉とビール(ブロッコリー付き)。
その後、きりのいいところまで翻訳を進めたら、さすがに疲れて、タ○ーズ・コーヒーで少し頭を冷やした。

【原文】
Il en est un que je nomme vrai courage : il consiste à voir le danger tel qu'il est et à l'affronter. Il en est un autre qui n'en a, pour ainsi dire, que les effets : cette espece de courage, commun à presque tous les hommes, leur fait braver les dangers, parce qu'ils les ignorent ; parce que les passions, en fixant toute leur attention sur l'objet de leurs desirs, leur dérobent du moins une partie du péril auquel elles les exposent.
Pour avoir une mesure exacte du vrai courage de ces sortes de gens, il faudroit pouvoir en soustraire toute la partie du danger que les passions ou les préjugés leur cachent ; et cette partie est ordinairement très-considérable. Proposez le pillage d'une ville à ce même soldat qui monte avec crainte à l'assaut, l'avarice fascinera ses yeux ; il attendra impatiemment l'heure de l'attaque ; le danger disparoîtra ; il sera d'autant plus intrépide, qu'il sera plus avide. Mille autres causes produisent l'effet de l'avarice...
Le courage est donc souvent l'effet d'une vue peu nette du danger qu'on affronte, ou de l'ignorance entiere de ce même danger.

【英訳】
The one, which I call true courage, consists in seeing danger as it is, and facing it. The other has, in a manner, nothing but effects: this kind of courage, common to almost all men, makes them brave dangers, because they are ignorant of them; for the passions, by fixing all their attention on the object of their desires, conceals from them, at least, a part of the. danger to which they expose themselves.
To have an exact measure of the true c6urage of this sort of men, it is necessary to take away all that part of the danger which passion or prejudice conceals ftom them; and this part is very considerable. Propose the plunder of a city to the same soldier who would mount with fear to the assault, avarice will fascinate his eyes; he will wait impatiently for the hour of attack; the danger will disappear; and his intrepidity will be in proportion to his avarice. A thousand other causes produce the effect of avarice...
Courage is often then only the effect of a man's not having a clear view of the danger he confronts, or of his being entirely ignorant of it.

【試訳】
私が真の勇気と呼ぶ勇気が存在する。それは、危険をあるがままに見てそれに直面することからなる。他の勇気も存在する。それは、言うなれば、その結果しかもっていない。ほとんどすべての人間に共通するこの種の勇気は、彼らを危険に立ち向かわせる。なぜならば彼らは危険を知らないから。なぜならば、彼らのすべての注意を欲望の対象に固定しながら、情念は、彼らがさらされている危難の少なくとも一部を彼らに見えないようにするから。
この種の人々の真の勇気の正確な程度を知るためには、情念もしくは先入見が彼らに隠している危険全体から彼らを免れさせることが可能でなくてはならないであろう。通常、その全体は非常に憂慮すべきである。襲撃することを怖がる兵士に、都市の略奪を提案してみよう。貪欲が彼の目を幻惑し、攻撃の時間をじりじりしながら待つであろう。危険は消え去るであろう。飢えていればいるほど、彼はたじろがないであろう。数多くの他の原因が、貪欲の結果を生み出す…。
それゆえ、勇気はしばしば直面している危険へのすこしも明瞭でない視点、もしくはこの同じ危険に対する完全な無知の結果である。

     ☆     ☆     ☆

ところで、引用した部分で私に一番わかりにくいのは、「第二の勇気」が何の結果なのかということ。この箇所、フランス語の原文には「qui n'en a que les effets」と、代名詞enが入っており、他の勇気(un autre)は、「それ(en)の結果以外もっていない」と解釈できる。ところが英文を読むと、同じ箇所は、「The other has nothing but effects」と簡略化され、フランス語のenが省略されている。この英文だけを訳すと、「他のものは結果以外の何ものももっていない」という感じだろうか。しかしこれだと、第二の勇気が何の結果なのかまったく示されておらず、かなり唐突な印象だ。要するに、オリジナルのフランス語でenという代名詞が何を指すかわかりにくかったので、英訳者は、思い切ってそれを省いてしまったということなのだろう。
で、いろいろ考えたあげく、とりあえず、このenは「真の勇気」を指しているのではないかという結論に達した。つまり、この段落全体は、勇気には二種類あって、一方は「真の勇気」、他方は「真の勇気の結果」だと言おうとしているということだ。
ただ、それはいいとして、それを日本語の訳文にどう反映させるかは、また難しい。

粛々と翻訳を続ける

2011-08-11 23:47:49 | 雑記
今日はとても暑かったが、アルバイトが休みで一日中部屋にいたので、『人間の精神について』の翻訳がとても進んだ。今日訳したのは、「勇気」は相対的なものであり、絶対的な勇気は存在しないということを説明した部分。引用した箇所の後半にででくる「欲望」に関していえば、性的なものも含めて、著者は基本的に欲望を全肯定している。というか、それを無理に抑えつけても無駄だという立場だ。こうした考え方をさらに推し進めていくと、18世紀末に、サド侯爵(1740年~1814年)のような思想家が出てくるということだろう。これは、同じ18世紀末の思想家でも、お堅いカント(1724年~1804年)などとはほとんど無縁の考え方だ。だいいち、カントならば、動物と人間の行動原理を単純に比較するなど、けして行わないであろう。このあたりも、『人間の精神について』の著者の独自性だ。
さて、今日かなり訳したことで、残りは3割を切った。

【原文】
Le courage n'est, dans les animaux, que l'effet de leurs besoins : ces besoins sont-ils satisfaits ? Ils deviennent lâches : le lion affamé attaque l'homme, le lion rassasié le fuit. La faim de l'animal une fois appaisée, l'amour de tout être pour sa conservation l'éloigne de tout danger. Le courage, dans les animaux, est donc un effet de leur besoin. Si nous donnons le nom de timides aux animaux pâturants, c'est qu'ils ne sont pas forcés de combattre pour se nourrir, c'est qu'ils n'ont nuls motifs de braver les dangers : ont-ils un besoin ? Ils ont du courage ; le cerf en rut est aussi furieux qu'un animal vorace.
Appliquons à l'homme ce que j'ai dit des animaux. La mort est toujours précédée de douleurs ; la vie toujours accompagnée de quelques plaisirs. On est donc attaché à la vie par la crainte de la douleur et par l'amour du plaisir ; plus la vie est heureuse, plus on craint de la perdre : et de-là les horreurs qu'éprouvent, à l'instant de la mort, ceux qui vivent dans l'abondance. Au contraire, moins la vie est heureuse, moins on a de regret à la quitter : de-là cette insensibilité avec laquelle le paysan attend la mort.
Or, si l'amour de notre être est fondé sur la crainte de la douleur et l'amour du plaisir, le desir d'être heureux est donc en nous plus puissant que le desir d'être. Pour obtenir l'objet à la possession duquel on attache son bonheur, chacun est donc capable de s'exposer à des dangers plus ou moins grands, mais toujours proportionnés au desir plus ou moins vif qu'il a de posséder cet objet. Pour être absolument sans courage, il faudroit être absolument sans desir.

【英訳】
Courage in animals is only the effect of their wants, and, these being gratified, they become cowards: the famished lion attacks a man; the lion, whose stomach is filled, flies from him. The hunger of animals being once appeased, the self-love of every being, so necessary to its preservation, makes it fly from all danger. Courage in animals is, therefore, an effect of their want. We give the epithet of timid to the animals who feed on grass, only because they are not forced to fight for food, and have no motive to brave dangers: if they have a want, they become courageous; the stag in rutting time is as furious as a beast of prey.
Let us apply to man, what I have said of animals. Death is always preceded by pain, and life always accompanied with some pleasure. We are then attached to life by the fear of pain, and the love of pleasure: the happier life is, the more are we afraid to lose it; and from thence proceeds the horror felt by those who live in plenty at the approach of death. On the contrary, the less happiness there is in life, the less do people regret to leave it: hence proceeds the insensibility with which the peasant waits for his dissolution.
Now, if the love of our being is founded on the fear of pain and the love of pleasure, the desire of being happy is more powerful than the desire of life. To obtain the object in the possession of which we place our happiness, every one is capable of exposing himself to dangers, either of a greater or a less nature, but always proportioned to the greater or less warmth of desire the person feels for possessing that objects. To be absolutely without courage, it is necessary to be absolutely without desire.

【試訳】
動物において、勇気はその欲求の結果に過ぎない。こうした欲求が満たされると、どうなるか。動物は弛緩する。飢えたライオンは人間を攻撃する。満腹したライオンは人間から逃げる。空腹がいったん鎮められると、自己保存に対するすべての存在の愛は、動物をすべての危険から遠ざける。それゆえ、動物における勇気は、彼らの欲求の結果である。もしわれわれが草食動物に臆病という名を与えるとしても、それは、草食動物が食物を摂取するために戦うことを強制されていないからであり、危険に立ち向かう動機をすこしももっていないからである。必要(欲求)があればどうなるか。それらは勇気をもつ。発情期の牡鹿は、貪婪な動物と同様に凶暴である。
動物について語ったことを、人間に適用してみよう。死はつねに苦しみに先行される。生命はつねに、なんらかの快楽に伴われる。それゆえひとは、苦しみへの恐怖と快楽への愛によって生命に結びつけられている。人生が幸福であればあるほど、ひとは生命を失うことを怖れる。豊かさのなかで生きる者が死の瞬間に出会う怖れは、この点に由来する。逆に、人生が幸福でなければないほど、生命と離別することへの未練はすくない。農民が死を待つときのあの無感覚は、この点に由来する。
ところで、もしわれわれの存在への愛が苦しみへの恐怖と快楽への愛に基づいているならば、幸福であることへの欲望は、それゆえ、われわれのうちで存在への欲望よりも力がある。自分の幸福を結びつけている対象を所有するために、個々人は、それゆえ、多少とも大きいが、その対象を所有することへの多少とも生き生きとした欲望につねに比例した危険に自分をさらすことができる。勇気が完全に欠如しているためには、欲望が完全に欠如していなくてはならないであろう。

回りくどいフランス語に振り回される

2011-08-07 23:08:39 | 雑記
今日はアルバイトの早番出勤。夕方6時、定刻どおりに仕事を終えると、同僚からちょっと一杯つき合わないかと誘われたが、金がないのでそれを断ってまっすぐ帰宅。戻って、冷蔵庫のありあわせのおかずとビールで夕飯を軽く済ませ、『人間の精神について』の続きに向かう。
今訳している章は、内容的には少しも難しくないのだが、表現があまりにも回りくどく、訳すのにかなり手こずった。
例によって、フランス語の原文、英訳、私の試訳を順にあげておく。

【原文】
Or, de ce nombre de cinquante, qui, divisé par celui des divers genres d'étude, ne donnerait qu'un ou deux hommes dans chaque genre, si je déduis ceux qui n'ont pas lu les ouvrages, vécu avec les hommes les plus propres à les éclairer ; et que, de ce nombre ainsi réduit, je retranche encore tous ceux dont la mort, les renversements de fortune ou d'autres accidents pareils ont arrêté les progrès ; je dis que, dans la forme actuelle de notre gouvernement, la multitude des circonstances, dont le concours est absolument nécessaire pour former de grands hommes, s'oppose à leur multiplication ; et que les gens de génie doivent être aussi rares qu'ils le sont.

【英訳】
Now of these fifty, who, divided several kinds of study, will produce only one or two of each kind, if I deduct those who have not read the works, lived with the men most proper to enlighten them; and from this number, thus reduced, I still retrench all those whose progress has been stopped by death, the reverses of fortune, or other accidents; I say, that under the actual form of our government, the multitude of circumstances, the concourse of which is absolutely necessary to form great men, opposes their multiplication, and the men of genius must be as uncommon as they really are.

【試訳】
ところで、さまざまの分野の勉学によって分けられるこの五十という数から、もし私が、諸作品を読まず、自分を啓発するのにもっとも適った人間と生活しなかった者を差し引くならば、個々の分野には一人か二人の人間しかいないであろう。そしてこのように制限された数から、死、運命の逆転、もしくは同様の他の偶発事が進歩を止めたすべての者をさらに差し引くならば、現在のわれわれの政体においては、偉大な人間を生み出すのに絶対に必要な状況の協力の多さは、彼らの増加に対立し、才能ある人々は彼らがまさにそうであるのと同じほど希でなくてはならないと、私は断言する。

     ☆     ☆     ☆

つまずきの原因はいろいろあるが、たとえば、
ceux qui n'ont pas lu les ouvrages, vécu avec les hommes (those who have not read the works, lived with the men)
というフレーズのなかの2つの過去分詞の並置(luとvecu)は、ともにn'ont pas (have not)という否定の助動詞にかかると理解するまでちょっと時間がかかったし、理解できたあとで読み返しても、あまりいい書き方だとはおもえない。
結びの
les gens de génie doivent être aussi rares qu'ils le sont (the men of genius must be as uncommon as they really are)
というフレーズもちょっと訳しにくいし、現に英訳は、そのまま訳しても意味が取りにくいという配慮からreally(実際に)という副詞を補っている。
このあたり、言葉足らずとおもわれる表現を、なるべく原文を損なわないようにしながら日本語に置き換えるという作業は、やはり難しい。

ポーランドとトルコにメール

2011-08-04 23:42:04 | 雑記
今日は1週間ぶりのアルバイトの休日。ほんとはゆっくり休んでいたかったのだが、朝7時過ぎに目が覚めてしまったので、そのまま7時30分過ぎに起床して、『人間の精神について』の翻訳ととりくむ。
10時過ぎにブランチ。冷凍庫に鰻の蒲焼きが残っていたので、それを解凍して食べる。
その後、ほんとうはすぐに洗濯をしたかったのだが、どしゃ降りの雨になったので見送り。翻訳を続ける。しばらくすると雨が止み、陽がさしてきたので急いで洗濯。洗濯の後はまた翻訳。朝からずっとテクストに向かい合っていたので、今日は訳がだいぶ進んだ。残すところ全体の約3割という感じだ。
夕方、気散じに、NHKの時代劇『鞍馬天狗』の再放送を見る。これは職場で仕事の合間に見ているので続きが気になったもので、ドラマそのものがおもしろいというより、名前だけ知っている『鞍馬天狗』という話は、いったいどんな物語なのかという好奇心が先に立っている。今日の部分では、鞍馬天狗と杉作少年の出会いが描かれたが、台本が陳腐でまったくおもしろくない。
『鞍馬天狗』を見終わるとちょうど小腹もすいてきて、外食もちょっと検討したが、金がかかるし、冷蔵庫の残り物がもったいないので、簡単に肉野菜炒めをつくり、それに合わせて缶ビールを1本あける。
その後しばらくワーグナーのCDなどを聴いてから、買い物を兼ねて駅前の図書館に行く。
戻るといろいろなメールが入っていたので、まずそのなかでも重要なポーランドからのメールを処理する。
ポーランドでは、写真家・篠○紀○さんの展覧会を開催したい意向で、コンタクトの方法を尋ねてきている。
篠○さんの事務所に連絡をとり、担当者を確認したうえで、ポーランドに担当者のメルアドを連絡する。あわせて担当者にもポーランドにメルアドを伝えたことを連絡する。
次に、『人間の精神について』の現在訳している部分にイスラム関係のわからない固有名詞がでできて困っていると、職場の同僚に話したところ、トルコ人の歴史研究者のメルアドを教わったので、翻訳で不明の点があり、もしわかれば教えて欲しいと、今度はトルコにメールを送る。
たいした手間ではないのだが、外国宛のメールを2通処理したら、すっかり疲れてしまつた。

職場の男チェック

2011-08-02 08:35:28 | 雑記
予定されていたように、7月末で、私の基本的な派遣業務は終了した。それでも私が所属している派遣会社は残務処理の仕事を請け負ってまだ現場に残っているが、業務を打ち切った派遣会社もあるので、そうした派遣会社に属している同僚は、月末で現場を去っていった。
ただし残務そのものは、これまでさまざまな現場に散らばっていた仕事を一カ所に集約して続けることになったので、そうしたさまざまな現場で業務を請け負っていた派遣会社のアルバイトの一部が、昨日から私のいる現場に異動させられ、居残った私たちといっしょに業務をすすめることとなった。このため、職場の顔ぶれは、昨日からかなり変わった。
他の現場にもかなりの派遣アルバイトがいたのだが、その大半は7月末で契約終了となり、派遣会社を辞めたり、登録している派遣会社をとおして新しい仕事を探したりしているわけで、昨日から私の職場に配属されてきたアルバイトのメンバーは、勤務地が変わることを受け容れ、その結果数カ月限定とはいえ仕事が継続された、ある意味で幸運な人たちだ。派遣を取り巻く社会環境はどんどん厳しくなっているので、私もうかうかしていられない。
とはいえ、偶然の連続で昨年6月に現在の職場に派遣され、たまたま生き残った私は、そうした事情から、職場の派遣アルバイトのなかでもかなり古株という感じになってしまった。このため昨日は、新しい派遣アルバイトを前に、かなり目立つ業務を与えられ、こちらもかなり緊張した。

もっとも、苦あれば楽ありとはよく言ったもので、新しい同僚が増えたことで、さっそく職場の男チェックをはじめた私ではあった。