闇に響くノクターン

いっしょにノクターンを聴いてみませんか。どこまで続くかわからない暗闇のなかで…。

最初の相手から本が届く

2011-01-29 23:52:58 | わが酒と薔薇の日々
若者たちを招いての先日の新年会の様子など、ブログで報告したいとおもっているのだが、このところアルバイト等が忙しく、ブログの記事を書く時間がほとんどとれない。

ところで今週、小ブログにも書いたことがある私が最初にセックスした相手から本が届いた。これもブログに書いたとおり、彼とは毎年年賀状のやりとりをしており、私の方からは今年も年賀状を出したのだが、彼からの年賀状が届かず、もう友情も終わりかと、実は不審におもっていたところだ。
そんな矢先に本が届いたというわけだが、どうもこの本の仕上げが忙しく、年賀状には手が回らなかったということのようだ。それでも丹誠こめて書き上げた著作が届くというのは、もちろん、ありきたりの年賀状よりとてもうれしい。私も、彼に送れるよう、翻訳の仕上げを急がねば。

愛情・友情といっても、男同士だと男女のように子供をつくるといったわけにはいかないが、互いが知力・気力を傾けた作品を交換することができれば、それは子供をつくるという生理的作用以上の意味があるのではないだろうか。

彼の著作をパラパラとめくりながら、今、とても励まされている。

アポステルの弦楽四重奏曲を聴く

2011-01-12 00:55:59 | 楽興の時
ポーランドから戻って以来、1920年代から30年代にかけてのドイツ文化圏の芸術表現(主として音楽)のことをずっと考えている。
そんなことで、今日は『音楽の新しい地平』(モーガン編、音楽之友社)を読んでいたのだが、そのなかで、ウェーベルンの弟子ハルトマンが1941年に書いた手紙にちょっとひっかかった。
「シェーンベルクやベルク、ヴェーベルン抜きの、ヴィーンでの現代音楽祭を想像してご覧なさい。そこでヴェーベルンの肉体は歩いていても、それは誰の目にも入らず、気づかれもしない亡霊のようなのです。(中略)ヴェーベルン、ハンス・エーリヒ・アポステル、そして私は劇場の周辺をよそ者のように歩き、まさにみずからを捨て犬か何かのように感じてしまいます。」(長木千鶴子訳)
そのなかで気になったのは、ウェーベルンとならべられているアポステルという作曲家の存在だ。
そこで今度はウィキペディアを調べてみる。わかったのは、「1901年~1972年のドイツの作曲家、新ウィーン楽派の代弁者」という事実だ。ただしこれだけでは、まだわかったようなわからないようなあいまいな感じなので、次に、どういうCDが出ているのか、HMVのサイトを検索してみる。出てきたのは多いというべきか少ないというべきか3枚のCD。そして灯台もと暗し!そのうちの1枚を私も所有しているのだ。
私が所有しているのはラサール弦楽四重奏団が演奏した弦楽四重奏曲のCDで、これはアポステルのCDとして出たものではなく、ツェムリンスキーの弦楽四重奏曲全集として発売され、その隙間にアポステルの四重奏曲が収録されていたのだ。
だから私は、少なくとも1度はこの曲を聴いているはずなのだが、そのときは、作曲家も曲もすこしも印象に残らなかった。いやもしかすると、記憶の片隅にアポステルという名が刻みこまれ、それで『音学の新しい地平』のなかの小さな記事を読んだとき、なにか興味をそそられたのかもしれない。

ということで聴いたアポステルの弦楽四重奏曲第1番(1935年)、まさに新ウィーン楽派的な透明な響きの佳曲であった。ただし印象に残る曲かといわれるとやはり疑問だ。


励まされた年賀状

2011-01-11 00:01:38 | 雑記
年明け以来の小ブログの記事を読んで、私が必要以上に落ち込んでいるのではないかと心配しておられる方もいるとおもわれるので、年賀状シリーズの最後に、なにかと励まされた明るい年賀状もあったことを記しておこう。

まずは、某大学でアダム・スミスを研究しておられるB先生からの年賀状。
この方は関西に住んでおられるので私はまだお会いしたことがないのだが、私の翻訳を高く評価してくださっていて、勤務している大学からそれが出版できるよう、いろいろ動いてくださっている。ほんらい、私が足元にも及ばない大研究者なのだが、「人間の精神についての翻訳、今年は完了しますか」という、さりげない励ましの言葉を頂いた。
『人間の精神について』に関しては、もう一人、私の翻訳をB先生に紹介してくださったA先生からも「期待しています」という賀状を頂いた。M先生は非常に高齢なので、こうして直筆の年賀状を頂けるだけでもありがたい。
大研究者二人から促されては、私もなんとか急いでこれを仕上げなくてはならない。

また自分の翻訳以外では、Yさんから、今年はパゾリーニの詩集を刊行しますという予告を頂いた。パゾリーニは、私が尊敬する映画監督・詩人なので、どのように仕上がっているか、とても楽しみだ。
翻訳関係では、もう一人Tさんから、『失はれた時を求めて』を全部新たに訳しなおして全14巻として刊行しますという決意表明の賀状を頂いた。これは、私などには気が遠くなるような膨大な作業だ。
Yさん、Tさんには及ばなくても、なんとかがんばらなくてはと、なにかと励まされる年賀状だ。

思わぬ人からの年賀状

2011-01-09 21:00:35 | わが酒と薔薇の日々
年賀状は一年に一回の挨拶だから、ほんとうに、思いがけない人からも挨拶が届く。
遅れてきた年賀状のなかに、達筆の見慣れない字で書いたものがあったので、ひっくり返して読んでみると、カレシモドキの父親からの賀状だ。

実は、カレシモドキからは昨年の暮に、体調不良でしばらく入院することになったので連絡を受け取ることも連絡することもできないから心配するなというメールがあり、かなり心配している。その後クリスマス直前に病院からあらためて電話があり、本人から「今入院しているけど、前のメールを読んで私が心配すると悪いとおもったので電話をした。しばらく連絡はとれないが経過は順調だ」と聞かされた。
その後こちらからは、病気見舞いを兼ねてクリスマス・プレゼント(CDやポーランド土産など)を送り、また年賀状を出したままになっている。

そのプレゼントや賀状がどうなったかと思っていた矢先の父親からの賀状だ。
文面には、
「息子へのお気遣い、いつもありがとうございます。本人の夢と現実のギャップ大きいです」
とある。
父親(私と同年代)としても、大学を出でも病気のためにまともに就職できない息子の健康状態や将来のことばかりが気になって、息子と私の関係を気を回してあれこれ考える余裕などないのだろう。

父親からの賀状を繰り返し読みながら、今頃カレシモドキはどうしてるんだろう。いつごろ退院だろうと、ほんやり考えている。

     *     *     *

さて小ブログ、このところ暗めの話題が続いているが、これが私の現実なのでご了解頂きたい。ただ、年上の人ではなく、若い人たちが元気がないのがとても気になる。
気分転換に、今度の土曜日は若者たちを寓居に招き、新年会をやってみようと、いろいろ画策している。

悲しい挨拶状

2011-01-05 23:19:17 | わが酒と薔薇の日々
今日も遅めの年賀状がたくさん届いたが、そのなかに悲しい挨拶状が1通混じっていた。二丁目の若い呑み友達MSくんの死を告げるハガキだ。
そのハガキには、
「年末年始のご挨拶を申し上げるべきところ服喪中につきご遠慮申し上げます。MSが永眠いたしました。時節柄ご自愛を心よりお祈り申し上げます」
とあり、差出人は関西に住むMSくんとは違う名字の人だ。差出人とMSくんの関係も、MSくんの死因もまったくわからない。
MSくんは大企業に勤めるエリート営業マンで、うまがあって何度かSEXをしたこともあるが恋人どうしとしてつきあうには至らなかった。彼は本質的に若い子が好きだったので、私とのSEXは、彼からすれば例外だったのだとおもう。また、生前のMSくんから家族の話をきいたことは一度もなく、MSくんと連絡を取り合うことも、ここ数年ほど年賀状以外はまったくなかったので、事情は皆目わからない。いちおう差出人の電話番号は書いてあるが、MSくんの死の経緯をきくのははばかられる。
冥福を祈るのみ。

事情はともあれ、Mくんに続きMSくんと、私の周りから若いゲイが姿を消していくのは、身を切られるようにつらい。

新しい年のはじめに

2011-01-04 00:05:44 | 雑記
謹賀新年

みなさん、新しい年をどのようにお過ごしだろうか。
私の方は、さすがに元旦は派遣のアルバイトを休んだが、2日、3日と、すでにもう仕事を開始している。そのせいでとてもあわただしい正月だ。
また今年は寓居への来客も多く、元旦、2日ともにぎやかに過ごした。さすがに今日は来客もとぎれて、のんびりしている(来客の次の日の早番出勤はつらい)。
そんなことで、なかなか自分の時間がとれないが、元旦からエーリヒ・コルンゴルト(1897年~1957年)の評伝『コルンゴルトとその時代 ”現代”に翻弄された天才作曲家』(早崎隆志、みすず書房)を読んでいる。コルンゴルトは文字通りの19世紀末にモラヴィア地方に生まれた作曲家で、10代から「神童」と呼ばれ、第一次世界大戦と第二次世界大戦のあいだ、ウィーンをはじめとするドイツ文化圏で、美しいメロディーに恵まれた作曲家として非常に人気があった。
ユダヤ人であったため、第二次世界大戦直前にアメリカに亡命し、今度はそこで多数の映画音楽を作曲して2度アカデミー作曲賞を受賞した(『風雲児アドヴァース』『ロビン・フッドの冒険』)。
戦後ヨーロッパ帰還を試みるが、戦後のクラシック音楽の主流が難解な前衛的音楽に向かったため、通俗的作曲家として蔑まれ、没後10年以上を経てようやく再評価されるようになった。1970年代におこったコルンゴルト再評価への流れは、過度な前衛的音楽に対する反動という意味では、同時期のマーラー・ブームとも関係しているような気がする。
いずれにしても、コルンゴルトの伝記を読むと、両大戦間のドイツ文化とは何だったのかということを改めて考えさせられる。
ということで、本日聴いているCDは、コルンゴルトのピアノ・トリオと歌劇『死の都』のアリア集(EMIのオムニバス盤より)。

さて、本年もどうぞよろしく。