闇に響くノクターン

いっしょにノクターンを聴いてみませんか。どこまで続くかわからない暗闇のなかで…。

ヘミングウェイ『日はまた昇る』を読む

2011-05-28 22:42:10 | テクストの快楽
今朝は午前8時に起床。
ヘミングウェイ『日はまた昇る』(新潮文庫、高見浩氏訳)の残りを一気に読む。
その後、朝食、洗濯等と一日の過ごし方は休日のお決まりコース。夕方、銀座の画廊にでかけ、ある作家の個展のオープニングを見て帰った。

     ☆     ☆     ☆

さて、ヘミングウェイの作品は、現在の自分の関心とはなんの関連もなく、手元にあったからというのでアトランダムに読んでみたのだが、実際に読んでみると、1920年代後半のパリとスペインを舞台としており、偶然ではあるが、日頃クレンペラーの演奏を聴きながら考えている「1920年代のヨーロッパ(ベルリン)は、どのような空間であったのか。そこでどのような文化が展開していたのか」という問題ともぴたりオーバーラップしている。『日はまた昇る』が出版されたとき、ベルリンでは、クレンペラーが次々とセンセーショナルな演奏を行っていたのだ。
それと、私にはヘミングウェイの文体(高見氏の訳文)そのものが、とても新鮮で心地よいのだが、これをクラシック音楽の演奏に比較するならば、やはりクレンペラーのキビキビした演奏が、この文体に通ずるのではないだろうか。すくなくともこれは、フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュの演奏の背景にある文化意識とは、まったく別種のものだ。
ちょっと、映画のシナリオを読んでいるような気もしてくる。
それは、ヘミングウェイの文体が映像を思い浮かばせるというよりも、セリフの連続と行動の描写だけで成り立っている文章の構造そのものが、映画のシナリオによく似ているのだ。適当に例をひいてみよう。

     ★     ★     ★

ブレットがショールをまとってもどってきた。伯爵とキスを交わし、彼が立ちあがろうとすると肩をおさえて止めた。外に出しなに振り返ると、伯爵のテーブルには若い女が三人集まっていた。ぼくらは大きな車に乗り込み、ブレットが自分のホテルの住所を運転手に告げた。
「だめ、あがってこないで」ホテルに着くと、ブレットは言った。すでにベルを鳴らしていたので、ドアのロックは解除されていた。
「本当に?」
「ええ。おねがい」
「じゃあ、おやすみ、ブレット」ぼくは言った。「残念だよ、きみがそんなみじめな気分で」
「おやすみ、ジェイク。おやすみ、ダーリン。もう二度と会わないわ」ドアの前で、ぼくらはキスした。彼女はぼくを押しのけた。もう一度キスした。「だめ、おねがい!」
素速く背後を向いて、彼女はホテルの中に消えた。ぼくは自分のフラットまで伯爵の運転手に送ってもらった。20フラン渡すと、運転手は帽子に手を添えて言った。「おやすみなさい」彼は走り去った。ぼくはベルを鳴らした。ドアがひらいた。ぼくは自分の部屋まであがって、ベッドにもぐりこんだ。(同書126~7頁)

     ★     ★     ★

文学の世界では、この文体を「ハードボイルド」というのだとおもうが、この文体が指向しているものは、文学という現象を突き抜けているように、私には感じられる。

また、この作品は物語そのものも、とてもおもしろい。
19歳の闘牛士に恋した34歳のブレットが身をひくラストは、特に秀逸。もし自分が若い男に恋をしたら、自分から身を引くことなんてできるだろうかと、おもわず作品世界にのめり混んでしまった。

みんなのうた『ピースフル!』にはまる

2011-05-27 23:30:40 | 雑記
さて、昨日の記事のとおり、古都から戻って最近はアルバイトの毎日だ。
ところで、以前も書いたように、私のアルバイト先では、比較的自由にTVが見れるのだが、そんななかでこのところNHKみんなのうたの新曲『ピースフル!』にはまっている。休憩中や作業中にこの曲が流れるととても調子がよい。
ショタコンと笑われそうだが、リーダーの吉野晃一くんの声変わりしたばかりのハスキーな声と姿が画面に登場すると、つかの間疲れを忘れてしまう。

【参考】
『ピースフル!』の動画サイト
http://nicoviewer.net/sm14185683

日常に戻り、バイトを再開

2011-05-26 23:09:26 | 雑記
古都訪問から1週間たち、ようやく日常が戻ってきた。
派遣のアルバイトの方は、古都から戻った翌日の22日から通常シフトで出勤している。アルバイト先の同僚への金平糖と瓦煎餅のおみやげは、とても好評だった。
睡眠(起床)時間は、調整がうまくゆかず、戻ってからもずっと早朝に目が覚めるという状態が続いたが、今朝はひさしぶりに、8時30分頃、のんびり起きた。
翻訳の方は、大学側との「紳士協定」が成立したので、ほんらいすぐにでも再会すべきなのかもしれないが、ちょっと休んでいる。
CDの方は、古都に行く前に注文しておいたコンドラシン指揮のショスタコーヴィッチ交響曲全集、ショスタコーヴィッチ自身が演奏したショスタコーヴィッチのピアノ協奏曲、そしてヴェデルニコフ演奏のショスタコーヴィッチのピアノ・ソナタなどがまとめて届いたが、今は聴く気になれない。
そのかわり気分転換のために読んでいるのが、ヘミングウェイの『日はまた昇る』。23日に読み始めたのだが、もうすぐ読み終えそうだ。

無事、面談を終える

2011-05-20 19:43:35 | 翻訳への道
いよいよ古都の大学の学部長との面談の日がきてしまった。
例によって朝の6時前に目がさめる。こう早起きが続くと、緊張のためというより、時差ボケのような感じだ。7時には起床したが、起きてもすることがない。しばらくTVをみたりしてから、古都の街まで降りていく。早朝といっても、コーヒーぐらいは飲めるだろうという算段だ。
スタバがあいていたので飛び込んで、とりあえずカフェラテを注文し、東京からもってきた『パゾリーニ詩集』を読む。こうして小1時間ほど時間をつぶしてから部屋に戻り、『パゾリーニ詩集』を一気に読み終える。そのうちちょうど10時近くになったので、ホテルのロビーでネットをチェックしたのち、今度は高島屋で朝食をゲット。急いでそれを食べ、シャワーを浴び、スーツに着替える。とはいえ、大学に向かうにはまだ時間が早いので、ホテルのロビーで『商業活動と国家』というフランス語のテクストを読む。この作品は、『人間の精神について』の翻訳がうまくいったときの、次の翻訳候補の一つだ。この点は『人間の精神について』に関しても言えることなのだが、日本でのフランス社会思想の翻訳紹介は、まだまだルソーなど一部の著者に限られているので、作品をしっかり選べば、私のように実績がない者でも出版のチャンスがあることがわかってきたのだ。
ともかく、余裕をみて12時すこし前にホテルを出る。新しいフランス語のテクストを読んだせいで、緊張もややほぐれてきた。
大学前には12時ちょっとすぎに着いたが、それでもまだ間があるので、大学前のモスにはいり、『商業活動と国家』の続きを読む。テクストに集中しているうちに、大学側がなんと言おうとこちらはマイペースでいくしかないとおもえるようになってきた。
時間が迫り、構内に移動。前日下見してあるので、経済学部は迷うことなく見つかり、約束の午後1時少し前、事務室に学部長への面談を申しいれる。私の場合、肩書きがなにもないので、氏名だけを名乗ってアポイントを入れてあると告げると、事務員が先導して学部長室まで案内してくれた。

こうしていよいよはじまったB学部長との面談だが、流れはとてもスムーズだった。B学部長は、温厚な研究者という感じで、なにか人を包み込むような雰囲気があり、私は緊張せずに話をすることができた。そうしたなかで、大学としては『人間の精神について』をぜひとも出版したいので、翻訳をよろしくたのむということになった。また、私の方から、浅草のチョコレートを土産としておわたしすると、B学部長からは、彼が監修して最近刊行された本を、「ぜひお読みください」と手わたされた。こうして面談は、15分ほどであっさり終了した。

経済学部を出ると、さすがにほっとして、文字どおり肩の荷がおりたような感じだ。あとは、構内の売店に立ち寄って、自分やアルバイト先などへのお土産を買い、2時前に、大学をあとにした。
ホテルに戻り着替えると、さすがにぐったりしてなにもする気がおこらない。とりあえず近くのサウナに行くことにし、夕方まで汗を流したり、のんびり横になったりしたら、ようやくリラックスした気分になってきた。

古都に到着

2011-05-19 22:01:20 | 翻訳への道
本日午後3時、古都に到着した。現在、四条のネットカフェから投稿している。

     ☆     ☆     ☆

古都では、まず、四条河原町のホテルにチェックイン。狭いし汚れているし、場所がいいというだけで、ほかにはちょっと表現のしようがないホテルなのだが、料金も驚くように安いので、文句を言うわけにはいかない。
もってきた荷物を開き、シャワーをあびて態勢を整え、まずは明日の下見に出かける。
四条から丸太町までは電車で行き、そこで下車して大学の本部をめざす。校舎が広くて分散しているが、それほどわかりにくい構造ではないので、少し歩いて本部に着く。正門から経済学部までがむしろわかりにくいが、迷わずなんとか行き着いて、明日の面談の部屋を確認。その後、隣にある文学部の校舎をぐるりと回って、裏門から外の通りへ出た。
通りへ出てから、アルバイト先で、古都の大学に行ったら近くの店で金平糖を買ってきて欲しいとたのまれたのを思い出し、金平糖屋・緑寿庵をさがす。近くまで行くと、路地にただよう甘いにおいで、店はすぐに見つかった。ここで、生姜、レモン、バナナと3種類の味の金平糖を購入。
近くの駅からまた電車に乗り込み、三条まで戻る。ここで降りて、今度は、昔からよく知っている古書店をたずねる。行ってみると、定休日で店は休みだったのだが、たまたまオーナーのSさんが居合わせて、よく来てくれたとビールで乾杯。
そうこうしているうちにちょうど夕刻になったので、まずは1920年代に建設された古いビルを改装したカフェバー「カフェ・アンデパンダン」に行く。地元の人の推薦だけあって、ここは雰囲気のあるとてもいい店で、すっかり気に入った。そこでチンザノを少し飲んでから、今度は木屋町のゲイバーへはしご。ほろ酔い気分になったところで、明日の面談があるからと解放してもらった。
ちなみに、事情に詳しいSさんにきいたところ、私が泊まっているホテルは南座にも近いので、下積みの歌舞伎役者などがよく利用するらしい。安くて味もそっけもないのはそのせいだったのかと納得した。

「無心」が課題

2011-05-18 08:16:51 | 翻訳への道
古都の大学の経済学部長Bさんと、私の『人間の精神について』の翻訳について面談する日がいよいよ明後日に迫ってきた。
11日の記事に、朝早く目が覚めるということを書いたが、その後もこの状態は変わらず、今朝も午前6時に目が覚めてしまった。平常心を保つことを自分に言いきかせてはいるのだが、身体の方がかってに緊張状態に入っているようで、コントロールできない。こんな状態がもう一週間も続いているので、アルバイトをしながらも、眠くて仕方がない。ちなみにアルバイト先では、気が合う数人の同僚に今回の<営業旅行>のことを伝えてあるのだが、眠れないという話までくると、「遠足前の小学生のようだね」と笑われてしまう。自分としては、小学生というより、小心な野球部の女子マネージャーがドラッガーに会いに行くような気分だ。面談のことを考えていると、Bさんはどんな人だろうかとか、何をきかれるだろうかとか、不安がつのってくる。
それでも訳そのものは先週中にとりあえず提出できる状態まで仕上がったので、古都までもっていてから不十分だと言われたくないとおもい、14日にメールでBさんに送信した。今回送った分は、400字詰め原稿用紙400枚分ほどなのだが、送信ボタンを押すと、1秒かかるかかからないかという時間であっという間に送れてしまい、拍子抜けした。これに対しては、Bさんから「続稿と改稿をお送りいただきありがとうございました。完成も大分近づいてきましたね。楽しみにしています」という返信を、すでに頂いている。
だからあとは、Bさんに会うだけなのだが、こんな状態でうまく話ができるのだろうか。
相手が相手だけに、自分を立派にみせようなどとしても無駄なことははっきりしているので、とりあえず、変な野心を起こさずに「無心」でBさんに会うことが、自分への課題だ。

複数の人間観ーーある友人からのメールにこたえて

2011-05-16 07:34:03 | 翻訳への道
友人のIさんから、私が古都の大学にもっていく『人間の精神について』の最新稿に対する読後感と質問が送られてきたので、今回は、それについての私自身の回答と合わせ、以下に掲載しておきたい。

     ☆     ☆     ☆

「闇太郎さん、こんばんは。『人間の精神について』の最新稿をお送り頂き、ありがとうございました。お送り頂いた第三部は、非常に興味深い、しかしなかなかすんなり理解できない内容でした。著者のHという人は、なぜこうもクネクネした論述を行うのでしょうね。
ただ、個々人の才覚の不平等は、人間の生体的能力には全く依存しない、それは情念の強さに依る、そして人は快楽へと傾き苦しみから遠ざかろうとする、という記述を読んで、Hからサド侯爵へという思想の系譜を闇太郎さんが考えたのもなるほどなあと思えました。
また、教育が才覚を左右するというのも、「才覚」というものをどう捉えるかを再び問われたように思いました。
才覚を、カント的な意味での、人間の判断を司る理性ととるならば、それが完全に後天的だというのはなかなかに挑発的な話だと思うのですが、果たして「才覚」という語で、そこまでの能力を指し示しているのかどうか…
いずれにしても、B氏とのディスカッション、愉しんできてください。有意義なものとなることを、お祈りしています。」

「Iさん、こんばんは。
拙い訳稿をお読み頂き、どうもありがとうございます。
Iさんの鋭い疑問に対する全面的な回答はとても難しいのですが、カントとの比較でいうと、「才覚」のとらえ方という前に、Hは、まず「人間」のとらえ方そのものがカントとはかなり異なっているのではないかという気がします(私は、カントをしっかり勉強していないので、これについて、あまり確かなことはいえないのですが)。
なんというか、Hは、人間あるいは人格というものを確固たるものととらえていないのですね。そのあたりをもう少し言葉を補って言えば、たとえば、人間と動物の「感性」等の違いというのは程度差なんだと、Hは考えているとおもいます。いわゆる「理性」というのは、Hからすれば、そうした「感性」に毛がはえたようなものに過ぎない。神が存在して、人間は万物の霊長としてつくられているという考え方はまったくしない。そのあたりが、Hの考え方がこの時代のなかでは唯物論的で際だっているとされるゆえんだとおもいます。
でもこれは、Hだけが変わっているというより、Hの発想は、意外にライプニッツに近いように、私にはおもえます。
ライプニッツという人は、近代の思想家のなかでいちはやく、「無意識」のことを考えていた人ですが、人間の知覚形成のなかに無意識が深く関わってくることを認めると、人格概念はかなりゆらいでくるんですね。つまり、「自己」というもののなかに、自己が認識できないものが入り込んでくるわけですから。
Hの思想のなかの環境決定論的な部分も、一つには、こうした無意識的なものが人間に強い作用を及ぼすという考え方が前提としてあるとおもいます。またこの辺は、ライプニッツというより、Hはロックの経験論を受け継いでいるともおもいます。ですから、先験的なものに関しては、Hは全否定ですね。いずれにしても、Hの発送は、カントの方向には容易に収斂しない要素を数多く含んでいるとおもいます。
ところで、Iさんをはじめ、多くの人の哲学史理解というのは、カッシーラーに代表される新カント派に強く影響されているとおもうのですが、このカッシーラーがHを味噌糞に批判しているのですね。で、Hには言及しないものの、こうしたカッシーラー流の哲学史の位置づけを、カッシーラーとほぼ同時代人のハイデガーが強く批判する。要するに、『存在と時間』のなかで、ハイデガーは、カントのせいで「存在」の問題は哲学の前から姿を隠してしまった、カントのやり方はダメなんだと強く批判しているわけです。ですから、ハイデガーはカッシーラーと衝突せざるをえない。
訳者の私とてもHを第一級の思想家だとおもっているわけではないのですが、こうした哲学史論争を背景に『人間の精神について』を読むと、このクネクネとして滅茶苦茶な論理展開がカントにまったく吸収されていないことは明白なわけで、それゆえ『人間の精神について』は、カントが彼以前の哲学の成果をすべてを反映させているのではないという非常に有力な実例としておもしろいのです。
あえて付け加えれば、この問題はアンチ・グローバリゼーションの視点につながっていくとも言えるでしょうか。『人間の精神について』を読むことが、一つの思想ですべての思想を代表させることの危険を示唆するという風に。
それをもう一度哲学史に適用すれば、17世紀から18世紀にかけてのヨーロッパの近代思想史というのは、デカルトからカントへという精緻化の流れがあると同時に、デカルトからサド侯爵へという身体化の流れもあるということですね。
これは、どちらが正しいとかは言えない問題だと、私はおもいます。」

     ☆     ☆     ☆

以上の自分の回答を読み返してみて、遅まきながら、別の例を用いれば、私の論旨はもっと簡明に表現できることに気がついた。
要するに、『コジ・ファン・トゥッテ』の世界は『フィデリオ』にはまったく収斂しないということ、あるいは、『コジ・ファン・トゥッテ』という作品は、『フィデリオ』の的な論理の一面性と破綻とあらかじめ示唆しているということだ。

アールグレイな気分!?

2011-05-11 23:22:58 | 翻訳への道
古都の大学の経済学部長Bさんとの面談の日程が、だんだん迫ってきた。
緊張のせいか、アルバイトが休みだというのに、今朝は午前6時には目が覚めてしまった。しばらく横になっていたもののどうしても眠れないので、7時過ぎに起床。古都にもっていく分の訳の完成を急ぐ。
10時過ぎに朝食。冷蔵庫に冷凍ハンバーグが残っていたので、ハンバーグとサラダを食べる。食後、少しのんびりしながら、当面の行動計画を練る。
まず、ネットで新幹線、ホテルをチェックする。新幹線を往復とも各駅停車のこだま号にしたら、ホテル代こみで2万円代の格安ツアーが見つかったので、さっそく予約。ホテルはとても狭そうだが、それでも四条河原町の高島屋の向かいにあって、あちこち動き回るには便利そうだ(もっとも、今回はあまりあちらこちらを動き回るつもりはないのだが…)。
新幹線とホテルが確保できたので、次は洗濯。洗濯をすませてから、久しぶりに散髪。散髪が終わるとすでに午後2時過ぎになってしまったが、翻訳の残りを一気に片づける。
3時半過ぎに、翻訳と校正が一通り終わったので、今度は買い出し。
新宿に出て、世界堂で訳のコピーを送るための封筒を買い、あとはぶらぶら。ただし小雨模様で湿度が高く、街を歩いていても爽快感はない。途中で紀伊国屋書店に入って、古都のガイドブックをいろいろと立ち読みしたが、観光旅行というわけではないので、どの本もぴんとこない。その足で京王デパートに行き、植木鉢を買い込んで帰宅。戻ると6時すこし前だ。
ご飯が炊けるまで、訳文をもう一度チェック。いちおう大丈夫そうなので、7時過ぎに、ありあわせの総菜で夕食。提出する訳が終わったので、一人で缶ビールをあけた。
8時過ぎに、近くのスーパーへ行き訳のコピーをつくり、それを綴じてから、古都の大学を紹介して頂いた仲介者のAさんにコピーを送る。これで一日の作業はすべて完了だ。
原稿をテキスト形式でBさんに送る作業などがまだ残っているが、これはそれほど時間がかからないので、週末までにゆっくり片づけることにした。

      ☆     ☆     ☆

ここまで読むと、落ち着いててきぱきといろいろな作業をさばいたようにおもわれるかもしれないが、最後に紅茶を飲みながらこの記事を書こうとして、ダージリンを入れたつもりが、無意識でアールグレイをいれていた…!?

翻訳担当者とのアポイントが決まる

2011-05-09 23:11:03 | 翻訳への道
春の連休もあっという間に終わってしまった。みなさん、どのように過ごされただろうか。
私の場合、連休中もほとんどがアルバイトに出勤だったので、「休んだ」という感覚はまったくないのだが、それでも祝日の基本シフトはすべて早番で、今日の出勤から早番から解放されたので、やれやれとほっと一息ついている。

ところで、先月16日の記事に私の翻訳の出版を検討してくれている某大学の担当者Bさんに面談希望のメールを出したということを書いたのだが、実はその翌々日、さっそく返事をもらい、今月20日に先方の大学でお会いすることがすでに決まっている。
「担当者」といっても、うかつなことに、私は某大学でのBさんの役職を、これまできちんと調べていなかったのだが、改めてネットで調べてみると学部長ということで、それが私のような実質フリーターのために特別に時間を割いてくれるということに、すっかり恐縮してしまった。
ちなみに学部は、私とはほとんど無縁の「経済学部」だ。文化系といっても経済学を研究している人間とはこれまでほとんど会ったことがないので、どういうタイプの人間なのか、さっぱり見当がつかない。

ともかく、20日までに、切りのいいところまで翻訳を仕上げなくてはならないので、今はけっこうあせっている。Bさんと会うための旅費や滞在費を捻出するためにはアルバイトを削ることができず、アルバイトの日数が多いと、翻訳がすすまないのだ。

同僚と居酒屋へ行くという、世間ではありふれていても、私としては滅多にない話

2011-05-08 22:32:25 | 求職日記
今日のアルバイトは日曜なので早番出勤。
仕事が終わってから、別の派遣会社から来ている同僚の男性アルバイト2人に誘われて、職場近くの居酒屋に立ち寄った(2人とも私より若いので、登録している派遣会社は違っても、いちおう私が先輩格)。
そこで話題となったのは、ほとんどが職場の話。居酒屋に来ていない同僚や派遣先の社員の仕事ぶりの評価や、どうやって円滑に仕事をすすめるかなどを3人で、ああでもない、こうでもないと話し合った。こういう機会は滅多にないので、私としてはそれなりにおもしろかった。
とはいえ、翻訳の方も気になって、その場を1時間半ほどで早めに切り上げて自宅へ戻り、なんとか続きをすすめようとおもったが、日本酒がきいてなかなかうまくゆかない。これもまあやむなしか。