『民衆のイスラーム』終章の赤堀雅幸氏の論考「民衆イスラームの時代」をさらに追ってみよう。後半は簡にして要を得たイスラーム思想史の要約だ。
「多様性や地域性、寛容さなどを特徴とする民衆のイスラームが勢いを得た時代というのがあり、それは、イスラームの歴史の全体を俯瞰すれば、およそ12世紀から18世紀にかけてと見定めることができる。簡単に言えば、教養が洗練され、社会の制度化が進む一方、(イスラームが強制的な改宗を戒めていることもあって)多くの民衆がムスリムになることなく旧来の信仰にとどまっていた古典期を過ぎたのが12世紀であり、成熟が停滞へと転換しようとしていたこの時代に、それまでとは異なる方向への展開として、スーフィズムや聖者崇拝の普及を核に、民衆に親しみやすいイスラームのかたちが広まっていったのである。それは同時に、それまでにイスラームが広まっていた地域では、民衆のイスラームへの改宗を促し、また東南アジア、中央アジア、サハラ以南アフリカなどにおいて、イスラームそのものの浸透を進めていった。その後、民衆イスラームの広まりは持続したが、やがて18世紀末になると、潮勢は逆転することになる。ヨーロッパ近代がムスリムたちのあいだにも移入され、明治維新期の日本と同じように、近代化の受容と達成、伝統の改廃と変容が迫られる時代になって、イスラームの民衆的要素はしばしば「迷信」や「逸脱」として批判にさらされるようになり、わずかずつではあるが民衆の暮らしからも退潮していくこととなった。」
では、現代のイスラーム思想界はどのような状況にあるのか。
「現代に関していえば、いわゆる原理主義的な思想をもつ人びとは、民衆的な実践には極めて冷淡である。彼らは初期イスラームへの回帰を主張しているため、後代になってイスラームの一部分となった民衆イスラームは、当然のことながら不要な混じりものとして扱われることになる。これらの人びとは初期伝統へ戻ることを主張しているが、彼らは近代を忌み嫌う伝統主義者ではない。彼らは初期イスラームを理想とすることによって、一方では前近代的イスラームを嫌い、返す刀でヨーロッパ的近代に異議を申し立てているのであり、これによって彼らがめざすのは独自のイスラーム的近代とでもいうべきものである。近代化をめざす運動が、古い伝統の掘り起こしを提唱するのは何も意外なことではなく、かつてルネサンスがグレコ・ローマン的伝統の復活をめざして、近代という新しい時代にいたったことを思い浮かべれば納得できるだろう。そもそも、ただ一つの「正しい」イスラームの存在を信じて、それを他者に押しつけるなどというように、理非を突き詰めようとする姿勢自体が、民衆のイスラームとは相容れない、近代的な生真面目さによっていると言わざるをえない。」
近代化のプロセスのなかで、近接する過去の歴史を否定し古代を理想視するのは、なにもイスラームばかりではない。赤堀氏のいう明治維新期の日本もそのように中世から江戸時代にかけての過去を否定し、それによって強制的な社会の近代化を達成したのではなかっただろうか。そしてそのとき、日本的精神の原点として古代が理想化されそれへの精神的回帰が強く叫ばれたことがなかっただろうか。それゆえわれわれは、イスラーム的近代をめざしイスラーム社会を改革しようとする人々を単純に断罪することはできないとおもう。それは、「近代社会」のモデルや理想は欧米にしかないという、それこそ欧米中心主義を絶対化することではないだろうか。
また現に、こうした主張は、イスラーム社会の一部で行われているだけでなく、「生真面目な」イスラーム知識人の共感をも得ていると、赤堀氏は指摘する。
「その意味では、民衆イスラームへの批判は、原理主義の思想傾向をもっているとは限らないムスリム知識人のあいだにも広まっている。世俗的な高度の学校教育を受けたそれらの人びとのなかには今なお、合理主義の名のもとにウェーバー流の「魔術の園からの開放」を信奉するような流れがあり、しばしば近代化の阻害要因として民衆の「迷信」は非難され、またさげすまれる。」
問題は、こうした改革派の、あまりにも単純で性急な方法論と、みずからの主張を、赤堀氏言うところの「民衆イスラーム」とつなげる回路をもたないところにあるのだろう。またそれには、イスラーム社会をとりまく政治的緊張の持続も影響しているのではないだろうか。しかしこれでは、明治維新どころか、青年将校らによるいわゆる「昭和維新」の再現にしかならないとおもう。そしてイスラーム社会の現実に、こうした昭和維新的な気配が感じられないわけではない。
しかしこれに関して赤堀氏はやや楽観的だ。
「だが、原理主義や合理主義が勝利をおさめて、民衆のイスラームが衰微すると考えるのは早計だろう。すでに書いたように、人びとの暮らしがある限り、民衆のイスラームはそこにある。1970年代以降の原理主義の興隆に、私たちは目を奪われてきたが、近年の動向をみる限り、原理主義はすでにかなり行き詰まったところまで来てしまっている。イスラームの原理主義は、その米国版の兄弟分である新保守主義と並んで、やがて衰えていかざるをえないだろう(そう願いたい)。」
そして次のようにイスラーム思想界の今後を展望する。
「事実、これまであまり注目されてこなかったが、原理主義とは異なる方向で、新しいイスラームのかたちを求める動きは、世界各地で起こっている。21世紀にはいって、研究者のあいだでも、ポスト原理主義のイスラームを論ずる議論が、さまざまなかたちでなされるようになった。新しいイスラームを求める動きのなかには、クルアーンに対する大胆な新解釈の提示や、イスラーム法の斬新な改変の試み、近代西洋哲学とイスラーム思想との調和の努力など、ムスリム知識人によって意欲的に推進されている取り組みがある。また、米国でみられるように、世界各地からの移民やキリスト教からの改宗者などが参集することによって、前近代に成立したイスラームの地域性や土着性が解消されて、新たな普遍性を回復しようとする流れもみられる。米国と同様、ヨーロッパや南米、中国、また日本などにおいて、マイノリティとしてムスリムが生きていくその生き方が問い直されている場も注目される。」
「多様性や地域性、寛容さなどを特徴とする民衆のイスラームが勢いを得た時代というのがあり、それは、イスラームの歴史の全体を俯瞰すれば、およそ12世紀から18世紀にかけてと見定めることができる。簡単に言えば、教養が洗練され、社会の制度化が進む一方、(イスラームが強制的な改宗を戒めていることもあって)多くの民衆がムスリムになることなく旧来の信仰にとどまっていた古典期を過ぎたのが12世紀であり、成熟が停滞へと転換しようとしていたこの時代に、それまでとは異なる方向への展開として、スーフィズムや聖者崇拝の普及を核に、民衆に親しみやすいイスラームのかたちが広まっていったのである。それは同時に、それまでにイスラームが広まっていた地域では、民衆のイスラームへの改宗を促し、また東南アジア、中央アジア、サハラ以南アフリカなどにおいて、イスラームそのものの浸透を進めていった。その後、民衆イスラームの広まりは持続したが、やがて18世紀末になると、潮勢は逆転することになる。ヨーロッパ近代がムスリムたちのあいだにも移入され、明治維新期の日本と同じように、近代化の受容と達成、伝統の改廃と変容が迫られる時代になって、イスラームの民衆的要素はしばしば「迷信」や「逸脱」として批判にさらされるようになり、わずかずつではあるが民衆の暮らしからも退潮していくこととなった。」
では、現代のイスラーム思想界はどのような状況にあるのか。
「現代に関していえば、いわゆる原理主義的な思想をもつ人びとは、民衆的な実践には極めて冷淡である。彼らは初期イスラームへの回帰を主張しているため、後代になってイスラームの一部分となった民衆イスラームは、当然のことながら不要な混じりものとして扱われることになる。これらの人びとは初期伝統へ戻ることを主張しているが、彼らは近代を忌み嫌う伝統主義者ではない。彼らは初期イスラームを理想とすることによって、一方では前近代的イスラームを嫌い、返す刀でヨーロッパ的近代に異議を申し立てているのであり、これによって彼らがめざすのは独自のイスラーム的近代とでもいうべきものである。近代化をめざす運動が、古い伝統の掘り起こしを提唱するのは何も意外なことではなく、かつてルネサンスがグレコ・ローマン的伝統の復活をめざして、近代という新しい時代にいたったことを思い浮かべれば納得できるだろう。そもそも、ただ一つの「正しい」イスラームの存在を信じて、それを他者に押しつけるなどというように、理非を突き詰めようとする姿勢自体が、民衆のイスラームとは相容れない、近代的な生真面目さによっていると言わざるをえない。」
近代化のプロセスのなかで、近接する過去の歴史を否定し古代を理想視するのは、なにもイスラームばかりではない。赤堀氏のいう明治維新期の日本もそのように中世から江戸時代にかけての過去を否定し、それによって強制的な社会の近代化を達成したのではなかっただろうか。そしてそのとき、日本的精神の原点として古代が理想化されそれへの精神的回帰が強く叫ばれたことがなかっただろうか。それゆえわれわれは、イスラーム的近代をめざしイスラーム社会を改革しようとする人々を単純に断罪することはできないとおもう。それは、「近代社会」のモデルや理想は欧米にしかないという、それこそ欧米中心主義を絶対化することではないだろうか。
また現に、こうした主張は、イスラーム社会の一部で行われているだけでなく、「生真面目な」イスラーム知識人の共感をも得ていると、赤堀氏は指摘する。
「その意味では、民衆イスラームへの批判は、原理主義の思想傾向をもっているとは限らないムスリム知識人のあいだにも広まっている。世俗的な高度の学校教育を受けたそれらの人びとのなかには今なお、合理主義の名のもとにウェーバー流の「魔術の園からの開放」を信奉するような流れがあり、しばしば近代化の阻害要因として民衆の「迷信」は非難され、またさげすまれる。」
問題は、こうした改革派の、あまりにも単純で性急な方法論と、みずからの主張を、赤堀氏言うところの「民衆イスラーム」とつなげる回路をもたないところにあるのだろう。またそれには、イスラーム社会をとりまく政治的緊張の持続も影響しているのではないだろうか。しかしこれでは、明治維新どころか、青年将校らによるいわゆる「昭和維新」の再現にしかならないとおもう。そしてイスラーム社会の現実に、こうした昭和維新的な気配が感じられないわけではない。
しかしこれに関して赤堀氏はやや楽観的だ。
「だが、原理主義や合理主義が勝利をおさめて、民衆のイスラームが衰微すると考えるのは早計だろう。すでに書いたように、人びとの暮らしがある限り、民衆のイスラームはそこにある。1970年代以降の原理主義の興隆に、私たちは目を奪われてきたが、近年の動向をみる限り、原理主義はすでにかなり行き詰まったところまで来てしまっている。イスラームの原理主義は、その米国版の兄弟分である新保守主義と並んで、やがて衰えていかざるをえないだろう(そう願いたい)。」
そして次のようにイスラーム思想界の今後を展望する。
「事実、これまであまり注目されてこなかったが、原理主義とは異なる方向で、新しいイスラームのかたちを求める動きは、世界各地で起こっている。21世紀にはいって、研究者のあいだでも、ポスト原理主義のイスラームを論ずる議論が、さまざまなかたちでなされるようになった。新しいイスラームを求める動きのなかには、クルアーンに対する大胆な新解釈の提示や、イスラーム法の斬新な改変の試み、近代西洋哲学とイスラーム思想との調和の努力など、ムスリム知識人によって意欲的に推進されている取り組みがある。また、米国でみられるように、世界各地からの移民やキリスト教からの改宗者などが参集することによって、前近代に成立したイスラームの地域性や土着性が解消されて、新たな普遍性を回復しようとする流れもみられる。米国と同様、ヨーロッパや南米、中国、また日本などにおいて、マイノリティとしてムスリムが生きていくその生き方が問い直されている場も注目される。」