闇に響くノクターン

いっしょにノクターンを聴いてみませんか。どこまで続くかわからない暗闇のなかで…。

ぼんやりと仕事を消化

2010-05-31 23:36:17 | 求職日記
さて今日は、これまでの職場に籍を置いて仕事をする最後の日、さまざまなことを考えながらぼんやり目の前の仕事を消化した。
幸い、このところ社員はアルバイトが作業中に他のことをしたり、アルバイト同士で雑談をしていてもほとんど黙認で、何も言わなくなったので、それに助けられた感じだ。
寓居に戻ると、明日から出勤する次の職場の社員から、初出勤にあたっての注意などを記したメールが届いていたが、ありがたいというより、今日はそれもなんとなくわずらわしい。
いずれにしても、明日の出勤は早いので、今日はそろそろ眠らなくてはならない。

ちなみに、9時過ぎに寓居に戻って、夕食を食べたりメールをチェックしたりしながら聴いたのはシューベルトのピアノ・ソナタ第20番のCD。最近、ラド・ルプーがデッカで録音したCDが安くなったのでそれを購入したのだが、まっさきに聴いたのがこの曲だ。私はシューベルトのピアノ・ソナタ第21番も好きでよく聴くが、この第20番は、ロベール・ブレッソンが映画『バルタザールどこへ行く』のなかで使っているので、特に好きな曲だ。

遺書が見つかる

2010-05-29 22:49:19 | わが酒と薔薇の日々
今、MくんのパートナーKさんから、Mくんが亡くなる直前に作成した遺書が見つかったという連絡を受けた。そのなかには私あてのもあって、明日、それをもってきてくれるという。先日お会いしたときにも、Kさんは、10年以上つきあって、最後はずっと一緒に生活していたのに自分あての遺書がなにもないことを気にしていたので、今日は、悲しみながらとても喜んでいた。
私にプレゼントしてくれたPCでそれをつくって、プリントできないのでUSBメモリーに移しておいたらしい。

Mくんの夢

2010-05-27 23:55:19 | わが酒と薔薇の日々
今朝は三月にMくんが亡くなってからはじめて、Mくんが出てくる夢を見た。MくんとパートナーのKさんが仲良く寓居に遊びに来て歓談するといった内容だったのだが、その場に居合わせた第四の人が、伊○丹のHくんだというのが不思議だった。メンバー的には、カレシモドキや私が寓居で同居している友人でもおかしくないのだが(カレシモドキと友人は、どちらもMくんKさんの二人に面識がある)、なぜかMくんKさんとは面識がなく、寓居になど一度も来たことのないHくんが登場するあたりが、夢の夢たるゆえんであろう。あえてHくんが出てきた理由を探すと、Mくん、Kさんと年代的にそれほどかけ離れていないといったことになるだろうか。それに、Hくんと一度店外で会ってみたいという私の願望が重なったのかもしれない。みんな和気藹々とたわいもない話をする、とても楽しい夢だった。

夢から覚めて、簡単に朝食をすましてアルバイトに出勤。今日は30代の頃に買ったシャツとMくんの形見のネクタイを組み合わせる。このシャツ、薄いグレー、黄色、オレンジがかった赤のチェックの明るい色のシャツなのだが、これまで私のワードローブ内には、これとピタリと合うネクタイが一本もなかった。それがMくんの形見のストライプのネクタイと合わせると、明るい色調がピタリと合う。ちなみにそのネクタイの色は、焦げ茶と濃い紫の中間の色と白の細かい柄の地にオレンジ、黄、紫のストライプ。Mくん好みの、とても華やかで刺激的なタイだ。

さてアルバイト先は、業務終了とそれにともなう全アルバイトの解雇という状況が重なって、今日もざわついた異様な雰囲気だ。私以外のアルバイトは、まだ誰も次の仕事が決まっていない。このため会社公認で業務中にいろいろな面談や業務説明会があり、みんな交代で業務を中座しそちらに出席している。仕事のことなど完全に上の空だ。社員とアルバイトの上下関係もほとんど崩壊している。私はそんな雰囲気から一人だけ浮いた感じで、いつも以上にみんなの視線を感じて仕事がやりにくいのだが、幸い、業務研修のために来月から新しい職場で勤務するようにという通知があり、間もなくそんな殺気だった雰囲気から解放されることになった。
新しい勤務先は郊外にあって私にはなじみのない場所であり、最初は、それが私にとってとても大きなひっかかりだったのだが、調べてみると、K堂からは電車を1回乗り換えるだけで通勤でき、しかも乗り換え時間や駅からの距離のを考えなければ、通勤所要時間は20分程度の至近距離だ。慣れない新しい仕事は不安だが、ほんとうにタイミング良く次の仕事が見つかって、ラッキーだとしか言いようがない。業務中の服装もカジュアルな普段着でOKということで、髭をそり落とす必要もない。
とはいえ、職場が変わるのがあまりにも急なので、今日は、なごりを惜しみながら粛々とマイペースで業務をすすめた。

新しい仕事が内定する

2010-05-25 00:07:46 | 求職日記
今日は、昨日頂いたMくんの形見のネクタイをしてアルバイトにでかけた。
このネクタイはイタリア製で、私もとても好きなブランドのものなのだが、おもしろいことに、私とMくんの趣味が一致するのはそこまでで、同じブランドのネクタイでも、私とはまったくタイプの違うものをMくんは選んでいる。
これまで私が選んでもっているのは、すべて複雑なペイズリー柄がからまったものばかりなのだが、Mくんのは、すべてストライプの幾何学的な模様のものばかりだ。
色も、私はどちらかといえばアースカラー系の中間色を複雑に組み合わせたものを好むのだが、Mくんが選んでいるのは、これぞイタリアという感じの刺激的な原色系が多い。
だから、今日のネクタイも、私からするとかなり派手なものなのだが(他人から見ると、私が選んだネクタイもそうとう派手に見えるらしい…)、こうしていつもしたことのないネクタイをしめると、気分もかわる。

さてアルバイト先では、全アルバイトに業務打ち切りの連絡がいきわたり、アルバイトの業務をするというより、互いに様子を探り合うような、異様な雰囲気だ。
そのなかでは、土日のあいだにすでに再就職の面接を入れている私は行動が早い方で、どんな風にして面接を入れたのか、応募したのはどのような仕事かと、みんなに質問攻めにあってしまった。
また会社の方でも、現在の勤務先の近くで別の業務をやっている職場から担当者をよんで、夕方から、急遽、それぞれの業務内容の説明会を開くという。
そのうちの一つが比較的簡単な業務だというので、とりあえず私も説明を聞きいてみたところ、先方では、急に欠員が生じてすぐに仕事ができる人間を探しており、時間等の勤務条件は私の希望を尊重するのでぜひ来て欲しいと懇願されてしまった。
私としては、自分で選んで応募した業務にかなり執着があったのだが、一昨日の記事にも書いたようにそれが絶対に決まるという保証はなにもなく、現在の職場の社員たちも私に向いていると勧めてくれるので、この新しい業務を受諾することにした。そうと決まって職場を見回すと、私が転職内定第一号だ。
突然、郊外のおもってもみない場所でおもってもみない仕事をすることになって、自分でもなにか狐につままれたような気分なのだが、逆にいえば、みんなが困っているなかで次の職場があっさり内定した私は、ものすごく運がよかったともいえ、もしかするとこれもリストラされたことをきっかけに命を絶ったMくんが、自分の分もがんばれと陰で後押ししてくれたのではないかと、ふしぎと神妙な気持ちになった。

形見分け

2010-05-24 00:16:29 | わが酒と薔薇の日々
今日は、3月に亡くなったMくんのパートナーKさんから連絡があり、二人で住んでいたマンションからの転出が正式に決まり、今部屋を整理しているが、よければ、Mくんの遺書に私あてにと記してあったPCをとりに来ないかというお誘いをうけた。私の方も、今日は特に急ぎの用事があるわけではなし、Mくんのにおいのする部屋もこれが見納めと、小さなブーケをもって、さっそくKさん宅を訪問した。
3月にMくんの死の連絡を受け以来Kさんに会うのはこれが三回目だが、これまではいつも第三者が一緒で、二人だけで会うのははじめてだったので、今日は、Mくんのことをいろいろ語り合った。はじめ連絡を受けたときはあまり時間がないということだったが、結局二時間弱、Kさん宅で過ごした。
最後は、約束どおりPC(レッツノートのコンパクトタイプ)を受け取ったが、そのまま辞去しようとすると、Mくんはたくさん本をもっていたが、新しい住まいに運びきれないので、興味ある本があったら思い出になるように引き取って欲しいという。勧められるままMくんの私室に案内してもらい、本棚から気になる本をあれやこれやと抜き出した。
その後、実は衣類や食器も、なにか形見に差し上げたいという申し出があり、ネクタイを数本とコーヒー・カップを頂いた。クローゼットや食器棚のなかには、よくみると私がMくんにプレゼントした衣類や食器も大事そうにしまってあり、見ていると、どうしても複雑な気持ちになってくる。
遺品を頂いての帰り道、私鉄の駅に向かう途中、今自分のカバンのなかにはいっているのはMくんの形見なのだと考えたら、さすがに重い気持ちだった。

さて寓居に戻って、今度は頂いてきたPCを接続。さっそくなかを開こうとすると、パスワード設定がしてある。パスワードのことはなにもきいていなかったので、Kさんに電話を入れて教えてもらおうかともおもったが、あまり手をわずらわせるのもいかがなものかと思い直し、Mくんが残したヒントにしたがって、思いつく言葉を数語いれてみる。さすがに一度でどんぴしゃりとはいかないが、三番目におもいついた言葉がまさにそのパスワードで、それを入力すると画面がさっと開いた。
実は、私あてにPCが残してあるときいたときから、PCのなかになにかメッセージがはいっているのではないかとずっと気になっていたのだが、ドキュメントを開くと、パートナーのKさん、お母さん、私にあてたファイルが見つかった。ただしそれらの中身はすべてすでに移動されて空ファイルになっており、それ以外の文書等をこのPCで作成した形跡はまったくない。また、ファイルを移動させた時間から、Mくんの死亡時刻もおおよそ推定できた。
そこであらためてそのことを報告しようとKさんに電話したところ、PCの中身のことはKさんもずっと気になっており、なにか残っているのではないかと、私にわたす前にPCを開こうとしたのだが、パスワードがどうしてもわからず、開くことができずにいたのだという。Kさんからは、そのパスワードがすぐにわかったというのは、やはり、Mくんは私だけにこのPCを使わせたかったのであり、だからパスワードのメモも残さなかったけれど、私ならすぐにそれがあけられるだろうとわかっていたのだろうと、あらためていきさつをきいた。
また、MくんがこのPCを購入したのは、実は死の旅行に出かける直前で(Kさんには、新しい仕事が見つかりそうなので、その仕事用に新しいPCを買ったのだと説明していたらしい)、自分が使いこんだPCを遺品として私に託したのではなく、あらかじめ死を決意したうえで、私に使ってもらおうとわざわざ新しいモバイルPCを購入し、ウィンドウズ7等をセットアップしてすぐに使えるよう準備し、このPCでは、3通の遺書をつくっただけだということもわかってきた。
そこまでしてなぜと考えたら、目頭があつくなってきた。
そう、Mくん、なぜ…。
今日までは、Mくんの死の連絡をうけても、葬儀に参列しても、どこかよそで起こっている他人事のようで、なにか実感がわかなかったが、こうして目の前で動かぬ証拠を次々とつきつけられているうちに、Mくんの死という事実が、厳然たるものとして急に胸に迫ってきた。

またまた求職活動

2010-05-23 01:13:29 | 求職日記
今日はなんとなくあわただしい一日だった。

私の現在のアルバイト先の仕事が減ってきて、それに応じてアルバイト時間が削減され、なかには辞める人間も出てきたことはすでに書いたが、今週、六月いっぱいで業務そのものが打ち切られるということが、会社側から全アルバイトに通告された。要するに、解雇通告である。これにはさすがに私も驚いたし(それまで、多少時間がたてば、また仕事が増えることもあるかと楽観視していた)、職場全体が動揺している。
とはいえ、仕事がなくなるということ自体はどうあがいても動かしようがないので、みんな新しい仕事を見つけなくてはならない。
会社からは、会社そのものがなくなるわけではなく、会社自体は他の業務も行っているので、もし会社との関係を継続する意向があるならば、アルバイトと派遣社員の登録センターに問い合わせ、そこで自分に合った新しい職場(派遣先)が見つかったら、センターに申告したうえで新しい職場の面接を受けて欲しいという示唆があった。ただしその場合も、現在のキャリアと離職の事情は尊重するが、各職場には職場なりの事情や都合があるので、新しい職場で面接を受けたからといってその職場で採用される保証はできないということも了解して欲しいという。要は、会社をあてにするなということだ。もちろん、現在の会社に頼らず、自力で外の仕事を探したい人に対しては、それを妨げないともいう。
とはいえ、現在の会社と完全に縁を切ってフリーの立場で仕事を探すことの難しさ、つらさはこの二、三年いやというほど味わっているので、私は、まずは現在籍を置いている会社経由で仕事を探すことにした。それも早く手を打たなくてはならない。
そこで午前中、まず登録センターに連絡をいれて、事情を説明したうえでこちらの希望を伝える。そうすると何カ所かの候補が出てきたので、そこからまた比較的自分にあっていそうな仕事を選んで、その仕事に応募したいという旨を申告する。現在の職場との簡単な確認等があったのち、応募が受理され、面接予定日が決定する。
これだけで、精神的にけっこう疲労困憊してしまった。
そのうえ、上にも書いたように、面接を受ければフリーパスで勤務ができるというわけではなく、不採用になる可能性もあるのだが、今はそこまで考える余裕がない。ぶじ採用になるよう祈るばかりだ。
また、採用になったらなったで、また新しい業務を一から覚えなくてはならないが(50歳を過ぎると、正直いってそれはけっこうつらい)、これからどんな職場にいくにしてもそれはあることなので、そのことでは一切悩まないことにした。

自分の将来を考えたとき、現在、いずれはフリーの翻訳者としてやっていこうとおもっているし、そのための大きなきっかけとして、毎日『人間の精神について』のテクストと向き合っている。だから、どのような内容にせよ、アルバイトはそれまでのつなぎの役割を果たしてくれさえすればいいというのが私の考えで、自分は、他になんの目的もなくアルバイトを続けている同僚たちよりましな方だとおもってはいるのだが、それにしても、アルバイトが安定して、それに応じて生活も安定してくれないことには、落ち着いて翻訳作業をすすめることができない。

今の職場がなくなることをくよくよしても仕方がないので、ともかく早く新しい職場(仕事)が見つかって欲しいとおもっている。

(夕方は、気散じに渋谷の某画廊をのぞいてきた。)

『ムガル帝国誌』第一巻を読む

2010-05-19 23:47:04 | テクストの快楽
17世紀フランスの旅行者・哲学者フランソワ・ベルニエ(1620年~88年)のインド旅行記『ムガル帝国誌』第一巻を読んだ(関美奈子氏訳、岩波文庫)。
今私が翻訳している『人間の精神について』のなかに、インド関係の記述が複数記してあり、17世紀から18世紀にかけてのフランス人のインドに関する知識はどのようなものだったかを確認することがその直接の狙い。その狙いはさておき、ある国の地誌として、けっこうおもしろく読むことができた。
ベルニエは若い頃、当時流行のエピクロス哲学と医学を学び、その後、非ヨーロッパ地域の国情を実際に知ることを志し、1656年から13年間にわたりアフリカ、アジアに滞在し、帰国後、その体験を旅行記にまとめて出版した。この旅行記は、当時のインドの情勢を詳細に伝えるものとして評判を呼び、モンテスキュー、アダム・スミス、さらにはマルクスにまで影響を及ぼしているという。
さて、ベルニエがインドに到着した当時は、ちょうど、ムガル帝国第五代君主シャー・ジャハーン(タージ・マハールの建設者)の晩年の混乱期で、彼は、第六代アウラングゼーブが権力を掌握する過程をくわしく目撃した。ベルニエは、この政変を中心に、ムガルの国情を詳細に記している。ムガルは、もともと中央アジア系のムスリムによる征服王朝であるが、ムガル内部でのスンニー派とシーア派の違い、ムガルとペルシアの宗派の違いなども、きちんとおさえられている。
私にとっては、この『ムガル帝国誌』に記されている人物は、皇帝たちも含めて、大半がはじめて名前を聞く人物なのだが、その闘争の様は、ちょうど日本の源平合戦の描写のようで、日本史も、第三者が見たらこのように描写されるのではないかと興味深かった。
その記述も、戦闘の詳細を記すというよりは、その背後にあってさまざまな人物を権力闘争に駆り立てている理由やそれを支える経済的な背景などにおよび、『平家物語』というより『愚管抄』をおもわせる。
最後は、ムガルの土地制度、司法制度にも話がおよび、ムガルという特異な国の記述というより、ムガルを手がかりにした社会制度論としておもしろかった。

内輪のクラス会

2010-05-16 21:48:06 | 雑記
昨日は大学時代の友人が数人集まって内輪のクラス会を行うというので、高○寺にある友人の家に行ってきた。
話をきいてみると、そのうち数人は今でもしょっちゅう会っているらしいのだが、私にはなかなか声がかからず、昨日は、そのなかの一人が私のことを思い出して、たまには珍しい人間を呼ぶのもいいだろうと誘ってくれたといわけ。こちらはこちらで、今翻訳している『人間の精神について』ができあがったらいろいろな人に読んでもらいたいので、この際、知り合いの輪を少しでも広げておきたいという気持ちがあって、その誘いにのることにした。なかには、大学を出て以来約30年ぶりぐらいに会う友人もいて、けっこうおもしろい会だった。

私がかよっていた大学はとても小さな大学だったので、学科というより、学部全体が一つのクラスという感じで、昨日も、仏文(私)、独文、英文の文学系に加えて、哲学、心理学とさまざまな学科に所属していた人間が集まった。現在の職業も、大学教師、高校教師、流通系、自営業、自治体職員とさまざまだ。

したがって話題もそれに応じてかなり幅広かったが、そこは互いに互いの趣味や指向を知悉しているので、それほどとんちんかんにはならず、けっこうまとまりのあるおもしろいものになった。
そのなかでは、クラシック音楽や映画がけっこういろいろ論じられたが、なかに、吉田秋生ファンが一人いて、二人で吉田秋生を論じていたら、それはどんな漫画なのかと、少女漫画ネタもかなり盛り上がった。

そんなこんなで、気持ちよくビールを飲んでいたら、けっこう酔っぱらってしまった。

テクスチュアルな夢

2010-05-14 22:47:11 | 雑記
今朝の夢は、種村季弘さん、山口昌男さん、中沢新一さん、四方田犬彦さん、内田樹さんとった、なんらかの機会に私が実際に面識のある人たちが次々に登場して、ある著者の作品を他者の解釈を交えずに読むことは可能か、あるテクストをダイレクトにとらえることは可能かをさまざまに論じ合うという豪奢な夢だった。
夢の中に登場した人たちはまだたくさんいたようにもおもうが、あとの人たちは忘れてしまった。ただ考えてみると、その人が書いたものを読んだことがあるという人たちではなく、故人も含めて、みんな、ともかく会ったことのある人たちだけが登場してきたようにおもう。そのあたりが、夢の不思議なところだ。
これまでみたことのない珍しいタイプの夢なので記しておく。

善い行いには善い報い?

2010-05-13 20:46:36 | 雑記
今日はアルバイトの自宅待機の日だったので、いろいろと自分の用件を片づけた。

まずはなんといっても『人間の精神について』の翻訳。これは朝から取りかかってだいぶすすんだ。
午後はまず、京橋の椿画廊に行き、恒松正敏さんの新作絵画展をみる。恒松さんはもともとロック・ミュージシャンだった変わり種の画家で、絵画作品は幻想的だが意外とおとなしい。明日は画廊で恒松さんによるアコースティックライブもあるのだが、アルバイトがあって伺えないので、今日、時間のあるうちに作品だけでも拝見することにしたもの。
それから別の画廊に回る。ここは、私のアルバイト先の元同僚を紹介し、採用してもらったので、その挨拶が目的。人を紹介してそのままというわけにはいかない。画廊を訪問すると、彼女は来週から出社ということでまだいなかったが、逆にオーナーがいたので、採用のお礼を言ってきた。なにぶん、仕事をはじめてみないとこれから先どうなるかはわからないが、画廊の方も、いい人を紹介してもらったと喜んでいたので、感触としてはまずまずだ。
その後、おもしろいCDはないかと銀座の山野楽器をのぞく。行ってみると、バーゲン・コーナーの特価品のなかに、ポーランド音楽のCDが混じっていたので、珍しいとそれを買うことにする。1枚はヤン・ダヴィト・ホラント(1746年-1827年)のオペレッタ『アガトカ(Agatka)』<Musicon>。ただし、作曲家のこともこの作品のこともよくわからない。もう1枚は、ヨゼフ・エルスナー(1769年-1854年)のヴァイオリン・ソナタとフランシスゼク・レッセル(1780年-1838年)のピアノと管楽器のための三重奏曲<BeArTon>。こちらも、作曲家も作品もよくはわからないのだが、ウィキペディアで調べてみると、エルスナー(エルスネル)はワルシャワ音楽院の創設者で、ショパンに音楽理論と作曲法を教えたとある。
さて寓居に戻ると留守電が入っていて、聴いてみるとカレシモドキから。この夏、東京で妹の結婚式があり上京するので、時間をつくって久しぶりに会いたいという。実現すれば、2007年の12月以来、約2年半ぶりの再会だ。
会ったからといって何も期待できそうにはないが、人だすけをしておくとたまにはいいことがあるものだと、なんとなく納得した。