闇に響くノクターン

いっしょにノクターンを聴いてみませんか。どこまで続くかわからない暗闇のなかで…。

声による表現の最先端を聴く

2008-09-28 22:59:08 | 楽興の時
今日(28日)は、川村龍俊さん主宰の現代音楽連続コンサート「WINDS CAFE」(第141回)で、バリトン/ヴォーカル松平敬さんのリサイタル「バベルの声」を聴いた(於:四谷カノンホール)。曲目はグレゴリオ聖歌、カーゲル「バベルへの塔」(日本初演)、ケージ「FOUR SIX」、ルシエ「バリトンと正弦波のための音楽」、シュヴィッタース「原ソナタ」。グレゴリオ聖歌を含めてはじめて耳にする曲ばかりだったが、曲も演奏も刺激的で、非常におもしろかった。

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冒頭に歌われたグレゴリオ聖歌は、「アヴェ・マリア」「めでたし海の星 Ave maris stella 」「めでたし女王 Salve Regina」の3曲で、松平さんの声だけのア・カペラ演奏。会場のカノンホールは50人も入るといっぱいになるような小さなホールなので(今日は満席で補助椅子が追加された)、透明感のあるバリトンの声が心地よく響く。
しかし、曲の美しさに酔っていることができたのはこのグレゴリオ聖歌だけで、あとはすべて辛口でコンセプチュアルな現代音楽。
2曲目の「バベルへの塔」は、今年の9月18日に亡くなったカーゲル(1931-2008)が2002年に作曲した曲で、18の言語に訳され、18の異なるメロディーをつけられた旧約聖書の言葉「さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互いに言葉が通じないようにしよう。etc.」から、演奏者が任意の3~6の言語(&メロディー)を選び出し、任意の順序で演奏するというもの。カーゲルによって選ばれた18の言語の恣意性とそれぞれの言語の理解不能性が、バベル状態を象徴している。ちなみに本日松平さんによって選ばれたのはヘブライ語、英語、日本語、スワヒリ語、ハンガリー語、イタリア語の6つの言語(&メロディー)で、それぞれの言語につけられたメロディーの違いがおもしろい。日本語のメロディーは、おそらく一つ一つの単語の意味を十分把握できずに作曲したのではないかとおもわれる無機的なものなのだが、英語とイタリア語、なかでもイタリア語のメロディーは、歌われている言葉とメロディーの一致や乖離が不思議な効果をつくり出す。
3曲目の「FOUR SIX」(本当のタイトルは表記が違うのだが、私のPCではこのようにしか表記できないので仮にこのように表記しておく)は、ケージ(1912-1992)が亡くなる直前に作曲した比較的長い曲(演奏時間約30分)で、4パートのための連作の6番目にあたるところからこの名称があるという。本日は、松平さんが第一パートを受け持ち、他の3パート(電子音、SPレコードの音、自然音)はあらかじめ録音された音源をそれに充てて組み合わせた。
実は、ケージの本格的な曲、それも30分もあるような長い曲を聴くというのは、私にとっても今日がはじめての体験だったのだが、4つのパートが互いに協調し合って一つの全体像をつくりあげていくというのではなく、各パートが互いにさまたげ合うというのが、ケージらしいところだろう。曲(?)は、どこまで聴いても前進も発展もなく、ひたすら互いが互いをさまだけ合う。ところがそれを数十分聴いていると、しだいに耳が慣れてきて、実際に演奏されて耳に届くのは4つのパートの音楽(結局はすべて一種の雑音)だが、どこかになにか別の音楽が隠されていて、演奏されている4つのパートはそれを隠そうとしているのではないかという錯覚が生じてくるから不思議だ。すると、グレゴリオ聖歌から「バベルへの塔」を経て「FOUR SIX」へと至るプログラムが、見えないもの(聴こえないもの)をどのように表現するかを核として緊密に結びついていることがわかる(フランスの哲学者デリダならば、それを「痕跡」と呼んだかもしれない)。
さて第二部は少し雰囲気が変わって、単に抽象的というより、演奏することの身体性がかかわる曲がとりあげられる。
4曲目の「バリトンと正弦波のための音楽」は、ルシエ(1931年生)が作曲した、バリトン(人間の声)とゆっくり周波数を変える電子音が音程関係によって生み出す唸りをテーマとした、音響実験に近い音楽。ただしここでも、「差音」という、実際に演奏されていないにもかかわらず人間の耳に感じられる一種の錯覚の音が問題とされている。
最後の曲(?)「原ソナタ」は、シュヴィッタース(1887-1948)の音響詩の古典的名作とのことで、何語でもない意味のない言葉による詩を、あたかもそれがなんらかの意味をもっているかのように読み上げかつ歌うという作品。30分ほどの大作だ。この作品も、どう聴いても意味がない音の連続(例えば、「Dedesnn nn rrrrrr, Ii Ee mpiff tilff toooo」)が、松平さんの優れた表現力によって、しまいにはなにかしらの意味を伝えようとしているのではないかという幻覚を生じさせ、不思議な盛り上がりをみせる。
結局、本日演奏された5曲(プログラム)をとおし、意味や感動というのは言葉のなかに最初から準備されているのではなく、たとえ無意味な音の連続や騒音でも、それをある程度聴いていると、人間はその無意味さのなかに意味を見いだそうとする不思議な存在だということをまざまざと感じさせられた。またそれと同時に、芸術表現とりわけ音楽の根底には、そうした無意味さの意味が横たわっているのではないかという根源性をも強く感じた。

はじめて聴いた曲ばかりなので、私には演奏の善し悪しを述べる資格はないが、松平さんはそれぞれの曲に真摯に取り組み、その可能性を最大限に引き出していたとおもう。また彼の声はいわゆる美声ではなく、響きに色彩感のない非常にニュートラルな声なのだが、その声質も曲とうまく合っていた。

多摩美のシンポジウムを聴く

2008-09-21 23:28:03 | 雑記
みなさん、PCの接続につき、たくさんのメールありがとうございました。
おかげさまで接続についてはなんとかメドがたちました。ただし今日は時間がなくてなにも作業ができなかったので、とりあえず旧PCのディスプレイを机の前の棚に立てかけて入力しています。

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さて今日は、多摩美術大学芸術人類学研究所とNPO・CCAA共催のシンポジウム「縄文と岡本太郎」を聴いた(於:四谷ひろば講堂)。
テーマそのものにちょっと惹かれたのと、先日人形浄瑠璃を一緒にみたロシア人のR君に、多摩美芸術文化研究所の中沢新一さんを紹介するのが今日の目的(中沢さんは、ロシアの政治情勢、文化に強い興味をもっている)。またR君はR君で、以前から縄文式土器の造形に非常に興味をもっており、その形態を精神分析の立場から解釈し、ロシアで紹介したいとおもっていたのだそうだ。
講演もとてもおもしろかったので、以下、シンポジウムの冒頭で行われた中沢さんの基調講演「大仏と太陽の塔」の要旨を簡単に紹介してみる。

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「多摩美大に芸術人類学研究所を開設したとき、その狙いとしては、現代社会の抑圧、社会全体の管理社会化に対して、人間の根本的な能力をよびさます拠点になればいいと考えていた。
日本人の心のつくりを深層から考えてみたとき、自分は、その根底に欧米的な競争原理とは異なる、弱者や敗北者に対する優しさがあるのではないかとおもう。そしてそれは、縄文時代以来ずっと存在し、表面にあらわれずとも日本人のなかに未だに生きているものではないだろうか。それはまた、21世紀の人類の希望につながるものであり、それを社会組織のなかでもう一度生かすことを、人類全体が必要としているのではないだろうか。
これまでの歴史を振り返ると、あるものが国家によって制度化されたとき、人々の心の中に残っていたなにものかが消えていくということが何度かあったとおもう。奈良時代の大仏建立、昭和の「太陽の塔」建設(万国博覧会開催)のときにもそういうことがあったのではないだろうか。
大仏建立で言えば、それが実現するためには人々の生活に深く入り込んだ「聖(ひじり)」たちの活動があったが、いったん大仏ができあがると律令国家体制は聖を抑圧し、聖たちは国家体制の表面から消えていった。その後彼らは葬送儀礼にかかわりをもち、民間の精神生活に大きな足跡を残した。
岡本太郎が「太陽の塔」を作品化したとき、彼は、縄文的な精神を直観で感じ取ると同時に、それがまさに社会の中から消えつつあることをも敏感に感じて、その消えようとしているものを新たに生き残らせるために「太陽の塔」をつくったのではないだろうか。
オーストラリア・アポリジニの画家エミリー・ウングワレーは、「(作品の中で)自分はすべてのものを表現する」と言ったが、岡本太郎も、美や生にとどまらないすべてを表現しようとしたようにおもわれる。つまり、それは醜や死をも含む表現であり、そのことが「優しさ」と繋がっている。」

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中沢さんの基調講演後、赤坂憲雄さんの講演、田中基さん、平野暁臣さんを交えた討論があり、さまざまな問題を指摘してシンポジウムは終了した。なかでも、岡本太郎は日常生活やふだんの芸術活動の中で自然なかたちで縄文精神に触れたのではなく、その発想の中にパリでの留学時代に学んだ人類学的なものがあり、日本に戻ってから博物館で縄文式土器の破片をみたとき、縄文人の心を直感的に把握したといった指摘は非常に興味深かった。
シンポジウム終了後打ち上げがあり、私はR君を中沢さんに紹介し、また私自身も中沢さんをはじめ多摩美の先生、学生さん、山形からシンポジウムを聴きにきた現役の山伏さん、そしてR君らといろいろな会話を楽しんで、8時過ぎに帰宅した。

お願い

2008-09-19 23:05:52 | 雑記
長年使っていたPCが、今日、本格的に壊れてしまいました。
PCの機能そのものには異常がないのですが、本体とディスプレイをつなぐ蝶つがいが折れて、ディスプレイをきちんと立てることができなくなってしまったのです。そんなにサディスティックに使っていたわけではないのですけれど…。
この蝶つがいは以前からちょっとガタついており、PCのソフト自体も超古いので、代わりのPCは数カ月前にすでに購入してあるのですが(ちなみに今、そのPCから入力している)、私の能力では、接続がうまくいかないのです。
どなたか、新PCにメール機能を接続し、あわせて、古いPCに保存してあるデータを新PCに移動させてくださる方、いないでしょうか(旧PCも新PCも東芝のダイナブックで、新PCのソフトはXP。ソフトの方はなんとかインストール済みです)?
データ移動の為の「引越ナビ」は新PCにもついていますが、どうやって使っていいかよくわかりません。
お礼も満足にはできないとおもいますが、ちょっとみてやってもいいとお考えの方いらっしゃいましたら、このブログ記載のgooのメールからご連絡いただければ幸いです。

人間の美徳とは?--19、生殖行為とエロティシズム

2008-09-16 21:58:29 | テクストの快楽
人形浄瑠璃を鑑賞しながら、死と愛について考えていたら、はからずも渋沢龍彦『神聖受胎』(現代思潮社、1962年)のなかに、同趣の文章を発見した。となるとこれは、「人間の美徳とはなにか?」という現在進行中の小テーマとも直結する問題だということになるので、その辺を意識しながら、渋沢の文章を引用・紹介してみる(その一部は、引用のさらなる引用であるけれども)。渋沢はそれを、生産性と対立する「消費の哲学」としてまとめているが、もちろんこれは、渋沢のサド観(サディズム観ではないので要注意!<笑>)とも結びついた問題である。

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「なぜ「性的人間」と「政治的人間」とが対立するように見えるのか、という素朴な疑問に立ちかえってみるならば、それは前者が徹頭徹尾、消費の原理に立ち、後者が徹頭徹尾、生産の原理に立つからであろう。
「生殖のための性行為は有性動物と人間とに共通しているが、明かに人間だけが、性行為からエロティックな行為をみちびき出した。すなわち、性行為とエロティックな行為を区別するものは、生殖や子孫に対する配慮につながる自然目的とは関係のない、ある心理的な探求なのだ。この基本的な定義から、わたしはただちに、わたしが最初に提出した公式へ立ちもどる。その公式とは、エロティシズムは死にまで高められた生の讃美である、ということだ。たしかに、エロティックな行為はまず第一に生の横溢であるにしても、前述のように、生の生殖に対する配慮とは関係のない、この心理的探求の目的は、死とも無縁ではないのである。そこには、大きな逆説がある。」(ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』序論)(『神聖受胎』~「テロオルについて」<初出は『日本読書新聞』1960年>)

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渋沢が引用・紹介しているバタイユのエロティシズム論のなかの、「エロティシズムは自然目的とは関係のないある心理的探求」という定義には、私もほぼ全面的に賛成である。つまり、世の中には、「異性愛=自然、同性愛=反自然もしくは不自然」という定義が一方にあり、それに対する同性愛の政治運動は、「同性愛も異性愛同様自然な行為であり、ただそれが少数者によって実践されているという違いがあるだけである」という定義を軸に動いているようにおもわれるのだが、私からすると、そもそも「異性愛=自然」という定義そのものに問題があるのであって、私がいつも感じているのは、人間の性愛は男女の間で行われるものも究極的には一種のフェティシズムや幻想の投影であって、こと人間に関する限り、自然な性愛はほとんど存在しないのではないかということだ。そう考えない限り、たとえばこのところしつこく取り上げている男女間の肛門性交やフェラチオなど、なぜそうした行為が心理的快感と繋がるか、どのようにしても説明できないのではないだろうか。また敢えて同性愛ということに関して言えば、異性愛そのものが自然なものでない以上、殊更それを反自然もしくは不自然とする理由はなにもなく、むしろ人間独自のフェティッシュな性愛のあり方からすると、「自然に」生じてくる性愛の形態なのではないだろうか。
実はこのフェティシズムの問題は、渋沢言うところの「人形愛」とも関連してくる問題なのだが、人間がなぜ人形を愛するのか、あるいは直前の記事のようになぜ人形芝居に人間が動く芝居以上に感動するのかといったことは、人間の本質、芸術の本質に深くかかわってくるとおもう。リアルなものがつねに最もすばらしいなど、ありえないのではないだろうか。さらに言えば、われわれが音楽を素晴らしいとおもったり感動したりするとき、そこにどのような「リアリティ」や「自然」があるというのだろうか。
話しを元に戻せば、ゆえに、自然と反自然を峻別し、「自然な行動」のなかに人間主義を見いだそうとするのは、渋沢的に言えば、特権階級の抑圧的な態度に他ならないということになってくるだろう。

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「マルクスは自然を生産的歴史の下位に置いたが、消費の哲学は、むしろ人間をひとつの自然物であるとする見方から、積極的な意義を引き出すであろう。それはあらゆる特権的状態から、人間を共通の類概念、すなわち自然のなかに引きずり込むはたらきをする。このとき、人間主義を標傍するのはプロレタリアでなくて、必ずや特権階級であろう。ひとたび自然の原理に立てば、あらゆる権力は人間にとって偶有的な状態にすぎない。技術さえ、それが社会と生産性を代表する限りにおいては、ひとつの特権的な状態としてあらわれるであろうから、消費の哲学はこれをしも警戒する。生産性の哲学が存在の権利要求と、前時代からの遺産相続に終始することによって、ともすれば永遠の権力主義とテルミドオルの反復におちいる危険があるのに対し、消費の哲学は、その本来の自然主義が、逆に権利という概念そのものを破壊し、人間に何ら特別の尊厳をも認めることを拒否する。つまり、みずからを自然物と知る人間は、じつは特権階級によってつくられ、特権階級によって与えられたにすぎないアプリオリの制度や道徳を、決して信じたりはしないのだ。」(『神聖受胎』~「生産性の倫理をぶちこわせ」<初出は『外語文化』1961年>)

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引用の最後の部分、「みずからを自然物と知る人間は、じつは特権階級によってつくられ、特権階級によって与えられたにすぎないアプリオリの制度や道徳を、決して信じたりはしない」という箇所に、私は、異性愛者と同性愛者が同じ地平に立って、一つの行動を行うことを可能にする論理を見いだす。
愛とエロティシズムの問題に戻ろう。今まで読んできた議論からすれば当然のことだが、実は、究極のエロティシズムには、異性愛と同性愛の違いなど存在しない。それが対立するのは、社会的生活感情の原理にべったり密着している「生活技術としてのエロティシズム」であり、渋沢の論を待つまでもなく、われわれはそうしたものをことごとしく論じる必要がどこにあるのだろうか。

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「最高のエロティシズムとは、死を幻視する術のことだ、とわたしは考えている。だからそれは、芸術表現として、必然的に反社会的契機を内包して育てて行かなければならない。またそれこそ、つねに芸術の拠って立つ原理でもあろう。一方、「好色」とは、ややもすると凝視しなければならない死を避け、恐怖を笑い、その他共同体的慣習で糊塗することによって成立する、低次の、約束化されたエロティシズムの形式ではなかろうか。とすれば、それは社会的生活感情の原理にべったり密着している。いったい、抵抗のないエロティシズム、生活技術としてのエロティシズムに、わたしたちはどんな価値を置いたらよいのであろう。そんなものが、かりに芸術作品のなかに紛れこんでいたからといって、これを芸術上の問題として、ことごとしく論じ立てる必要がどこにあろう。」(『神聖受胎』~「「好色」と「エロティシズム」ーー西鶴と西欧文学」<初出は『國文学・解釈と鑑賞1961年』>)

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ここで渋沢が論じているのは、直接的には井原西鶴文学のエロティシズムについてなのだが、誤解なきよう付け加えておけば、渋沢は西鶴文学を日常の延長線上にある好色文学のなかに組み込んではいない。作品タイトルこそ「好色」であるが、それは好色という日常を突き抜けてしまっているというのが、渋沢の西鶴観である。

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「「男色ほど美なる翫ひはなし」と言いつつ、西鶴はいかにも近世自由思想家(リベルタン)らしい無道徳(アナーキイ)の立場から、封建主義の倫理的衰弱のうちに最もはげしい光輝を示すエロティシズムの、極北的世界を嘆賞しているかのごとくだ。」(「「好色」と「エロティシズム」ーー西鶴と西欧文学」)

ロシア人と一緒に人形浄瑠璃を観る

2008-09-14 09:27:05 | 観劇記
昨日(13日)は、5月以来久しぶりに人形浄瑠璃(文楽)の公演を観た(国立劇場小劇場)。今回は人形遣い五世豊松清十郎の襲名記念公演で、演目は『近頃河原の達引(ちかごろかわらのたでひき)』(初演は1780年代)と『本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)』(初演は1766年)。
大夫陣は、『近頃河原の達引』~「四条河原の段」が松香大夫、「堀川猿廻しの段」が住大夫(前半)と綱大夫(後半)、『本朝廿四孝』~「十種香の段」が嶋大夫、「奥庭狐火の段」が津駒大夫(総合芸術である人形浄瑠璃にはさまざまな鑑賞の仕方があるが、私は、どちらかというと、人形浄瑠璃は観るものというより大夫の語りを聴くものだとおもって太夫を重視している。ちなみに今回の席は、大夫の真ん前の、語っているときの表情がよくみえる私にとってベストの席。ここだと、大夫の声だけでなく、三味線の響きもストレートに染み込んでくる)。以前も書いたように、私は、数多くの大夫のなかでも語りのなかに歌心の溢れた嶋大夫の芸風がとても好きなのだが、今回の嶋大夫は、武田家と長尾(上杉)家の敵対関係を描いた時代物「十種香」の場面が持ち味とぴったり合致して、前回公演の『心中宵庚申』~「八百屋の段」をはるかに上回る出来。ビロードのような美声が冴えに冴え絶品だった。住大夫(人間国宝)も、いつもどおり一部の隙もない理詰めの見事な語り。中堅の松香大夫と津駒大夫もそれぞれ健闘していた。反面、芸に衰えが見えたのが綱大夫で、この人は元々が武張った力強い芸風だったので、張りがなくなってしまったその語りには失望した。
人形も、襲名したばかりの清十郎が張り切って『本朝廿四孝』の八重垣姫と狐の二役を、早代わりを交えてはつらつと演じ、師匠の蓑助がその相手役の武田勝頼にまわってそれを支えるのがこのもしい(本来であれば八重垣姫がこの人の役)。総じて『本朝廿四孝』は、大夫、人形遣いの気合いと力量が合致して、非常によい舞台に仕上がっていたとおもう。
ただし芝居としては、久しぶりに観た『近頃河原の達引』に非常に感動した。
この作品は、京都を舞台に、呉服屋・伝兵衛と遊女・おしゅんの悲恋を描いたもので、伝兵衛への退き状といつわって、おしゅんが母に残す書き置きが痛ましい。

「真にこれまでのご養育、海山にも例へがたき親のご恩、殊更不自由なる御身の上、何卒首尾よう勤めを遁れ、世を楽に過ごさせまし候はば、せめて少しのご恩報じ、孝行の片端にもなり候はんと、それのみ朝夕祈り参らせ候ところ、二世までと云ひ交はし参らせ候伝兵衛様。思はぬこのたびの御身の難も、根を尋ぬればみな我故に候へば、今更見捨て候ふては、女の道立ち申さず候。不孝とは思ひながら、共に覚悟を極め参らせ候。先程伝兵衛様へ退き状と申して認めしは、このこと申し上げたきまま退き状と偽り書き残し参らせ候、何ごとも何ごとも前の世よりの定まりごとと、お諦め下され候。申し上げたき数々は筆にも尽くしがたく候へども、心急くまま申し入れ参らせ候」

このところイスラーム社会やキリスト教社会の恋愛観(性愛観)ばかりずっと考えてきたが、『近頃河原の達引』にみる日本のそれは、性愛の成就ではなく、死のなかにその最高の達成をみるという点が、これらの社会の恋愛観と根本的に異なっているとおもう(このあたりは『本朝廿四孝』も共通)。しかも『近頃河原の達引』の場合、そうして死を誓う相手は遊女であり、そもそも、性的な貞淑ということは、まったく恋愛の前提とされていない。
ところで、『近頃河原の達引』でさらに感動したのは、この書き置きを読みきかされた母親が、それまではおしゅんが伝兵衛と心中することを警戒していたにもかかわらず、娘の堅い決心を知って態度をがらりとかえるところで、それほどまでに伝兵衛をおもっているのなら、自分としてはつらいけれども心中に反対しないと言って、おしゅんと伝兵衛を送り出す。
そこから場面は一転し、二人の門出へのはなむけとして、おしゅんの兄・与次郎が軽妙な猿廻しを演じるのだが(ここは人形の見せ所)、この猿廻しの滑稽さと、それをじっと観ている死を決意した二人の強烈なコントラストが、非常に強烈だ。
また舞台で演じられている内容と背景のコントラストということでは、この場面の前の「四条河原の段」の伝兵衛と官左衛門の殺し合いの場で、背後からのんびりした上方唄が聞こえるという作劇法も見事。ちょっと類をみないすぐれた作品だとおもった。

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ところで昨日人形浄瑠璃を観たのは、私の他に、M美大でロシア文化と日本文化の交流を勉強・実践しているロシア人のR君と、W大の演劇博物館に勤務し、ロシア文学を研究しているUさんの計3人。UさんもR君も人形浄瑠璃を観るのははじめてとのことで、二人とも今回の公演には、「伝統的というより前衛そのもの」「(構造的に)作品が一つの焦点に収斂していくのではなくて、人形と大夫の二つの中心があって、それが重ならないところがすごい」等と非常に感激していたが、なかでもR君は、「日本文化のことはだいたいわかっているつもりだったが、人形浄瑠璃を観て、その奥行きの深さには改めて驚いた」と率直に語ってくれた。『近頃河原の達引』も『本朝廿四孝』も、同じ台本を歌舞伎でも時々上演するので、こんど歌舞伎で同じ演目を上演するときには、またみんな一緒にその違いを観に行こうと約束した。
公演後(公演は3時で終了)ちょっと楽屋を訪問してから(舞台裏で嶋大夫を見かけたので、私は感激をさっそく本人に直接伝えることができた)、場所を変え、赤坂で8時近くまで話し込んだ。その内容も、はじめは観てきたばかりの人形浄瑠璃の話題に集中していたが、しだいに話題がひろがって、ロシア文化論、ロシア社会論、比較文化論などさまざまな分野におよんだ。
かくて、人形浄瑠璃鑑賞会は8時に赤坂で解散したが、私はというと、その余勢をかって久しぶりに新宿へ出かけ、タックスノットで一時間ほど楽しく雑談をしてから帰宅した。

人間の美徳とは?--18、肛門性交というタブー

2008-09-12 23:51:28 | テクストの快楽
これまでいろいろみてきたように、イスラームという宗教は、たしかに同性愛をタブー視しており、イランなどでは同性愛者を死刑にしているが(直前の記事にも書いたように、私には、同性愛に対するタブーもさることながら、同性愛者を処罰するというときのプロセスの正当性に大きな疑問がある)、いろいろ考えてみると、キリスト教社会をも含めた同性愛タブーは、タブーはタブーであるのだが、それはもっと広い性的タブーの一部なのではないかという気がしている。つまり、それは、一つには肛門性交へのタブーとつながるで問題であり、また自慰行為へのタブーとつながる問題でもある。これをつきつめていくと、イスラーム社会やキリスト教社会では、精液を女性の膣に放出すること以外の性的行為へのタブーが根源的なものとしてあり、同性愛タブーはそれから派生しているのではないかということである。
また同性愛タブーといっても、そもそも、「homosexual(同性愛)」という言葉がヨーロッパ言語のなかで古い起源をもつ言葉ではなく、近代にこの言葉が創出される以前は、「同性愛タブー」というのは、現代われわれが考えるものとは異なる概念として存在していたのではないかということを想定させる。そしてそれは、現代のイスラーム社会に関しても言えることである(人間をその行動からとらえるという傾向が強いイスラーム社会では、「同性愛」は、「愛」という側面よりも、具体的な同性との「性行為」という側面からとらえられている可能性が強いのではないだろうか。もちろん、われわれのいう「同性愛」は同性との性行為を含む概念ではあるが、それは、性行為に限定されない、より広い行動や感情を含むものではないだろうか)。

このことを強く考えさせられるのが、中村桃子さんの指摘である。以下、小ブログで企図途中で終わってしまった「『<性>と日本語ーーことばがつくる女と男』を読んで」という記事から関係部分を再掲する。

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「中村さんは古代ローマの性的区分を例に引く。つまり、古代ローマでは、「現代ヨーロッパで主要な性的区分である「異性愛/同性愛」ではなく、「能動性/受動性」によって区別されていた」のである。
この古代ローマのセクシュアリティ区分の紹介は非常に興味深いのだが、古代ローマの「能動的」セクシュアリティとは、ペニスを用いて、ヴァギナ、肛門、口の三カ所に挿入することをさし、どこに挿入するかに応じてその人には異なる呼び名が与えられた(fututor、pedicator、irrumator)。またこの三カ所に対応する「受動的」セクシュアリティは男と女で呼称が異なり、古代ローマにおいては、つごう9種類の性的区分があったことになる(女性はつねに「受動的」セクシュアリテイに分類されていた)。つまり、古代ローマの性行為の区分は、能動的男性が受動的男性もしくは(受動的)女性と行為を行うことを基準とし、相手の性別よりも性行為に使用する身体部位の違いが重要な要素と考えられていた。したがって中村さんのように考えると、現代であれば同性愛、異性愛とみなされるような実態があっても、古代ローマにはそうした概念がないため、「同性愛」「異性愛」とはみなされていなかったということになる(ちなみに、河口和也さんの『クイア・スタディーズ』<岩波書店>によれば、homosexualという言葉(概念)は、1869年にハンガリー人医師ベンケルトによって考案された近代的な用語(概念)である<同書3頁>)。」(小ブログ2007年12月9日付け)

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これによれば、古代ローマには同性愛に対するタブーがなかったどころか、「同性愛」という概念すらなかったというのだ。
ではなぜイスラームやキリスト教(というよりユダヤ教)社会のなかに性行為に関する独自のタブーが生まれたかというと、私は、それは両社会が牧畜(遊牧)を生活の大きな糧としていたことと関係しているのではないかと推測している。つまり、牧畜を主として生活する社会のなかでは、家畜を殖やすことが至上命題であり、そのためには牡の家畜の精液を無駄にすることは許されない。それが人間社会や人間行動に反映されると、精液を無駄にする行為へのタブー視が生じてくるのではないかということだ。
肛門性交へのタブー視は、日本では非常に理解しづらいのだが、かつて、ベルトルッチ監督の『ラストタンゴ・イン・パリ』(1972年)が、肛門性交(ファック)を正面から描いた作品として世界的な話題を呼んだことがある。しかしこのとき、日本には肛門性交に対するタブー視があまりないために、そのスキャンダル性がほとんど理解されずにおわってしまった。
また肛門性交に対するタブーへの挑戦ということでは、そもそもサド侯爵の著作が肛門性交の描写で充ち満ちているのだが、ではなぜサド侯爵が肛門性交にそれほどこだわったかといえば、それは、前回の記事でもみたように、キリスト教社会のなかでは肛門性交が死に値する大きなタブーだったからだ。

人間の美徳とは?--17、サド侯爵の裁判記録が示唆するもの

2008-09-08 22:45:59 | テクストの快楽
書き込みにまた時間があいてしまった。
その間、アフガンでベシャワール会の伊藤和也さん殺害が明らかになるなど、イスラームと外部社会のかかわり方の難しさがあらためてクローズ・アップされているようにおもう。
さて小ブログとしても、この辺でイスラーム関係の記事にとりあえずの結論を出しておくことにしよう。といってもそれはこれまでの流れの要約のようなものであって、別にそれによって新しい議論を開始しようというのではないのだが、私が最低限言っておきたいのは、「イスラームはゲイに敵対的な宗教である」という命題は、完全にあやまりであると断定することはできないにしても、イスラーム社会の全体的な文脈から考えて、かなり不適切な要約もしくはミス・リードではないかということだ。
イスラーム社会が戒律に厳しい、なかでも性的なものには特に厳しく、性交の体位にまで細かい規定や罰則があることはすでに指摘した。それには国家レベルのものと民間レベルでのリンチ的な性格のものがある(そして問題は違っても、伊藤さん殺害のように特定団体によるものもある)が、実際にはそれらは表裏一体であり、イスラーム社会にとって戒律とはなにかという問題をきちんとおさえておかないとなかなかこたえが出てこず、外部からの対処法もみつからないのではないだろうか。
非常に残念なことではあるが、現状において、イスラーム社会における同性愛者の処刑は非人道的であるとくりかえしても、イスラーム社会のなかでどれだけの人がその主張を理解し、共感するであろうか。経済的に余裕のある先進国の人間が、自分たちだけにつごうのいいことを言っているとうけとめられるだけではないだろうか。さらには、肝腎の同性愛者に対する処刑の残酷さにしても、人間の命を大切にするということが社会のなかに浸透するまでは、やはり理解されがたいのではないだろうか。
ゆえにこれは、時間をかけてじっくり対処していかない限り解くことのできない問題ではないかと私は考える。

ところで、イスラームを離れて一般論として性的戒律について考えたとき、渋沢龍彦氏の『サド侯爵の生涯』のなかに、非常に示唆的な事例があったので以下に引用しておく。
これは、サド侯爵が1772年に起こした「マルセイユ事件」という事件の公的な訴訟記録から明らかになった同事件の概略のそのまた一部と、その裁判における当事者の証言についての渋沢氏の「推測」である。ここで私に興味があるのは、サド侯爵という人間がどのような人であり、実際にどのような性的放逸を行ったかというより、肛門性交(鶏姦)が、18世紀のヨーロッパ社会でどのように考えられていたのかという事実である。宗教と時代の違いはあるが、肛門性交が死刑ということは、ゲイが死刑になる確率が非常に高いということ、にもかかわらず、この刑法は、現代の(われわれの)目からみて残酷ではあるが、同性愛に対して特別差別的とか敵対的とかは考えられない。

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「サド侯爵は、青い裏地のついた灰色の燕尾服を着、橙色の絹のチョッキと、同じ色の半ズボンをはき、羽根飾りのついた帽子をかぶり、長剣を腰に吊り、金の丸い握りのついたステッキを手にして、下男のラトゥールとともに指定の場所にあらわれた。いかにも金持の道楽者らしい、大へんな伊達男ぶりである。裁判記録によると、侯爵は中肉中背、金髪で「丸々とした端麗な顔」であったという。ラトゥールは主人よりも背が高く、髪の毛が垂れさがり、顔にあばたのある男で、青と黄色の縞のあるマドロス風のジャケツを着ていたという。こちらはいかにも金持の主人の腰巾着をつとめる与太者めいた風体である。
 さて、四人の娘の待っている部屋に入ると、サドはまずポケットから一握りの金貨をつかみ出して、金貨の数を当てた者と最初に寝ようと言った。当てたのはマリアンヌであった。彼女と下男だけを残して、他の娘を部屋の外へ追い出すと、サドはドアに鍵をかけた。それから二人を寝台に寝かせ、一方の手で娘を鞭打ちながら、もう一方の手で下男を「刺戟」した。そのとき、サドはまるで自分が召使のように、ラトゥールを「侯爵さま」と呼び、逆に自分を「ラフルウル」(花という意味)と呼ばせた。
 次いでラトゥールを室外に出て行かせると、サドは金の縁飾りのついた水晶のボンボン容れをとり出して、中に入っている茴香の味のするボンボンを娘に差し出し、これは放風(おなら)の出る薬だから、たくさん食べろと言った。(中略)食べ終わると、今度はサドは、娘に「後ろから」交わらせれば1ルイやると言ったが、彼女はこれも断った。
(もっとも、彼女は法廷でそのように証言しただけのことで、実際は、サドの気に入るような姿勢で身を任せたのかもしれない。法廷で証言した六人の娘たちのうちで、五人までがサドに「後ろから」交わることを要求され、五人ともこれを拒否したと答えているのである。金離れのよい客の機嫌を損ねてまで、商売女が潔癖に鶏姦を拒否するとは考えられない。しかし、嘘であれ真実であれ、彼女たちが裁判官を前にして「絶対に鶏姦を行わなかった」と証言したことには、それ相当の理由があった。この時代には、受動的能動的を問わず、すべて鶏姦を行うものは死をもって罰せられねばならなかったからである。当時の著名な刑法学者でパリ高等法院弁護士だったミュヤール・ド・ヴーグランの法律書にも、「この罪に陥った者は成年法第31条により、生きながら火刑に処されねばならぬ。わが国の法律解釈学によって採択されたこの刑罰は、男にも女にも同様に適用される」とある通りだ。したがってマルセイユの娼婦たちが火炙りになることを怖れて、法廷で嘘の証言をしたということは、十分考えられてよいのである。むろん、これは推測にすぎない。しかし確実と言ってよいほどの、大きな蓋然性のある推測ではあるまいか。)」

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さてここでもう一つ重要なのは、この「マルセイユ事件」の裁判では、肛門性交という事実があったかどうかという事実確認が難しく、当事者の証言によってそれがなかったことが認定されているということである。このことは、肛門性交に対する処罰ということでは非常に示唆的ではないだろうか。つまり、性交時に特定の行為があったかどうかはおそらく現代においても認定が難しく、実際問題として考えると、肛門性交に対する処罰は不可能と言わざるをえないのではないだろうか。またもしそれが不可能であるとすると、少なくとも「同性愛」を事実として認定するのも困難と言わざるを得ないのではないだろうか。
つまり、同性愛には、同性同士が眼差しをかわしたり、手紙やメールをかわすことも含まれるのか、身体の接触をもって同性愛と認定するのか、それとも、肛門性交などの特定の行為をもって同性愛行為と認定するのか、まずはその定義が非常に困難で曖昧である(その意味からすると、「肛門性交=同性愛」というのは、それが正しいかどうかは別にして、非常に明確な定義と言わざるを得ない)。また特定の行為を違法とする場合にも、たとえばフェラチオはどのように考えるべきなのか。またそのフェラチオも、口内射精をともなう場合とともなわない場合をわけて考えるべきなのか(これはすなわち、女性との性交の場合、口や舌で刺激してから膣内射精をすることは違法か適法かということである)。
しかしするとここでもう一度最初の設問が浮上してくるわけで、そうした行為が法が許す範囲内で行われたかどうかを裁判の場でどのように認定するのかは、技術的にかなり難しいといわざるをえないだろう(ゆえに、タリバンが行った同性愛者の認定・処刑は第三者証言重視の非常に粗雑なものだったという<このあたりは、石井光太氏の『神の棄てた裸体ーーイスラームの夜を歩く』(新潮社)にも指摘あり>)。
ここまで考えてくると、同性愛の処罰は、実際には公平な執行がほとんど不可能であり、その処罰はきわめて恣意性の高いものとならざるを得ないということが明らかになってくるとおもう。ゆえにわれわれは、イスラーム社会における同性愛者の処罰に反対するとすれば、道徳的な観点、もしくは人道的な観点よりも、こうした実務的な困難を取り上げて、その公正な執行が不可能であること、ゆえにその執行は停止すべきであると訴えることが可能になるのではないだろうか。これとても、現状でどれだけの説得力をもつかははなはだ心もとないが、一つの論点として指摘しておく。

いずれにしても、イスラーム社会との対話もしくは協力は、相手が真剣にこちらの立場や主張を理解しようとする雰囲気をつくって、はじめて成立するのではないだろうか。はじめから喧嘩腰の態度の主張は、どのように正当なものであったとしても、イスラーム社会に受け入れられる可能性は少なく、それこそ主張する側の自己満足の終わってしまうのではないかと私はおそれる。