モスクワに向かう飛行機のなかの私の席は、3人掛けの席の真ん中。当然、搭乗員からのサービスを受けるときや、小用のときに、通路側の人をわずらわせることになる。
ところで、機内で私が広げていたのは、波蘭(ポーランド)の歴史地図なのだが、隣の波蘭人ビジネスマンが広げていたのは、ムラカミハルキの小説。波蘭に関心をもつ日本人と日本に関心をもつ波蘭人ということで、自然とわれわれは会話することになった。彼は仕事でモスクワに向かうとのことだったが、珍しいだろうといって、キーボードがキリル文字になっているロシア語用のPCを見せてくれた。モスクワまでの所用時間は、2時間なので、あっという間に「懐かし」いモスクワのシェレメチェヴォ空港に着く。ビジネスマン氏に別れを告げ、ターミナルに移ったが、ここで運良く日本に観光旅行に行くという波蘭人の一行を見つけ、今度は彼らについてターミナルを移動することにした。
往路と違って、今回のボディチェックは1回しかなかったが、それでも極めて厳重である。なかでもアラブ人風の人たちは、かなり入念に全身をチェックされていた。
すべての煩瑣事から解放されて東京行きのターミナルに移動したのがモスクワ時間で午後3時半ほど。東京行きの出発時間は午後7時40分なので、それまで約4時間をこのターミナルで過ごさなくてはならない。
搭乗ゲートを確認したわれわれは、ワルシャワ市内で失敗しているというのに、また、ロシア人の若者たちが手招きしているオープン形式のブラスリーに入ることにした。この店は、店内の雰囲気も若者たちの制服も、アメリカを意識している。現代のロシアの若者には、アメリカ風ということになんの抵抗もないのだろう。
さてテーブルに置いてあるメニューを見ても、ロシア語ばかりでちんぷんかんぷんだし、若者たちが他のメニューをもってくる気配はすこしもないので、カウンターまでメニューを取りに行く。メニューを要求すると、今までの笑顔とはうってかわってものすごくいやそうなそぶり。私がメニューをテーブルまでもっていこうとすると、「ここでオーダーしろ」とかなり高圧的だ。それを強硬に振り切って、テーブルまでメニューをもってきたのだが(そうしないと友人は選べない)、店内は客がいなくて超ひまそうだというのに注文をとりにくる様子はまったくない。
やむをえず、メニューをもってまたカウンターに行き、「メニューに載っている○○が欲しい」というと、あっさりと「ない」という返事。「では、この△△は」ときくと、やはり「ない」という返事。それではいったい何があるのかときくと、悪びれることもなく、「オンリー・ビア」という。要するに、ビールであればグラスに注ぐだけで簡単なので出せるが、それ以外の手間のかかるものは面倒なのでつくりたくないということなのだ。やむをえずビールを注文。今度はしかたなくテーブルまでもってきてくれたが、これでも、彼らからすれば大サービスということなのだろう。われわれにビールを運んできたあとは、客がいなくてがらんとした店内の席にすわりこんで、店員同士の会話に夢中。たまにまたアホな観光客が通りかかると、笑顔で愛想をふりまいて、客引きをしている。
われわれはまったくあきれてしまったが、それでもいいことがないわけではない。
要するに、この店は何時間いようと、グラスが空になろうと、追加注文を要求されることも追い出されることもないことがわかったので、ここを空港内の仮の根城にすることにして、友人とかわるばんこにターミナル内を見て歩くことにした。疲れたらこの店に戻ってきて交代すればいいわけだ。
こうしてターミナル内を探検しているうちに、少し気の利いた土産物店を見つけたので、われわれは交代で日本へのお土産を買うことにした。
私が選んだのは、ベルーガのウォッカ、ロマノフ王朝の紋章入りのショット・グラス、CCCP(ソ連)のロゴ入りのTシャツなど。一方、ポーランドであまり買い物をしていない友人は、そのうさばらしと、キャビア、ウォッカなどを大量に買いあさっている。ウォッカはともかく、たしかにキャビアは小瓶が6,000円程度ととても安い。
買い物の合間には、暇そうな店員をつかまえて写真をとってもらったり、店員と一緒に写真をうつしたりした。
こうしてだらだらと時間を過ごすうちに、さすがにのどがかわいてきたので、ビールを追加注文。支払う時になって、買い物のしすぎでもう小銭がほとんどないことに気づいたが、高額紙幣はあるが小銭はないと告げると、最初ちょっといやそうな顔をしたものの、すぐに笑顔に戻り、「あなたたちはさっき写真をとるときに私にチップをくれたので、その小銭を置いていってくれれば、それでいい」と、わけのわからない対応。
要するに、自分が損をしなければ、店の損得はどうでもいいということだ。
ロシアという国のモラルは、ここまで崩壊してしまったのかと、われわれはまたもや驚かされた。
あきれているうちに、ようやく搭乗時間間近のアナウンス。荷物はまた重くなってしまったが、それを大事に抱えてアエロフロート機に乗り込んだ。
☆ ☆ ☆
アエロフロート機の成田到着は、日本時間で翌5日の午前10時。時間感覚がマヒして、機内ではあまり眠れなかったが、ともかく無事に到着した。
成田空港では、友人がワルシャワで大量に買い込んだ肉類などが検疫等に引っかからないか心配だったが、荷物検査もなく、また入国審査も2、3の質問で簡単に済み、同日の昼頃に帰宅した。
☆ ☆ ☆
帰宅してから今回の波蘭旅行と展示会を振り返ると、出発するまでは現地の対応も展示の内容も不安だらけで、ともかく展示会が開けさえすればよいという感じだったのだが、現地スタッフがとても親切に対応してくれ、またマスコミ対応などの宣伝等も行き届き、とてもいい展示会になったと思う。
また、観光という意味でも、クラクフもブロツワフも予想以上にすばらしい町で、これまた現地スタッフのおかげてガイドにもめぐまれた。アウシュヴィッツを見たことも、私のなかで一生忘れられない記憶として残るだろう。
今は、いい旅行をした、波蘭に行けてほんとうによかったという思いでいっぱいである。
ところで、機内で私が広げていたのは、波蘭(ポーランド)の歴史地図なのだが、隣の波蘭人ビジネスマンが広げていたのは、ムラカミハルキの小説。波蘭に関心をもつ日本人と日本に関心をもつ波蘭人ということで、自然とわれわれは会話することになった。彼は仕事でモスクワに向かうとのことだったが、珍しいだろうといって、キーボードがキリル文字になっているロシア語用のPCを見せてくれた。モスクワまでの所用時間は、2時間なので、あっという間に「懐かし」いモスクワのシェレメチェヴォ空港に着く。ビジネスマン氏に別れを告げ、ターミナルに移ったが、ここで運良く日本に観光旅行に行くという波蘭人の一行を見つけ、今度は彼らについてターミナルを移動することにした。
往路と違って、今回のボディチェックは1回しかなかったが、それでも極めて厳重である。なかでもアラブ人風の人たちは、かなり入念に全身をチェックされていた。
すべての煩瑣事から解放されて東京行きのターミナルに移動したのがモスクワ時間で午後3時半ほど。東京行きの出発時間は午後7時40分なので、それまで約4時間をこのターミナルで過ごさなくてはならない。
搭乗ゲートを確認したわれわれは、ワルシャワ市内で失敗しているというのに、また、ロシア人の若者たちが手招きしているオープン形式のブラスリーに入ることにした。この店は、店内の雰囲気も若者たちの制服も、アメリカを意識している。現代のロシアの若者には、アメリカ風ということになんの抵抗もないのだろう。
さてテーブルに置いてあるメニューを見ても、ロシア語ばかりでちんぷんかんぷんだし、若者たちが他のメニューをもってくる気配はすこしもないので、カウンターまでメニューを取りに行く。メニューを要求すると、今までの笑顔とはうってかわってものすごくいやそうなそぶり。私がメニューをテーブルまでもっていこうとすると、「ここでオーダーしろ」とかなり高圧的だ。それを強硬に振り切って、テーブルまでメニューをもってきたのだが(そうしないと友人は選べない)、店内は客がいなくて超ひまそうだというのに注文をとりにくる様子はまったくない。
やむをえず、メニューをもってまたカウンターに行き、「メニューに載っている○○が欲しい」というと、あっさりと「ない」という返事。「では、この△△は」ときくと、やはり「ない」という返事。それではいったい何があるのかときくと、悪びれることもなく、「オンリー・ビア」という。要するに、ビールであればグラスに注ぐだけで簡単なので出せるが、それ以外の手間のかかるものは面倒なのでつくりたくないということなのだ。やむをえずビールを注文。今度はしかたなくテーブルまでもってきてくれたが、これでも、彼らからすれば大サービスということなのだろう。われわれにビールを運んできたあとは、客がいなくてがらんとした店内の席にすわりこんで、店員同士の会話に夢中。たまにまたアホな観光客が通りかかると、笑顔で愛想をふりまいて、客引きをしている。
われわれはまったくあきれてしまったが、それでもいいことがないわけではない。
要するに、この店は何時間いようと、グラスが空になろうと、追加注文を要求されることも追い出されることもないことがわかったので、ここを空港内の仮の根城にすることにして、友人とかわるばんこにターミナル内を見て歩くことにした。疲れたらこの店に戻ってきて交代すればいいわけだ。
こうしてターミナル内を探検しているうちに、少し気の利いた土産物店を見つけたので、われわれは交代で日本へのお土産を買うことにした。
私が選んだのは、ベルーガのウォッカ、ロマノフ王朝の紋章入りのショット・グラス、CCCP(ソ連)のロゴ入りのTシャツなど。一方、ポーランドであまり買い物をしていない友人は、そのうさばらしと、キャビア、ウォッカなどを大量に買いあさっている。ウォッカはともかく、たしかにキャビアは小瓶が6,000円程度ととても安い。
買い物の合間には、暇そうな店員をつかまえて写真をとってもらったり、店員と一緒に写真をうつしたりした。
こうしてだらだらと時間を過ごすうちに、さすがにのどがかわいてきたので、ビールを追加注文。支払う時になって、買い物のしすぎでもう小銭がほとんどないことに気づいたが、高額紙幣はあるが小銭はないと告げると、最初ちょっといやそうな顔をしたものの、すぐに笑顔に戻り、「あなたたちはさっき写真をとるときに私にチップをくれたので、その小銭を置いていってくれれば、それでいい」と、わけのわからない対応。
要するに、自分が損をしなければ、店の損得はどうでもいいということだ。
ロシアという国のモラルは、ここまで崩壊してしまったのかと、われわれはまたもや驚かされた。
あきれているうちに、ようやく搭乗時間間近のアナウンス。荷物はまた重くなってしまったが、それを大事に抱えてアエロフロート機に乗り込んだ。
☆ ☆ ☆
アエロフロート機の成田到着は、日本時間で翌5日の午前10時。時間感覚がマヒして、機内ではあまり眠れなかったが、ともかく無事に到着した。
成田空港では、友人がワルシャワで大量に買い込んだ肉類などが検疫等に引っかからないか心配だったが、荷物検査もなく、また入国審査も2、3の質問で簡単に済み、同日の昼頃に帰宅した。
☆ ☆ ☆
帰宅してから今回の波蘭旅行と展示会を振り返ると、出発するまでは現地の対応も展示の内容も不安だらけで、ともかく展示会が開けさえすればよいという感じだったのだが、現地スタッフがとても親切に対応してくれ、またマスコミ対応などの宣伝等も行き届き、とてもいい展示会になったと思う。
また、観光という意味でも、クラクフもブロツワフも予想以上にすばらしい町で、これまた現地スタッフのおかげてガイドにもめぐまれた。アウシュヴィッツを見たことも、私のなかで一生忘れられない記憶として残るだろう。
今は、いい旅行をした、波蘭に行けてほんとうによかったという思いでいっぱいである。