闇に響くノクターン

いっしょにノクターンを聴いてみませんか。どこまで続くかわからない暗闇のなかで…。

銀座のゲイサロンで心をときめかす

2010-04-30 01:21:55 | わが酒と薔薇の日々
昨日は古い友人と、大手町の画廊で開かれている展覧会に行き、帰りに、友人がよく知っているという銀座のゲイ・サロンに行ってきた。
このサロン、私ははじめてだったのだが、二丁目の店とは違う独特の雰囲気だ。
客は、男も女もいるが、雰囲気からしてその大半はノンケ。要するにノンケの男女がゲイとはどういう人種かを見、それをネタに酒を飲むという観光バーだ。
ただおもしろいのは、店のママは女装なのだが、他の従業員(ゲイ)は大半がスーツ姿だということ。女装やニューハーフの妖しい色気が売り物の店ではなく、普通のスーツを着たボーイさんが接客をするホストクラブのような感じなのだが、ただしそのホストたちがすべてゲイだというのが、この店のミソだ(だから女性も安心して入れる)。
ということで、私のとなりにもハンサムなボーイさんがついてくれたのだが、なよっとした感じではなくて、しゃきっとした物腰のセクシーさに、心がときめいてしまった。店からすれば、ちびちび安酒を飲んでいるわれわれは、ゲイ同士の気安さはあっても利益の対象外なのだろうとおもうが、それでもとても親切にしてくれる。
銀座という場所がら、ぴったり張り付くような接客はなくて、酒をのみながら世間話をしただけだったのだが、一時間ほど、その雰囲気にすっかり酔いしれてしまった。

ポーランドからのうれしいメール

2010-04-27 00:22:41 | 雑記
今日はポーランドからとてもうれしいメールが届いた。
すでに何度か書いているように、先月、ポーランドのある文化団体から現地で友人の作品展を開きたいという依頼がきて、私が、友人とポーランドの間の連絡係をつとめているのだが、今日のメールは、この私をもポーランドに招待したいというものだ。
すぐに受諾する旨の返事を送ったが、せっかく行くからには、ポーランドで日本史か日本文学史の講演ができないか、ちょっとそんなことを考え始めている。

フレーム

2010-04-25 23:57:33 | 雑記
昨日と今日は、ポーランドからメールがなかったので、自分の翻訳がだいぶはかどった。合間には、あいかわらずフランス音楽を聴いている。
昨日の昼聴いたのは、トマの歌劇『ミニョン』。夕方になって、京都からイタリア人のお客さんが来るので、言葉が心配だからちょっと立ち会って欲しいと友達に呼ばれ、(通訳ではなくて)文字通り立ち会ってきた。彼女、京都のさる大学でイタリア語とイタリア文学を教えているという。片言でいろいろ話してみたら、今はパゾリーニのことを教えているというので、パゾリーニは私が非常に尊敬している映画監督だとうまく話が合った。
彼女と一時間ほど話してから寓居に戻り、今度はグノーの歌劇『ファウスト』を聴く。なんとなくの選曲だったのだが、考えてみるとこの歌劇も原作はゲーテで、『ミニョン』の世界とつながっていなくもない。
グノーの『ファウスト』は、幕があいて最初の言葉が「Rien(無)!]」というのが、ちょっと衝撃的だが、あとはかなりだらだらした感じの作品だ。
というか、ゲーテの『ファウスト』そのものが観念的でいわゆる劇的緊張からはかけ離れた作品なので、別にグノーの作曲の仕方が悪くてだらだらしているのではないとおもう。グノーとしては、こうしただらだらした作劇法こそが歌劇というジャンルに合っていると考えてこの題材を選んだのではないだろうか。だからというか、この作品は劇的緊張感ではなく、場面が次々に変わっていく楽しさを味わうべき、脱中心化された作品といえるのかもしれない。
うって変わって、今日はフランクの弦楽四重奏曲を聴いたり、サン=サーンスのピアノ協奏曲を聴いたりしながら翻訳を続け、夕方、気散じに新宿に行ってきた。
新宿では世界堂の額縁売り場をのぞいて写真のフレームを物色。デザイン的にも価格的にも手ごろなものが見つかったのでそれを購入、寓居に戻ってMくんの写真をそのフレームにいれた。この写真、突然のことで置き場が無く、今までは裸のままPCの横にぽんとおいていたのだが、これでようやくなんとかおさまったという感じだ。時間が経つというのは、良くも悪くもこういうことを言うのだろうか。
夕食時は、ちょっとだけ気分を変えて、先日友人からもらった古いシャンソンのCDを聴いた。

亡き人の夢

2010-04-23 01:26:27 | 雑記
今朝、多田智満子さんの夢をみた。
多田さんは1930年生まれの詩人・フランス文学翻訳者で、ユルスナールの『ハドリアヌス帝の回想』の翻訳などで知られる。
長いこと私の憧れの人で、2000年ごろに一度だけ、神戸のご自宅を訪問してお会いしたことがある。その直後に治療不可能な癌が見つかり、家族にそれを知らされて、自分の死を直視しながら2003年に亡くなった。
自分の余命が少ないと知ってから、多田さんは自分のそれまでの仕事や身辺をきちんと整理し、ハドリアヌス帝そのままに、最後まで冷静な意識を保って亡くなったという。
私の友人の一人は、その多田さんから、亡くなる直前に大量の本を譲り受けたのだが、死を覚悟しての譲渡に、どのようにお礼を言っていいのかわからないと戸惑っていたのを今も覚えている。
そんな記憶がどこかにこびりついていたのだろう。今朝の夢は、多田さんが、これは私の蔵書だけれどかならずあなたの翻訳の役に立つはずだからと、私が探していた本を贈ってくれるという話だった。
なぜかとてもリアルな夢で、今日はずっとそれを反芻していた。
ユルスナールと多田さんのことは、先月亡くなったMくんともけっこう話をしたことがあるので、そのこともどこかで夢に結びついていたのかもしれない。
Mくんの本棚にも、多田さんが訳した『ハドリアヌス帝の回想』がきちんとならべられていたが、今日は、その最後の部分、ハドリアヌス帝の死の直前の意識描写をちょっと引用しておこう。
「小さな魂、さまよえるいとおしき魂よ、汝が客なりしわが肉体の伴侶よ、汝はいま、青ざめ、硬く、露わなるあの場所、昔日の戯れをあきらめねばならぬあの場所へ降り行こうとする。いましばし、共にながめよう。この親しい岸辺を、もはや二度とふたたび見ることのない事物を…目をひらいたまま、死のなかに歩み入るよう努めよう…」

歌劇『ミニョン』のアリアに酔いしれる

2010-04-22 01:58:54 | 楽興の時
ポーランドとのメールのやりとりのあいだに、最近、近代のフランス音楽をよく聴いている。
それも、ビゼーとかドビュッシーとかならわりと当たり前の選曲なのだろうが、私は、トマ(1811-96)、フランク(1922-90)、サン=サーンス(1835-1921)といった、19世紀のなかばに活躍した、より平均的な作曲家の作品を集中的にかけている。これには、いちおう文学その他でフランス派を自認しているのに、フランス音楽をあまり聴いていないしよく知らないという反省も影響している。
さてこうして朝から晩までフランス音楽を聴いていたら、昨日は、アルバイトをしている最中にトマの歌劇『ミニョン』のなかのテノールのアリア(ロマンス)「Elle ne croyais pas dans sa candeur naïve(無邪気さのなかで、彼女は無垢の愛を信じていなかった)」の優雅なメロディーが頭のなかに響いてきた。
トマの『ミニョン』は、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイステルの修業時代』を原作にした歌劇。ヴェルディの『ドンカルロ』、ヴァーグナーの『マイスタージンガー』といった大作が作曲されたのとほぼ同じ1866年に初演された叙情的な作品で、当事の人気作。なかではミニョンのアリア「君よ知るや南の国」が比較的有名だが、終幕のヴィルヘルムのアリア「無垢の愛を信じていなかった」も美しい名曲だとおもう。
この曲を頭のなかで繰り返していたら、昨日はなんとなくよい気分になった(アルバイトもひまだったし…)。

飲み会のあとはまた飲み会

2010-04-18 15:36:20 | 雑記
一昨日は、せっかく外国で展覧会を行うのだから、これをなにか本にまとめられないかと、さる出版社に企画の売り込みに行ってきた。もちろん、その場で即答というようなかたちにはならなかったが、先方から二人の担当者がでてきて、こちらの話を一時間ほど熱心にきいてくれた。最初の接触としてはまずまずというべきだろう。

夕方からは、川崎の岡本太郎美術館で『前衛下着道 鴨居羊子とその時代』という企画展のオープニングがあったので、それを見にいってきた。鴨居羊子さん(1925年~91年)は、下着のデザインをとおして戦後の日本女性に意識革命をおこしたとされる人で、展覧会は、下着だけでなくさまざまなイメージを通して彼女が考えていたのはどのようなことだったのか、再構成できるような内容となっていた。
会場にはなじみの新聞記者なども取材に来ていて、その記者にポーランドでの友人の展覧会のことなども伝えられたので、一挙両得という感じだった。
ちなみに、私は一昨日はじめて岡本太郎美術館に行ったのだが、美術館は生田緑地の森の奥まったところにあり、また森のなかには高くそびえるメタセコイアが何本も移植されていて、ものすごい光景を構成していた。また行ってみたい魅力ある場所だ。

展覧会後は、美術館近辺に飲む場所がないということで、新宿へ行こうとみんな小田急線に乗り込んだのだが、車内でなんとなく行き先が変わり、K堂で途中下車することとなった。それからK堂の居酒屋でかなり飲んだり食べたりしたのだが、話はつきないし、居酒屋で飲み続けると高くつくということで、結局、寓居で呑みなおすことに…。日本酒とつまみを少し買いこんで、終電ギリギリまで雑談した。

かわって昨日は、小原くん、須藤くんと寓居で小宴の約束をしており、メンバーをかえてまた飲み会。ただし昨日は、最近万葉集などの古代和歌と朝廷文化についての本を出したばかりのIさんをゲストにお呼びするということをあらかじめ決めてあったので、四人でまた雑談。ただし連日の飲み会で懐具合がさびしいので、竹の子ご飯など、手づくりの料理中心の献立にしたところ、結果的にこれがけっこう好評だった。

展覧会のアウトラインが決まる

2010-04-14 23:51:18 | 雑記
Mくんの訃報をきく直前に動き出した友人のポーランドでの展覧会の話が、順調にすすんでいる。そのさなかに大統領や政府要人が飛行機事故で急死するという大事件が起こったので、私としても、事件を大変憂えている。

この展覧会は、もともと、去年友人を含むグループ展として企画されたものなのだが、作品をポーランドまで運ぶ経費が捻出できないということで企画が流れ、それで終わりかとおもっいていたら、今度は友人の個展として新たに企画を立て、開催したいのだという。
とはいえ経費が限られているのは事実なので、友人の了解を得たうえで、まず私の方から、作品そのものは無理に運ばなくてもいいから、イメージがきちんと伝わるよう、作品の写真を展示してもらえればそれでいいと提案した。これに対しポーランドからは、写真だけでは展覧会としてさびしいので、なんとか輸送費用を考えるから作品を数点貸し出して欲しいということが提案され、先方にそういう意向があるのであれば、こちらも作品の展示に協力するということで合意が成立した。
次に、友人の個展であり、かつ展示できる作品が限られているということから、友人がそうした作品をつくるにいたった経緯や、ポーランドのアーチストとの関係を示す資料を可能な限り集めて展示するという案を提案し、これも合意が成立した(渋○竜彦さん関係の資料の展示も計画している)。
こうしたやりとりのなかで、Rさんは日本を代表する写真家の一人であるHさんを知っているということがわかり、たまたまHさんは友人を被写体にした写真もかなり撮影しているので、その写真の展示しようということになり、Hさんから出展の内諾をもらった。
さらには、友人の作品を補う意味で、門下生たちの比較的小さくて輸送の手間がかからない作品も展示しようという合意もできた。
展覧会のオープニングでは、友人がポーランドに行き、市民や美術を学んでいる学生と対談することや、友人が影響を受けたアーチストにゆかりの場所を訪問することなども合意されている。
私の方はというと、こうした合意を受けて、国内の美術館に連絡をとり、それらの美術館が収蔵している友人の作品や資料を借りるのに必要な手続きを問い合わせている(日本の公的機関の必要書類は非常に細かいので、外国の団体が国内の美術館から収蔵品を借りるのは非常に難しい) 。

経済的にけしてゆとりがあるとはいえない状態のなかで、こうした展覧会を実施しようというポーランドには、非常に感謝している。

Mくんの人生について考える

2010-04-03 21:15:41 | わが酒と薔薇の日々
Mくんが亡くなってもうすぐ一ヶ月経つ。
二年も会わずにいたので、そのことで直接悲しいとかさびしいといった気持ちにはあまりならないのだが、それでもやはりなぜ死んだのだろうかということはいろいろ考えてしまう。
仕事をリストラされたことを苦にしてといってしまえばそれまでなのだが、原因はそれだけだったのだろうか、死の直前まで何を考えていたのだろうか、果たして彼はしあわせだったのだろうかと、次から次へいろいろなことを考える。
ただ、二年間も彼と会わずにいたことを私なりに弁解すれば、最後に会ってからもこちらからは電話でたびたび連絡をいれていたのだが、携帯に電話してもいつも留守電になっていて応答がまったくなく、コールバックもなかったので、会うことがまったくできなかったのだ。また、二年も会わずにいることは、われわれにとってはきわめて不自然なことなので、なにかおかしい、彼のなかでなにか異変がおこっているのではないかということはうすうす感じていたのだが、それでも連絡ができなかったのでそのままになっていたというのが実情だ。きけばMくんは、リストラされてからは誰からの電話にもほとんど出ることがなかったという。リストラされる前後から、いろいろなことでおもいつめていたのだろう。
Mくんの死をめぐっては、それとやはり、死後に何も残らないということについてもいろいろ考える。伝え聞くところによれば、財産を処分してお金があまったらユニセフに寄付して欲しいというのが彼の遺志だったというが、仕事一筋の生き方で、親族以外の会葬者が三人しかいないというのでは、あまりにもさびしい。これではいったい何のための人生だったのだろうか。今Mくんにきいてみたいのはそんなことだ。
ところでこの一ヶ月、身辺があまりにもあわただしく、『人間の精神について』(なんと皮肉なタイトルだろう)の翻訳もほったらかしにしていたのだが、このままではいけないと、昨日から翻訳を再開した。昨日も今日も、雑用があって忙しいことは忙しいのだが、それを理由にしているといつまでも作業を再開できないので、今度は他のことをすこしほおって、ともかく机に向かって訳をすすめることにしようと決心した。久しぶりの翻訳作業だが、訳の方は、昨日と今日でことのほかすすんだ。何かあっても、まずはこの完成に全力を投入しよう。こうして訳しておけば、いつか誰かが読んでくれるだろう。これが私の、当面の存在証明だ。
と、ここまで書くと、やはりMくんの人生について考えてしまう。最後の瞬間の彼の絶対的な意思を尊重しようとはおもっているのだが…。