闇に響くノクターン

いっしょにノクターンを聴いてみませんか。どこまで続くかわからない暗闇のなかで…。

この一年を振り返る

2008-12-31 11:54:44 | 雑記
いろいろと雑用に紛れて動きまわっているうちに、平成20年最後の1日となってしまった。私にとってことしはほんとうに激動の1年で、ある意味では、最終日の今日もそれに振り回されている。

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激動の内容は、このブログでもすでに何度か書いているように2度の転職だ。
実は私はここ数年さる写真現像所のアルバイトをして生活していたのだが(細々とではあるが、当時から私は自分でもう一つ別のアート関連の仕事もしているので、なにかと制約の多いフルタイムの正社員の仕事がなかなかできない)、フィルム写真が急激に減り、写真がディジタル化するという社会現象的な波には勝てず、昨年の夏、この現像所が倒産してしまった。ただ倒産後運良く、事業を肩代わりしてもいいという会社があらわれ、アルバイトを含めた旧従業員は、とりあえず新しい仕事を探すもよし、新しい会社に残るもよしという条件がだされ、去年の秋から、私はアルバイトを続けながらハローワークをたよりに正社員としてできる新しい仕事を探し始めたのだった。
それが急転したのが年明けで、事業を肩代わりした会社から、数カ月の試行の後、やはり事業を清算することにしたという新方針が打ち出され、それと同時に私も条件を選ばず仕事を探すことにしたのだった。
その甲斐あってというべきか、すぐに派遣の仕事がみつかり、2月から派遣社員としてPCをつかった仕事をはじめたのだが、管理職も同僚もほとんどが女性というこの職場の環境は、ある種の無言の締め付けが厳しくて私の性格とあわず、8月終わりに離職を申し出、10月末にこの会社を離職した。申し出から離職までやや時間があいたのは、こんな私でももう少しいて欲しいと引き留められたためだ。結果的には、それだったらもう少しこの職場で辛抱すればよかったのではないかとも言えそうだが、それはあくまで結果論だから、この職場にもう少し留まっていたらどうなったかは、今となってはわからない。それにだいいち、この仕事は「派遣」だったから、この時勢ではやはり雇用状況が非常に不安定なのは言うまでもない。
さてこの時点、特に8月末には、現在のような不況や就職難などすこしも予想できず、私は、1月同様今回も離職後ただちに新しい仕事が見つかるだろうとたかをくくっていたのだが、いざ10月末から休職活動をはじめると、1月時点(このときは実は数社から内定をもらった)と違ってほとんど仕事がない。
で、結局、高齢者歓迎とうたって人材募集していた某スーパーに応募して受かり、現在はそのパート店員として仕事をしているという次第。ただ現在の仕事は、その内容というより社則による労働時間制限が厳しく、前の派遣の仕事やその前の写真の仕事は週5~6日仕事ができてそれなりの収入があったのに対し、週3~4日しか仕事ができないので収入がほぼ半減し、生活がかなり厳しい。年明けには空いた日時にできる補助的なアルバイトをもう一つ探そうとおもっているが、こんな変則的な状態で今のアルバイトを長期的に続けていくことができるか、自分でも疑問におもっている。
ただ全体的な雇用状況そのものは悪くなる一方で、来年もそう簡単に改善するようにはおもわれないので、ともかくしばらくは、今のスーパーのアルバイトを続けながら様子をみるしかないともおもっている。
いずれにしても、私は週5日程度のフルタイムでできる社員もしくはパートを探しているのだが、若い人はともかく、50歳を過ぎた状況では、ゲイであうとなかろうと、希望どおりの求人はまずほとんどないのが実情だ。

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さて、「労働」と「収入」について悲観的なことをいろいろ書いたが、自分がほんらいやるべきことについては、迷いはほとんどない。これは比較的時間の余裕があった前の派遣の仕事とこのブログをとおしたコミュニケーションの賜物で、いつも書いているように3月ぐらいからフランスで18世紀に刊行された『人間の精神について』(仮題)の翻訳をはじめ、まずはこれを完成させることにした。『人間の精神について』の翻訳が終わったら、また別の翻訳や歴史の研究をやっていこうとおもっている。
生意気なようだが、これは、読者数や経済性とは別の次元の話で、『人間の精神について』に関して言えば、すぐに誰かの役に立つとか評価されるということはなくても、とりあえず翻訳しておけば、たとえばその多元的発想は、いつかは何か、誰か(ゲイ、ノンケを問わず)の役に立つのではないかとおもっている。またその出版についても、現在のような状況では、売れるみとおしのない本の出版は非常に難しいが、それならそれで、最終的にはネットをつかって公開といった手段もあり、あまり悲観はしていない。
これに関しては、ともかく1日数行でもいいから、毎日翻訳を続けるのみだ。
とりあえず、昨日訳した箇所にちょっとおもしろいことが書いてあったので、出版当時の英訳によってそれを紹介しておこう。

「Men are so unhappy, that one pleasure more is well worth the pains of an attempt to separate from this, whatever may be dangerous with respect to society; and, perhaps, it might be easy to succeed, were we with this view to examine the laws of those countries where these pleasures are permitted.」

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順番が最後になってしまったが、プライベート・ライフに関しては、年末からさる若者と恋愛進行中で、互いのいろいろな制約から逢える機会は少ないが、空いた時間に彼のことを考えるのが、私のいろいろな励みになっている。
今この記事を読んでいる君、こんなどうしようもない男を選んでくれてありがとう。僕はほんとうにうれしくおもっている。

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さて、いろいろととりとめもないことを書いているうちに、スーパーへの出勤時間が迫ってきた。これから9時過ぎまで、今年最後の「労働」に行ってくるとしよう。

それではみなさん、良いお年を!

忙中閑あり。

2008-12-28 23:15:58 | 雑記
忙中在閑。

昨日と今日は、アルバイトの連休を利用して図書館に『人間の精神について』のなかの不明な点を調べに行き、空いた時間に年賀状を書き、洗濯をした(それでもまだ半端な時間ができたので、久しぶりにカレーをつくった)。
去年の4月までは都立中央図書館の近くに住んでいたので、調べものは非常に便利だったのだが、現在の住まいは都立図書館から遠いので、手頃な区立図書館を利用するしかない(それに都立図書館は改装のため利用が大幅に制限されている)。しかしこれがまた、マンションから非常に遠く、歩くと小1時間かかる。幸い、区が運営している循環バスがマンションの近くを通っているので、昨日ははじめてこれを利用して区立図書館に行った。ただしこのバス、往きは非常に便利なのだが、循環バスのため帰りのコースが非常に遠回りとなり、歩くのよりも時間がかかった。次回もこのバスを利用するか、ちょっと考えものだ(ただし料金は一回100円で非常に安い)。
ところで、区立図書館の蔵書は、都立中央図書館とは比較にならないほど貧困なのだが(以前私は世田谷区の中央図書館もけっこう利用していたが、ここの蔵書はそれなりに充実していた)、それにしても私が調べたいこと(たとえば、オランダに占領されていた17世紀当時の台湾の風俗や同じ時代のアフリカの地誌と風俗など)にはほとんど参考にならない。これなら部屋でウィキペディアを検索していた方がよっぽどましだったと、あらためてインターネットの便利さを実感した。
ちなみに『人間の精神について』の訳稿は、ほぼ400枚に達した。10月の末に前の仕事を辞めてから訳もかなりはかどったとはいえ、3月ぐらいにはじめた翻訳なので、けっこう速いテンポですすんでいるのではないかとおもう。ただしここへ来て作品全体では1,000枚を超えることがはっきりし、来年中に完了するかどうかは微妙な感じだ。それにだいいち、この作品は古いものなので、言葉の問題(18世紀フランス語の用語や文法は現在とほとんどかわらないが、一つひとつの文章が非常に長く、構文が複雑だ)以上に、内容をきちんと把握して、自分でそれに合った註をつけるのが難しい(ということで、昨日は註の材料探しのために図書館に行ってきたというわけ)。
さて年賀状はというと、おととしまでは木版の版木をつかって自分で手刷りでつくっていたのだが、これだとかなりの労力が必要なうえ時間がかかるので、昨年からPCで自分でつくることに切り替えた。とはいえ私は画像操作が得意ではないので、私の賀状は文字ばかりの全然愛嬌のないタイプだ。とはいえ、PC年賀状に換えたので、賀状を出すタイミングは非常に早くなり、例年だと年が明けてからようやく宛名を書いて投函していたのが、ことしは、ほとんどを今日書き終えた。ほとんどというのは、用意していた150枚の葉書をすべて使い切ってしまったため、残りの何枚かは明日に持ち越したからだ。
これで年末年始の予定はだいぶ片付き(食事はカレーで簡単にかつ安く済ますことができる)、例年であればあとはカレシモドキの上京を待つのみというところなのだが、今年は上京の予定なしという。なんだか拍子抜けのようだが、来たからといってどうという特別のことがあるわけではなし、また今年はちょうど年末年始もアルバイトのシフトが入っているので、つごうがいいといえばつごうがいい。
ところでこのアルバイトのシフトだが、「年末年始も特に予定はないので、適当に決めておいてもいいですよ」と言ったところ、31日、元旦、2日と連続してシフトを入れられてしまった。たしかにそちらにおまかせとは言ったのだが、このスケジュールだと、なんだか人間性を否定されているようで、あまり気分のよいものではない。これだと「紅白歌合戦」も観れないし、恒例の鎌倉への年始訪問も不可能だ。ちなみに、私はふだんテレビをほとんど観ないので、「紅白歌合戦」も本質的にはどうでもいいのだが、テレビの歌番組を観るのは一年でこれ一回だけなので、今年はどんな歌手が話題になったのか(特に若い男性歌手)、それなりに楽しみにはしているのだ。

さて、明日はまたアルバイトだ。

主人公ロージーの性格描写を追うーー『ライアンの娘』を観る③

2008-12-21 11:46:11 | 映画
『ライアンの娘』の主人公ロージー(サラ・マイルズ)の性格およびその描写について、そしてそれをとおしてリーンの作品についてもう少し考えてみよう。

映画は、冒頭、彼女が父のライアンに競売で買ってもらった贅沢な日傘を高い崖から落としてしまうシーンからはじまる。すべて無言で行われるこのシーンがどのような意味をもつかは解釈が難しいところだが、風と波にもてあそばれる贅沢な傘にリーンとボルトがなんらかの象徴性をもたせたということは十分に考えられる(ちなみに作品のポスターにもなったこの重要なシーンは、私が最初に観た「短縮版」では、意味がないとしてバッサリとカットされていた。これではリーンが怒るのは当然であり、このこともあって、当時私は、この作品への評価を保留したのだった)。
ストーリーはこの後、ロージーが、ダブリンへ研修旅行に出かけていた村の小学校教師チャールズ・ショーンシー(ロバート・ミッチャムーーアメリカ映画のアクション・スターであったミッチャムの起用はこの作品のなかでは最も意外な配役だが、リーンの期待にこたえて抑えたいい演技をしている)を出迎えるシーンに移り(実はそのためにロージーはおめかしをしていたのだ)、ロージーからショーンシーへの恋の打ち明け、結婚へとすすんでいく。
このあたりまで、前の記事に書いたようにロージーの性格を考える手がかりになるような描写はほとんどないのだが、作品全体からは、ロージーは村で唯一の居酒屋を営むライアン(レオ・マッカーン)の一人娘で、ライアンの妻はすでに亡くなっており、その代わりに娘のロージーに対して金と愛情を注ぎ込み、甘やかして育てたということが示唆される(ライアンはロージーをいつも「プリンセス」と呼んでいる)。ライアンとしても適齢期になった美しい娘ロージーの結婚が気にならないわけではないが、ロージーが選んだショーンシーが気に入っているわけではない。それどころか、青二才のインテリとして、どちらかといえば敬遠している。
ロージーはロージーで、結婚とその後の性生活に対し強い好奇心をもってはいたのだが、本来的に年齢のかけ離れた男性が好き(要するにフケ専ということ!)というわけではなく、ただ村の荒くれた若者たちのなかに結婚相手(性的対象)と見なすことができる者はおらず、相対的に知的なショーンシーが自分の理想の男性ではないかと思いこんでしまったのだ。つまりロージーという女性には、最初から村のなかに居場所はなく、その逃避口として、同様に村からやや浮き上がった状態にあるショーンシーが選ばれたのだと言えなくもない。
にもかかわらず、彼女は、性交によって自分の心身が変化すること、いわば一気に舞い上がるようなセックスをショーンシーに期待するが、それは見事に裏切られる。

だいたい以上がロージーの基本的な性格だが、複雑な主人公が登場する派手な性格ドラマを見慣れた目からすると、これがやや画一的な性格描写であることは否めないだろう。要するに、脚本家ロバート・ボルトのなかにあった「ボヴァリー夫人」のイメージを、アイルランドの寒村に移しただけといえないこともない。 ただ、リーンとボルトの人間描写は、対象に深く踏み込むというタイプではなく本質的にこうしたパターン的なものであり、そうした意味においては、二人が組んだ前作『ドクトル・ジバゴ』のヒロインであるラーラも、男性の目からみるとある魅力をもってはいるが、全体的にはさらに無性格な女性として描かれている。極端に言ってしまえば、ラーラは、偶像的な永遠の恋人を形象化しただけの女性であり、実体がない分だけ魅力的なのだ(要するに典型的な「萌えキャラ」)。
そうした観点からすれば、ロージーという女性は、リーン/ボルトのコンビが生み出した女性としては、性格が細かく描かれている方だといえるが、そのロージーの性格描写がこの程度であるということは、描写の失敗というより、『ライアンの娘』についての最初の記事にも記したとおり、リーンは映画をとおして人間の性格を追求するということに、最初から関心をもっていないためだと考えられる。
したがってこのあたりが、この作品、あるいはリーン作品に対する評価の非常に難しいところとなるわけで、リーンの作品に華々しい人間ドラマや特定のテーマの深い追求(たとえば女性の自立)を期待するならば、その期待はつねにすでに裏切られることになる。またリーン作品の政治性についても、リーンは作品のなかで、政治が個人の生き方に干渉し場合によっては人生を左右することを強く指摘し、それに対して批判的な態度を示唆するが、自己の政治的信条を示すことはない(ロシア革命とからんだ『ドクトル・ジバゴ』の政治性という問題については、別の機会にふれてみたい)。
となると問題はまた振り出しに戻って、リーンはその作品において映像美と抒情性だけを追求しているのかということになってしまうのだが、映像美においても抒情性においても最高度のものを達成しているにもかかわらず、リーンの最終目標はおそらくそこにはない。映像美をも人間の表層的な感情をも突き抜けたその先に存在するある不確かなもの、これこそがリーンの表現目標であろうか。
したがってそうした目標をより明確に示すことを望むならば、リーンは映像美を放棄すればよかったということになるだろう。現にそうした方法論によって自己の目指すところをより簡潔に示している映像作家は多い。しかし矛盾するようだが、そうした目標に到達するためにプロセスを省略しないというところにもリーン作品の大きな特徴がある。ゆえにリーンを、なにを置いてもまず大自然の映像美を追求した映像作家と考えている人は多い。そしてそうした性急な判断が、次に、リーン作品はうまく出来上がっているが個性がないといった、あまりにも安易な批判を呼び込んでしまうのだろう。
しかしリーンの考える映画監督の作家性や個性がそうした単純なものでないことは、彼の作品を観れば明らかだ。

『ライアンの娘』は、そうしたリーンの高い目標に、限りなく肉薄している。

女性が自立して生きるとはーー『ライアンの娘』を観る②

2008-12-19 23:03:39 | 映画
一昨日の記事は、デイヴィッド・リーン監督の映画『ライアンの娘』について、映像美という観点からしか触れなかったが、この作品について語って女性の自立という問題にまったく触れないのは片手落ちだろう。とはいえ、監督したリーンが男性で、鑑賞者である私も男性ーーしかもゲイーーなので、視点がどうしても偏ってしまうのはご容赦いただきたい。

さて、『ライアンの娘』は、『アラビアのロレンス』『ドクトル・ジバゴ』でもリーンと組んだ脚本家ロバート・ボルトのオリジナル脚本なのだが、はじめボルトは、フランスの作家フローベールの小説『ボヴァリー夫人』の翻案としてこの作品を構想したという。しかしそれはリーンの容れるところとならず、単なる私小説風の不倫ドラマではなく、もっと政治がからむ物語にしたいとの希望で、第一次世界大戦中、イギリスからの独立運動が高まっているアイルランドを舞台に、原案は書き換えられたのだという。
こうして作品の舞台と時代背景は定まったが、ドラマの核となるのが、夫との性生活に不満な若い女性が不倫によって性に目覚める物語であるというボルトの基本構想に変化はなかったようだ。映画のなかでは、その不倫相手がアイルランドを弾圧しているイギリス軍の将校であることから緊張はさらに高まるが、逆にいえばリーンは、こうした状況設定によって性愛の歓びは政治的対立を超越していることを示そうとしたのだともいえる。
若い妻ロージー(サラ・マイルズ)の不倫を知ったうえで、元々彼女の学校の教師であった年上の夫ショーンシー(ロバート・ミッチャム)は、いつかはそうした関係も終わるだろうとじっと耐える。しかし、小さな村のなかでロージーの不倫が村人に知られないわけにはいかず、アイルランドとイギリスの敵対関係のなかで、ロージーは村中から二重に白眼視される。そうした人間関係の緊張と政治的ドラマの盛り上がりのなかで将校(クリストファー・ジョーンズーー線の細さが非常にいいーー)が心身的に危機に陥ったとき、彼を救うため、ロージーは村人と夫の目の前で将校に手をさしのべ、それによって二人の不倫関係は公然のものとなる。性愛による結びつきの強さは理性の制止など簡単に超えてしまうことを、リーンは非常に明確に描く。
しかしこうなると、もはや、ロージーとショーンシーが夫婦生活を続けることは不可能であり、またすべての人に蔑まれながらこれ以上村に留まることもできない。そんな最後の瞬間にロージーが村人のリンチにあい、ショーンシーは、イギリスへの憎しみが転化した理不尽なリンチからロージーを必死でかばう。それによってロージーとショーンシーは、はじめてなんの隠し立てもなく互いの本音を語り合うことができるようになる。
そしてこれに続くのが、前の記事にも記した二人の旅立ちである。
二人は単に別れるために旅立つのか。それとも旅立った先でもう一度徹底的に語り合い、結婚生活を続けることになるのか。このドラマの結論は誰にもわからない…。
中年男の希望的観測としては、ここで二人にもう一度新しい人生をやり直して欲しいという気持ちが強い。カップルのあいだに年齢差があるから、セックスがうまくいかなかったから愛もそれで終わりというのでは、あまりにも悲しいのではないだろうか。しかし同じドラマを女性が観たらどう感じるだろうか。夫とは別の男性によって性の歓びを徹底的に知ってしまった以上、それを感じさせてくれない夫と暮らすことなど絶対に不可能だと考える人も多いのではないだろうか。
この議論をさらに詰めていくためには、ロージーの過去や家庭環境などもっとさまざまなエピソードが必要だとおもうが、映画の中にその手がかりとなるようなものはほとんどない(映画のなかでは、彼女の母はすでに亡くなっており、父親<ライアン>によって甘やかされて育てられたことだけが描かれている)。ちなみに、『ライアンの娘』には、観客がいろいろな登場人物の性格を知る手がかりとなるような回想シーンがほとんどない(目立つのは戦場で傷ついた将校の回想と夫が二人の不倫の情景を空想するシーンだけ)。これは、そうしたタイプの性格描写は作品に不要であるとリーンが判断したためであろう。
さてこうしてまとめてみると、『ライアンの娘』に描かれているのは、人間の性愛の「業」にも似た強さであり、また結婚制度に対する不信ということになるだろうか(この不信はリーンの前作『ドクトル・ジバゴ』にも共通する。ジバゴとラーラの燃えるような愛は結婚生活からはみだした不倫の愛である)。そうした凄まじさを知ってしまったロージーが、はたしてもう一度安閑とした結婚生活のなかに戻ることができるのか。しかしながら、その凄まじさが異性によってもたらされるものである以上、もし自分のなかに渦巻く欲望に忠実に生きようとすれば、ロージーは、結局なんらかのかたちで男性を求めざるを得ないのではないか。とすれば結婚生活を維持していくのが無意味であるのと同様に、離婚すら無意味ではないのか。
するといったい、女性の自立とは果たしてなんなのか。

『ライアンの娘』は、すべてを淡々と表現しているようで、その根底では計りしれない深刻な問題と繋がった奥行きの深い作品だと、あらためて感じ入った。

心のドラマへの壮大な序曲ーー『ライアンの娘』を観る①

2008-12-17 22:28:11 | 映画
今日は体調が悪く、アルバイトもちょうど休みだったので、部屋で横になって、じっくりデイヴィッド・リーンの映画『ライアンの娘』(1970年作品)を観た。
体調が悪いとさすがに、難しい論理を振りかざして観る側に対決を迫るような映画は疲れるし、また『ライアンの娘』は、舞台となるアイルランドの風景が非常に美しいので、その壮大な風景でもぼんやり観ていたいという、どちらかというと消極的な理由がこの作品を選ばせたといえようか(あえてそれにつけ加えると、『ライアンの娘』は上演時間3時間半強の非常に長い作品なので、こうした機会でもないとじっくり観ることができないのだ)。
ということで、作品を選んだ理由は非常に消極的だったが、作品そのものには非常に感動した。

ちなみにこの作品が日本で公開された1971年当時は、あまりにも長いという興業上の理由から、監督のリーンに無許可で作品がカットされ、私もその短縮版で観たため、作品そのものを評価しづらいところがあった。
またこの作品に限らず、リーンの作品では風景の映像が非常に重要な役割を占めるが(例:『アラビアのロレンス』の砂漠、『ドクトル・ジバゴ』のロシアの大地)、この作品が公開された当時高校生だった私は、生意気にも「映画は映像美に過度に依存すべきではない」と考えていたため、『ライアンの娘』のすばらしさの本質を見逃していたとおもう。今観ると、『ライアンの娘』はなによりも映像が非常に雄弁なのだ。これは一つには、前作『ドクトル・ジバゴ』で政治的な理由からロシアでロケができず、スペインでロケをして冬のモスクワのシーンを撮ったリーンが、「ほんもの」の自然にこだわったのではないかとおもう(砂漠などでの撮影と異なり、アイルランドでのロケは簡単そうだが、天候がすぐに変わるため、晴天待ちや逆に荒天待ちで、撮影は非常に難航したようだ)。
ところで、この映画が制作・公開された当時、アメリカ映画は大きな転換期を迎えていたため、表現方法があまりにも正攻法に過ぎる『ライアンの娘』は、アメリカの評論家に非常に評判が悪く、それがこのあとリーンが映画を10年以上撮らなくなる大きな原因となったようだ。
ただ日本ではこの作品は非常に評価が高く、たまたま同じ年にヴィスコンティの『ベニスに死す』が公開されたため、さまざまなベスト10で第2位に甘んじたが、公開条件が異なれば年間ベスト1に選出されてもおかしくはない作品だったといえるだろう。少なくとも前作の『ドクトル・ジバゴ』よりは非常に高く評価されている(同作品は1966年のキネマ旬報ベスト10で第9位)。登場人物にいろいろなセリフを語らせ、人間同士の絡み合いをとおしてドラマを形成していくのではなく、壮大な自然のなかに人間を置き、自然と人間の交感のなかでドラマをつくっていくというリーンのスタイルは、意外に日本人にあっているのではないかとおもう。
ただリーンの場合、大半の作品で、自然と人間のあいだにもう一つ「政治(社会)」という要素が介在し、自然と人間のストレートな交感を阻むのだが、考え方によっては、そうしていったん政治によって阻まれることによって人間は強くなるともいえる。
『ライアンの娘』も、アイルランド独立運動とのからみのなかで、最後は非常に複雑な終わり方をする。そしてその場面で、故郷の村を旅立つ夫婦にカトリック教会の神父が「これからの二人がどのような生活を送るか自分には謎だし、その謎を二人へのはなむけにしたい」といったセリフを言うのだが、このセリフを私は額面どおりにうけとりたい。『ライアンの娘』は、人間同士の心のドラマのための壮大な序曲なのだ。映画のなかでおこるできごともその叙述方法も非常に単純だが、それゆえこの作品そのものを単純な作品と判断することはできない。

構造的にとくに難しい作品ではないので、作品そのものについてはこれ以上なにも記さないが、ただ、私が今日この作品から受けた感銘は、けして体調不良によって批判精神が鈍ってしまったせいだけではないと最後につけ加えておく。

スペイン古楽のCDを買い込む

2008-12-05 10:20:42 | 楽興の時
2日はスーパーの仕事が休みなのを利用して銀座の画廊に出かけ、韓国の写真家Kさんの作品展をみた。その大半は韓国の自然をモチーフとした幻想的な作品。展覧会にはKさん自身も来日して日本の観客の反応を直接つかまえようとしており、はじめ通訳の人を介して話していたが、Kさんが直接話しをしようというので、拙い英語で少し感想を述べさせていただいた。
ちなみにKさんの作品の一部は、↓の韓国のサイトで直接観ることができる。
www.treee.com

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さて画廊を出て山野楽器に立ち寄ると、輸入CD、1枚500円からというセールをしており、珍しいCDを大量に販売していたので、なけなしの金をはたいてそのなかから8枚のCDを購入した。その大半が私の知らない作曲家、知らない演奏家のもので、この機会を逃すともう二度と出会うことはなく、したがって耳にすることもないだろうとおもわれたので、4,500円の出費も安いような気がした。バーゲンのワゴンのなかから適当に選んだCDなので、こちらからの選択の意図はあまりはたらいていないのだが、結果的にはスペインの小さなレーベルが独自に企画した古楽が多くなった。今は毎日、それをとっかえひっかえ聴いている(この記事を書いている今聴いているのは③)。ここでその素朴な響きをお聴かせできないのが残念だが、どんなCDを購入したのか、以下、曲目と演奏者だけ簡単に紹介しておこくとにしよう。

① マルティン・コダス『カンティガス・デ・アミーゴ』
 13世紀から14世紀に大西洋に突き出たスペインの北西部ガリシア地方で活躍した吟遊詩人コダス(コダックス)のガリシア語(スペイン語よりもすぐ南のポルトガル語に近い)による恋愛歌曲集。演奏はガリシア地方で結成された古楽演奏団体スプラムジカ。(Verso)
② ミゲル・デ・フエンリャーナ『オルフェウスのリラ』
 1500年頃~1579年のスペインの作曲家フエンリャーナによるヴィウエラというギターに似た独特の弦楽器のための変奏曲を、ホセ・ミゲル・モレノのヴィウエラと指揮で演奏。(Glossa)
③ ヴィクトリア、モテットとミサ曲
 今回購入したCDのなかでは、最も有名なスペインの作曲家ヴィクトリア(1548年~1611年)の宗教音楽集。「Laetatus sum (主の家に行こうと人々が言ったときわたしはうれしかった)」というモテットとミサ曲が中心。演奏はオックスフォード大学出身のハリー・クリストファーズと彼が率いる16人のメンバーの合唱団ザ・シクスティーン。演奏者に知名度がないため、バーゲンに回されたのであろう。ア・カペラでなかなかいい演奏。「Veni creator spiritus」という讃歌も入っている。もちろん、同じ歌詞によるマーラーの交響曲とはまったく違う世界。(Collins)
④ 16世紀と17世紀の女性作曲家による歌曲集
 フランチェスカ・カッチーニ(1587年~1640年)、その妹セッティミア・カーチーニ(1591年~1638年)、バルバラ・ストロッツィ(1619年~1664年)などイタリアの女性作曲家による歌曲集。ブラッチャーノ公妃イザベッラ・デ・メディチ(1542年~1576年)の作品など、ほんとうに珍しい曲も収録。演奏はアンサンブル・ラウス・コンチェントゥス。(La Bottega Discantica)
⑤ サンマルティーニ、オルガン協奏曲集
 ジュゼッペ・サンマルティーニ(1695年~1750年)はフランスのオーボエ奏者アレクシス・サン=マルタンの長男で、弟のジョヴァンニ・サンマルティーニもグルックに影響を与えた有名な作曲家。ジュゼッペはミラノに生まれ、ミラノ公国の公立歌劇場オーボエ奏者としてキャリアをつんだ後、ロンドンにわたり、ヘンデルの指揮するキングズ・シアターの主席オーボエ奏者となりヘンデルの影響を受ける。CDに収録されている協奏曲はサンマルティーニ晩年の曲で、チェンバロ用として出版されているが、響きがむしろオルガンにあっているということで、CDでは室内オルガンで演奏されている。オルガンはエンリコ・ツァノヴェッロで1963年生まれ。彼が伴奏のアルキチェンバロ・アンサンブルも主催。(La Bottega Discantica)
⑥ グラツィオーリ、ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ集
 世代的にハイドンとモーツァルトの間にあたるヴェネツィアで活躍したオルガニスト、作曲家ジョヴァン・グラツィオーリ(1746年~1820年)の作品集。さっそく聴いてみたが作品の響きは心なしかモーツァルト風。作曲者を伏せて曲だけ聞いて、誰の作品か当てられる人はまずいないだろう。ヴァイオリンはエンリコ・カザッツァで1965年生まれ。チェンバロとオルガンは前出のツァノヴェッロ。(La Bottega Discantica)
⑦ ルイ16世のためのモテット集。
 18世紀後半にフランスで活躍したグレトリー(1741年~1813年)、ゴセック(1734年~1829年)、ジルースト(1738年~1799年)のモテット集。指揮はマルゴワール。マルゴワールに多少知名度があるため、このCDのみ1枚1,000円。この3人の作曲家は、ルイ16世の時代にフランス宮廷で活躍していたというだけでなく、サド侯爵(1740年~1814年)と完全に同時代人なので、サド侯爵や『人間の精神について』の時代の音楽を聴いてみたいという関心から購入。(K617)
⑧ ホアキン・ディアス『アフィニテ』
 1947年に生まれたスペインのトラデイショナル・ギターの名手&古謡研究者ディアスとフランスの音楽団体ヨールのコラボレイトによるフォルクローレ的な歌曲集。(Chemin du Baroque )

わがスコセッシ、1ーー映画にとって結末とは?

2008-12-02 13:36:41 | 映画
前の記事で紀氏和之さんから頂いたコメントに返事を書いているうちに、アメリカの映画監督マーティン・スコセッシ(1942年生)の映画のことをすこし書きたくなってきた。スコセッシの作品は、このところ集中的にみているのだが、まずは『ハスラー2』(1986年)あたりからはじめよう。

この作品の企画は、ロバート・ロッセン監督の『ハスラー』(1961年)の演技によって名声を獲得したポール・ニューマンが、その25年後のファースト・エディーを主人公にしてあらたな映画をつくって欲しいとスコセッシに依頼したことからはじまったという(結果として、ポール・ニューマンは『ハスラー2』ではじめてアカデミー主演男優賞を獲得している)。
ポール・ニューマン扮する天才的ハスラー(賭けビリヤード師)ファースト・エディーは、映画『ハスラー』のなかで行われた大勝負を最後にビリヤードから足を洗っている。そんなエディーの目の前にある日姿を現した若者ヴィンセント(トム・クルーズ)の試合運びをみて、エディーは、彼をかつての自分のような一流のハスラーに育てようと決心する。映画の大半は、エディーの「教育」とヴィンセントの反発に終始するのだが、最後のアトランティック・シティでの大きなビリヤード大会の場面で大きな山場を迎える。エディーもヴィンセントもこの大会にエントリーしており、皮肉なことに、二人はベスト・エイトを決定する予選で直接対戦することになる。勝負はきわどいが、そのきわどいところで、ヴィンセントは普通の人の眼にはわからないようにして故意に球をはずし、エディーに勝を譲る。それを知ったエディーは準決勝を棄権し、大会とは関係なしに真剣で勝負しようとヴィンセントに提案する。そして勝負が始まり…。
というところで、この映画は終わっている。二人の勝負結果は永遠にわからない。

スコセッシは、『ハスラー2』の前に撮った『ニューヨーク・ニューヨーク』(1977年)でも同じような終わり方を採用している。
第二次大戦勝利のお祭り騒ぎのなかで出会ったサックス奏者ジミー(ロバート・デ・ニーロ)とジャズ歌手フランシーヌ(ライザ・ミネリ)は、ジミーの強引な求婚によって結婚するが、フランシーヌの妊娠をきっかけにめざす生き方の食い違いが表面化し、別れる。離婚後、フランシーヌはレコード、ステージそして映画で大スターとなる(このあたりのライザ・ミネリ扮するフランシーヌの活躍ぶりが作品の柱の一つとなる)。離婚して6年目、そんなフランシーヌの前にジミーがひょっこりと顔を出し、話したいことがあるのでステージが終わったら会ってくれないかと頼む。いったん待ち合わせ場所に行きかけたフランシーヌは、おもいなおして待ち合わせを無視する。いくら待ってもあらわれないフランシーヌに、無視されたことに気づいたジミーは、彼女に直接電話しようとするが、おもいなおしてやめる。
これが、この作品のエンディングである。ジミーがフランシーヌに頼み込もうとしていてたことはなになのか、映画が終わってから観客は自分で想像するしかない。

以上、スコセッシ映画2作品のストーリーをざっと書き出してみたが、両作品の構造的な類似は明らかだとおもう。そしてそれは、物語の行きがかり上、たまたまそうした結末になってしまったというより、これがスコセッシが好む物語の終わり方ということなのだろう。
『ニューヨーク・ニューヨーク』についてのインタビューのなかでスコセッシは語っている。
「荒編集を見たジョージ・ルーカスがこう言った。この映画をハッピーエンドにして、主人公の二人が一緒に歩いていくラストシーンにしたら、興収が1000万ドル増えるだろうと。彼の言葉は正しかった。でも私は、ハッピーエンドはこのストーリーにはそぐわないとそのとき答えた。ジョージが映画に爆発的な大当たりを求めているのはわかっていたが、自分の進む道はそれとはまた別物だった。」(『スコセッシ・オン・スコセッシーー私はキャメラの横で死ぬだろう』、宮本高晴訳、フィルムアート社、1992年)
自分の進むべき道をきちんとわきまえていて、それをはずさない。それがスコセッシのすごいところであろう。彼にとって大事なのは、おもしろい映画、大当たりする映画をつくることではまったくないのだ。

ところで、こうした明確な結末がないような状態で映画(物語)を終わらせたいという指向は、一見明確な結末をもつ彼の代表作『タクシー・ドライバー』(1976年、ロバート・デ・ニーロ主演)にも共通する。カンヌ映画祭で金賞を受賞するなど世界的に高く評価され、スコセッシの名声を確立したこの映画については、いろいろな角度から語りつくされた観もあるが、ここでその構造(物語)をもう一度点検してみよう。

ヴェトナム戦争からの帰還兵トラヴィスはニューヨークでタクシー・ドライバーの仕事をはじめる。仕事をしていてもトラヴィスの気持ちは落ち着かず、恋人を探したり、少女売春を目撃したり、無目的な生活を続ける。ついでながら記しておけば、この作品に対する讃辞の多くは、ニューヨークに住む若者の無目的で孤独な生活や街の光景を、あまりつくり込まずにほぼ等身大で描き出しているということにあったとおもう。さてそうしたなかであるときトラヴィスは、大統領候補者殺害に自分の人生の目的を見いだし、銃を入手し、射撃練習をし、身体を鍛え、目的実現に向けて着々とすすんでいく。しかしいざ決行というときになって、一瞬のところで警備員によって候補者殺害を阻止されたトラヴィスは、はけ口のない目標を少女売春組織に向け、派手な銃撃のあと、少女を救出する。
事件後、トラヴィスは家出をして売春をしていた少女を命がけで救出したということでマスコミに取り上げられ一転英雄となるが、それはたまたまそうなってしまったというだけのことで、映画をみているわれわれは、そうした結末やまたその結末から遡及したトラヴィスの日々の生活が、実は少女救出とはまったく無関係なことをよく知っている。ラストを変えれば、これは無目的殺人者の日常を描いた作品になったはずなのだ。
したがってこの作品は、『ハスラー2』や『ニューヨーク・ニューヨーク』と違って明確な結末をもっているが、両作品とは逆に、結末そのものが実はまったく無意味なものでしかありえないということを主張している映画なのである。

スコセッシがなぜこうした作品構造にこだわるのか、そのあたりをもうすこし続けて追ってみよう。