コンサートのあとは、もう一度会場を変えて懇親会。EさんもKさんも帰ったので、今度は自由に知り合いと話ができる。
今回の中京地区訪問の柱の一つは、実は私が大学に入学したときから同じ授業を受講していた先輩のIさんが中京地区の大学に勤務しており、彼と会い、そのうえで『人間の精神について』の翻訳に不可欠な資料を借りること。
学会の受付のときから、「本日Iさんはお見えですか」と関係者に訊いていたのだが、「午前中はいたが。離席したようで見あたらない」と、なかなか会えずにいた。それが、コンサートが終わるときに「やあ、闇太郎さん」と、先方から声をかけて頂いた。Iさんと会うのはなにぶん30年振りぐらいなので、最初一瞬とまどったが、声も話し方も30年前のIさんそのままだ。たちまちうちとけて、懇親会では、互いの近況や共通の師であるN先生のこと(Iさんによれば、ことしのはじめから、N先生はお加減が悪いらしい)などを話し合った。また、中京地区のいろいろな研究者を紹介してもらった。それでも、せっかくの機会にIさんとだけ話しているわけにはいかないので、途中からは、他の顔見知りの研究者と挨拶したり、はじめて会う人に自己紹介したり、時間を有効に使って、いろいろな研究者と親交を深めた。また当日の報告者とも少し話をして、報告のなかの不明点を確認することができた。
2時間強で懇親会がお開きになると、今度は二次会。残った半分ほどの研究者で、近くの居酒屋におしかけた。懇親会会場と違いこの居酒屋は着席制だったが、私のまわりはたまたま古都の大学の若手研究者たちだったので、古都の大学の人たちと親交を深めるいい機会となった。
さて二次会では、研究分野の垣根を越えて、みんなざっくばらんに近代思想について意見を交わし合った。
私がいつも考えている説は、17世紀の経験論が18世紀になるとフランスでは感覚論へと変貌していくが、感覚論をとなえた思想家たちが自分たちは経験論を深化させているのだという意識をもっていたにもかかわらず、感覚論は経験論を解体してしまったというもの。なぜならば、経験論は、経験する主体の自我の存在を前提とするが、感覚論はその自我を破壊してしまうから(経験は個人を深めていくが、感覚をとおしてはいってくるものは万人共通で「個人」を素通りしてしまう)。また、「個人」の解体と関連して、真理認識のあり方の一つとして、自我を超えた「無意識」といったものが想定されるようになり、この点でも確実性の根拠がゆらぐというもの。この日の二次会でもそうだったが、こういった話を違う分野の研究者、特にイギリス思想の研究者としていると、「それってヒュームの考え方に似てるね」という感想が帰ってくることが多い。そして実際、私が翻訳している『人間の精神について』の著者はヒュームと親交があった人なので、その辺の比較が、私の今後の課題だとおもっている。
こうしてざっくばらんに議論しているうちに夜も更け、話がいつ果てるか見当もつかなかったので、私は一足先に失礼させてもらった。
朝の予定では、ホテルに戻ってからまたゲイバーに行こうかともおもっていたのだが、かなり疲れたことと、せっかく高揚した気分に水をさしたくなかったので、入浴して、そのまま就寝した。
今回の中京地区訪問の柱の一つは、実は私が大学に入学したときから同じ授業を受講していた先輩のIさんが中京地区の大学に勤務しており、彼と会い、そのうえで『人間の精神について』の翻訳に不可欠な資料を借りること。
学会の受付のときから、「本日Iさんはお見えですか」と関係者に訊いていたのだが、「午前中はいたが。離席したようで見あたらない」と、なかなか会えずにいた。それが、コンサートが終わるときに「やあ、闇太郎さん」と、先方から声をかけて頂いた。Iさんと会うのはなにぶん30年振りぐらいなので、最初一瞬とまどったが、声も話し方も30年前のIさんそのままだ。たちまちうちとけて、懇親会では、互いの近況や共通の師であるN先生のこと(Iさんによれば、ことしのはじめから、N先生はお加減が悪いらしい)などを話し合った。また、中京地区のいろいろな研究者を紹介してもらった。それでも、せっかくの機会にIさんとだけ話しているわけにはいかないので、途中からは、他の顔見知りの研究者と挨拶したり、はじめて会う人に自己紹介したり、時間を有効に使って、いろいろな研究者と親交を深めた。また当日の報告者とも少し話をして、報告のなかの不明点を確認することができた。
2時間強で懇親会がお開きになると、今度は二次会。残った半分ほどの研究者で、近くの居酒屋におしかけた。懇親会会場と違いこの居酒屋は着席制だったが、私のまわりはたまたま古都の大学の若手研究者たちだったので、古都の大学の人たちと親交を深めるいい機会となった。
さて二次会では、研究分野の垣根を越えて、みんなざっくばらんに近代思想について意見を交わし合った。
私がいつも考えている説は、17世紀の経験論が18世紀になるとフランスでは感覚論へと変貌していくが、感覚論をとなえた思想家たちが自分たちは経験論を深化させているのだという意識をもっていたにもかかわらず、感覚論は経験論を解体してしまったというもの。なぜならば、経験論は、経験する主体の自我の存在を前提とするが、感覚論はその自我を破壊してしまうから(経験は個人を深めていくが、感覚をとおしてはいってくるものは万人共通で「個人」を素通りしてしまう)。また、「個人」の解体と関連して、真理認識のあり方の一つとして、自我を超えた「無意識」といったものが想定されるようになり、この点でも確実性の根拠がゆらぐというもの。この日の二次会でもそうだったが、こういった話を違う分野の研究者、特にイギリス思想の研究者としていると、「それってヒュームの考え方に似てるね」という感想が帰ってくることが多い。そして実際、私が翻訳している『人間の精神について』の著者はヒュームと親交があった人なので、その辺の比較が、私の今後の課題だとおもっている。
こうしてざっくばらんに議論しているうちに夜も更け、話がいつ果てるか見当もつかなかったので、私は一足先に失礼させてもらった。
朝の予定では、ホテルに戻ってからまたゲイバーに行こうかともおもっていたのだが、かなり疲れたことと、せっかく高揚した気分に水をさしたくなかったので、入浴して、そのまま就寝した。