今日はMくんの葬儀に行ってきた。
亡くなってから20日近くたち、祭壇にお骨を飾ってのさびしい葬儀だった。
彼とつきあっていたころ、家族の話をうすうすきいてはいたのだが、実際にお会いするのは今日がはじめてで、Mくんの面影とよく似た兄弟や家族を目の前にするのは、なにかとてもふしぎな感じがした。また家族としても、Mくんが亡くなったこととゲイであったことを同時に知って、非常に複雑な心境だったのだろう。今日は、互いに簡単な会釈をするだけで済ませて式場を後にした。それでも、式にはパートナーのKさん、私、先日の偲ぶ会でお会いしたゲイの友人の三人が参列し、親族といっしょに冥福を祈った。ただ、もともと社交的な性格でなかったことにくわえ、亡くなる1~2年前には、いろいろな人との交わりを自分から断ち切っていたし、そうした連絡先のリストをMくん自身が破棄してしまっているので、一般の友人・知人、学生時代の友達、仕事仲間などの参列がまったくなく、Mくんと個人的なつながりがあって式に参列したのがわれわれ三人だけであったのも、さびしい印象を強めた。
式のあと、三人で、Mくんが東京で過ごした最後の日に立ち寄って長い時間コーヒーを飲んでいたという店に行き、咲きはじめた桜の花を見ながらそれぞれの思い出を語り合って別れた。
亡くなってから20日近くたち、祭壇にお骨を飾ってのさびしい葬儀だった。
彼とつきあっていたころ、家族の話をうすうすきいてはいたのだが、実際にお会いするのは今日がはじめてで、Mくんの面影とよく似た兄弟や家族を目の前にするのは、なにかとてもふしぎな感じがした。また家族としても、Mくんが亡くなったこととゲイであったことを同時に知って、非常に複雑な心境だったのだろう。今日は、互いに簡単な会釈をするだけで済ませて式場を後にした。それでも、式にはパートナーのKさん、私、先日の偲ぶ会でお会いしたゲイの友人の三人が参列し、親族といっしょに冥福を祈った。ただ、もともと社交的な性格でなかったことにくわえ、亡くなる1~2年前には、いろいろな人との交わりを自分から断ち切っていたし、そうした連絡先のリストをMくん自身が破棄してしまっているので、一般の友人・知人、学生時代の友達、仕事仲間などの参列がまったくなく、Mくんと個人的なつながりがあって式に参列したのがわれわれ三人だけであったのも、さびしい印象を強めた。
式のあと、三人で、Mくんが東京で過ごした最後の日に立ち寄って長い時間コーヒーを飲んでいたという店に行き、咲きはじめた桜の花を見ながらそれぞれの思い出を語り合って別れた。