闇に響くノクターン

いっしょにノクターンを聴いてみませんか。どこまで続くかわからない暗闇のなかで…。

クィア学会のシンポジウムをきく

2007-10-28 13:26:01 | 愉しい知識
昨日(10月27日)は、台風接近の大雨のなか開催されたクィア学会設立大会に行き、開会の辞とシンポジウムをきいた(会場:東京大学駒場キャンパス)。

開会の辞はクレア・マリィさん(津田塾大学)によって読み上げられた。その要点は、ジェンダーやセクシュアリティーは制度であり、「クィア」として差別されている人の生の質を向上させ、社会の多様性と異種混淆性を保持するためには、(その制度から逸脱した者を対象とする)クィア・スタディーが不可欠であること、またその研究は、批評的創造力をもってすすめていかなくてはならないことなどを訴えるもので、非常に感銘をうけた。

続いて行われたシンポジウムは、「日本におけるクィア・スタディーズの可能性」のタイトルのもと、クィアをめぐる各分野で活動している沢部ひとみさん、砂川秀樹さん、野宮亜紀さん、伏見憲明さん、清水晶子さんをシンポジストに招いて行われた(司会は河口和也さん、堀江有里さん)。途中休憩をはさんで、3時間以上、5人の個性的な考えやその背景をきくことができた。
シンポジウムのおおまかな内容は、①各人の執筆活動について(自己紹介)、②各人の研究、運動、セクシュアリティーの関係性について、ーー具体的には、資本(活動資金)について、世代について(活動を次の世代に伝えていくことのなかで感じる世代差について)、フェミニズムとのかかわりについて、③クィア・スタディーに期待することーーという大きな流れにそって、司会者から5人のシンポジストに質問があり、各シンポジストがそれにこたえ、また必要に応じ、シンポジスト同士の質疑応答や意見交換があった。
ただ、この点はシンポジストも率直に述べていたが、主催者が準備した質問(特に活動資金の問題)がその場にふさわしく、シンポジストとして回答しやすいものであるかには疑問があり、どのような主旨でこのような質問が設定されたのかよく理解できないといった主催者への反問もあっておもしろかった。そのあたりのこと、一般的にいえば、同性愛者は同性愛者に向けて活動を行っている人への豊富な資金源とはいえず、執筆等の活動を維持していくうえで困難を感じることが多いというのがシンポジストの多くから出た声で、なかでも沢部さんの、かつて自分の主たる関心はセクシュアリティーの領域にあったが、50代となりこれからの生活を考えると、リブ的な生活領域の要求に関心が移行しつつあるといえなくもないという発言に、同じ50代として共感を感じた(伏見さんの発言も同主旨で、ある意味でもっと切実なものだった)。
一方、各人の活動とフェミニズムの関係という設問では、各人のおかれている立場の違いが明確にでて興味深かった(たとえば性同一障害者である<あった?>野宮さんの立場と、肉体的に女性である人たちのための運動であるフェミニズムのあいだの微妙な温度差の問題)。
第一回目であることから手探り状態の印象をまぬがれないシンポジウムではあったが、いろいろな立場の人からそれを反映する声がきけて、試みとしては成功ではなかったかとおもう。また、シンポジウムを、堅苦しいものではなく本音の声がとおる場所にしよう(そのためにはあえて狂言回し的役割を引き受けよう)という伏見さんの積極的態度は、非常に印象的だった。
司会者からシンポジストに向けた質問と、相互の意見交換がおわったのち、会場からの質疑応答(問題提起)があり、今後主体としてのクィアの問題だけでなくクィアをとりまく社会の問題もとりあげて欲しい、芸術療法やバイオレンスの問題もとりあげて欲しい、どのようにしたらうまく小説が書けるか教えて欲しいなどのざっくばらんで切実な声があがった。
また、社会規範のあり方を問う「クィア・スタディー」という学問に学としての中立性があるのかという、ある意味で根源的な質問もあった。
ところで私は、ふだん、反近代主義(近代主義批判)という視点から同性愛の問題を考えることが多く、いわゆるLGBTの運動が、個々の権利要求や抑圧からの解放、社会への同化にかたむきがちで、結果として近代主義や現行社会の諸制度を肯定・強化する方向にあり、そこからは同性愛を抑圧している現代社会のあり方そのものに対する疑問が提起されにくいのではないかと感じており、またそれゆえ、仮に個々の社会的抑圧が解消されたとしても新たな抑圧が再生産されてしまい、個々の抑圧の解消が抑圧という事態そのものの根本的な解消につながらないのではないかという懸念を少なからずいだいている。したがって、一種の差別用語である「クィア(変態)」という概念の導入は、そうした問題状況に風穴をあけることになるのではないかと、「クィア」を冠した学会設立に好感をもったので、「クィア・スタディー」という学は中立的なものでなくてもいいのではないかと私見を述べさせていただき、また各シンポジストの研究や活動のなかで、反近代主義はどのように位置づけられるかという主旨の質問をし、清水さん、砂川さん、野宮さんから回答を得た。
私が理解した範囲でその回答を簡単に紹介すれば、清水さんの回答は、「LGBTという枠のなかでできる近代主義の問い直しもあれば、クィアという枠のなかでできる問い直しもあり、それらは排除しあうものではない」というもの、砂川さんの回答は、「文化人類学者としての自分の立場からしても、反近代主義は大きな課題である」というもの。ちなみに、砂川さんのいう表象分析と言説分析からのクィアへのアプローチという方法論には、共感をおぼえた(あえてそれを補足すれば、個人の内面ではなく「クィア」という外在的な観点から同性愛にアプローチするという研究のあり方そのものが表象分析的ということになるのではないかとおもう)。また野宮さんの回答は、「近代主義を問うということを念頭におきながら、自分としてはとりあえず近代主義の枠のなかで活動している」というものであった。

またこの記事の最初にも書いたように、大会の冒頭クレア・マリィさんによって読み上げられた開会の辞に、私は大変感銘を受けたのだが、辞のなかで用いられたキーワードの一つである「批評的創造力」という言葉には、日本語として違和感をおぼえたので、休憩時、彼女にそのむねの私見を伝えた。つまり、この「批評的」という言葉は、英語でいえばcriticalにあたるものではないかとおもいながら開会の辞をきいていたのだが、とすれば、その訳語としてはむしろ「批判的」の方がふさわしくないかと感じたのだ。思想用語として考えると、「批評的」という日本語は、その中立性・客観性に、どうしても態度としてのある弱さを感じてしまう。ただ逆に、「批判的」という言葉は強い言葉ではあるので、それを配慮して「批評的」という訳語が選ばれたのかとはおもったが、それにしても、この言葉からはなにかしら不鮮明な感じがしてしまう。ちなみにその場でのクレア・マリィさんの返事は、私が指摘した点は開会の辞を準備する段階でも問題となり、その時点での結論として「批評的」を選んだが、必ずしもそれがベストかは断定できないので、私の意見は、会場からの声としてメンバーにフィードバックしておこうというもの。開かれた態度に好感をおぼえた。

九州や大阪など遠方からの参加者の声にもあったが、悪天候にもかかわらず、この大会が準備された会場に入りきれない数百人の聴講者をあつめたということは(会場に入りきれない聴講者は別室のモニターをとおしシンポジウムをきいた)、関係者の関心がそれだけ高いということの証拠であり(ただしこの点に関し、伏見さんは、悪天候にもかかわらず昨日来場した人はもともとかなり関心の高い人であり、出席者が多いということに甘んずることなく、来場できなかった人にどのように学会設立の狙いや意図を伝えるかが課題ではないかと、指摘した)、学会としては、まずは順調な滑り出しといえるのではないかとおもう。

シンポジウム終了後、設立総会と懇親会が開かれたが、昨日は夕方からアルバイトがあったため、後ろ髪をひかれながら暴風吹きすさぶ会場を後にした。

【参照】クィア学会公式サイト http://queerjp.org/

横須賀、素通り? ーー貞操帯からモーゼとアロンへ

2007-10-24 16:43:33 | 雑記
さて、日曜日。求職のことを考えてうだうだ過ごすにはもったいない好天気だったので、前からきいていたN○Kの番組撮影を見学させてもらうことにした。
   ☆    ☆    ☆
午前中に渋谷に出かけ、スタッフの車に同乗させていただいて横須賀に向かう。横須賀までは好ドライブで、一時間ほどで市内に着いたが、市内に着いてから折から開催中の秋祭りの行列に遭遇し、遅々として車がすすまない。市内を抜けるのに30分ほどかけて昼前に目的の美術館にたどりついた。
はじめて訪問した美術館だが、海沿いの小高い崖の上にあり、陽射しがとてもよい。また美術館の外は潮の香りがただよい、視覚の前にまず嗅覚を刺激されるのも、ちょっと意表をついている。
来意をつげると美術館のスタッフが快く迎えてくれ、N○Kのスタッフもきびきびと機材を車から降ろし、撮影にとりかかる。私は文字どおりの見学で、撮影現場をのぞいたり、企画展、常設展をのぞいたり、自由にさせてもらった。
美術館のスタッフに話をうかがうと、現在開催中の企画展ではたとえば女性用の貞操帯も展示しているのだが、これなど、(何につかうのか)どのように説明をつけてもうまくいなかいと嘆いている。私は、「貞操帯といえば、一番きよらかな目的をもった道具のはずなのに、(一般の人が)なにか汚れたもののように考えるのはおかしいですよね」と、すかさず茶々をいれる。いずれにしても今回の企画展では、予備知識をほとんどもたず一般の美術展をみるつもりで来た来場者、特に若い人が、展示をみながらあらためて性について考えたという反応が多く、公立美術館としては一種の冒険的な意味もあったが、開催してよかったと語っていた。
ところで、美術館のエントランスの海がみえる好位置にはイタリアン・レストランがついており、時間があったら、食事をしながら展覧会を見に来たいという気持ちをおこさせる、瀟洒な美術館だ。
一時間強で撮影が終わり、移動。途中のドライブインでスタッフと一緒に昼食。和気藹々と昼食をとりながら、みんな上を向きながら高い位置にある作品を撮影しているのをみて、パゾリーニの映画『テオレマ』の一場面を思い浮かべたと言ったら、それがけっこううけた。ディレクターもカメラマンも映画好きで、古い映画もよくみている。
しばしの休息ののち、当日の第二の目的地である鎌倉の澁○龍彦邸に向かう。澁○龍彦氏が亡くなって今年は20年目だが、それを記念して各地でいろいろな企画が行われている。関係者のなかでは、澁○未亡人が健在で、今も一人で澁○龍彦氏が亡くなった当時そのままにした邸宅に住んでいる。
N○Kのスタッフは、澁○未亡人にも少し取材・撮影したが、それがわりと簡単に終わったので、スタッフが邸内を撮しているあいだ、私は未亡人と雑談。
きけば、昨日上野文化会館でバレンボイムが指揮するベルリン国立歌劇場の公演『モーゼとアロン』を聴いたとのことで、その話題でもりあがる。
シェーンベルクのオペラ『モーゼとアロン』は、神の言葉を受け取る(直接聴く)ことはできるがそれを民衆に伝えることのできないモーゼと、民衆への伝導は巧みだが、神の言葉を聴くことのできない兄アロンの対立(=結局は預言者モーゼと民衆の対立)を題材とするオペラで、日本ではめったに聴くことができないということで友人に誘われて聴きに行ったが、非常に象徴的な舞台に仕上がっていたという。
ただ未亡人は、オペラの最後のモーゼのセリフ(このオペラのなかで、アロンは歌うがモーゼはシュティッヒ・シュティンメでセリフを語る。この歌唱スタイルの違いが、モーゼとアロンの神および民衆に対するスタンスの違いを象徴している)がよくわからなかったというので、即座に、それは「おお言葉よ、我に欠けしは汝なり」でしょうと言うと、未亡人も思い出して、話がまた盛りあがった。
夕暮れになり、まだ撮影を続けるというスタッフと別れ、澁○邸を辞して横浜に向かう。せっかくふらりと神奈川に来たのだから、帰りは中華街でおいしいものを食べなくては。横浜・中華街に行くと、ちょうど上海蟹のシーズンなので、上海蟹を紹興酒に漬けた「酔蟹」などをいただいた。
   ☆    ☆    ☆
ということで、久しぶりに、大いに気晴らしとなった一日だった。

誰セン企業

2007-10-20 14:05:00 | 求職日記
就職活動がおもうようにはかどらない。
アルバイト先が倒産し、就職活動を本格化させたのが九月末だから、活動をはじめてからまだそれほど時間がたっていないといえばそれはそうだが、近くのハローワークに行っても、50歳を過ぎて特別の技能や経験のない独身者に、企業の目は厳しい。
(ちなみに、直前の記事に書いた美術館や放送局、新聞社等とのさまざまな接触は、私にとってとても重要なものであり、かつ、そうした接触をとおして心を割ってつきあえる友達を数多く得てはいるが、基本的にはヴォランティア的な範囲のなかで動き回っており、この方面からの収入はほとんどない。だから私は、これまで、とある会社でアルバイトをしながら生活してきた。そのアルバイト先が倒産し、これからの生活をどうするか考えたとき、また新たなアルバイトを探そうとまずは考えたのだが、50歳を過ぎてできるアルバイトは、ビルの清掃やガードマン、スーパー、コンビニ等のレジ係など非常に限られており、それではとフルタイムでの「就職」を狙うことにしたのだ。これまで、こうした事態になることなど考えもせずのんびり暮らしていたのだが、いざ就職活動となると、すぐ間近に定年(60歳)が迫っており、一般的に考えれば、企業としてもリスクが多く採用しにくい年齢ということになるだろう。それでも、ハローワークで、年齢・経歴不問という企業を一生懸命探している。)

さて、そうはいってもすでに二社に履歴書を送ってあるのだが、最初にあたりをつけた企業(雑誌編集とコンサルティングを兼ねた業務を行っている)は、なんとか面接を入れてもらえるところまでこぎつけはしたものの、面接日までに用意して欲しいという作文のテーマが、私にはとても無理なモラリスティックなものだったので、こちらから面接を辞退した。
もう一社は業界新聞編集の仕事で、とりあえず今の私にとっての本命なのだが、先週履歴書を送ったのにまだなんの連絡も来ない。というか、履歴書が到着したころをみはからって、今週はじめにこちらから連絡を入れてみたのだが、応募者が多くて調整をしているので面接まで少し待って欲しいという。その後週末まで、先方から連絡が来ないのだ。
これはやはり無理かとおもい、またハローワークに出かけて求人情報を検索すると、本命とはいえないまでも、可能性のある企業が二社みつかった。
一社はF出版で、この出版社の本なら私ももっているし、かねてから注目している良識と良心を兼ね備えた出版社だ(社会科学系の本を数多く出している)。もう一社は、官公庁や企業向けに専門情報誌を発行しているというが、その情報誌も会社も、私は知らない。
だったらF出版が新たな本命かというと、そう単純にもいかない。
F出版への応募条件のなかに、年齢、経歴は不問なるも英語力は必須とあり、英語力等をはかる入社試験があるという(私は、一般常識程度の英語力はあるつもりだが、さりとて特別高い英語力はない。それからするとこの条件はとてもきついのだが、英語と同程度のフランス語力はあるつもりなので、なんとか面接までもちこめれば、それをアピールして勝負することも可能かとはおもっている)。ところでこのF出版、英語力以外にも入社するための敷居はとても高いのだが、それに反比例して、給与および待遇は、非常に低い。たとえば初任給が20万円に満たない。私がもっと若ければ、なんとしてもこの会社に入って自分が気に入った本を出したいとおもったかもしれないが、自分に残された時間を考えると、もう自分の可能性をためしている余裕はないし、はたして、20万円に満たない給与に甘んじて生活できるか、かなり不安がある。だから、「すべり止め」に受けるだけ受けてみようかとおもいつつ、受けることそのものを躊躇しているのが現状だ(もっとも、F出版の求人自体、年齢不問とはいうものの将来性のある若年優先ではないかという気がする。F出版の現状は、たまたまF出版の求人条件が悪いというより、構造的な出版不況といわれている出版界全体の状況の反映なのだろう)。
それに比べると本命企業の方は、社内制度もそれなりに整備されていて待遇も比較的よく、また求人条件を読むと、完全な新人ではなくある程度の年齢と編集経験をもった応募者を期待しているようにおもえ、そのあたりが本命の本命たるゆえんなのだが、上にも書いたように、いかんせん先方から連絡が来ないし、それに(好待遇ゆえ)競争率が相当高そうだというのが気になる。私は、自分ではそれなりの編集力をもっているとおもっているし、面接にもちこめばそれをアピールすることも可能だとおもってはいるのだが、競争率が高く(応募者が多く)同程度の能力をもった応募者が多数あった場合、企業側の当初の狙いは若年層の雇用ではなかったとしても、結局はF出版同様若い人を採用するのではないかとおもうと、不安がつのるばかりだ。
だからどうしてももう一社「すべり止め」企業が必要なのだが、新たに見つけたもう一社の「すべり止め」企業の給与や待遇は、本命企業とF出版の中間程度。仕事のおもしろさとしては、官庁や大手企業の御用情報誌発行という感じで、かなり見劣りがする。仮に採用されたとして、仕事に興味がもてるかどうか疑問だ。
そうおもいながらも、「すべり止め」はあくまでも「すべり止め」なのだからまあいいかとおもいなおし、履歴書を書く前にハローワークの担当者に先方への問い合わせ電話を入れてもらったところ、すぐその場で、週明けの月曜日に面接に来て欲しいと、いとも簡単にアポイントがとれた。なにか拍子抜けの感じである。考えてみると、この編集会社は、特別の能力を必要とするような情報誌を発行しておらず、だから年齢、経歴不問で、応募者には即面接を入れているのではないかという気がしてきた。要するに「誰セン」の会社なのだ。だから、私でもうかる可能性がなくはないが、その場合、まだ面接のアポイントすらとれていない本命企業との調整をどうするか、ものすごく悩ましい。

ということで、先週末とはうってかわり、この週末は、世知辛い現実にどう対応するか、大いに悩みながら過ごすことになりそうだ。

レセプションの夜

2007-10-14 18:08:53 | 雑記
13日からいよいよ森美術館で『六本木クロッシング2007:未来への脈動』展がはじまった(1月14日まで)。来場者の反応はどんな感じだろうか。展覧会の直接の感想はさておき、今日は、いろいろな人と出会った開会前日の行動を日記風に記してみたい。日記のなかにはもちろん、一部展覧会の感想も入るが、それは関係者の発言として、多少割り引いてお読みいただきたい(笑)。

   ☆    ☆    ☆

さて12日は、夕方から『六本木クロッシング2007:未来への脈動』展の前夜祭であるレセプション。知人に誘われてスーツ姿で森美術館に赴いた。
事前に私が案内状を出しておいた友人の姿がみられなかったのは残念だったが、逆におもいがけない来場者も大勢いた。なぜか中京方面からの知りあいがかなりいたので、レセプションでは会って話をする機会の少ない彼らと行動をともにした。

ところで気になる展覧会だが、すべての作品が揃ってみると、個性的な36人(組)の作品展示は圧巻というより他にない。ほとんどの作家が、既存の美術ジャンルにとれわれず、表現の枠や幅を拡げようと苦心しているエネルギーというかテンションの高さが、見ているうちにストレートに伝わってくる。そしてそれが、すべて同じ方向を指しているのではなく、各人の探究の方向がバラバラで、全体として一つの方向に収束しないというのがおもしろい。展覧会を企画・主催した森美術館としては、ある方向にそって作家・作品をあつめ、一つのテーマ性を提示するというより、いろいろな意味でともかく現代アートの最先端にたつと考えられる作家・作品をあつめ、その評価・判定は来場者にゆだねようということなのだろう。だからといって無責任な雑居のような印象にしていないのが、美術館の見識の高さを示しているとおもう。アートといえばすぐになんらかのテーマ性を求め、アートそのものではなくそのテーマ性の優劣を云々する傾向の強い、リアリズムに偏し、社会運動としてのアート以外認めようとしない態度とは一線を画する展覧会だ。
出展作家のなかには、もしかするとゲイも何人かまじっているかも知れないが、彼らも含め、ほとんどすべての作家が、そうした自分の性向や信条を直接発露するというより、まず作品を作品として完結させようという姿勢がみられるのが心地よい(幸い、私はレセプション会場で何人かの作家の話をきくことができた。自分の世界をもち、それを表現しようとしている彼らは、とても美しい)。世の中には、ゲイがつくった作品はゲイにアピールしやすいという考え方もあるかもしれないが、私は、本来のアートというのは、まず作品がそれ自体として鑑賞者に訴えかける力をもち、しかるのち、鑑賞者がその情報を発信した作者に関心をもつというのが本道だろうとおもう。その作者がゲイであるかどうかというのは、作品にとって二次的な問題ではないだろうか。
そういう意味において、この展覧会にゲイ・テイストといったものはほとんどないが、現代芸術の方向性を考えようとするならば、とても刺激的で示唆に富む展覧会だとおもった(ただし表現対象との距離が近い写真作品の一部には、作品内部に社会性を取り入れようとした作品もあった)。

   ☆    ☆    ☆

さてレセプション、二次会が終わり、気の合う友人に誘われて、六本木にあるニューハーフ・パブに行くことになった。パブの入り口には「六本木GAY術劇場」という看板がかけてあり、なにやら今回の展覧会とも関係がありそうだ。
パブのなかは(われわれが入ったときは、ちょうどショウ・タイムの最中だった)、ある意味で想像どおりで、ショウ・タイムが終わってからわれわれのテーブルについてくれたニューハーフの人も、事前に想像していたような美人だったのだが、驚かされたのはパブのボーイさんがすべてDNA的には女性だということ。だから正確にはガールさんというべきかも知れないが、これはニューハーフの人に教えてもらうまでまったく気が付かなかった。なかでも年輩のガールさんはオヤジそのものだ。

   ☆    ☆    ☆

ニューハーフ・パブで過ごすことしばし。興奮さめやらぬわれわれは(なんの興奮やら)、そのまま新宿に繰り出した。
これまた知りあいに誘われてたまたま入った店(ノンケ・バー)には、性格派俳優の佐○史郎さんが来て飲んでおり、うってかわって今度は佐○さんと激論。佐○さんと私は、以前から少し面識があるのだが、つっこんで話したのはこれが最初で、きっかけは忘れてしまったが議論はいきなりブレッソン論からはじまった。
佐○さんというと、私にはとてもネチッコイ演技をするという印象があり、ブレッソン映画はその逆なので、佐○さんがブレッソンが大好きというのは私にはとても意外で、そのあたりのことをまずいろいろきいたが、故人ではあるが、ブレッソンは、もし生きていたらその映画に出てみたい、この人なら役者としてすべてまかせられるという監督の一人だという。
話題はそこから、ブレッソンのモンタージュについての議論に移ったのだが、観客として映画をみている私と、まずは観客としてみながらもそこに自然と役者としての視点が入ってくる佐○さんでは、同じようにブレッソンが好きといっても見方が微妙に違う。互いに視点が違うということを確認したのち、話題は演技論に。
役者として数々の舞台やテレビ・映画等を経験している佐○さんの演技論は、地に足のついたもので、と同時に、もらった台本をなんでも無難にこなしていくだけの俳優とは一線を画した、ある自覚をもった俳優の演技論であるところがとてもおもしろかった(ある自覚をもつからこそ、ブレッソン映画に出てみたいという冒頭の発言が出てくる)。
その場に居合わせた人の発言で、話題が小津安二郎の演出論に転換し、とある作品で小津が娘を亡くした母親の演技の指導にとても厳しく、女優がどのように演じてもOKを出さず、しまいになにも考えずに着ている着物をぎゅっと握れという指示を出したという話をすると、佐○さんがその指示に賛意を示し、結局、役者がどのような気持ちである役を演じてもそれがそのまま観客に伝わるということはなく、最後には観客の解釈が入りこまざるを得なくなるから、演技の窮極は、あるかたち(所作)を提示することにいきつくかもしれないというあたりで、意見がまた一致した。小津はさておき、たとえばブレッソンの映画はそうした所作だけで成り立っている映画なのだ。
話に夢中になって、気が付いたら午前3時近くになっていた。

   ☆    ☆    ☆

展覧会のレセプションが、思わぬ人との出会いで思わぬ終わり方となったが、刺激的でとてもおもしろい一夜だった。

展覧会直前の緊張感

2007-10-11 16:18:46 | 雑記
さて9日。前日に作品の位置決めをしたので、9日はそれをどのようにライティングするかの照明チェックで簡単に終わるはずだっのだが、美術館に行ってみるとどうも様子が違う。前日は知人の展示スペースだけの問題で作品を配置したのだが、隣の作家の展示がすすんでみると、それとのかねあいで具合の悪いところがでてきたので、もう一度作品を並べ直したいという。なんのための前日のチェックだったかともおもうが、いろいろな作品のあつまる展示会では直前の位置変更もままあること。幸い時間的にも余裕があったので、知人も簡単に位置変更に応じた。結局、展示には私の提案が反映されないことになったが、状況が状況なのでそれもやむなしだ。
そうこうしているうちに、今度は、展覧会の音声ガイド用のインタビュー。一般の人に作品の意図等をわかりやすく話して欲しいという。美術作品というのは、それ自体で完結した世界をもっているから「作品」なのであり、解説という行為で作者がそれに手を加えるというのは、ある意味とても難しいのだが、知人はそれにも心やすく応じていた。作家というのはほんとうに大変だ。
ただ、音声ガイド担当のインタビュアーの質問は、直前に勉強したとはいえ作品の本質からまったくかけはなれたものもあり、心やすく応じるといっても、それなりの難しさはある。また1~2分の時間制限のなかで作家といえども作品をどこまで語れるかという別の難しさもある。作家と観客を結ぶために、音声ガイドは有効なツールであると同時に困難さもともなうということを実感した。
また展示準備でごったがえす会場で、私は、前日われわれを会場まで案内してくれた若者を発見したのだが、大勢のなかの一人でわれわれのことなど忘れてしまったのか、忙しいのか、こちらにはまったく無関心なそぶりだ。それもやむなしか(笑)。
ということで、展覧会の方は、あとはほんとうに開会を待つだけとなった。

ところで、オープニング前日の12日にはレセプションがあり、私は、N○Kの美術番組担当のKくんやA新聞、M新聞文化部記者など、身近な知りあいに案内状を送っておいたのだが、おもしろいことにこのKくんが、前の記事に書いたGさんと知りあいで、Gさんを自分の番組に起用したこともあるという。Kくん(ノンケ)と私は、Gさんとは関係なく知り合ったのだが(KくんがGさんの知りあいだと知ってから、私はGさんの遺品のネクタイのうち一本をKくんにあげたことがある)、共通の知人がいるということもあって、「ほんとはノンケじゃないんじゃない」などと冗談をいいながらフランクにつき合っている。A新聞のKさんも、似たようなざっくばらんな関係だ(書きながら今おもいだしたのだが、KくんとKさんは、N○KとA新聞でそれぞれTさんという文学者の担当者だった。Tさんとは私も面識があり、その家族も知っているが<Tさんの家族は私がゲイだと知っている。ただしTさんはゲイではない>、KくんとKさんは直接の面識はないはずで、レセプションの場でその二人を引き合わせるなんてことを考えるのもおもしろい)。KくんもKさんも、会うときはともに、セクシャリティの話など抜きで、ストレートに美術や文学の話だけできるところが、貴重な友人たちだ。案内状をうけとった人のつごうもあるだろうから、当日はどれだけの人が来てくれるかわからないが、よく知っている人たちが、知人が一生懸命制作した作品を観てくれればうれしいし、同時にまた、見知らぬ人や一般観客の反応も気になる。

そんなことで、自分の作品を出展するわけではないが、今は、展覧会直前独特の心地よい緊張感にひたっている。

就職活動用に髭をそる

2007-10-08 20:48:18 | 求職日記
今日は完全なオフの予定だったのだが、昨晩、森美術館から電話が入り、私の知人の作品を展示しようとしたらうまくゆかず、知人にも連絡を入れてみたのだがつかまらないので、なんとか連絡をとって、作品の展示状態をチェックして欲しいという依頼があった。結局、昨夜知人はつかまらず、早朝連絡をとって午後いっしょに森美術館へ。今日は、地下収蔵庫ではなく、念願の53階森美術館に行った♪
受け付けで担当者を待つことしばし。昨夜私に連絡してきた担当者は36人分の展示チェックで現場を離れられないとのことで、代理人が迎えに来てくれたのだが、それがさわやかそうな若者で、私はすっかり気に入ってしまった。
で、若者に先導されて、迷路のような森ビルのなかを53階の美術館へ。バックヤードの専用エレベーターはさすがに速いが、あまりの速さに耳が痛くなる。きけば地上約250メートルの高さという。
さて美術館に足を踏み入れると、さまざまな作家の個性的な作品を開梱、展示作業中で、戦場のようにごったがえしているが、このごちゃごちゃした雰囲気は、いつみても楽しく、心おどる。
細かい展示の修正は知人の仕事だから、現場では私は見物を決めこんでいたのが、全体の配置をどうするかで意見をきかれ、おもいつきでちょっとした考えをいったらそれが採用になった。そんなときはとてもうれしい。とはいえ、作品点数はそんなに多くないし、展示チェックなど20~30分で簡単に済むだろうとおもっていたのだが、なんだかんだと細かくみていたら結局1時間30分ほどかかってしまった。
それでは準備作業はこれで最後かというと、そうではなく、今晩中にすべての出展作を開梱して据え置いたうえで、明日は照明チェックがある。美術館の展示というといっけん簡単そうだが、なかなかそうはいかない。
ともかく展示チェックはぶじ済んで、今日は退館手続きのわずらわしいメイン・エントランスではなく、別のエントランスから退館(残念ながら、若者は途中で姿をけしてしまった)。

森美術館からの帰りは、移転前の全館バーゲンをやっている大丸に立ち寄り、ベルトを買う。綺麗な色のベルトがたくさんでていたので、どうしようかと迷っているうちに結局3本買うことになったが、全部で8,000円だから、安いといえば安い。

部屋に戻り、再就職の履歴書用に写真をとろうとおもいたった。着替えがわずらわしいので、下半身はジーンズのまま、上半身だけネクタイにジャケットで決めこんでマンションのエレベーターに飛びのったら、大屋さんと鉢合わせて笑われてしまった。
ちなみに、今日締めたネクタイは、新宿二丁目で知り合ったGさんの遺品で、これまでなかなか締める機会がなく、今日はじめて締めたもの。このGさん、とてもフランクな人で、奥さんとは死別し、娘さんが二人いるのだが、その娘さんたちに自分がゲイであるということをカミング・アウトしていた。だから当然、娘さんたちとはこちらがゲイであるということを承知のうえでの付き合いだったのだが、今でもざっくばらんな付き合いを続けている。今日締めたネクタイは、あまりにも普通の感じで私の趣味に合わず、これまで自分では締めたことがなかったのだが、履歴書用の写真は普通の格好がいいだろうとおもってネクタイを探したらこのネクタイが出てきたので、「うん、これがいい」と締めてみたもの。身の回りのものは、なにが役に立つかはわからず、役に立つとはおもわなかったものがおもわぬときに役に立つことがある。Gさんにはあらためて感謝だ。とはいえ、これで面接におちたらやはりいただいたネクタイは役に立たなかったということになるのだが、そうしたことのないようがんばろう。

ともあれ、ぶじ履歴書用写真も撮りおわり、これからいよいよ履歴書書きだ(ちなみに、私はこのところずっと髭をはやしていたのだが、再就職用に髭をそった。そのことを電話でカレシモドキに話したら、どんな顔をしているかみてみたいと笑われてしまった)。

最新ビルのセキュリティーー六本木徘徊記

2007-10-04 16:36:04 | 雑記
昨日は六本木の森美術館(六本木ヒルズ内)に展覧会の用事で行ってきた。
森美術館で10月13日から『六本木クロッシング2007:未来への脈動』という展覧会が開かれるのだが、知りあいがこの展覧会に出展することになっており、かつ、美術館から依頼のあった出展作品が少し壊れていて、それを展覧会前に修復することの見学だ。実は、私が以前住んでいた賃貸マンションは六本木ヒルズの近くにあり、六本木ヒルズには何度も行っているし、そのときに森美術館のことはいつも気になっていたのだが、実際にはなかなか美術館に足を踏み入れる機会がなく、昨日はじめての訪問となったもの。
美術館への訪問といっても、昨日は作品修復が目的だったので、森タワーにはのぼらずじまいで(美術館はその53階にある)、逆に、美術館担当者に案内されて地下の収蔵室に直行することとなった。作品の不都合は、事前に想像していたよりも複雑なもので、現場ですぐにはなおせないということがわかり、今日にもちこしになってしまった。ただ美術館の対応がとても丁寧で、知りあいも安心したようだ。
帰りは地下の収蔵庫から直接メイン・エントランスに向かったのだが、そこでちょっとしたトラブルがあった。昨日われわれは、メイン・エントランスとは別の美術館の受付から森タワーに入ったのだが、そこだと収蔵庫から出るには複雑な経路を通らなくてはならず、担当者も簡単に出れるメイン・エントランスへとわれわれを案内してくれた。ところが、メイン・エントランスから入らなかったわれわれがメインエントランスから退館すると、入館人数と退館人数に食い違いが生じ、セキュリティ上まずいというのだ。最新のビルのセキュリティというのは、精密といえば精密だが、一般常識的に行動しようとするととてもやっかいなものだということを、図らずも実感した。

ところで、展覧会そのものは、日本美術界の最先端で活躍するアーチスト36人(組)が、絵画、彫刻、写真、デザイン、映像、漫画、ゲーム、人形、ペンキ絵、演劇などのジャンルを問わず出展するもので、どのような展示になるのか、私にもちょっと予想がつかない。少なくとも、作品を単純に並べるだけでは展示にならないだろうということははっきりしている。企画する側としても、そうした「見せ方(展示の仕方、作品の受容のされ方)」の難しさは承知のうえで、あえて困難な課題に挑戦したという姿勢は高く評価できる。最近陳腐化している展覧会に風穴をあけるような、おもしろい展覧会になるのではないだろうか。

【参照】
『六本木クロッシング2007:未来への脈動』展の概要
http://www.mori.art.museum/contents/roppongix02/index.html

   ☆    ☆    ☆

さて、六本木ヒルズを出て地下鉄に乗ろうとしたら、これもおもいがけず、NHKの来年の新春ドラマ『雪之丞変化』の関係者に会った。「期待してますよ」と声をかけたら、撮影は順調で、滝沢秀明の闇太郎はぴったしですごくいいということだった。こちらもものすごく楽しみだ。

コミュニケーションへの信頼と不信が交錯ーーベルイマン追悼:その3

2007-10-01 15:16:41 | 映画
直前の記事はなんとなくイングマール・ベルイマン批判のような感じになってしまったが、思い込みだけでベルイマン作品全体を語るのもどうかとおもい、とりあえず、日本では昨年公開された彼の最終作(遺作)『サラバンド』(2003年)をDVDで鑑賞した。個人的に大好きな作品とはいえないが、ベルイマン映画の構造的な特徴(私からするベルイマン映画の欠点)をそれなりに理解したつもりで割り引いてみると、一般的には、この映画とてもおもしろいし、一人の映画監督の最終作として、非常にすぐれたものだとおもった。

   ☆    ☆    ☆

この作品は、離婚した夫婦の再会を描いたベルイマンの『ある結婚の風景』(1974年)の続編を意識した作品(完全な続編ではない)であり、また、別の角度からすると『叫びとささやき』のバリエーションといえる作品だ。
男女と異なり、気が合えばすぐにパートナーなり、またそれだけにちょっとしたことが原因で簡単に別れることが多い同性愛者の世界には、元カレ同士という関係が非常に多く、現に私も、時々あう元カレがいるが、不思議なことに、つき合っている時には見えなかった相手のいろいなことが、互いのことを真剣に考える「別れ」という事態をきっかけによくわかってくることが多い。だから、互いに新しいパートナーができても、つき合っていたとき以上にうまく相手とコミュニケーションできるということがママある。
ベルイマンの『ある結婚の風景』は、それに似た人間関係を描いた映画で、夫の浮気をきっかけに別れた夫婦があるとき再会すると、結婚し、いがみ合っていた時よりも相手のことがよくわかるようになって気が合い、ベッドインするが、世間的にいえば、それはそれぞれ新しい家庭をもつ男女のダブル浮気になってしまうという皮肉な映画だ。

『ある結婚の風景』『サラバンド』の二作に主演しているリブ・ウルマンによれば、あるとき、『ある結婚の風景』で元夫婦役を演じたエルランド・ヨセフソンと会い、その数十年後という設定で即興的な演技を行ったところ、それをベルイマンが非常に気に入り、同じような設定で最後の作品を意識した新しい作品を撮ることになったのだという。ただし、できあがった『サラバンド』という作品は、元夫婦の三十年ぶりの再会という点で『ある結婚の風景』の設定を借りてはいるが、その完全な続編ではなく、異なった人物設定の異なった作品となっている。
ベルイマンの過去の作品との関連ということでいうと、『ある結婚の風景』以上に重要なのは『叫びとささやき』で、『サラバンド』のなかでは、四人の登場人物のうちの二人、ヘンリックとカーリンの父娘がともにチェリストという設定なのだが、映画のなかで二人が演奏する重要な曲が、『叫びとささやき』でも使われたバッハ無伴奏チェロ組曲第5番の「サラバンド」であり、またこの曲は、映画全体のテーマ音楽として何度も流れる。だからこの作品は、四人の男女の「叫びとささやき」の集大成なのだということが、題名やストーリーにこめられたベルイマンの意図なのだろう(四人の登場人物による室内劇という作品構造も、『叫びとささやき』に共通する)。

題名のことから話がすこし先に進んでしまったが、作品全体のストーリーは非常に単純で、その大枠は、弁護士として活躍するマリアンが、三十年前に離婚した夫ヨハンを訪ねる話。これに、近くに住むヨハンの息子ヘンリック(マリアンの前妻の子供で、マリアンとの血縁関係はない)とその娘カーリンがからむ。マリアンとヨハンの間には、数十年ぶりであうなつかしさと違和感があるが、それ以上に、ヨハンとヘンリック、ヘンリックとカーリンには親と子ゆえの対立・葛藤がある。DVDに付されたインタビューのなかでいみじくもリブ・ウルマンが語っているが、マリアンに与えられたのは、ギリシア悲劇のコロスのような役どころで、二組の親子とは直接の当事者関係にないため、結果的に、その対立・葛藤の目撃者となる。

さて、父と息子、父と娘の葛藤が物語の中心となることからも明らかなように、この作品は、導入部で元夫婦の話とみせかけて、実は世代論がメイン・テーマであり、そのことに、後代に対するベルイマン自身の「おもい」をからめたものと、私にはおもわれた。
作劇方法としては、前の記事でベルイマン作品の特徴としてあげた回想や幻想はほとんど用いず、直接の会話によってストーリーが進められる。作品の転回点で重要な役割をもつヘンリックの妻の死直前のメッセージも、回想シーンとして処理されるのではなく、手紙を発見したカーリンがそれを読み上げるという設定になっている。
ただそうしたやりとりが、結局は、ヨハン、ヘンリック、カーリンそれぞれの「内面」を探るという方向に収束していくのはいつものベルイマンどおりで、その範囲では、演出は非常に的確である(たとえばカーリンが母の手紙を読み上げるシーンは、ある意味で非常に感動的)。また、互いの内面を知り心を通わすためには、まず徹底した対話が必要というのがベルイマンの考えとおもわれ、作品をとおして、ともかく会話のやり取りが非常に多いが、それと同時に、いくら会話しても心が通じ合わないこともあるという不信もベルイマンにはある。その双方が、「叫びとささやき」として巧妙に配分されたのが、『サラバンド』という作品であり、それは、われわれ次の世代に対する、ベルイマンの信頼と不信ということでもあるのだろう。その彼にとって最後のメッセージであるということが、作品に、これまでのベルイマン作品とは異なる奥行きを与えていることは事実だ。
また、この作品ではヨハンの家の外に広がる自然の光景が非常に美しいが、なかでも、マリアンが教会にヘンリックを訪ねるシーンで、ヘンリックが去ったあとのマリアンに窓から光が差してくるシーンは、構図としてとても美しい。

ところで、ヨハン一家の葛藤とは別に、マリアンはマリアンで、植物状態になって意識をもたない娘の介護という問題を抱えているのだが、ヨハンらと別れて自分の家に戻ったマリアンが久しぶりに娘を見舞い娘に触れるラスト・シーンは非常に感動的。ただしマリアンの最後のモノローグは不要だとおもった。