闇に響くノクターン

いっしょにノクターンを聴いてみませんか。どこまで続くかわからない暗闇のなかで…。

澁澤龍彦の宇宙ーー日常性への叛逆としてのエロティシズム

2007-02-26 13:56:55 | 雑記
昨日の記事を読み返してみて、『アート・トップ』に掲載された巖谷・四方田対談を「キモカワ」だけで片付けるのは方手落ちと感じたので、少し補足しておく。

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まず、澁澤龍彦の全体像。

巖谷「澁澤龍彦は知識にみちみちているように見える、それはそうなの。猛烈な記憶力があったしね。でも、実際には「見る人」ですよ。自分は「視覚型」で、形のあるものから発想しないとだめだと言っていた。見ることから出発するのが彼の特徴で、観念やイデオロギーから発想するのではない。」

この「見る人」ということが、「澁澤好み」のアーチストの作品を集めて一つの展覧会を開くという発想につながっていくわけだが、ではその「澁澤好み」のアーチストを具体的に検証していくとどのようなことが言えるのだろうか。

巖谷「澁澤さんのとりあげた作家を見ていくと、日本で常識的に主流とされてきたルネサンスから印象派までの流れに入らないものが多い。そのひとつが細密画で、行きついたところが16世紀のマニエリスム。その典型がパルミジャニーノやアルチンボルドだった。17世紀ではジャック・カロくらいで、いきなり18世紀のサドの時代に飛んでしまう(笑)。」
四方田「18世紀というと、資質的に澁澤さんがいちばん合った時代なのかな?」
巖谷「やはりサドは関心の中心であり出発点だからね。サドの同時代でいうとピラネージやゴヤです。ゴヤというのは近代のはじまりに位置するけれど、澁澤さんにとってはサドも近代、というか現代のはじまりだった。」
四方田「だから、本当は澁澤さんの隣にはミシェル・フーコーがいるのかもしれない。彼も監禁と懲罰と狂気の話ばかりに取り憑かれていた。」
巖谷「実際に澁澤さんはフーコーをけっこう読んでいたよ。(展覧会の)図録には「澁澤龍彦をめぐる260人」という名鑑ページをつくったんだけど、その中にはフーコーも入れちゃった。フーコーの18世紀研究を彼はいろいろと参考にしていて、後年にサドのことを語り直したとき、新しい視点として使っているのがフーコーやロラン・バルトだったからね。」

参考までにパルミジャミーノの有名な『凸面鏡にうつる自画像を』をアップしておいたので、ご参照いただきたい。この絵については題名がすべてを語っているが、凸面鏡に映し出された自画像は、リアルには違いないのだが、通常の遠近法と異なり自分から遠いものほど大きく写し出され、われわれの日常感覚に異を唱える。この日常感覚に対して異議を唱えるということを澁澤は重視したのではないかと私は思う。
ところで、澁澤のサドへの関心は、エロティシズムという澁澤の重要なキーワードにつながっていくが、それは一つの思想であり、同時にまた事物の領域へとひろがっていくという。

巖谷「もう一つ付け加えておくと、澁澤さんが日本の美術に注入したものとしてエロティシズムがありますね。エロティシズムの捉え方を変えたということ。」
四方田「エロティシズムを思想として論じることが重要だといったわけだ。」
巖谷「それまでの日本の「エロ」というのは、いわゆる色情的で、恥ずかしくなるようなものが多かったけれど、澁澤さんのエロティシズムは事物の領域にひろがっていたね。彼はたとえば貝殻を見てエロティシズムを感じる人だから。」

したがって、澁澤のエロティシズム、もしくはサディズムというのは、直接的な快楽というより、やはり日常性への叛逆という側面が強いのではないかと思う。
こうした観点からすると、昨日とりあげた「キモカワ論」も、実は次のように続くところが大事なのではないだろうか。

四方田「とにかく少女カルチャーとか少女マンガの世代、彼女たちの背後に澁澤龍彦は”普通の風景”としてあると思う。」
巖谷「そう思いたいね。そうじゃない”キモカワ”期待の読者もいるけれど(笑)。誤解もある。」

実は私は、犬童一心監督の映画『メゾン・ド・ヒミコ』がとても好きなのだが、上のような議論をふまえていうと、これなどは、少女マンガの世界観(大島弓子)をとおして、澁澤的な風景を照射した作品ではないかと思う。
しかし澁澤龍彦が提起した問題が少女カルチャーのなかだけで生き続けているわけではもちろんない。それは、われわれゲイの世界とも、いやわれわれゲイの世界とこそ深いかかわりをもっているのではないだろうか。

【参照】
「聖フーコー 知の諸配置の消滅をめざして」(小ブログ内)

キモカワな三島

2007-02-25 15:27:50 | 雑記
昨日から、京橋の椿画廊で、『アート・トップ』~「澁澤龍彦の宇宙」にコメントを寄せている画家の一人、合田佐和子さんの近作展がはじまったので、オープニング・パーティに行ってきた。
『アート・トップ』の特集のなかで、合田さんは「(澁澤龍彦には)威厳みたいなものがあった」と証言しているが、そんな合田さんの作品は、西洋のスターのポートレートをアレンジしたようなものが多い。今回はクレオパトラをイメージした新作を展示していた。
パーティには先日タックスノットでお会いしたM崎さんをはじめ知りあいがぽつりぽつり混じっていたが、私は『現代詩手帖』の元編集長Kさんを見つけ、独占してしまった。
久しぶりに会ったKさんが、最近はどんなことやってるの?と訊いてくるので、ローマへの原稿や提出したばかりの仏教系研究会の原稿のことを話すと、「それはクレイジーでいいね」「おもしろいネタだから小説にすればいいのに」とすごくのりがいい。調子にのってワインをぐびぐび空けてしまった。
また会場には、今回の『アート・トップ』の監修者であると同時に『澁澤龍彦 幻想美術館』展の監修者でもある巖谷国士さんも顔を出していたので、ご挨拶して、今ちょっと調べごとをしていて確認したいことがあるので電話させて欲しいと依頼し、快諾してもらった。

ということで、今日は昼過ぎに巖谷さんに電話。ある人の年譜のことで、不明の点を教えてもらった。また巖谷さんからは、澁澤龍彦の美やアーティストに対する嗜好の変化のことなどにはじまり、4月からはじまる企画展のこと、澁澤自身のことなども少し教えてもらった。

電話をきってから、巖谷さんが言及していた、『アート・トップ』収載の記事や澁澤龍彦全集の対談などを読みかえしてみると、なるほどここはこういうことかと、すっきり読める。そんな新たな角度から『アート・トップ』を読みかえしていたら、今日は巖谷さんと四方田犬彦さんの対談のなかの、こんな言葉が目をひいた。

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四方田「いまも大学で夏休みにレポートを書かせると、必ず澁澤さんの『眠り姫』とかを書いてくる学生がいる。本当にクラシックとして、いまの18歳は澁澤龍彦をとらえている。それでいいと思う。昔のようにヤバいものを垣間見るような、アンダーグラウンドのご禁制のものを見るような感覚は、いまの時代にはない。いまは「澁澤さんってかわいい」という感じで普通の感覚で読まれている。それは別の意味で三島由紀夫にもいえる。」
巖谷「三島由紀夫は”かわいい”のかな?」
四方田「うーん、”キモカワ”だね(笑)」

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そういえば、今日の毎日新聞読書面をみていたら、『楊貴妃になりたかった男たちーー<衣服の妖怪>の文化誌』(武田雅哉、講談社選書メチエ)という本が紹介してあった。その記事によれば、「何とも軽妙な書名だが、端的に言えば中国女装史とでもいうべき内容」(張競氏)とあり、こういう内容の本が出版され、かつそれが大きな新聞の読書欄で取りあげられるということにちょっと驚いた。ちなみにこの紹介記事そのもののタイトルは「2600年前、すでに「女装」趣味があった」。
澁澤から話がとんでもないところに飛んでしまったが、これも、なんでも「かわいい」という時代の一つの象徴のような気がする。

澁澤龍彦を核に性解放、表現の自由を考える

2007-02-23 14:00:15 | 愉しい知識
美術雑誌『アート・トップ』(芸術新聞社)3月号が「澁澤龍彦の宇宙」を特集している。
表紙を飾るのは細江英公氏の写真だが、特集のなかで、細江氏自身がこの写真について語っており興味深い。
「僕が彼を撮った中で象徴的なのは、ガウディのサグラダファミリアを投影させた写真でしょう。64年に初めて海外に渡り、縁あってバルセロナでガウディの作品群に遭遇して、魅入られた。これが建築なのか、いったい何なのだーーと、僕にとってはそれらが”巨大な肉体”に思え、そこからさらに、欧州文化に関する知識人・澁澤龍彦が結びついた。彼の”肉体”にガウディの巨大な肉体を映し出し、人間・澁澤龍彦の内側を撮ってみたい、と。」
細江氏が澁澤龍彦にはじめて会ったのはその少し前59年で、当時細江氏が被写体にしていた暗黒舞踏の土方巽が三島由紀夫のゲイ小説『禁色』をモチーフとした舞踏を公演した頃から澁澤とも急速に親しくなったという。その当時は澁澤が翻訳したサドの『悪徳の栄え』が発禁処分を受けたばかりで、細江氏には、澁澤は表現者として戦っているという印象があったという(この裁判では、三島、大江健三郎などが澁澤を強力に擁護している)。
この『アート・トップ』の特集では、他にさまざまな人が澁澤龍彦について語っているが、なかで興味深いのは舞踏家・大野慶人氏の証言。大野氏も前出の『禁色』公演についてふれ(これは彼の最初の舞踏公演という)、三島自身がその稽古場に訪れて激賞したことなどとからめながら澁澤について語っている。
「当時、舞踏はコンプレックスダンスといわれていました。肉体や精神のコンプレックスが大事だと。ただ、僕もすごくコンプレックスはあったんですが、本当にそれを前向きに考えてよいのかわからないわけです。そんなとき澁澤さんが、「コンプレックスのないやつなんかダメだよ」とおっしゃって、その一言がとても励ましになりました。うれしかったですよ。」
私は、日本の戦後の性解放、性表現の自由の運動は、このサド裁判からはじまると考えており、同時にまた、ここから後退してはならないと思ってもいる。

ところで、その澁澤龍彦が亡くなってことしは20年。『アート・トップ』も紹介しているが、全国でさまざまな企画展、メモリアル展が予定されているという。遠方の展覧会は無理だとしても、近郊の展覧会に行って、性の解放、性表現の自由についてもう一度考えてみたい。
(ちなみに、澁澤にはユルスナールの三島由紀夫論『三島または空虚のヴィジョン』の翻訳がある<ユルスナール・セレクション第5巻または河出文庫>)

【澁澤龍彦関連の主な展覧会】
『澁澤龍彦 幻想美術館』
埼玉県立近代美術館(さいたま市浦和区)
4月7日~5月20日
札幌芸術の森美術館(札幌市南区)
8月11日~9月30日
横須賀美術館
10月6日~11月11日(予定)

『澁澤龍彦の驚異の部屋』
ギャラリーTOM(渋谷区松濤)
4月7日~5月20日

『澁澤龍・堀内誠一 旅の仲間』
C・スクエア(名古屋市昭和区)
6月25日~7月28日

『澁澤龍彦 幻想文学館』
仙台文学館(仙台市青葉区)
9月15日~11月25日

『澁澤龍彦 カマクラノヒビ』
鎌倉文学館(鎌倉市長谷)
4月28日~7月8日

開かれた意見交換の場を目ざして

2007-02-21 15:07:12 | 雑記
某仏教系研究会用の原稿、締め切りの昨日、無事投稿をおえた。
原稿は全部で34枚。先週のなかばは、自分でもほんとうに書き終えることができるだろうかと疑問だったので、書き終えただけでもまあがんばったとは言えるだろう(笑)。
ただしその内容はかなり風変わりなものなので、すんなり掲載してもらえるかどうかはまだわからない。いずれにしても、自分としては書きたいスタイルで書けるだけのことは書いたのだから、あとはそれが受け入れられることを祈るのみ。

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さてこの原稿を書いているあいだ、原稿さえ終わればあとはゆっくりいろいろなことができるというつもりでいたのだが、その間いろいろなことを後回しにしてきたので、急いで処理しなくてはならないことがかなりたまっている。ということで、ブログの本格的再開は少しお待ちいただきたい。

とはいえ、その間もあちらこちらのブログを覗いて、そのなかで気になった円山てのるさんのブログ「低能流[ゲイ]文章計画」には、ふだん思っていることをいろいろ書き散らさせて頂いた。そんなご縁で、円山さんのブログと相互リンクが実現したので、ここに記しておきたい。
ただこれは円山さんのブログにも書かせて頂いたのだが、この相互リンクを、私は互いの意見の一致のしるしとは考えていない。それどころか、ブログの記事を拝読するとまじめで活発な円山さんと不謹慎で非政治的人間を自認する私ではいろいろな意味で意見の違いを感じるのだが、その違いを認めたうえで、これからもいろいろ話をしていこうということで同意しリンクすることになった次第。
実際のところ、さまざまなゲイブログを読むと、同じ考え方の人だけで固まって、反対意見をもつ人を受け付けないという傾向が強いように思われる。そもそも同じ考え方の人が集まりやすいのはブログの特徴だし、その方がブログの運営が楽なのは理解できるが、私はそれだけではつまらないのではないかと思う。私自身は、ゲイといってもさまざまな意見があってもいいのではないかと考えているので、このリンクをきっかけにして、いろいろな意見の人と話が出来ればいいと考えている。
みなさんどうぞよろしくお願いします。
ところで、この記事、もしかすると円山さんに対して非常に不遜で失礼な書き方になってしまったかもしれないが、おそらく、次のユルスナールの言葉に対する評価では、私は円山さんと一致できるのではないかと考えている。

「(仏教の根本的四誓願を)簡単に要約すればこういうことですーー自分のなかの悪しき性向と戦うこと、最後まで勉学・研究に没頭すること、可能なかぎり自己の改善に努めること、そして最後に「三界(つまり宇宙)の広がりのなかをさまよう被造物がどれほど多かろうと」、「彼らの救済に努めること」。道徳意識から知的知識まで、自己改善から他者への愛と憐憫まで、26世紀前のこの古いテクストにはすべてがあるように思います。」(『目を見開いて』)

あ、それと私もテノール莫迦の一人で、さすがにハイCはでないが、気持ちよくなると『誰も寝てはならぬ』など歌いたくなったりする(やすくん、伴奏してくれないかなあ…)。
ということで、円山さん、どうぞよろしく。

小説の普遍性と体験の個人性

2007-02-13 01:37:09 | テクストの快楽
マルグリット・ユルスナールへのインタビュー集『目を見開いて』を読み終えたが、結局、ユルスナールが考えていたのは、作品も同性愛という体験も、きわめて個人的なものだということだと思う。いや、より正確には、作品(言語)は普遍的、体験は個人的というべきか。したがってユルスナールは、自分の作品が自分を反映しているという考え方、彼女の作品に対するそうした読みを拒む。ではユルスナール作品から伝わるものはなになのか。ガレーはその矛盾をつく。インタビューの後半は、スリリングなもりあがりをみせる。

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M・G「この本(『北の古文書』)のなかであなたご自身のことを語っておられないのは驚きです。」
M・Y「フランスでものを書いたり話したりする人に見られる「人格(自分自身の)崇拝」という固定観念には、いつも仰天します。あえて言わせてもらえば、これはおぞましいほどブチ・ブル的だと思います。私は、私が、私を、私の、私の、私の…すべてがすべてのなかにあるか、話す価値のあるものはなにもないか、どちらかです。私についていえば、いわゆる「社交」の集まりで、マロン・グラッセが大好きだとか、好きな砂糖菓子はこれこれといったことを私に教えようとするご婦人や、いかにも「自分の」愛のアヴァンチュールを私に話して聞かせたくてうずうずしている殿方、たいていは耄碌した老紳士がいたりすると、私はできるだけ目立たないようにその場を離れます。ある作家の本のなかに個人的な打ち明け話のだぐいを探す読者は、本の読み方を知らない読者です。
 (中略)ラテン人たちは、「ペルソナ」は個人あるいは人間とはっきり区別されるなにか、一種の表象的図像、あるいは一種の図形であるという考えをもっていました。いま私はマチューという名前の人物を目の前にしています。もしかしたら私は個人としてのマチューも少しーーほんの少しーー知っているかもしれません。しかしあなたは誰なのでしょう。人間存在としてのあなたなら私は確認できます。あなたがどんな人なのか知らないとしてもです。ミシェル(ユルスナールの父)に関しては、いまでも彼を隅々まで知っているわけではありません。ましてや20歳のころの私の人生経験では、彼を完全に理解することはもちろんできませんでした。」
M・G「しかしながら、あなたのやり方は、まさに正反対だったように思われます。つまりあなたのほうが作中人物のなかに入り込んだのです。」
M・Y「それは絶対に違います。私がゼノンでもハドリアヌスでもないのと同じく、ミシェルでもありません。あらゆる小説家と同じく私は自分の実質から出発して彼の再構成を試みました。しかしそれは未分化の実質なのです。人は自分の創造する人物を自分の実質で育てます。それはある意味で懐胎という現象に似ています。彼に生命を与え、あるいは生命を返すためには、人間的実質の寄与によってその人物を強化しなければならないのは確かです。しかしだからといって、彼が私たちであるとか私たちが彼であるとかということにはなりません。それぞれの実態は違ったままなのです。」(中略)
M・G「自己を語ることへのあなたの気難しさは独特ですね。それを感じているのは作家たちのなかで実際上あなただけです。作家が自分を語るのを嫌うのは稀なことです。」
M・Y「自己を語るのではなく、繰り言を言うだけの人が多いのです。」

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ある人は、こうしたユルスナールの発言をかたくなだと受け取るかもしれない。しかしユルスナールは、作品をとおして個を超えたなにかを追求していたのではないか。もちろん、その出発点はあくまでも個であり、同性愛という現実ではあるのだけれど。
ユルスナールは最後の最後まで誇り高く、自分を矮小化することがない。作品においても、インタビューにおいても。自己がどのように死にたいかを語るインタビューの結末部は文字通り感動的である。
『目を見開いて』全体を読み終えて、私は、偉大な人の偉大な声に接したという思いを強くした。

同性愛の非政治性ーーユルスナールの場合

2007-02-11 19:07:49 | テクストの快楽
今日は研究論文に使う参考文献をコピーしに図書館に行ってきた。ただし論文はそっちのけで、マルグリット・ユルスナールへのインタビュー集『目を見開いて』(白水社)を読んでいる。以下、『目を見開いて』のなかから、現在の私には非常に含蓄があると思われる言葉を抜き出してみる。

M・G「非政治的人間を自称する人はすべて、ふつう右翼の人間ですね。」
M・Y「そういう判断は断定的すぎて、私には受け入れがたく思えるけど、少し考えさせてください…そういう言い方が差し当たり証し立てるのは、左翼のイデオロギーが右翼の政治にたいして優位に立っている、あるいは立とうと努力しているということです。ムソリーニにとって、彼の帝国主義政策に賛同しない作家はすべて、いうまでもなくアナーキスト的傾向の「非政治的人間」でした。(中略)私は、終末論的夢想が左翼のものだから悪いと言っているのではありません。人がそれらを内容空虚な決まり文句に変えてしまうから悪いのだと言っているのです。心の奥底では私は確信しています。どんな体制でも、それを適用する人が完璧であり、それを受け入れる人びとが完璧であるのなら、完璧でありえない体制はない、と。理想的共産主義体制は、このうえなくすばらしいはずです。しかし、ヴォルテールが願うような啓蒙君主も同様にこのうえなくすばらしいはずなのです。ただ、そんな人たちがいったいどこにいるのでしょう。」

M・G「共感愛というのは、どういうものなのですか?」
M・Y「どんなものであれ、私たちと同じ危険、同じ苦難をわかちあう被造物への深い優しさの感情です。私はそれをとても強く感じるのです。しかし小説や演劇で人びとが愛と呼んでいるものとは違います。また、たいへんまずい呼び方だと思うのですが、「プラトニックな愛」と呼ばれているものでもありません。それはひとつの絆なのであり、肉体的なものであろうとなかろうと、つねに官能的で、なにをどうしようとその点に変わりはないのですが、ただそこでは共感のほうが情熱より優位を占めるのです。フランス的愛の概念には、これまでいつも私を困惑させてきたものが、もうひとつあることも言っておかなければなりません。もしかしたらヨーロッパ全体の愛の概念についても同じなのかもしれませんが、私が言いたいのは神聖という概念が欠けていることです。私たちの受けたキリスト教教育あるいはポスト・キリスト教教育のせいで、そしてまた1500年前から私たちに先立って存在した心理のすべてのせいで、私たちは、愛が…というよりもっと単純に官能的絆あるいは日常生活のなかの人間関係さえ神聖なものだという感情を失ってしまったことを指摘しておきたいのです。これらの官能的関係が神聖なのは、生全体のなかの偉大な現象のひとつだからです。」

M・G「少女時代、あなたは信仰をおもちでしたか?それともたんなる感動でしたか?」
M・Y「私は信仰というものを信じません、少なくとも信者たちが今日この言葉を使うときに込める意味では。言い換えれば、ほとんど攻撃的に話すときの意味では。(中略)私たちは、彼らの信仰のなかに意志の努力があり、独占への意志もあるのを感じ、見抜くのです。私たちはこういう信仰をもっている、それは私たちのものだ、こういう信仰をもたない連中は可哀相だ、あるいは逆に、そういう連中は不愉快なやつらだ、そういう連中の伝統だの個人的反応などは無視して、彼らを改宗させねばならぬ、というわけです。だとすれば、私はそんな気持ちを感じるどころではありません。(中略)聖なるものという言葉は非常に真剣に受け止めなければならない言葉です。幼年時代にわけもなくごく自然に宗教的神話を生きたことのない人びとは気の毒だーー私はいつもそう思います。私の受けた教育はとても自由なもので、人が私に、しかじかの教育を信じなければならないなどと断言したことは一度もありませんでした。それでも私のなかには、私たちをとりまいて限りなく広がる、目に見えぬもの、不可解なものがあるという気持ちは残っています。」

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ユルスナールにとって、愛(彼女の場合は同性愛)は神聖さの概念につながる根源的なものであり、その愛も神聖さも、キリスト教の世俗性をはるかに超えたものだったのだと思う(それは官能性を排除しない)。したがって、彼女にとって重要なことは、愛や神聖さによって世俗性を超えていくということであり、それが世俗的、もしくは社会的にどう受け止められるかという問題を彼女はいとも簡単に通り過ぎてゆく。いや、社会的な受け止め方を考慮して行動すること自体すでに世俗的であり、彼女の強く忌避するところなのだ(故に彼女は、ローマ皇帝ハドリアヌスの脱俗性にひかれていく)。
これはたとえば、カミング・アウトを怖れる人間がカミング・アウトの社会的広がりを嫌う心理とはまったく異なる。もしユルスナールとカミング・アウトの問題を問うならば、彼女は小説家を志した非常に早い段階ですでにカミング・アウトしているわけだが、「個」としての自分の問題であるカミング・アウトが、社会的問題と結び付けてとりあげられることを嫌うのである。

この辺のユルスナールの心情、私は、(左翼として知られる)ヴィスコンティの映画『山猫』のなかのサリーナ侯爵が、国会議員への推薦を辞退する心情ともつながっていると思う。

「大きな闘いはすべて後衛戦」(ユルスナール)

2007-02-09 15:53:25 | テクストの快楽
某研究会会報用の原稿は、想が練り上がるにまかせることにして(数時間という細切れのような時間で想を練るというのは、ほんとうに難しい)、午前中は画家パウル・クレーの評伝を読み上げ、ヴェランダの植物に水をやり(もうすぐクロッカスが咲きそうだーーこのクロッカス、<レディ・キラー>という恐ろしい品種名である!)、午後は小説家マルグリット・ユルスナールへのインタビュー『目を見開いて』(白水社、岩崎力訳)を読みはじめた。
実はこのところ、さまざまなブログに書かれているゲイ解放やカミング・アウトに関連した記事に多少うんざりしていたので(うんざりするくらいなら読まなければよさそうなものだが、つい読んでしまう…)、このインタビューの書き出しは、我が意をえたりという感じで非常に心地よい。ユルスナールが心を開いてインタビューに応じただけのことはあるとうならせられる。
曰く、「そもそも瑣末な枝葉末節ほど彼女と無縁なものはない。たとえそれが混じり込んでいるとしても、「興を添える」ためにすぎない。それは、ひたすらある登場人物の真の姿のごく小さな一片を明かすためのものであって、それ以上のなにものでもない。彼女は、われわれの文学にあふれている古ぼけた心の痛みやエロスの激情などにはなんの興味も抱いていないし、他方、小説のなかで始めから終わりまでひたすら自分のことばかり語りつづけるなどというのは「気ちがい沙汰」だと彼女には思えるのである。距離をおかなければ、「出来事に衝突して鼻をへし折ってしまう」と彼女は言う。「人は遠ざかり、自我は多孔質。人や自我の全体像を描こうなどという考えは、幻想そのものというしかない。」」「ユルスナールは、フェミニズムもふくめて、抑圧作用をおよぼすものをすべて拒否する。フェミニズムについては、ほとんどこれを人種差別主義の裏返しとみなしているといってもいい。(中略)『アレクシス』と『ハドリアヌス帝の回想』の作者がーーやはり普遍的なものの名においてーー同性愛と普通一般の愛を区別する理由がわからないとするように、このことは、まさに彼女を自分たちの女性独立主義的理想の代弁者と考えていた軽率な崇拝者の多くを失望させるにちがいない。しかし実は彼らの理想ほど彼女の考えと無縁なものはないのである。アカデミー会員たちの度重なる勧誘に、長いあいだ彼女が関心を示さなかったことも、同じ理由によって説明される。フェミニストであれば、擁護すべき大義の名において、即座に勧誘を受け入れたにちがいないのである。」
インタビュアー、マチュー・ガレーによれば、ユルスナールは次のように語ったともいう。「大きな闘いはすべて後衛戦なのです。そして今日の後衛は明日の前衛です。」
同性愛の社会的解放を声高に語ることではなく、良質な作品を書くことこそ、小説家として最も説得力のある社会的な闘いであり、また結果として女性(同性愛者)の地位向上にもつながるというのが、彼女の考えだったのではないだろうか。
ちなみに、ユルスナールはベルギー出身の女性小説家で、女性として初のアカデミー・フランセーズ(フランス学士員)会員。その小説ーーたとえば『アレクシス』『ハドリアヌス帝の回想』ーーの大半は同性愛者を主人公とする。彼女自身も同性愛者で、第二次世界大戦期以降、恋人のグレース・フリックとアメリカで暮らしていた。ただし、上に引用したガレーの序文にあるように、彼女は同性愛が自分にとって身近かだったからそれを描いてはいるが、いわば普遍的な物語としてそれを描いているだけで、それを特定の主張や自己告白と結び付けようとする態度は皆無に等しかったと思う。

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さてこれらを読みながら、今日もシューマンのCDばかり聴いていた。

 ピアノ協奏曲(ハスキル)
 謝肉祭、幻想小曲集(ルービンシュタイン)
 ピアノ五重奏曲(ルービンシュタイン、ガルネリ四重奏団)
 ライン交響曲(バーンスタイン)
 詩人の恋、献呈(フィッシャー=ディースカウ)

昨日書き忘れたが、たとえばライン交響曲の冒頭、強烈なシンコペーションで拍子感覚を麻痺させようとするところ(3拍子の曲が2拍子にきこえる)など、ものすごくホフマネスクだと思うが、またこの辺が正統をもって認じるドイツの演奏家に嫌われるところだろう。フルトヴェングラーもベームも、ライン交響曲の録音を残していない。

君である私

2007-02-08 15:25:56 | 雑記
某仏教系の研究会の会報への投稿期限(20日)が迫り、ブログの更新がままならなくなってきた。ご了解いただきたい。
今回の原稿、すでに二度の研究報告を経ているので、実証的な結論(=既存のテクストに対する新たな読解の提案)はもうみえているのだが、その結論にいたるまでのプロセスをどうもっていくか、そもそもどのような切り口から問題に入るかが難しく、入り口で停滞している。昨日あたりから、その辺の解決法が、ようやく少しだけみえてきたという感じだ。

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ところで、原稿の内容とは関係ないのだが、音楽の方は、ホフマンの『クライスレリアーナ』を読んだせいで、このところシューマンばかり聴いている。
今日聴いたのは、フランスのピアニスト、ジャン・ユボーほかが演奏するピアノ三重奏曲のCD。曲も演奏も、ほの暗いロマン派性が魅力的だ。
シューマンのピアノ協奏曲もよく聴いているが、手許にCDがあまりないので、私が愛聴しているのはハスキル、オッテルローのもの(この演奏は、先日ユニヴァーサルから再発された)。バックハウス、ヴァント盤は硬すぎてあまり好きではない。
肝心の『クライスレリアーナ』は、いろいろくらべながら聴きこんでいる最中で、まだどれがベストと結論を出せずにいる。

さて話をもとに戻してホフマンの『クライスレリアーナ』だが、たとえば、

「わたしにしてきみなる
  元楽長 ヨハネス・クライスラー」

という、安易な単純化をゆるさない分裂した結び(つまり、この作品は、私<クライスラー>が君としてのもう一人の私に捧げた作品だというわけ)が最高にスリリングだ。

二つの個展、二つのアプローチ

2007-02-04 23:52:47 | アート
昨日(3日)は、銀座、京橋の二つの画廊を訪問し、タイプの違う二つのアート、二人の作家と接し、非常におもしろかった。

昨日訪問したのは、まず、前の記事で紹介したスパンアートギャラリーの甲秀樹さんの展覧会。
昼過ぎに伺うと、作家の甲さんだけでなく、仕掛け人のOさんも初日の様子を見に来ている。二人と雑談していると、画廊主のSさんも入ってきて、なんだか和気藹々の雰囲気だ。
甲さんの作品は、油絵と鉛筆画が半々ぐらいで、油絵もさることながら、鉛筆画の線の繊細さ、ぼかしの巧みさに魅せられてしまった。ダイレクトメールにも今回展示している鉛筆画はプリントしてあるのだが、実物は、プリントとは段違いの細かいタッチだ。
甲さんの硬質な描き方が、少年という対象にぴったりで、いつまで見ていてもあきない。
とはいえ、作品にはとても手が出ないので、絵はがきを一枚買って甲さんにサインしてもらった。

その足で今度は京橋の画廊に行き、やはり昨日が初日のOさんの展覧会を見る。Oさんはパリ在住の作家で、絵、立体等、さまざまなものに挑戦しているが、今回は写真の展覧会だ。
写真の題材は身近なものばかりで、たとえば、男の頭部の標本は、パリでOさんにのみの市を案内してもらったとき、Oさん自身が「あ、おもしろいものがある」とがらくたのなかから見つけ購入したものだ。そのときは、こんなものどうするんだろうと思って見ていたのだが、Oさんは、写真という媒体をとおし、それをきちんと自分の世界のなかのものにしてしまっている。この写真をみて、作品の材料というのはどこにでもあるんだなと感心してしまった。
その他の作品では、お菓子の型を壁の前に置いて撮った作品、おもちゃの兎の耳に手袋の先をかぶせて撮った作品などがおもしろかった。
要するにOさんが写しているのは、すべて身近にあるものばかりなのだが、それをちょっと角度を変えて写すことで、日常が少しだけズレて、モノの向こう側が見えてくる。Oさんはそのちょっとしたズレを愛でているというような感じだ。

二つの展覧会のオープニング・パーティーにも心をひかれたが、夕方からはアルバイトがあるので、鑑賞と雑談を早々に切りあげた。

『薔薇族』の表紙を飾った甲秀樹さんの展覧会、銀座で開催

2007-02-02 13:38:04 | アート
銀座の画廊スパンアートギャラリー(銀座2-2-18、西欧ビル1F<外堀通り沿い>、TEL=03-5524-3060)で、明日から、『薔薇族』の表紙絵を描いていた甲秀樹さんの近作展が開かれる。題して「アドーニスの園 華の少年たち」。
展示されるのは、人形2体と絵画(ドローイング含む)約20点。
会期は2月3日(土)~10(土)までで、開廊時間は11:00~19:00、会期中無休。
初日は、17:00からオープニング・パーティーを開催。
また2月9日(金)には、デカダン、耽美、倒錯をテーマに、朗読劇『蛇屋横町』のパフォーマンスも予定されている(17:30と19:30の2回、料金2,500円<ワイン付>)。

甲さんの作品は、スーパーリアリズムのタッチで、対象となる少年たちを、まるで標本画のように細部まできっちり描きこむのが特徴。もちろん、ペニスなどもものすごくリアルに描かれる(もっとも、私が好きなのは、甲さんの作品のなかの少年たちのけだるい表情なのだが<笑>)。
甲さんの作品展が銀座の画廊で開かれるというのは画期的だが、実はこの展覧会の企画者は、31日に私が渋谷のワインバーで会ったOさんだ。甲さんの展覧会はこれまで渋谷のOさんの画廊で開かれていたのだが、甲さんの作品に惚れ込んでいるOさんの提案で、今回銀座の画廊で開かれることになったという。今回の展覧会も、そのリアリズムのタッチで、銀座の人たちの度肝を抜くような刺激的な展覧会になることを期待している。

【参照】
「Hideki Koh on line」(甲秀樹さんの公式サイト)