昨日の記事を読み返してみて、『アート・トップ』に掲載された巖谷・四方田対談を「キモカワ」だけで片付けるのは方手落ちと感じたので、少し補足しておく。
* * *
まず、澁澤龍彦の全体像。
巖谷「澁澤龍彦は知識にみちみちているように見える、それはそうなの。猛烈な記憶力があったしね。でも、実際には「見る人」ですよ。自分は「視覚型」で、形のあるものから発想しないとだめだと言っていた。見ることから出発するのが彼の特徴で、観念やイデオロギーから発想するのではない。」
この「見る人」ということが、「澁澤好み」のアーチストの作品を集めて一つの展覧会を開くという発想につながっていくわけだが、ではその「澁澤好み」のアーチストを具体的に検証していくとどのようなことが言えるのだろうか。
巖谷「澁澤さんのとりあげた作家を見ていくと、日本で常識的に主流とされてきたルネサンスから印象派までの流れに入らないものが多い。そのひとつが細密画で、行きついたところが16世紀のマニエリスム。その典型がパルミジャニーノやアルチンボルドだった。17世紀ではジャック・カロくらいで、いきなり18世紀のサドの時代に飛んでしまう(笑)。」
四方田「18世紀というと、資質的に澁澤さんがいちばん合った時代なのかな?」
巖谷「やはりサドは関心の中心であり出発点だからね。サドの同時代でいうとピラネージやゴヤです。ゴヤというのは近代のはじまりに位置するけれど、澁澤さんにとってはサドも近代、というか現代のはじまりだった。」
四方田「だから、本当は澁澤さんの隣にはミシェル・フーコーがいるのかもしれない。彼も監禁と懲罰と狂気の話ばかりに取り憑かれていた。」
巖谷「実際に澁澤さんはフーコーをけっこう読んでいたよ。(展覧会の)図録には「澁澤龍彦をめぐる260人」という名鑑ページをつくったんだけど、その中にはフーコーも入れちゃった。フーコーの18世紀研究を彼はいろいろと参考にしていて、後年にサドのことを語り直したとき、新しい視点として使っているのがフーコーやロラン・バルトだったからね。」
参考までにパルミジャミーノの有名な『凸面鏡にうつる自画像を』をアップしておいたので、ご参照いただきたい。この絵については題名がすべてを語っているが、凸面鏡に映し出された自画像は、リアルには違いないのだが、通常の遠近法と異なり自分から遠いものほど大きく写し出され、われわれの日常感覚に異を唱える。この日常感覚に対して異議を唱えるということを澁澤は重視したのではないかと私は思う。
ところで、澁澤のサドへの関心は、エロティシズムという澁澤の重要なキーワードにつながっていくが、それは一つの思想であり、同時にまた事物の領域へとひろがっていくという。
巖谷「もう一つ付け加えておくと、澁澤さんが日本の美術に注入したものとしてエロティシズムがありますね。エロティシズムの捉え方を変えたということ。」
四方田「エロティシズムを思想として論じることが重要だといったわけだ。」
巖谷「それまでの日本の「エロ」というのは、いわゆる色情的で、恥ずかしくなるようなものが多かったけれど、澁澤さんのエロティシズムは事物の領域にひろがっていたね。彼はたとえば貝殻を見てエロティシズムを感じる人だから。」
したがって、澁澤のエロティシズム、もしくはサディズムというのは、直接的な快楽というより、やはり日常性への叛逆という側面が強いのではないかと思う。
こうした観点からすると、昨日とりあげた「キモカワ論」も、実は次のように続くところが大事なのではないだろうか。
四方田「とにかく少女カルチャーとか少女マンガの世代、彼女たちの背後に澁澤龍彦は”普通の風景”としてあると思う。」
巖谷「そう思いたいね。そうじゃない”キモカワ”期待の読者もいるけれど(笑)。誤解もある。」
実は私は、犬童一心監督の映画『メゾン・ド・ヒミコ』がとても好きなのだが、上のような議論をふまえていうと、これなどは、少女マンガの世界観(大島弓子)をとおして、澁澤的な風景を照射した作品ではないかと思う。
しかし澁澤龍彦が提起した問題が少女カルチャーのなかだけで生き続けているわけではもちろんない。それは、われわれゲイの世界とも、いやわれわれゲイの世界とこそ深いかかわりをもっているのではないだろうか。
【参照】
「聖フーコー 知の諸配置の消滅をめざして」(小ブログ内)
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まず、澁澤龍彦の全体像。
巖谷「澁澤龍彦は知識にみちみちているように見える、それはそうなの。猛烈な記憶力があったしね。でも、実際には「見る人」ですよ。自分は「視覚型」で、形のあるものから発想しないとだめだと言っていた。見ることから出発するのが彼の特徴で、観念やイデオロギーから発想するのではない。」
この「見る人」ということが、「澁澤好み」のアーチストの作品を集めて一つの展覧会を開くという発想につながっていくわけだが、ではその「澁澤好み」のアーチストを具体的に検証していくとどのようなことが言えるのだろうか。
巖谷「澁澤さんのとりあげた作家を見ていくと、日本で常識的に主流とされてきたルネサンスから印象派までの流れに入らないものが多い。そのひとつが細密画で、行きついたところが16世紀のマニエリスム。その典型がパルミジャニーノやアルチンボルドだった。17世紀ではジャック・カロくらいで、いきなり18世紀のサドの時代に飛んでしまう(笑)。」
四方田「18世紀というと、資質的に澁澤さんがいちばん合った時代なのかな?」
巖谷「やはりサドは関心の中心であり出発点だからね。サドの同時代でいうとピラネージやゴヤです。ゴヤというのは近代のはじまりに位置するけれど、澁澤さんにとってはサドも近代、というか現代のはじまりだった。」
四方田「だから、本当は澁澤さんの隣にはミシェル・フーコーがいるのかもしれない。彼も監禁と懲罰と狂気の話ばかりに取り憑かれていた。」
巖谷「実際に澁澤さんはフーコーをけっこう読んでいたよ。(展覧会の)図録には「澁澤龍彦をめぐる260人」という名鑑ページをつくったんだけど、その中にはフーコーも入れちゃった。フーコーの18世紀研究を彼はいろいろと参考にしていて、後年にサドのことを語り直したとき、新しい視点として使っているのがフーコーやロラン・バルトだったからね。」
参考までにパルミジャミーノの有名な『凸面鏡にうつる自画像を』をアップしておいたので、ご参照いただきたい。この絵については題名がすべてを語っているが、凸面鏡に映し出された自画像は、リアルには違いないのだが、通常の遠近法と異なり自分から遠いものほど大きく写し出され、われわれの日常感覚に異を唱える。この日常感覚に対して異議を唱えるということを澁澤は重視したのではないかと私は思う。
ところで、澁澤のサドへの関心は、エロティシズムという澁澤の重要なキーワードにつながっていくが、それは一つの思想であり、同時にまた事物の領域へとひろがっていくという。
巖谷「もう一つ付け加えておくと、澁澤さんが日本の美術に注入したものとしてエロティシズムがありますね。エロティシズムの捉え方を変えたということ。」
四方田「エロティシズムを思想として論じることが重要だといったわけだ。」
巖谷「それまでの日本の「エロ」というのは、いわゆる色情的で、恥ずかしくなるようなものが多かったけれど、澁澤さんのエロティシズムは事物の領域にひろがっていたね。彼はたとえば貝殻を見てエロティシズムを感じる人だから。」
したがって、澁澤のエロティシズム、もしくはサディズムというのは、直接的な快楽というより、やはり日常性への叛逆という側面が強いのではないかと思う。
こうした観点からすると、昨日とりあげた「キモカワ論」も、実は次のように続くところが大事なのではないだろうか。
四方田「とにかく少女カルチャーとか少女マンガの世代、彼女たちの背後に澁澤龍彦は”普通の風景”としてあると思う。」
巖谷「そう思いたいね。そうじゃない”キモカワ”期待の読者もいるけれど(笑)。誤解もある。」
実は私は、犬童一心監督の映画『メゾン・ド・ヒミコ』がとても好きなのだが、上のような議論をふまえていうと、これなどは、少女マンガの世界観(大島弓子)をとおして、澁澤的な風景を照射した作品ではないかと思う。
しかし澁澤龍彦が提起した問題が少女カルチャーのなかだけで生き続けているわけではもちろんない。それは、われわれゲイの世界とも、いやわれわれゲイの世界とこそ深いかかわりをもっているのではないだろうか。
【参照】
「聖フーコー 知の諸配置の消滅をめざして」(小ブログ内)