闇に響くノクターン

いっしょにノクターンを聴いてみませんか。どこまで続くかわからない暗闇のなかで…。

今度はポーランドから

2010-02-26 22:48:57 | 雑記
不思議なことがあるものだ。
NYからT社の返事を待っていたところ、それより先に、ポーランドでの展覧会の話が飛び込んできた。
実はこのポーランドでの展覧会の企画は急に起こったものではなく、去年の秋に、ポーランドから日本の現代のアーチストのグループ展を行いたいという話が伝わり、参加の方針で友人もその準備を手伝ったのだが、途中から、展覧会をやるためにはポーランドが準備した予算ではまったくたりない(作品が運搬できない)ことがわかり、流れていたものだ。
したがって、友人も私も、この企画はなかったものとおもっていたところ、ポーランド側はどのようなかたちであれ、日本とポーランドの交流を示す展覧会を開催したいたしという意向を現在ももっており、複数の日本のアーチストの作品を紹介することが予算的に不可能なのであれば、友人の作品だけに的をしぼってなんとか展覧会を実施したいという情報が伝わってきたのだ。
参加を見送った他のアーチストにはもうしわけないが、逆にこちらとしては実質の個展ということで願ってもない企画なので、仲介者をとおし、受諾可能という返事を出した。
予算も時間もないうえに、習慣のまったく違うポーランド人スタッフと接触するのは不安だが、私としては、友人のためにもこの企画がうまくいけばいいとおもっている。
そして、この企画をすすめることは、当然のことながら、ミラノのT社と話をするときにも、こちら側の有力なもち札として使えることはいうまでもない。
このあたり、ゲイはしたたかなのだ。

NY経由でミラノからのアプローチ

2010-02-23 00:14:52 | 雑記
待てば海路の日和あり。
今日、アルバイトを終えて帰宅すると、ある美術館をとおして、ミラノのファッション・メーカーT社が運営している美術財団の学芸員が私の友人の作品に興味を示しているので連絡して欲しいというメールが入っていた。
狐につままれたような気がするするまま、ともかく教えてもらったメルアドに「連絡待つ」という趣旨の短いメールをだしたところ、間髪をおかずにさっそく返事がきた。国際的な活動をしている学芸員は、さすがに動きが早い。なおかつ、ファッション・ブランドと組んで仕事をしているだけに、彼にとって、興味がある相手に対するすばやい反応は、当然の行動なのだろう。
メールの発信地はニューヨーク。「今、アジアから戻ってメールを開いた。あなたからのメールには非常に感謝している。伺いたいことはいろいろあるが、今は戻ったばかりで、急いで片付なくてはけるならないことがいろいろある。それを片付けてから改めてメールすることを許してもらいたい。メールは水曜日か木曜日になるだろう」というものだ。
簡単なメールだが、誠意が感じられる。
今は、これがいい仕事になればいいとおもっている。

(それにしても、海外で友人の作品に興味をもつのがイタリア人ばかりというのはおもしろい。T財団の学芸員は、友人の作品に興味をもった4人目のイタリア人だ。)

マーラー伝とクナッパーツブッシュ伝を読む

2010-02-22 00:29:58 | 楽興の時
最近、音楽家の伝記を立て続けに二冊読んだ。
一冊は田代櫂さんによる作曲家グスタフ・マーラー(1860年~1911年)の伝記『グスタフ・マーラー 開かれた耳、閉ざされた地平』(春秋社、2010年)、もう一冊は奥波一秀さんによる指揮者ハンス・クナッパーツブッシュ(1888年~1965年)の伝記『クナッパーツブッシュ 音楽と政治』(みすず書房、2001年)。
二冊の書き方は非常に対照的で、奥波さんの『クナッパーツブッシュ』が、ユダヤ人排斥運動やナチスとの関係のなかで時代に翻弄される音楽家の行動を浮き彫りにして非常に考えさせられるのに対し、田代さんの『グスタフ・マーラー』は、細かいデータやマーラー夫人アルマをめぐるゴシップ的な話題(マーラーの生前からアルマはグロピウスという若い男をなかば公然の恋人にしており、そのことでマーラーは非常に苦しんだという)の紹介が多く、それが等身大のマーラー像だと言われればそれまでだが、私からするとマーラーを必要以上に小さくしてしまっているようでつまらなかった。
ちなみに、マーラーが活動した時代とクナッパーツブッシュが活動した時代は一部重なるが、クナッパーツブッシュはマーラーをまったく演奏していない。おそらく、マーラーの音楽はまったく評価していなかったとおもう。そのクナッパーツブッシュがもっとも重要視し、レパートリーの中心に据えていたのがワーグナーとブルックナーで、どちらもナチスによって神聖視された音楽なのだが、おもしろいことに、ヒトラーがクナッパーツブッシュの演奏を毛嫌いし、そのためクナッパーツブッシュは純然たるドイツ人であったにもかかわらずナチスとまったくそりが合わず、活動拠点のミュンヘンを追われ、当時まだ独立を保っていたウィーンに拠点を移したということを、奥波さんの本ではじめて知った。しかしさらにおもしろいのは、その後オーストリアがドイツに併合されると、クナッパーツブッシュはナチスに協力せざるを得なくなるのだが、戦後そのことが問われてアメリカ軍によって演奏停止を命じられたということだ。しかも、ミュンヘンの聴衆は、クナッパーツブッシュがナチスを嫌い、ナチスによってミュンヘンを追われたという経緯をよく知っているので、このアメリカ軍の決定に猛反発したというのだ。
芸術活動と政治のかかわりは、このようにとても一筋縄ではいかないのだが、そうした矛盾や苦悩を、田代さんの『グスタフ・マーラー』はとらえそこねているとしか私にはおもえない。それであれば、先日読んだ柴田南雄さんの『グスタフ・マーラー 現代音楽への道』(岩波新書、1984年)の方が、コンパクトでもマーラーが置かれていた時代状況をきちんとおさえているような気がする。
ところで、奥波さんの『クナッパーツブッシュ』を読んだ収穫はもう一つ。それは、マーラーとクナッパーツブッシュの間に存在している陰の重要人物が指揮者のブルーノ・ワルター(1876年~1962年)だということ。ワルターがマーラーの弟子で、マーラーの交響曲「大地の歌」と交響曲第九番を初演したのは有名な話だが、そのワルターがマーラー没後に活動拠点にしたのがミュンヘンで(ここでワルターはトーマス・マンの隣家に住み、マンと非常に親しかった)、ここでユダヤ人排斥の動きが強まってベルリンに転出したとき、ワルターの後釜に座ったのがクナッパーツブッシュだということ。次に、ワルターが安住の地とおもっていたベルリンをナチスによって追われ、ウィーンに活動拠点を移したとき、そのあとからウィーンに移り、ウィーンをも追われたワルターの後継者の地位におさまったのが、またしてもクナッパーツブッシュだったということ。ワルターの自伝『主題と回想』はすでに読んでおり、ワルターがミュンヘン~ベルリン~ウィーンと転々とした経緯は知っていたが、そのたびにクナッパーツブッシュがワルターの後継者の地位を得たことを、私は知らなかった。それもそのはずで、奥波さんによれば、ワルターは、自伝のなかでクナッパーツブッシュの存在をまったく無視しているという。彼にとりクナッパーツブッシュは、口にだすのも汚らわしい存在だったのであう。こうしたワルターとクナッパーツブッシュのねじれた関係を明らかにしてくれただけでも、『クナッパーツブッシュ』という本は十分におもしろい。

     ☆     ☆     ☆

ところで、土曜日は、先日ネットで知り合ったYoshiさんとBillさんのカップルがワインをもって寓居に遊びに来てくれた。たいしたもてなしもできなかったが、一緒に食事をしてとても楽しかった。

ロシア文化の現在を紹介するテレビ企画

2010-02-10 00:31:37 | 雑記
一昨年の5月、ローマ大学の一行が来日してイヴェントを行ったとき、この企画をコーディネイトし、それ以来、一緒に歌舞伎をみたり、展覧会に行ったりして親しく付き合っているロシア人のR君が、NHK「ロシア語講座」(毎週水曜日深夜、再放送は土曜日早朝)内の文化コーナーで、4回にわたり、ソ連・ロシアの映画、アニメーション、コンテンポラリーアートを紹介するという(第1回は昨年12月にすでに放送済み、第2回もまもなく放送)。残念ながら、私はこの番組を観ることができなそうなのだが、ロシアで今どのような文化現象が進行しているのかを伝える興味深い企画になりそうなので、その内容だけでも以下に簡単に紹介しておこう。最終回は特におもしろそうで、私もなんとか観たいのだが…。

第1回(2009年12月)――放送済み
『運命の皮肉』
映画/エリダール・リャザーノフ監督/184分/1975年

第2回(2010年2月10日0:30-0:55 & 2010年2月13 日05:35-06:00)
『不思議惑星キン・ザ・ザ』
映画/ゲオルギー・ダネリヤ監督/135分/1986年
ジェームズ・キャメロン監督による映画『アバター』のヴァーチャルなくだらなさを、旧ソ連の時代に制作されたゲオルギー・ダネリヤ監督の真の「錆びたメカ世界」で切り倒す。この作品はモスクワの地下鉄と「ソ連軍隊の劇場」にある回転ステージの下で撮影された映画で、ハイ・テクとロー・デザインの混在、パンキッシュ惑星、ジャンクSFを楽しませるものとなっている。

第3回(2010年3月3日0:30-0:55& 2010年3月6日 05:35-06:00)
「チェブラーシカ」
アニメーション/ ロマン・カチャーノフ監督/20分6秒/1971年
チェブラーシカの多数のイメージと反抗不可能な絶対的な人気に屈することなく、この生物について深く考えてみる。チェブラーシカとはどのようなものか?どのようにして彼は大衆の愛を集めたのか?そして、なぜ彼のイメージはいつも箱の形象とリンクするのか?

第4回放送時間(2010年3月24日0:30-0:55 & 2010年3月27日05:35-06:00)
ロシアのビデオアート
『ペンキを洗い流す』/ビデオ/1995年
『絶望』/ビデオ/30`45/2008年
『余剰:ダーチャへの道』/ビデェオ/11`26/2009年
最終回は、 挑発的なコンテンポラリーアートに着目する。
まず1996年、ロシアのテレビで働いていたセルゲイ・プロヴォロフとガリーナ・ミズニコヴァの解雇とスキャンダルの切掛けの一つとなったビデオアートを紹介。それは『ペンキを洗い流す』という映像で、テレビ局であったソ連のドキュメンタリー映画アーカイヴから拾ったフィルムに強い化学製品をかけて作られた作品だ。これは、ロシアにおける新しい(アシッド)世代の誕生と、当時のコンテンポラリーアート、実験映画、ビデオアートの「リアクティブベース」の成立を示すビデオアート作品でもある。解雇の後、プロヴォロフとミズニコヴァは「プロヴムィザ」というアートグループを結成し、ロシアの代表的な作家として第51回ヴェニスビエンナーレ(2005年)などの様々な国際展覧会、上映会に参加している。
続いて、「プロヴムィザ」の最近の作品、『絶望』を紹介し、ビデオアートそのものの特徴について考え、ビデオアートの映画と絵画の間の位置、見せ方や見方を紹介し、「プロヴムィザ」が映像の領域で取り上げる形式的な問題を分析する。
『絶望』の後は、完全に異なるビデオアートに移動する。アレクセイ・ブルダコフの作品は、美術(ファインアート)の性格をビデオに書き込むのではなく、日常のリアリティに注目したものである。ブルダコフはビデオで捕らえた日常生活の場面を変化させることによって、日常にユーモラスであり挑戦的、かつ批評的な視点を導入する。『余剰:ダーチャへの道』において、観客はモスクワの下町から田舎への道中に沿ってある広告看板から吊るされた多数の人々に気づく。この映像上の余剰は時代錯誤(アナクロニズム)を構成しながら、メッセージを伝える二つの方法を総合させている。つまり、中世のヨーロッパに存在した、都市へと導く道に沿って、犯罪者を吊るし、都市に向かう人へ対し都市の法を宣伝するコミュニケーション方法と、消費者資本主義にある「高速道路の放浪者」を攻撃する宣伝方法をミックスしている。
このように、映像作品とテレビによるサポートで、美と同時に挑発を引き起こす芸術、驚きと同時に自覚の内省へ導くコンテンポラリーアートに我々は注目することができる。

アダム・スミスの入門書を読む

2010-02-02 00:16:56 | テクストの快楽
先日から堂目卓生氏の『アダム・スミス 「道徳感情論」と「国富論」』(中公新書)を読んでいる。スミスは、私が訳している『人間の精神について』の著者とほぼ同時代人で、この著者とも面識がある。18世紀の中ごろ、仏英でほぼ同時に、『人間の精神について』と『道徳感情論』が書かれていたことになる。これも時代性なのだろう。だからほんとうは、実際に『道徳感情論』と『国富論』を読んだ方がいろいろ勉強になるのだが、まずは手っ取り早くということで、この入門書を手にしたという次第。ざっと読んでいる感じとしては、私の著者よりもスミスの方が一般受けする考え方をしており、両者の知名度・影響度の違いも納得できる。
また、有名な「見えざる手」と概念というのはこういうことを指すのかと、ためになる本ではある。