闇に響くノクターン

いっしょにノクターンを聴いてみませんか。どこまで続くかわからない暗闇のなかで…。

あわただしく荷づくりをする

2010-09-26 00:30:30 | 雑記
明日12時の成田出発を前に、ようやく荷づくりが済んだ。今日はそれなりにあわただしい一日だった。
昼はまず、雲が切れたのを見計らって洗濯をする。それが終わったところで、銀座・三愛ビル内のRING CUBEというスペースで、今回の展覧会で世話になっている写真家Hさんの展覧会「人間ロダン」が開催されているので、それを表敬訪問。
続いて、親しくしている画廊を訪ねてポーランドに出発する挨拶をする。画廊のオーナーも出てきて、雑談しながら新しいデジカメの試し撮り。
銀座での用件はこれで済んだので、そのままふらっと山野楽器をのぞき、楽譜とCDをチェック。出発前なのでなにも買わないようにしようとおもってはいたのだが、たまたまバーゲンの棚があったので、その棚も覗く。その結果、最近売り出し中のカナダ生まれのヘルデン・テノール、ベン・ヘプナーがフランス・オペラのアリアを歌ったアルバムを500円の特価で見つけ、それを購入。ベルリオーズ、アレヴィ、マスネ、マイアーベーアと19世紀のグランド・オペラからの選曲で、最後はベルリオーズ編曲の「ラ・マルセイユーズ」で締めくくっている。
その後、マリオン横の両替所で円をユーロに替える。ユーロを手にしたら、これから外国に行くのだなという気分が高まってきた。
まっすぐ帰宅して、買ったばかりのヘプナーのアリア集を聴きながら荷づくり。このテノール、ちょっとドミンゴをおもわせる声だが高音が気持ちよく伸びてなかなかよい。伴奏もチョン・ ミュンフン指揮のロンドン交響楽団で、きちんとつぼをおさえている。
さて荷づくりが順調にすすんで、このまますべてを早く片づけてしまいたいところだが、今日は、アルバイト先で来月から転勤する人たちのお別れ会があるので、夕方からそれに出席。今度のポーランド行きのためにアルバイトを2週間休むことになり、いろいろな人にシフト調整をお願いしているので、忙しいからといって顔をださないわけにはいかない。お別れ会は20人ほどのメンバーが集まって盛り上がったが、私の方は8時過ぎに退散。
残った荷づくりを済ませ、チケット予約の証明書をプリントアウトして、なんとかすべての準備が片づいた。
明日は8時の成田エクスプレスに乗るので、そろそろ眠らなくてはならない。
予定としては、現地時間の18時40分にワルシャワ(ショパン空港)到着。当日はなにも予定を入れたくなかったのだが、ワルシャワ市内見物を予定していた翌日の月曜日は、主な美術館、博物館が全部定休日とわかったので、ショパン博物館だけ、当日の夜に見物することにした。
帰国は10月5日の予定。
その間、しばらく書き込みを休止せざるをえないが、あしからず。

奥泉光『シューマンの指』を読む

2010-09-24 21:35:04 | テクストの快楽
ポーランド出発を前に、今日と明日はもろもろの準備のため、アルバイトを休みにしてもらった。だからゆっくり寝ていられるはずなのだが、今朝は5時頃に目が覚めてしまった。旅行に出る前から時差ボケだろうか。
ともかく、横になっていても眠れそうにないので、起き出して、読みかけの本を読み終えてしまうことにした。それがまた、とても刺激的でおもしろかったので、今日はその感想を記しておくことにする(ちなみに今は、ヴェデルニコフが演奏するシューマンのアルバムを聴いている)。

      ☆     ☆     ☆

さて、今朝読了したのは奥泉光の『シューマンの指』(講談社、2010年)。作曲家シューマンに魅せられた高校生たちの物語だ。
作品全体は、ピアニストを目指し、音大の途中でその道を断念し医師となった「私」の回想録として進行する。話の中心となるのは、「私」に強烈な影響を及ぼした2歳年下の天才ピアニスト永嶺修人(まさと)のシューマンへの向き合い方。作品全体の大枠は推理小説的構造で、「もしピアノの前にホロヴィッツが座ったとしてもあれほど驚かなかった」という叙述を皮切りにして、「私」と修人の高校時代を振り返るという形式で話がすすんでいく。
しかしともかく圧巻なのは、その修人のシューマン論だ。前置きはこのくらいにして、さっそく核心にはいろう。
「シューマンは、変ないい方だけど、彼自身が一つの楽器なんだ。分かるかな?音楽は、彼の躯というか、意識とか心とか魂なんかもぜんぶ含んだ、シューマンという人のなかで鳴っている。だから、彼がピアノを弾いたとしても、それはシューマンのなかで鳴っている音楽の、ほんの一部分でしかないんだ。」(同書127頁)
これは登場人物・永嶺修人のシューマン論というより作者・奥泉光本人のシューマン論だろう。修人の言葉にもう少し耳を傾けてみよう。
「シューマンがピアノを弾くーーそのとき、シューマンは実際に出ている音、つまりピアノから出ている音だけじゃなくて、もっとたくさんの音を聴いている、というか演奏している。極端にいうと、宇宙全体の音を聴いて、それを演奏している。そういう意味でいうと、ピアノから出る音は大したものじゃない。だから、シューマンは指が駄目になったとき、そんなに悲しまなかった。だって、ピアノを弾く弾かないに関係なく、音楽はそこにあるんだからね。」(同書128頁)
ゆえに、修人流に考えれば、シューマンを弾くときに、どういう音をならすかは必ずしも大きな問題ではない。いやそもそも、演奏という行為自体、「宇宙全体の音」の前では問題たりえない。したがって、シューマンを深く理解し、それを具象化できる最高度のテクニックをもちながら、修人は演奏という行為を拒む。
一方、そうした修人と修人のシューマン論に深く共感を覚えながらも、平凡なピアニストでしかない「私」は、音大の試験に受かるために、シューマンを演奏せざるを得ない。
「なるほど演奏は「音楽」を台無しにするかもしれない。しかしだからといって、それで「音楽」が消えるわけではない。「音楽」は傷つきもしない。そうなのだ。「音楽」はもう在るのだ。氷床の底の蒼い氷の結晶のように。暗黒の宇宙に散り輝く光の渦のように。動かし難い形で存在しているそれは、私の演奏くらいで駄目になるものではない。私はミスをするだろう。技術が足りないところも多々あるだろう。だが、それがなんだというのだ。私はただひたすらに「音楽」を信じ、余計事を考えずに光の結晶であるところの「音楽」に向かって進んでいけばいいのだ。「音楽」に半歩でも近づけるように。」(同書238-9頁)
ともかく、この作品では、こうしたシューマン論、シューマン演奏論が強いインパクトをもって迫ってくる。
作品のなかで、「私」はシューマンの「交響的練習曲」を演奏して音大にうかる。そして天才・永嶺修人は自分たけのシューマンの世界を守るために、指を失い、演奏を断念する道を選ぶ。
そうしたなかで、「私」がたまたま耳にした修人の「幻想曲」の演奏は、演奏者と曲が一体化したエクスタシーの瞬間として作品のなかにある。

作品は、最後にドンデン返しを繰り返しながら意外な結末を迎える。最初私は、このとってつけたような結末に強い違和感を覚えたが、次に、その結末すらももしかしたら幻想かもしれないと考えることで、作品そのもののリアリティが逆に浮き上がってくるのを感じた。つまり、作品世界も結末も幻想に過ぎないのかもしれないが、逆に、作品のなかで描かれている修人の「幻想曲」の演奏の印象は、不思議なほどリアルで、私自身、その場に居合わせてその演奏を聴いてしまったような気がするのだ。それは奥泉光が、音楽の聞き手が耳にすることのできない「宇宙全体の音」に迫っているからではないだろうか。

ちなみに、この作品の文体には最初強い違和感を覚えたが、読み終えて、それも「シューマン的文体」なのかとおもったりしている。

ようやくデジカメを購入

2010-09-22 01:10:52 | 雑記
今朝の早起きのことはすでに書いたが、ブログを更新し、いろいろなメールに返事を出し、ネットでデジカメの機種について調べていたら、あっという間に時間がたってしまった。
10時過ぎにそそくさとブランチを済ませ、昨日買った球根を植え付けたりしていると、もう正午。平日の午後は、近所の美容室が700円ほどで髪を切ってくれるので、あわててそれに駆けつける。髪を切ってから簡単な買い物をしたり、銀行に行ったりしていると、時間はどんどん過ぎて行く。
それでもいろいろな用件を片づけて2時過ぎにようやく少し手が空いたが、そこでおもいついて、1年前までアルバイトをしていたスーパーにちょっと顔を出しに行くことにする。転居で遠くなったので、特別なきっかけでもないとなかなかこのスーパーには行けない。それでもいったん辞めたスーパーに行ってみようとおもったのは、今やっている派遣の業務が、このスーパーで私がやっていた仕事とまんざら関係がないわけではないのでなつかしくおもったのに加え、ここで時々デジカメを安売りしていたのを思い出して、なにか掘り出し物がないかと考えたため。
手ぶらで行くわけにもいかないので、ちょっと手みやげを用意して売り場に顔を出すと、社員もアルバイトも、みんな大歓迎してくれた。私と同期のアルバイトが二人いて、そのうち一人が辞めたことは聞いていたが、もう一人は元気に残っている。ただし肝心のデジカメは、あることはあるがあまりいい品がない。しばし雑談して、手ぶらで帰ることにした。
ただ、スーパーの行き帰り、半年以上通った道なのに懐かしいといった感慨はまったくわかない。売り場もしかりだ。「ここには、たぶんもう二度と来ないだろうな」と、自分の過去を葬るような気がした。
さてその足で今度は新宿に向かう。
セカイ堂で文具を仕入れ、あとはまっすぐヨ○バシカメラへ。
ただしヨ○バシの売り場で自分があたりをつけていたカメラを見ると、想像していたのとは質感がかなり違うし、価格もやや高い。悩んで売り場をグルグル回ったり隣のビッ○カメラを覗いたりもしてみたが、なかなか決断がつかない。
これではどうしようもないので、いったんヨ○バシとビッ○を出て、近くのショットバーで生ビールを飲みながら戦略を練り直す。そこでようやく、いずれにしてもキヤノンの製品にしようと決め、意を決してヨ○バシカメラを再襲。店員からいろいろと説明をきいて、ようやく製品が決まった。
支払いを済ませると、そそくさと帰宅。もう夕食の時間なのだが、それをあと回しにして、説明書を読む。するとまず充電しなくてはならないことがわかったので、充電だけセットして簡単に夕食。
さて食後あらためて試してみるのだが、最初に行うように書いてある日付の設定の仕方がどうしてもわからない。しかたがないのでそれを後回しにして、SDカードを装着することにしたのだが、今度はそれにロックがかかっていてカメラが作動しない。こういうときにMくんがいてくれるとほんとに助かるのだが、そうもいかないので、カレシモドキに電話をしてSDカードの扱い方を教わる。要は、私が装着しようとしたSDカードは、以前スーパーから不要ということでもらったものなのだが、もともとそのロックが壊れていて機能しなかったのだ。カレシモドキの言うとおり、ともかくロックをセロテープで仮留めしてもう一度装着すると、ようやくデジカメが動き出した。まずはめでたし、めでたし。
ということで、今日はここに、記念すべき最初のショットを貼り付けておこう。

日本酒とサンマで、亡き人をしのぶ

2010-09-21 09:05:28 | わが酒と薔薇の日々
今日はアルバイトが休みなので、例によって早起きしている。昨日寝たのが1時頃だったのに、6時になると目が覚めて、もうちょっと寝ていられそうにない。

     ☆     ☆     ☆

さて、一昨日もアルバイトが休み。ポーランドでの展覧会&旅行が間近に迫って、あわただしいといえばあわただしいのだが、その割にすることが意外とないので、出発するまでに読みかけの本を読み終えておこうとおもい、まずはドルバックの『自然の体系』を読み進めた。
朝食を簡単にすませてから、スーパーに買い出しに。
ことしはサンマが高いときいていたのにサンマが特売で、それを見たら、久しぶりにKさんをお招きして、サンマを焼いていっしょに食べようという計画がわいてきた。サンマだけでは寂しいから、あとは、炊き込みご飯かなにかをつくればいい。もっとも、サンマそのものは、白いご飯の方がおいしいような気もするが…。
戻ってからKさんに電話すると(私は携帯をもっていないので、スーパーでは電話ができない)、昼は仕事が入っていてこれからでかけるところだが、夕方にはその仕事も終わるのでサンマ・パーティをしようということで即決。彼岸が近いので、Mくんをしのぶにもちょうどいいタイミングだ。
Kさんを待つあいだ、秋植球根の植え替えや洗濯などを簡単に済ませて、もう一度買い出し。スーパーで、茄子の煮浸し、イカと大根の煮物などを買った。その足で酒屋を覗くと、最近愛飲している久保田の「翠寿」があったので、ちょっとふんぱつしてそれを買い込む(ちなみに、いつも飲んでいるのは「翠寿」ではなく、もう少し手軽な「千寿」である)。
ぶらぶらと買い物を済ませるともう夕方。ご飯を準備して、盛りつけとテーブル・セッティングを開始。ちなみに、Mくんもテーブル・セッティングにはこだわる方で、われわれはそんなところもとても波長が合っていたのだ。
そうこうしているうちにKさんがやってきて、サンマ・パーティ開始。あらためて聞けば、昼に私が電話をかけたとき、ちょうどMくんのことを思いだしてちょっと涙ぐんでいたのだという。私と違い、Kさんは、Mくんが亡くなったショックからなかなか立ち直れないようだ。
そんなことで、二人でMくんの思い出話をしているとあっという間に時間がたってしまったのだが、最後は、Mくんが好きだったという麻布のケーキ屋のケーキの差し入れがあり、それを私がMくんが好きだったハンガリー製のティーセットにのせて、いっしょに食べる。そのケーキのどこが好きだったのかということから、またMくんの話に戻る。
こうして話していると、いつまでたっても話はつきないのだが、Kさんも私も次の日が少し早いので、パーティは9時過ぎにお開き。

かわって昨日は、アルバイトの休日出勤でしかも早番。起きるのがちょっとつらかったのだが、ぼんやりとした頭でアルバイト先に向かう。バイト仲間とムダ話をしながらなんとなくアルバイトを済ませ、夕方、まっすぐ帰宅せずに新宿に向かう。前日、自分の買い物をしなかったので、その埋め合わせだ。
新宿到着は7時少し前。まず京○百貨店の園芸売り場に行き、球根、鉢、土などを買い足す。買った球根は結局白いリコリス(彼岸花)だけなのだが、迷っているとこれもけっこう時間がかかる。そのうち小腹もすいてきたので、「えい面倒」と、そのまま京○の食堂街で夕食をとることにする。そんなに高くなければ食事はなんでもいいとおもっていたのだが、これが食べたいというものが特にあるわけではないので、やはり迷う。結局、ハンサムなギャルソンに惹かれて中華に決めたのだが、すすめられるままに店内にはいると、そのギャルソンは客引き専門らしくてまた店頭に戻ってしまい、すこしも接客してもらえない。これでは羊頭狗肉だとおもいながら、そそくさと食事を済ます。
その足で今度はタ○ーレコードに向かう。クレンペラーが演奏するブルックナーの未発売のライブ盤が出るらしいという情報があったのでその確認のためだが、結局は判らずじまい(ちなみに、近日、待望久しいクレンペラーのフランクが再発されるらしい)。その後売り場をいろいろと見回って、フルニエのブラームスのチェロ・ソナタにちょっと気がひかれたが、ひさしぶりにデパートで食事をしたところではあり、ムダづかいばかりしてはいられないとがまん。
最後にヨ○バシカメラに行き、ポーランドに持って行くデジカメの下見。私はまだデジカメを持っていないのだが、これも迷い出すときりがない。ズームがどうの、広角がどうのという説明を少しきいてから、店員のすすめを振り切って、キヤノン、ニコン、フジフィルムなど数社のカタログをもらって退散した。デジカメの件は、今日の午後に出直しだ。

     ☆     ☆     ☆

そうだ!ポーランドにはMくんの形見のネクタイを連れていこう!

アルバイト先の飲み会に顔を出す

2010-09-17 23:54:19 | 求職日記
今日は新入のアルバイトを交えた派遣先の飲み会があり、それに1時間ほど顔を出して、今帰宅した。
飲み会への出席、ポーランドとのいろいろな連絡が気になってあまり気乗りはしなかったのだが、逆に、ポーランドに出かけるために月末から2週間ほどアルバイトを休まなくてはならず、そのシフト調整でいろいろな人に休日出勤などをお願いしているので、断り切れずに心ならずもの出席(実際、今メールを開いたところ、ポーランドからは、展示する写真のキャプションをつくって欲しいという依頼のメールが入っている。酔っぱらった頭では、面倒な英語のキャプションなどつくれそうにない…)。
飲み会では、あたりもさわりもない会話で適当に時間を消化したが、おもしろかったのは、社員による私の紹介。
曰く、「ポロシャツのボタンを全部とめている人」だそうである。
自分ではそれが特別なことだとおもったことなど一度もないのだが、言われてみれば、私はアルバイト先に毎日ポロシャツを着て出勤しており、かつそのボタンを全部とめている。他人は、自分では気がつかないそんなちょっとしたことに細かく目をとめているのだなと、おもしろく聴いた。

ちなみに、今聴いているBGMは、フリードリヒ・グルダがアメリカのバードランドで演奏したジャズ・アルバム。

六本木で、若い友人のオフ会に参加

2010-09-12 22:46:47 | 雑記
今日は、若い友人・常磐井さんのサイト↓のオフ会のお誘いを受け、六本木の高層ビルに行ってきた。ドレス・コードはスマート・カジュアル。私の出で立ちは、この時期に着るのが気に入っている黄色系のボタンダウン・シャツにMくんの形見の黄色いストライプが入ったネクタイ。下はジーンズ。シャツとフレグランスを、さりけに同じブランドで統一。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ango/4665/index.html

集まったのは男性5人、女性3人の計8人。そのなかで顔見知りはホストの常磐井さんとその友人の須藤さんの2人のみ。いちおう私がメンバー最長老だ。
午後の早い時間に、高層ビル前の蜘蛛のようなオブジェの下で集合し、常磐井さんからメンバーを簡単に紹介して頂いたのち、ただちに高層階にある会員制のレストランに向かう。
食事は、ボリューム感のあるハンバーグかサーロイン・ステーキのチョイスで、シェフが目の前でそれぞれを焼いてくれる。付け合わせのサラダも、サボテンの一種の葉が入っているなど、かなりこっている。またレストランの広い窓からは東京湾が見下ろせ、絶景だ。
私の席は、左右を常磐井さんの以前の同級生だったという女性にはさまれた位置で、まずは、大学を出て現在社会人だというTさんとフランスの18世紀思想について歓談。
続いては、まだ大学に残って源氏物語を研究しているというAさんと古典文学談義。Aさんのさらに隣には中世史専攻の須藤さんもいるので、三人で平安時代から鎌倉時代にかけての政治(社会)と文学の関係などについて話をして、食べることを忘れるほど盛り上がった。
そこで出てきた話題のいくつかを紹介すると、鎌倉時代の初期、源氏物語や新古今集の読者はどのくらいおり、写本がどのくらいつくられたか(この時期は、紙そのものが書写する手間以上に貴重なので、源氏物語のような分厚い本の写本がたくさんあったとは考えられない)、また院政期になって、和歌の技巧がコード化していくのをどうとらえるかなど。ちなみにこの「コード化」というキーワードは、技巧が「高度」になっていくという私の言葉を、須藤さんが「コード」と読み換えたことから出てきたもの。ここから、摂関期を含めて当時の朝廷社会そのものがコード社会だったのではないかとか、密教のなかにコード的な発想がなかったかなど、話がいろいろな方向に広がっていく。須藤さんとは何度も合って話をしているので、言葉のキャッチボールがとてもスムーズで、初対面のAさんを交えて、話題が次から次へと切れることなく続く。
2時間ほどかけてゆっくり食事をし、今度は他のメンバーとも話ができるようにと場所をかえることにし、みんなで階上の美術館とビルの屋上の展望台に移動したのだが、うかつなことに、美術館をまわっているうちに、私はメンバーとはぐれてしまった。
このため、常磐井さんお墨付きの絶世の美男さん、美術を研究しているAさん、イギリス留学から帰国したIさんらとじっくり話ができなかったのが残念だ。
しかたがないので一人で展望台を降り、ぷらぷらと、ビルの近隣のかつて住んでいたアパート周辺の地域の変貌ぶりを見て寓居に戻った。

自分のうかつさからメンバーとはぐれてしまったのは、ほんとうに残念だったが、とてもすてきな会を企画してくれたことを、常磐井さんに感謝しよう。

滞在先のホテルが決まる

2010-09-11 21:30:28 | 雑記
何度かのメールのやりとりで、ようやくポーランドでの滞在先がすべて決まった。

まずワルシャワのホテルだが、快適で便利(comfortable and convenient)という希望を伝えると、ワルシャワ中央駅のすぐそばの超高級ホテルでいいかという打診があった。
こちらとしては、もちろんそれに対して何の異存もないのだが、いくら滞在費は先方もちといってもムダに高いホテルをとらせることには若干の抵抗があったので(だいいちワルシャワはほんとうに通過するだけなので、ホテルがあまり高級でもしかたがない)、提案されたホテルはとても気に入ったがあまりにも豪華過ぎるので、最初のメールに書いたとおり、快適で便利であればそれほど高級なホテルでなくてもよいと再度希望を伝えた。
これに対してもすぐに返事があり、それではと、やはりワルシャワ中央駅に隣接した中級ホテルが提案され、迷っているような時間があまりないので、そのホテルでかまわないからすぐに予約して欲しいと意向を伝え、これでワルシャワでの滞在先がほぼ決まった。中級といっても、これはこれで立派な都市ホテルだ。

すると次に、ホテルの予約がとれたという連絡といっしょに、目的地K市でのホテルを決めたいというメールが入った。提案されたホテルは、K市ではもっとも格式の高い1930年代の雰囲気を残す重厚なホテルだ。ワルシャワの建造物は第二次世界大戦で大被害を被り、戦後に建てられたものが大半なのだが、K市には古い建物がまだ残っており、このホテルもその一つだ。しかも友人の展覧会場となる美術館にもとても近い。そのホテルが一目で気に入ったので、今度は、当方に何の異存もない旨を伝え、そのクラシックなホテルを押さえてもらうことにした。

そのホテルの予約がとれたことを知らせる次のメールには、同時に、われわれがワルシャワの空港からホテルまで迷うといけないと思い、空港に迎えの車を差し向ける手配をしたので、それでホテルまで移動して欲しいという提案が記してある。こちらにとても気をつかってくれているのがうれしい(実際、旅行ガイドで調べると、ワルシャワの空港には無許可のタクシーがたくさんあって、何も事情を知らない旅行者から暴利をむさぼっているので気をつけるようにという紹介があり、移動にちょっと不安を感じていたところだ)。
また、ワルシャワからK市までの移動に関しては、滞在先のホテルに列車のチケットを預けておくので、それを利用して欲しいという。

これで、こちらの希望がほぼ100%とおって、ポーランドに行くのがとても楽しみになってきた。

決まらぬ日程にやきもき

2010-09-09 22:12:45 | 雑記
翻訳出版に明るい見通しが見通しがでてきたところで、今度はポーランドでの展覧会の大詰めだ。
これが日本であれば、今頃、現地への往復の日程はほぼ完全に組み立て終わっているところだが、相手が異国だとそうはいかない。
とりあえず、現地入りする飛行機の便は決まっているのだが、帰りの便がまだ決まっておらず、現在先方と確認中。
次に、ワルシャワに到着してから現地までの移動方法がまだ決まっていない。
今の予定ではワルシャワには夕方着くので、ワルシャワで一泊したいと伝えてあるのだが、そんなムダなことはしないで当日のうちに現地入りできないかと先方から打診があった。当日のうちに移動といっても、夕方に着いてどうやって移動するのかと質問すると、空港まで車を差し向けるので、4時間ほどかかるがそれで移動しないかという。また、それだとワルシャワの空港、ホテル、駅で迷わずに済むだろうというのがむこうの言い分だ。
わざわざ車で迎えに来てくれるというのは、先方としては特別待遇なのだろうとおもいつつも、10数時間のフライトの後に4時間も車に乗るのはぞっとするので、こちらとしては、あらためてワルシャワのホテルを希望。そんなに高くなくてもいいから、快適で便利であればそれでいいと希望を伝えた。
この連絡で向こうもまたいろいろ考えるとはおもうが、現地入りまで1カ月を切っているというのにこの状態というのは、さすがに不安。
社会習慣が違うので、結局、現地に行ってみるまで、予期せぬできごとがまだ続きそうだ。

シェーンベルクな気分

2010-09-05 23:21:16 | 雑記
今日は、久しぶりにのんびりした一日だった。

ポーランドでの友人の展覧会は、カタログをどうするかの問題がまだ残されており、友人の活動についての基本情報が少ない彼らにまかせておいてもいいカタログができないことははっきりしているので、さまざまな情報を入力し、可能な範囲でそれをポーランド語に訳したりして、展示説明につかったり、カタログに掲載して欲しいと連絡することにした。
最後の部分はめんどうなので全部日本語で入力し、テクストの量が多いことが気にならないではなかったが、先方にほんとうにやる気があるならば、それをポーランド語に訳してつかうだろうし、やる気がなくてわずらわしいとほおっておかれるとしても、こちらとしてはベストをつくしたので、それはそれでしかたがない。

テクストの入力が意外と早く進んで一息ついたところで、ある情報誌から、展覧会についての取材。担当者とは以前からいろいろ話をしているので、これも1時間ほどでスムーズに済んだ。

余勢をかって午前中に入力したテクストをもう一度チェックし、ポーランドにメールを送る。

作業が一段落して、このところ資料が散乱して散らかり放題だった部屋を少し整理し、ゆったりとクレンペラーのブルックナーを聴く。

夕方、ビールを買ってきて、よくやったと自分に乾杯。冷蔵庫をあけたら、豚肉とキャベツが入っていたのでそれで夕飯をつくる。

夕食後、今度は、自分の翻訳のファイルを整理する。訳稿は、プリントして自分が校正しやすいようなフォーマットで入力してあるので、それを普通の形式に戻すのに一苦労。ただ、すこしやったらこつがわかってきて、めんどうかとおもったこの作業も意外に早く片づいた。すぐに出版予定の大学の担当者に送る。送る前に確認したら、訳稿は全部で原稿用紙900枚分にふくれあがっていた。

このメールで、ほんとうに、懸案事項はほとんど片づいた。手持ちぶさたの感じになったので、時間をかけてゆっくり入浴。

湯上がりのさっぱりしたところで、今聴いているBGMは、シェーンベルクの木管五重奏曲。その繊細さ、透明感が心地よく、自分の感覚がものすごく先の方まで拡散していくような気がしてくる。

疲れの吹っ飛ぶメール

2010-09-03 23:14:15 | 翻訳への道
8月18日付の記事に、現在すすめている翻訳を出版を申し出てくれている大学に送ったと記したが、今日アルバイトから戻ると、先方の担当者からそれに対する返事のメールが来ていた。
内容は次のようなもの。
「先だっては、訳稿をお送りくださりありがとうございました。ご返事を怠けていて失礼しました。猛暑のなかでの訳業はさぞ大変と存じます。これで全体の六割が終了とのことですが、全体の量が気になっています。差し支えなければ、電子ファイルでこれまでの部分を送っていただけませんでしょうか。そうすると文字数が分かり、編集のイメージがつかめます。量的に一冊にまとまるかどうか、二分冊にする必要があるかどうかが分かると有益です。」
私の訳が現状のままでいいかについては何もふれられていないし、だいいち、出すとも出さないともはっきり書かれてはいないが、これはこれで、いわゆる「いい感触」ではないかとおもっている。
私もひとの子なので、今日はとてもうれしい。バイトの疲れも、いっぺんで吹っ飛んだ。