闇に響くノクターン

いっしょにノクターンを聴いてみませんか。どこまで続くかわからない暗闇のなかで…。

洗濯しながら読む『クライスレリアーナ』

2007-01-28 16:00:38 | 雑記
昨日行った歴史の研究報告はとても好評だった。聴講者の人数は少なかったが、東京大学シリョー編纂所から、若手の仏教研究者Kさんが聴きに来てくれ、私の報告を高く評価してくれた。また、私が報告させていただいた研究会では毎年会報を発行しているのだが、報告終了後、おもしろい報告でいろいろな人に知らせたいので、報告内容をまとめて、会報に『研究ノート』として寄稿して欲しいという依頼をいただいた。小さな個人的疑問からはじまった研究が、ここまで評価していただけるというのは、ほんとうにうれしい。

報告および懇親会終了後は、息抜きにと例によってタックスノットへ。
するとタックさんがイギリスから帰っていて、大英博物館のことやロンドンの印象などのおみやげ話をききながら、ほんもののおみやげであるオレンジ風味のチョコレートをいただいた。

さて今日は、このところたまりにたまった洗濯物を処理にコインランドリーへ。洗濯物があがるまでの間、研究報告からの気分転換にホフマンの『クライスレリアーナ』をパラパラと読んだ(集英社版世界文学全集所収)。特定の目的にしばられない自由な読書はほんとうにひさしぶりだ。シューマンがこの作品にインスパイアされて同名のピアノ曲集を作曲しているのだが、このホフマンの小説?そのものも、奇妙なおもしろさがある。
作曲家クライスラーが楽譜の裏に書き付けた脈絡のないメモが、この作品だという趣向だ。

いざ、出陣!

2007-01-27 13:53:29 | 雑記
昨日はあわただしい一日だった。
私が編集を手伝った本が昨年末に出版され、毎日、それをなんとか少しでも多くの人に読んでもらいたいと思って動いているのだが、朝○新聞からは著者にミニ・エッセーを書いて欲しいという依頼があり、また毎○新聞からは著者へのインタビューの依頼があった。二大新聞からの依頼は大きな戦果だ(内容がアヴァンギャルド過ぎて、読○にはもともと向かない)。読者や他媒体への相乗効果も期待できる。
このうち、朝○新聞の原稿締め切りが今週の月曜日で、原稿は締め切り前に提出したのだが、著者の側に一部手直しの希望があり、すでに朝○新聞にわたしてある参考資料を急ぎ戻してもらって、それを見ながら手直しして再入稿。その後、今度は朝○新聞側からもう一度資料を参照したいという要請があり、著者と新聞社のあいだを、資料をもって何度となく往復した。
木曜日にそれが一段落し、あとは掲載を待つのみと気持ちを切り替え、毎○新聞のインタビューを心待ちにしていたのだが、インタビュー直前に朝○新聞から再度連絡があり、原稿の一部を変更して欲しいという。これは要するに、原稿のなかにある微妙な表現が書いてあるのだが、朝○としてはその事実が確認できないので、別の表現に変更して欲しいというのだ。とはいえ、紙面の割付等はすべてすんでいるというので、大きな変更は許されない。行数を変更せずに、指定行数のなかでギリギリ訂正を入れた。
それが済むやいなや、入れ替わりに今度は毎○新聞の記者が到着。
当方、朝○の件はおくびにも出さず、記者を出迎える。
毎○の記者ははじめて会った人だが、何やら緊張した面差し。しかし本はすみまでよく読んでくれていて(よく解釈すれば、だからその著者に会えるということでインタビュー慣れしているはずの記者も緊張したのだろう)、一語、一語、言葉を選びながら自分の疑問を著者にストレートにぶつけてくるところが、立ち会っていてとても気持ちがよかった。インタビューとしては大成功といえるだろう。
と、ここまでが今週の「営業活動」。

自分の方は、実は今日、仏教系の研究会で研究報告があるので、朝○新聞とのやりとりのあいだ、作成中の報告レジュメが間に合うか、気が気ではなかった。しかも、ほんらいであればレジュメの取りまとめに一番忙しい報告の前日は、上に書いた毎○のインタビュー予定が組まれており、不測の事態にそなえて、自分の予定を全部からにしてそれに備えておかなくてはならない。しんどかったが、それでもなんとかレジュメは完成し、研究報告を前に、今この記事を書いている(報告直前は他のことを考えていた方が気が紛れるという効果はある)。あとは報告がきちんと受け容れられることを希望するのみ。

と、ここまで書いていたら、さすがに時間が迫ってきた。これからシャワーを浴びて出陣することにしよう。

アートな新宿

2007-01-23 13:06:16 | 雑記
日曜日は、某美術館の学芸員との打ち合わせ、今週末に迫った研究会用のレジュメづくりなどを終えてから、例によってタックスノットに顔を出した。
行ってみると、マスターのタックさんが休みで、代わりの人がカウンターのなかに入っている。訊いてみたら、なんと、造形作家としても活動しているタックさんの作品が、現在大英博物館で開催されている企画展に出展され、タックさんは急遽ロンドンに出かけたとのこと。なんともうれしいことだ。こちらが昼行っていたのは六○木ヒルズの美術館との出展打ち合わせだが、タックさんのは大英博物館だから、なんといってもスケールが全然違う。
そんなことで関心していたら、ちょうど隣にすわり合わせたのが、先日少し話をした小説家のKさん。Kさんとはこのあいだが初対面で、話の波長は合ったが相手がどういう人かわからず残念と思っていたので、とても運がいい。
そうこうしているうちに、今度はM崎さんがやってきた。このM崎さん、外では出版記念会などでよくお会いしているのだが、タックスノットでお会いするのはこれがはじめてのような気がする。だからといって互いにこっそりタックスノットにやってきたわけではなし、ゲイバーであってもなんの違和感もないのがおもしろいところ。
M崎さんとの話も、自然と二人の共通の知人のことになり、鎌倉在住の画家・合○佐和子さんのお嬢さんが結婚して家を出たので、合○さんは家事をみてくれる人がいなくて大変らしいといった、超世間話に落ちていく。
とはいえ、世間話だけしていてもつまらないので、せっかく寺山修司さんの関係者の一人であるM崎さんと一緒になったので、寺山芝居にはじまって、最近の芝居の話など、わいわいと語り合った。
こうして意気投合はしたものの、実は、M崎さんの活動の内容を私はよくしらないのだが(^^;)、翌日、手許にあった『ユリイカ』の稲垣足穂特集をみるともなくみていたら、表紙にあしらってある奇妙な立体を撮影したのがM崎さんだとキャプションに出ていた。

ゲイのアイデンティティーー『カルテット』の舞台から考える

2007-01-20 13:28:42 | 観劇記
一月もなかばを過ぎ、正月気分はもうほとんど抜けてきた。ただし私は年賀状をかなり遅く出したのでその返礼がまだぽつぽつ届く。大半は儀礼的なあたりもさわりもないものだが、なかに一通、ユニークなものがあったので、ちょっとそれをとりあげてみたい。
やりとりの相手はとある女性で、私からは「お兄さんが亡くなって20年がたちましたね」といった意味の、こちらからするとあたりもさわりもない儀礼的な文を書いて送ったつもりなのだが、彼女から戻ってきた季節の便りは、「私のアイデンティティは兄の妹ではないのです。私も一個の人格ですから、兄のことばかり書かれてもなんかうんざりです」という、ある意味でとてもキツイ内容のもの。
確かにそれはその通りで、彼女からすれば、彼女自身が一個の人格であり、単なる兄の妹ではないということになるのだろうが、こちらからするとそれ以外の彼女のアイデンティティは思い浮かばず、お兄さんの妹として彼女を尊敬している。いやこれはほんとうは「尊敬」などというものではなく私の自己満足に過ぎないかもしれず、彼女はその欺瞞を見抜いているということだろう。だから要するに、彼女独自のアイデンティティが見出せない以上、もう彼女にあてて年賀状を書いて欲しくないという、これは彼女からの義絶状と解すべきなのだろう。

それはさておき、このことからちょっとゲイのアイデンティティということを考えてしまった。つまり、多くのゲイは、ゲイであることをものすごく深刻で自分がつねに立ち返るべき決定的なアイデンティティと考えているような気がするのだが、ゲイであるということ(セクシャリテイ)はその人(ゲイ)の最も根本的なアイデンティティなのだろうかということだ。

例にあげては失礼かもしれないが、直前の記事に書いた青山吉良さんの演技、私からするとやはりそうしたアイデンティティにからむ問題をなげかけているようにも思えるので、その観点から『カルテット』をもう一度とりあげてみたい。

さて、最近、ゲイであることをおおやけにしている役者や劇団、またゲイをテーマにした作品がかなり出てきているように思うが、青山さんの演技も『カルテット』という作品も、表面的には性や性の超越を問題にしているが、ゲイであることを前提にしたものからは一線を画すものであることを、まずはっきりさせておかなくてならないと思う。つまり、『カルテット』という作品では、主役は女と男を演じ分けなくてはならず、そうした点からすると、一見、男と女の曖昧な境界線上に立つゲイの役者に有利な、ゲイという問題と直結する作品にも思えるのだが、話はそう単純ではないのだ。
この作品、一昨年、「女優」大浦みずきがベニサンピットで演じているといい(私は未見)、この場合、大浦はメルトゥイユ夫人だけでなくヴァルモン子爵をも演じなくてはならないわけだから、男が女を演じるということと、女が男を演じるということの基本条件は、誰が演じても同じ。また主役が演じる四つの役は、男女を超越させて中性的に演じればいいというのではなく、女は女、男は男としてそれぞれ屹立していなくてはならない。だから、中性的な曖昧な演技しかできない役者には、この役は演じようがない。
要するに、この芝居は、男が演じても女が演じても、「リアル」なものとしては演じようがないのだが、ある役柄を「リアル」なものとしては演じることができないという制限のなかでのリアリティの追求が、この芝居の眼目だと思う。
実はこの芝居から、私は人形浄瑠璃的な雰囲気を感じたのだが、人形浄瑠璃は、構造的に、(男でも女でもない)人形がある役を演じている(虚である)ということをつねに露出させながら、「実」に迫っていく。こちらとしては、舞台のうえで行われていることが完全に「虚」だとわかっているから、逆に安心して「虚の実」に入っていけるようなところがある。
また周知のように、人形浄瑠璃と古典歌舞伎は、歌舞伎が人形浄瑠璃の先行台本を取り入れたために多くの台本を共有しているが、同じ作品を上演しても、歌舞伎が一人一役による芝居によって戯曲のもつリアリティを抽出するという方向へ向かっていくのに対し、人形浄瑠璃は「虚」であることに固執し、いうなれば芝居のもつ象徴性の探究に向かう。人形浄瑠璃の人形は、もちろん、一体の人形が一つの役を演じるが、人形のそばで台本を語る大夫は、一人ですべての登場人物のセリフを語り、状況を説明していく(人形浄瑠璃でも、大勢の大夫がいろいろな役のセリフを語り分けることはある)。『カルテット』の台本は、性の超越というより、そうした義太夫の語りを思わせるところがあるのだ。
こうなると、語り分け、演じ分けというのは、リアリズムというより芸の問題になってくるのだが、そうした意味でのレベルの高い芸への指向を、青山吉良さんの演技は感じさせてくれた(つくられた「語り」のうまさ)。要するに青山さんの場合、演技者がゲイであるということであって、その逆の、ゲイが演技者であるのではないということだ。
これはどういうことかというと、青山さんの演技のすばらしさは、彼がゲイであるということからきているのではないということ。だから、ゲイを前面に打ち出して、ゲイであるという「問題意識」をつねに投影しながら演技する役者とは、青山さんは一線を画している。青山さんの演技は、まず青山吉良という個人から切り離された演技として確立されており、そういう演技をする青山さんがたまたまゲイであるというだけのことなのだ。

ゲイとしてのアイデンティティの問題が、『カルテット』という芝居とどのように結びつくかつかないか、私は以上のように考える。
そして私は、プロとしての明確な自覚と高い技術をもった青山吉良さんの演技が好きだ。

青山吉良さん演出・主演の『カルテット』を観る。

2007-01-15 01:34:20 | 観劇記
今日(14日)は、青山吉良さん演出・主演の芝居『カルテット』を鑑賞した(於:麻布die pratze)。この作品は、ラクロが18世紀に書いた書簡体小説『危険な関係』を翻案した旧東ドイツの劇作家ハイナー・ミュラーの作品で、憎みながらも愛し合うメルトゥイユ侯爵夫人とプレイボーイのヴァルモン子爵、貞潔なトゥルヴェル夫人、メルトゥイユ侯爵夫人の姪で清純なヴォランジュの四人の人物を、役を入れ替わりながら二人の役者が演じるという複雑な構成のもの。
『危険な関係』という小説はなんども映画化されており、最近では東海テレビがおとしし、設定を現代の日本に変更し、昼ドラとして放送している。私はこの昼ドラで木崎律(ヴァルモン)を演じたRIKIYAの男くさい美貌にぞっこんで、当時、この番組を毎日観ていたので(^^;)、人物関係は苦もなく理解できたが、はじめて観る人には、この単純化されているが複雑な人物関係と変幻自在な役の変更についていくだけでも大変だったかもしれない。
またこの芝居は、一つ一つのセリフが非常に長く、しかもその間、動きらしい動きがほとんどない。ミュラーは、原作小説のもつある種の不自由さを積極的なものとして、芝居の構造のなかで再現しようとしたのかもしれないが、それにしても、というセリフの長さである(原作はすべて手紙のやりとりなので、基本的には、登場人物同士の会話は存在しない<会話は手紙のなかで間接的に紹介される>)。
芝居を観だしてすぐに気になったのは、この芝居では、どのような動きをすれば「リアル」な動きということになるのかということ。つまり、まるで「リアル」ということを拒否するかのように芝居は書かれている。したがって、男性である青山さんが、ほとんど地のままでメルトゥイユ侯爵夫人を「演じる」という非リアル性の問題は、作品の構造の前にいとも簡単に飛んでいってしまうのだが、だからといって演じる側は、完全に非リアルなものとして演じることも許されない。
そんなことを考えながら第一景を観ていたら、第二景では、今までヴァルモンを演じていた菅原顕一さんがうってかわってトゥルヴェル夫人役になり、青山さんは、そのトゥルヴェル夫人を誘惑するヴァルモン役に替わる(その変換は、例えば青山さんが赤いドレスの上に黒いマントをはおるだけで示される)。以下、芝居の進行に従って二人はどんどん役を入れ替えていき、観客は役者にも登場人物にも同化することができない。
だから結局、その「同化拒否」が『カルテット』という芝居全体の眼目ではないかとも思ったが、惜しむらくは、今回の舞台は、そうした芝居の構造にやや振り回された感じで、その構造をショッキングなものとして観客につきつけるまでは至らなかったように思う。
私見では、思い切って(演出上の)ドラマ性をさらに排除し、素浄瑠璃のようなかたちに徹底してしまったらいいのではないかとも思ったが、個々のセリフは生々しいエロティシズムを目ざしているようなところもあり、この芝居はその辺の匙加減がとても難しそうだ。

芝居がはねてから青山さんと少しお話ししたが、彼は、「とてもおもしろい作品なのでなんとか再演したい」と語っていたので、再演に期待しよう。
ちなみに、今回の舞台では、トゥルヴェル夫人が裸体をさらすシーンが、イマージュとしてとても美しく感動的だった。青山節が絶好調(とりわけメルトゥイユ夫人)だったのはいうまでもない。

二丁目「シカト事件」

2007-01-12 12:52:40 | わが酒と薔薇の日々
正月話題の続き。

年始は3日にタックスノットに行ったが、空いた時間をみつけ、7日、再度タックスノットに行ってきた。3日に行ったときはマスターのタックさんが休みで、彼あてにと伝言して本を置いて来たのだが、それだけだとやはり気になって、ぜひ読んで欲しいと直接言いに行ってきたのだ。
タックスノットでは、タックさんに年始の挨拶をして本のことを少し話し、用件はそれで基本的に済んだのだが、話しの流れから、結局、時効だからいいだろうと促されて、タックスノットにからんだ私の昔話をすることになってしまった。
その昔話をここで少し再現してみよう。

さてタックスノットはことし開店25周年という。実は私は、タックスノットができた当時から店にかよっており、なんとなく昔なじみという感じがするのだが、よく考えてみると、タックさんとは純粋に店をとおしての知りあいということに留まっている。25年間、なんとなく客をしているだけであまりじっくり話したことがないのだ。またタックスノットではお客さん同士もとても仲がいいのだが、私には、別の店にはしごしに行くような特に仲のいい客もいない。だから、タックスノットからすると私は、不思議な常連ということになるのだろう。タックさん自身、長いこと会っているのに私のことをよく知らないというし、私自身も開店した直後のタックスノットのことは印象にない。
タックスノットが開店した当時の私はSさんという人とつき合っていて、そのSさんがタックスノットが気に入っていたので、Sさんに誘われて、受け身でタックスノットに行っていたという感じだ。
であるとき、私とSさんが前に書いたクロノスという店で飲んでいたときに、Sさんが嫌っていたTさんという人の連れ合いHさんが一人でクロノスに飲みに来た。Sさんは、嫌いなTさんへの当てつけということもあったのだろう。Hさんの顔をみるやいなや、席をたち、別の店で飲み直そうと私を促してクロノスを出てしまった。そこで飲み直しに行ったのは、もともとクロノスの客だった佐○さんが開いた「佐○」という店。そこで、クロノスでこんなことがあってなんとなくあそこで飲んでいたくなかったのでここに移動してきたといった話をしていたら、そこへまたHさんがやってきた。要するに、私もSさんも佐○さんもTさんもHさんも、もともとみんなクロノスの客なので、飲みに行く流れは同じで、別の店に移動しても移動した先でまた顔を合わせるということになってしまうのだ。
この時点でTさんと絶交する決意を固めていたSさんは、「佐○」でHさんの顔を見るやいなや、またしても私を促して「佐○」を出た。そしておもむいた3軒目の店がタックスノットというわけだ。
ところがタックスノットもやはりクロノスの客が流れてくる店だったため、「佐○」でシカトされて不快な思いをしたHさんは、「佐○」を出るとタックスノットに飲み直しに来た。私とSさんはまたタックスノットをすぐに出ることになった。この事件がただちにその日いなかったTさんに伝わり、TさんとSさんが絶交したのは言うまでもない。
とここまでタックさんに話したが、SさんもTさんもよく知っているタックさん(タックさんはTさんの自宅に行って唇を奪われそうになったことがあるという)は、話をきいてなるほどと頷いたものの、カウンターのなかからは、そんな「事件」があったことは全然気がつかなかったという。だいいち、Hさんがタックスノットに来ること自体、当時としても稀なことで、その稀ななかの一回がその事件の日だったのだと変に納得していた。

月日はたち、私はSさんと別れてしまったが、恋愛感情とは別に今でも交際はしている。
というか、昨年の私の誕生日、おめでとうと言ってくれたのは、このSさんと彼氏モドキの二人だけだった。
タックスノットに行った翌日、私は蔵書家のSさん宅を訪ね、(前日タックスノットに行った話はしなかったが)このところずっと探していたが絶版でみつからなかったとある本を貸してもらった。

うれしい年賀状

2007-01-11 15:34:55 | 雑記
今朝の夢は不思議な夢だった。
このブログでも以前書いた、私の高校生時代のあこがれの対象Mくんが瀕死の重病になり、それを見舞いに行って30年ぶり以上久しく彼と対面するというもの。瀕死のMくんは白髪交じりで、年相応にふけてはいたが、昔のようにかっこうよかった…。

   *    *    *

さてみなさん、年賀状は何通うけとりましたか。
こちらが出すのが遅れたというのに、私のところにも大量の賀状が来たが、なかでもうれしかったのは某出版社の役員からの賀状。
私にはやりかけのフランス語の翻訳があって、これはなんとか出版したいのだが、もし出版するとしたら某社がいいなあと、出せると決まったわけでもないのに以前からずっと思っていた。それが思いがけないことに、昨年とあるパーティーでこの某社の役員と会うことができ、しかも私が自己紹介するまでもなく、私たちの共通の知りあいである第三者が私を某氏に紹介してくれて、希望の某社とつながりができたのだ。せっかくの機会なので、私はとある翻訳をやりかけていること、これについて研究報告を行ったこともあることを述べると、某氏はぜひそれを読ませて欲しいという。帰宅してからただちに、某氏に報告レジュメのコピーを送ったのはいうまでもない。
某出版社との縁といっても、今のところはここまでなのだが、今年きた賀状のなかにその某氏からのものもあり、「ご研究のご進展をお祈り申し上げます」と記してある。この件は、私の翻訳が進まない限りこれ以上なんの進展もないのだが、それでも某氏が私を意識にとどめていてくれたのは、私にとって一歩前進だ。
研究といえば、歴史の研究で大げんかした相手(某大学の教官)からも賀状が届いた。あたりもさわりもない文面だが、賀状をもらってうれしくないことはない。彼とはいずれまた会うこともあるだろうし、こちらからもあたりさわりのない返事を出しておいた。
それとやはりうれしいのは、私の初体験の相手からの賀状。
新宿などでいろいろな人にきいてみると、ゲイの初体験の相手というのは行きずりの人というケースが多く、大半はそれきりになっているようだが、私の相手は高校時代の同級生で、今でも賀状のやりとりをしている。彼については、私の高校時代の思い出話の続きとして、またこのブログに書くこともあると思うが(ふしぎな偶然だが、彼は、直前に書いた某歴史学者と同じ大学で教官をしている)、うれしい賀状なので、賀状の話題のついでに記しておく。

営業の成果

2007-01-10 15:04:21 | 雑記
クリスマスに「営業活動」を行った朝○新聞社の件、その後メールに行き違いがあったりしてちょっとドタバタしたが(私が知っているメルアドが変更されていて、送ったはずのメールがうまく届かなかった)、とりあえずその件を切り離して、著者が朝○の紙面にミニ・エッセーを書くことになった。今、製版物の手配等、それに関する諸連絡でいろいろ動きまわっている。
朝○の書評が滞っているあいだに、今度は共同通信が書評をとりあげてくれるという話がおこり、この書評がでると、朝○との相乗効果で大きな動きになりそうだ。

   *    *    *

あちこちに電話をしたりメールを出したり、遅れた年賀状を書きながら今日聴いた音楽は「ハイドンの主題による変奏曲」、ヴァイオリン協奏曲、ドイツ・レクイエム(いずれもブラームス作曲)。昨年の暮れから年明けにかけて、さまざまなCDでブルックナーの演奏を聴いたが、今はそれが一段落して、クレンペラーの指揮でブラームスを集中的に聴いている。「ハイドン変奏曲」など、特になにもしないで変奏を流しているだけなのだが、クレンペラーの演奏は、そうした一見単純な音楽の処理が非常に見事だと思う。別に、おもしろく聴かせようとした演奏ではないのだけれど…。


年始の新宿

2007-01-04 13:04:58 | 雑記
昨日は、年始ということで、新宿のタックスノットに行ってきた。
マスターのタックさんには会えなかったが、私が編集した本を置いてきた。
青山吉良さんが演出・主演する芝居『カルテット』(ハイナー・ミュラー作)が来週の10日からはじまるので、おそらくタックさんともそこで会えるだろう。
タックさんはいなかったが、年始のタックスノットはやはりおもしろい客が多い。
私はたまたま隣り合わせた『バディ』に小説を執筆している某氏といろいろ雑談をした。ただ、彼の小説のことは、彼が店を出てからまわりの人に訊いたので本人とその話ができなかったのは残念だ。
年始ぐらいはゆっくりとも思ったが、昨年末あまりにもあわただしくて年賀状がまだできていないので、後ろ髪をひかれる思いで早々にタックスノットを辞去した。

それって実現できるんだろうか?

2007-01-02 19:58:36 | わが酒と薔薇の日々
みなさん、明けましておめでとうございます。本年も小ブログ、どうぞよろしくお願い致します。

さて、「彼氏モドキ」は予定どおり31日の午後に来訪し、昨日無事に?田舎に帰っていった。
31日は、午前中からお昼にかけて最後の雑用や買い物に出かけていたので、モドキと会ったのは午後2時頃、六本木ヒルズのクモのようなオブジェの下で落ち合った。
そこから寓居に移動し、しばし互いの近況などを報告しあった後、予定どおり近所の商店街に買い物に出た。買い物といっても大半はもう済ましてあるので、正月飾りやおせちなど簡単なものを買っただけなのだが、二人であれが足りない、ここは高いなどとぶつぶつ言って、結局四件のスーパーをはしごしてしまった。買い物が終わったところでちょうど夕方になってきたので、大晦日も営業している適当なショット・バーを探し、足やすめにちょっと潜り込む。
そこで1時間ほど休息したあとで、寓居に戻り夕食。イタリア・ワインと昼買い込んできたオードブルをつまむ。食事をしながら雑談しているとあっという間に時間がたってしまい、新宿に出かける時間はもうない。今井美樹と徳永英明が出るシーンだけ紅白をみて、急ぎ年越しそばを食べに行く。
ところが、これが時間が遅くなりすぎたためにもうどこの蕎麦屋もあいていない。新年まであと1時間を切ったところで蕎麦屋を探すことを断念し、初詣の寺院に移動。
一人で生活している時、私は初詣に行ったことなどないのだが、モドキが行きたいというので、一昨年は浅草寺、昨年は豊川稲荷に参拝してしる。ともかく初詣したいというだけで彼に特定の寺社へのこだわりはないので、今年は芝の増上寺に詣でることにした。移動するタクシーの窓からみえるライトアップされた東京タワーと暗い空のコントラストが異様に美しい。芝に着いたのが11時30分頃。初詣にはまだ少しだけ時間があるし、思いついて浜松町方面に向かうと、立ち食い蕎麦屋がまだ開いている。諦めていた年越しそばが、タイム・アウト間際に、しかもたった¥230で食えてラッキーだった。
増上寺は、詣でるという意識で来たのは今回がはじめてだが、新年ギリギリになるとさすがに人が境内からあふれだした。境内を埋め尽くす大勢の人といっしょにカウントダウン。ふらっとやってきたわれわれと違い、一般の参拝客はみんな手に手に風船をもっていたのだが、新年と同時にそれを一斉に空に飛ばす。そのたくさんの風船が、増上寺の裏手に明るく聳えている東京タワーとあわさってシュールな光景だった。
参拝客が大勢いたため、本堂に行くまでは小1時間かかったが、ぶじお参りも済み、帰宅。何もしないからという約束でモドキと同じベッドにもぐりこむ。

元旦は9時ぐらいに目が覚め、もうねむれそうにもないので一人起きだしておせちやおもちの準備をする。モドキの方はとみると、安心しきったような顔ですやすや寝ている。
そうこうするうちにモドキも目が覚め、少しじゃれたあと、今年最初の音楽をかける。クレンペラー指揮のブルックナー第4交響曲だ。クレンペラーのシャープな演奏を聴きながら、シャンパンとおせちで、あらためて新年を祝う。私が「今年こそはいい年になりますように」と言うと、すかさずモドキが、「あれ、それ去年も言いましたよ」とまぜかえしてくる。
シャンパンが空いたところで、モドキのお父さんからの差し入れの酒を開ける。ここ数年、モドキが私と一緒に年末年始を過ごしているのは、モドキの家族にも周知の事実なのだ。前日来、たしかに、家族に訊かれて困るようなことは何もしていないが、モドキの家では、私のことをいったいどう思っているのだろうか?
とまあ、それから適当にCDを聴き、ヴィデオを観たりしているうちに夕方となり、モドキは帰っていった。なんだかあわただしい元旦だった。

モドキが帰った今、私は、今年こそはモドキじゃないほんものの恋人を見つけなくてはという思いを強くしている(う~む、それって実現できるんだろうか…)。