闇に響くノクターン

いっしょにノクターンを聴いてみませんか。どこまで続くかわからない暗闇のなかで…。

ヴェネツィアの水+スパゲッティ+茨城のトマト

2011-03-28 00:10:51 | 雑記
今朝の東京は、例年にない冷え込みだった。蒲団から出たくないとおもいながらも、被災地の人の寒さはこんなものではないはずとおもいなおして起床した。
日曜日のアルバイトのシフトはいつも早番。起床してまず昼食用の弁当をつくり、昨晩スーパーで購入した弁当の残りとお茶で簡単に朝食。PCでニュースをチェックして8時少し前に家を出る。通勤の電車は動いていることは動いているが、ふだんより本数が少なく、またダイヤも不規則なので、震災後は、これまでより早めに家を出なくてはならない。
アルバイトの仕事の方は、内容もシフトも、とりあえずこれまでどおり。ただし、本来であれば今月はかなり残業が回ってくるはずでひそかにそれに期待していたのだが、震災の影響で残業はまったくなくなってしまった。それでも、仕事が続いている分だけいい方と考えなくてはならないのだろう。
職場で処理しなくてはならない仕事の量も、震災前と比べて激減している。アルバイトの仲間は、そのことでみんな先行きを不安におもっているのだが、今週、派遣先から、人員と基本シフトは従来どおりという内示があり、とりあえずは安堵している。
ということで、いつもどおり業務をこなしたが、今日の配席は別の派遣会社に所属している男性アルバイトと隣同士だったので、業務の合間にいろいろと雑談し、情報交換した。彼の本業はミュージシャンで、それだけでは食えないので派遣のアルバイトをしているのだが、派遣の仕事以外に互いにソフトなことをやっているということで、けっこう気が合うのだ。ただ彼は宮城県出身で、ようやくのことで家族とは連絡がとれたが、遠い親戚や友人までいれれば、必ず被災者がいるとおもうと、なかばあきらめていた。

夕方、7時にK堂まで戻ってきたが、このあいだの休みの日に、今日はスーパーで寝具の特売があることをチェック済みで、かつ今日買い物をすればポイントが大量につくというので、掛け蒲団とカバーを買ってから帰宅した。今の蒲団はどこかに小さな穴があいているようで、ときどき隙間から羽毛が飛び出してくるので、前から気になっていたのだ。
ついでにスーパーの食品売り場も覗いたが、米などは入荷しはじめているものの、放射能騒ぎのせいで水はまったくない。わずかに入荷する水は、母子手帳を提示しないと購入できない。わが家は、カレシモドキが田舎からペットボトルの水を大量に送ってくれたので、それでなんとかしのいでいる(私は、放射能汚染をそれほど気にしているわけではないのだが、ふだんから飲み水だけはペットボトルにしているので、水が購入できないと落ち着かない)。きけば、カレシモドキの田舎は被災地からも東京からも遠く離れているのだが、遠方に水を送ろうとする人たちの買い占めで、私に送った後は、水がまったく買えなくなったという。また、段ボールにつめた水を宅配の取次店にもちこんだところ、そこに大量の水が積んであったという。
ちなみに、震災後、東京では納豆もまったく買えなくなった。これはおそらく産地の茨城が被災したためだろう。卵、牛乳、レトルトカレー、インスタント・ラーメンなども品薄が続いている。
スーパーといえば、これまで12時閉店だったものが、節電のため9時閉店になったのにはとても困っている。平日の私の終業時間は9時なので、これだと平日はまったく買い物ができないのだ。

さて家に戻って、スパゲッティをさっとゆで、前日つくっておいたミートソースをあたためて夕食にした。ちなみに、震災後の休日、わが家ではスパゲッティを食べることが多い。これは、震災直後の米がまったく買えなかったときにパスタを買い込んだので、それを処理するという目的もあるのだが、パスタは、材料をそれほど整えなくてもありあわせの材料で簡単においしくつくれるので、便利だということもある。ニンニクと玉葱をさっと炒め、それにベーコンなどを足して市販のトマトソースとあえるだけでもそれなりにおいしく食べることができる。スパゲッティは非常食に向いていると、認識を新たにした。また、水がなにも買えなかったときやむなくヴェネツィアの水を買ったのだが、これは、ミネラル分が強すぎて和食とはまったくあわない。ところがスパゲッティと一緒に飲むと、この硬水がとてもおいしく感じられるから不思議なものだ。つけあわせの野菜は、茨城産のトマト。スーパーで4個100円で投げ売りしていたのでそれを買い込んだもの。ともかく、いろいろなものが欠乏していることを楽しみながら食事をした。

わが家は世田谷区なのでこれまで東電の「計画停電」は一度もない。それでも、いろいろなことで不便は不便だが、この程度であればいい方だと考えるべきなのだろう。いずれにしても、節電にはげむにこしたことはない。

茨城の友人から無事の連絡

2011-03-17 21:23:27 | 雑記
今日は異様に冷えるが、みなさんどのようにお過ごしだろうか。
TVで雪の積もった被災地の様子を見ると、心が痛む。

さて、一昨日と昨日は停電への対応のため派遣の仕事が休みとなったが、昨日の午後、派遣会社から「翌日(=本日)は通常どおり業務を行う予定なので出社して欲しい」という連絡があり、今日は、自分のシフトに合わせて出社した。とはいえ、電車の本数が少なく、乗り換えがスムーズにいくかわからないので、早めに起きていつもよりかなり早く家を出た。
業務はとりあえず「通常」どおりで、みんなでここ数日の互いの対応などを雑談しながら業務をすすめた。
そこへ午後4時半過ぎの海江田経済産業大臣の会見と、さらなる節電要請、大停電の予告があり、職場は大あわて。直後に、私の職場が入っているビルからの全館緊急放送があり、このビルも停電になる可能性が高いとの告知。すぐに、本日の業務打ち切りが通告され、派遣のアルバイトはみな一斉に帰宅した。
駅に着くと、まだ5時過ぎだというに、ホームはすでに帰宅を急ぐ人たちで大混雑。待つことしばし、電車が来たがすべての人は乗り切れず、かなりの人を積み残したまま出発した。
家に着いたのは6時過ぎ。着いたとたんに安心感からか空腹をおぼえたので、会社で夕食に食べるつもりで用意した弁当を暖めて、ほおばった。
これから先、ほんとうに、どうなるのだろうか。

     ☆     ☆     ☆

しばらくして、茨城に住んでいる友人から電話があった。実は彼のこともとても気になってはいたのだが、彼が住んでいるH市でも死者が出ているというニュースを見ていたので、連絡を遠慮していたのだ。聞けば、家のなかで本棚やいろいろなものが倒れ大変だったというが、それ以外は怪我もなく無事で、とりあえばは元気だという。ただやはり、H市では倒壊した家がけっこうあり、また倒壊にはいたらなくても、かなりの家から屋根瓦が落ち、このためそこら中の家が青いシートをかけているという。TVも震災後数日つかなかったらしい。
気になって山形にも電話してみたが、停電や物資の欠乏にもかかわらずみんな元気だ。
ただ、山形県は宮城県、福島県と境を接しているので、両県から避難してくる人たちが多く、その対応におおわらわらしい。なかでも福島からの被災者は、自治体が機能を喪失しているためバラバラで逃げて来る人が多く、このために避難の全容がつかめず、受け容れ体制を整備するのが大変だときいた。

閑散とした銀座

2011-03-15 23:31:05 | 雑記
今朝は8時過ぎに起床。電気が通っていることを確認した後、ネットで情報収集。
9時過ぎ、派遣会社から連絡が来る。「今日と明日は業務を行わないので自宅で待機していて欲しい。また明後日はとりあえず業務再開予定だが、不確定要素が多いので、変更がある場合再度連絡する」とのこと。派遣先では、なんとか業務再開を検討中のようだ。
しばらくしてから、10時過ぎに、昨日食べ損ねた弁当を暖めて食べる。
朝食後、何か買えるものはないか、最寄りのスーパーを見に行く。行ってみると、停電が予定されているため本日は午後からの変則営業ということで、まだ開店していない。
やむを得ず、その足でもう一軒の高級スーパーに向かう。こちらは営業しているが、目立った食品はほとんど売り切れだ。買い物客もみななかばあきらめ顔で、それほど殺気だった雰囲気は感じられない。それでもみんな、なにか備蓄できるものはないかと売り場をいきつ戻りつしながら、買い物かごをいっぱいにしている。
私はというと、雰囲気におされて、スパゲッティ、トマトソース、ベーコン、鯖缶、味噌、食用油などを買い込む。これ以外の米、パン、水、レトルトカレー、野菜などはほとんど欠品。多少残っていた肉を買おうか迷ったが、保存が難しいのでやめた。
帰り道の商店街では、パン屋だけでなく、八百屋にまで行列が並んでいる。八百屋の店先を見ると、スーパーよりも品物が豊富なので、野菜のほか、卵、みかんなどを買い込む。
ともかく、食糧難のときの買い出しと同じだ。

部屋に戻ってあちこちに連絡をしたところ、さるところからわずかではあるが原稿料収入が入ることになったので、これで当座はなんとかなると一安心。
ほっとしたところで、銀座のヴァニラ画廊に『パゾリーニ・オマージュ展』を見に行くことにした。

金座に着いたのは2時過ぎだが、銀座通りもさすがに人が少なく、閑散としている。画廊も客は誰もおらず、芳名帳をみても、今日の分は私が数人目だ。
宇野亜喜良さんらの作品を「がんばっているなあ」と鑑賞したのち、画廊を辞去。パゾリーニ映画のCDに未練はあったが、後日買うことにした。

その足で次に山野楽器に向かう。楽譜売り場で、迷ったあげくシューマン歌曲集の楽譜を購入。CD売り場も見たが、こちらは購入見送り。今日はダブルポイントデーとのことだったが、売り場に客はほとんどいない。

それから新宿に向かう。
まず世界堂で封筒などの文具を購入。次にジュンク堂にまわる。ここでもいろいろ迷ったが、値がはるハードカバーの本は断念し、コミックを買うことにする。購入したのは、このところ気に入っているやまねあやのの<ファインダー・シリーズ>など。会計は図書カードを利用。
ヨドバシカメラでプリンターのインクを買ったのち、最後にタワー・レコードにまわる。
ここでも、どうしようかいろいろ迷ったが、ポイントが三千円分あったので、フリードリヒ・グルダのジャズ・アルバムなどを買い込む。ちなみに、山野楽器同様こちらも売り場の人陰は超まばら。
混まないうちにと、そのまま小田急線に乗り込み帰宅した。

震災騒動に加えて、仕事の先行きがはっきりしないので、どこへ行っても買い物をする気がほとんどおこらない。

停電騒動で職場からUターン

2011-03-14 22:32:41 | 雑記
今日は東電による「計画停電」と電車の運休で右往左往した一日だった。

昨晩の時点で、世田谷区も早朝から停電する可能性があるとのことだったので、ささやかながら、昨晩は就寝前にご飯を炊いて停電にそなえた。

さて今朝は、起きてまず枕元の電灯をつけて電気が通っていることを確認。そののち、ネットで全体の状況を把握する。私が通勤に利用している小田急線は、新宿~K堂の折り返し運転をしているとのことだが、K堂の先が不通のため通常の経路では職場に通えない。調べてみると、東急線が本数を減らしながら運行しているとのことだったので、東急線で職場に行けばよいと見当をつけて、早めに弁当を準備し、朝食も早めに済ませて家を出る。
職場の最寄駅には比較的順調にたどりついたが、そこから先の通勤バスが、渋滞に巻き込まれてなかなか動かない。それでもともかく、職場にはすべりこみセーフ。
職場につくと、早番出勤の人たちが通常業務を行っていたが、昼からの交代要員には待機の指示。
しばらくして、職場の近隣の地域は午後からの停電予定エリアに入っており、業務が不可能なだけでなく職員の安全確保が保障できないため、午後の業務を中止を決定したとの全体連絡。またあわせて、午後になると東急線も運休予定なので、東急線を利用して通勤してきた人たちは、すぐに帰宅するようにという指示だ。明日業務を行うかは、明日にメールか電話で連絡するという。
そこで私はすぐに帰宅することにしたが、私と同じくK堂から通勤している同僚の主婦から帰宅に同行して欲しいと懇願され、それに同意。聞けば、11日の地震当日は、帰路がわからないため大幅に迂回し、自宅に戻るのに5時間近くかかったという。
ともかく、彼女をともなって通勤バスに逆戻りし、帰宅前に、昨日と同様、駅近くのスーパーで食料の買い出しをすることにする。
ところがスーパーの前まで行くと、停電を予定しているため、午後は臨時休業の立て札。社員たちが大あわてで、来客に事情説明している。
ただし、ここでぼやぼやしていると「終電」に間に合いそうにないので、急いでスーパーから引き返して駅に向かう。あらためて駅で説明をきくと、われわれはちょうど最終電車に間に合うとのことだった。
さて、その電車で三軒茶屋まで向かい、そこで今度は東急・世田谷線の最終電車に乗り継ぎのはずだったのだが、世田谷線の改札に行くと、終電は出たばかりでわれわれはもう間に合わないという。東急の連絡ミスなのだが、今日は、この程度のことで怒る気にならない。やむなく、三軒茶屋からK堂まで、同僚と歩いて帰宅することにした。途中、同僚の希望でパン屋に寄ることにしたが、のぞいてみるとパンは何もない。手持ちぶさたそうにしている店員にきいたところ、開店と同時に客が殺到し、すべてのパンは、あっという間に売り切れてしまったのだそうだ。ともかく、てくてくと歩いて3時少し前に帰宅。
震災の被害状況や原発のことも気になるが、いたずらに心配してもしかたがないので、部屋でお茶を飲みながら、まずは現在自分が手をつけていることの完成を優先させる、すなわち翻訳続行という自分の行動方針を決める。ただし、そのためのプリント用紙がもうほとんどないので、様子見を兼ねて新宿に買い出しに行くことにする。4時すぎまで、TVを見たり、洗濯物を取り込むなどの雑用を手早く済ませ、電車の運行状況を再確認して新宿に向かう。小田急電車は、K堂始発なので、駅も車内も、比較的落ち着いている。
新宿駅に着くと、まず駅ビルのルミネが臨時休業している。
めざすヨドバシカメラは、一店舗臨時休業だが、プリンター関連の店舗は営業している。見ると、店頭のいつも携帯電話を売っているコーナーで、臨時に電池の特売をしている。しかし、この特売もその他のコーナーも客はまばらで、店員は手持ちぶさたの様子。
それから紀伊国屋書店に向かうと、ここは1階と2階のみの変則営業で、しかも営業時間は5時までという。
伊勢丹に足をのばすと、こちらは6時までの営業。私は地下の食品売り場だけさっと覗いたが客はかなり少ない。しかも、ここもパンはみな売り切れで、お菓子のようなものばかり売れ残っている。
電車が混まないうちにと急いで新宿駅に引き返したが、人々の帰宅時間が始まって、JRの山手線や中央線は人があふれ、ホームへの立ち入り規制がはじまっていた。

さて、とりあえずはこんな感じでぶらぶらと一日を過ごしたが、私は派遣のアルバイトなので、一日仕事をしないと、来月確実に一日分の収入が減ってしまう。それも、今日一日の問題であれば節約などでなんとか対処の仕方もあるが、明日以降の職場が開くか不透明で、最悪、このまま仕事がなくなってしまう可能性もある。
被災して亡くなった人や家を失った人に比べれば、私が置かれている状態はものすごくラッキーだとおもいつつ、これからの生活に若干の不安がよぎる。

シュールなスーパーの光景

2011-03-13 22:54:30 | 雑記
昨日、今日と、近隣スーパーの食品売り場が異様な感じになっている。
私が住んでいるのは、東京・世田谷区のK堂近辺。
昨日は一日中TVに釘付けになり、夜になって翌日(=本日)分の食料買い出しに出かけたのだが、売り場に商品がほとんどない。
具体的にいうと、米、パン、飲料水、肉、魚、卵、総菜、レトルトカレーが全部なくなっている。米の横の餅の棚も空だ。これらのなかには、輸送や製造が間に合わず、やむを得ず品切れになったものもあるようだが、大半は近隣の人たちが買いあさったために欠品になっているのだ。わが家は米の在庫があと2、3日で切れそうなので、あわててもう一軒のふだんあまり利用しない高級スーパーに回ってみたが、ここもほぼ同じような状態で、米、肉、卵、水などがまったくない。

かわって本日。
問い合わせると今日も派遣の仕事があるというので、この大事態のなかで休日出勤してほとんど緊急性のない仕事をやることにやや疑問を感じつつ、生活のため出勤。職場につくと、欠勤の人が多く、ふだんより人数がかなり少ないが、業務も少ないので皆だらけた感じ。
仕事の合間にTVを見たり、隣の席の人と一昨日はどうだったか、親類は無事かなど雑談をしながら時間を埋めた。スーパーの話をすると、仮に近隣のスーパーに食品が入荷しても、近所の人がすぐに買ってしまう可能性が高いので、売ってる店を見つけたら、必要なものはすぐに買った方がいいと勧められた。
さて夕方、定時退社となったが、同僚の主婦の勧めにしたがって、帰りは、これまで寄ったことがない職場近隣のスーパーに立ち寄って米を購入。かなり品薄だが、ここはまだ米を売っている。こんな遠方で重い米を買うのは、まるで戦中・戦後の買い出しのようだ。
帰宅して簡単に夕食を済ませ、一息入れてからあらためて近隣のスーパーに行くと、昨日よりも欠品が増えている。米など昨日の時点ですでに欠品していた商品に加えて、牛乳、豆腐、納豆、冷凍食品なども欠品して、店内がガランとしている。

人々がいっせいに不安心理に駆り立てられるとんでもないことになるということを、まじまじと感じさせられた。

     ☆     ☆     ☆

追記:今、コンビニに杉並区宛のメール便を出しに行ったところ、交通事情からやむをえないこととはいえ、宅急便、メール便の受付はすべてストップしているとのことだった。

徒歩での帰宅

2011-03-12 00:14:06 | 雑記
みなさん、地震の被害、大丈夫だっただろうか。
私は、派遣のアルバイト先で、休憩中に地震に遭遇したが、仕事場が比較的高いビルのため、揺れもかなり強く感じた。地震の直後、TVを見ている最中にビル全体が停電となり、いったん10数階の非常階段で外部に退避し、揺れが少しおさまってからもう一度仕事場に戻り、そこで、「本日はもう業務を行わないので帰れる人はすぐに帰るように(ただし、電車が動いていないので、遠方の人で、もう少し様子をみたいという人は居残りも可)」という指示を受けた。
みんなどうしようか迷っているようだったが、私はいち早く徒歩での帰宅を決意、2時間30分ほど歩いて帰宅した。疲れたことは疲れたが、ともかく、無事に帰れてよかったとおもっている。
ちなみに、寓居は、本、CD、食器と、落下の危険のあるものが大量にあるのだが、案じながら帰宅し点検すると、意外にも、棚から落下していたのは、セット物のCD1箱のみだった。

ところで、海外にも日本の大地震のニュースはすぐに伝わったようで、ポーランドからも「大丈夫か?」というメールをもらった↓。このあたりの気遣い、ポーランドの人たちは、ほんとうに親身という気がする。もちろん、すぐに「当方無事」という返信をしておいた。

We are shocked about that vast tragedy in Japan.
We hope that everything is all right and you are save.

元カレの一周忌

2011-03-07 00:29:45 | わが酒と薔薇の日々
早いもので、私の元カレMくんが亡くなってまもなく1年が経つ。
この週末、MくんのパートナーだったKさんからご連絡を頂き、Kさん、Kさんの友人、私の3人で、ささやかな一周忌の会食を行った。場所は、MくんとKさんが互いの誕生日などの記念日によく利用していた和風レストランとのことだった。
Mくんの実家でも、なにか法事などを予定しているのではないかとおもうが、Kさんにも何の連絡もなく、またこちらから連絡する筋合いのものでもないので、Mくんをよく知る3人が集まったということで、それはよしとした。
ゲイの突然死は、亡くなってからのことがいろいろと大変だが、それもMくんが自分で選んで決めたことなので致しかたない。われわれだけの会食も見通していたのかもしれない。
会食の席では、Kさんから、私もうつっている20年ほど前の写真(私の旧居でのなにかのパーティーの光景など)を見せて、よく取っておいたものだと、あらためて感心したり、それをきっかけに思い出にひたったりした。
こうした思い出も、だんだん薄まっていくのは悲しいことだ。