喜びの種☆

yoshicoの徒然日月
ひとふたみよ
いつむゆななやここのたり、、ももちよろず
天の数歌

令和につむぐ

2019-05-02 00:23:40 | いせしまホツマ
「祝・令和元年」。
和暦ヤヨイ二十七日、
皇太子の徳仁さまが新しい天皇陛下に即位され、
雅子さまが皇后陛下になられました。
即位された天皇陛下の国民への『初めてのお言葉』、
現世のアマカミのミコトノリです。



毎日新聞より


『日本国憲法および皇室典範特例法の定めるところにより、
 ここに皇位を継承しました。
 この身に負った重責を思うと、粛然たる思いがします。
 顧みれば、上皇陛下にはご即位より30年以上の長きにわたり、
 世界の平和と国民の幸せを願われ、いかなる時も国民と苦楽を共に
 されながらその強い御心をご自身のお姿でお示しになりつつ、
 ひとつひとつのお勤めに真摯に取り組んでこられました。
 上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に、
 心からの敬意と感謝を申し上げます。
 ここに皇位を継承するにあたり、
 上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いをいたし、
 また歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、
 自己の研鑽(けんさん)に励むと共に、常に国民を思い、
 国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、
 日本国および日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、
 国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望いたします。』


言葉にするのが、とても畏れ多いですが、、
上皇陛下への感謝のお気持ち、そして御心を令和につむぐ、力強いご決意表明。
歴史的瞬間に謹んで心よりお祝い申し上げます。

上皇と美智子さまの日々の全ては、「ミヤヒ」そのもののご体現に思います。
「ミヤヒ」とはヲシテ文献によると、
ヒトを構成している「ヰクラ」(目に見えない五つの心の働き)と「ムワタ」(六つの内臓器)の
「ヰクラ」のうちのひとつで、
「記憶を司る働き、他人を思いやる心、哀れを知る心、情けを思う心」
であると説いています。

国民から后になられた美智子さまの全身全霊の献身は、
まさに「ミヤヒ」そのものです。

奇しくも、皇后陛下となられた雅子さまの御名にある「ミヤヒ」は、
いにしえのヤマトの精神を、今に伝える大いなるメッセージのように感じます。

「上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に、
心からの敬意と感謝を申し上げます。」

一国民として、ただただ感謝に振るえます。




『令和』
日本最古の万葉集(和歌)よりの引用で、
今から千三百年前の旧暦正月の梅花の宴で、最初に詠まれたウタのようです。
花は春桜に始まり春梅におさめしものだそうです。
こちらも四国のワカヒメ~希望紫~さんから教えていただきました。
シェアさせていただきます。

チベット語では、「レイワ」は「希望」の意味!
元号はただの名前名称ではなく、時代を導く顔(表紙)になるかと思います。
ネコヱ(コトタマ)の作用は必ずあり、佳きも悪しも陰陽一対の作用だそうです。
梅の花は冬春二季にわたり咲きます。
冬は閉じ出(い)で、春は開き現(い)づ。
イワトヒラキアマテラスのように。
梅の花にウグイス来たり…
鶯は頭に2つの火(太陽と月)、
ホウホケキョウと鳴く~ホケキョウは竜女、
善女竜王(ニウツヒメ)、丹生は朱、紅桜~
マコトの日の出望みしヤマトクニタミ目覚めに向けて~
~令和~ミコトノリすべてを紋和(あやは)しクニつつまむ~
心ひとつに合わさり、新しく道歩みはじめますように


『れいわ』

ヲシテ文字の表わすイメージは、、
「天水がヤマトクニ大地つつうらにふりそそがれ、
マコトのミチへ、いよいよのはじまり」
素晴らしいひびきですね♪

イニシエの アマカミたちの 思ひつむぎて、
アメミヲヤ ミココロあいつぶぎて ウツシ世へ
ヤマトモリシ、アマカミとともに
令和のトビラぞあけむ

ワカヒメさまのおもひが、母なる地球の解放へ、、
共にまいりたいですね。
令和、、まことの平和へ、いよいよ和歌の時代を迎えました。
目に見えぬ佳き(タマシヰと肉身)和合の時代へのコトタマのようです。

四国の~希望紫~さんの和歌。
謹んで言祝ぎ、紹介させていただきます。







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平成最後の日。

2019-04-30 14:42:54 | いせしまホツマ
平成最後の日。
平成三十一年ヤヨイ二十六日、天皇陛下譲位の日を迎えられました。
陛下は同日午後五時から、皇居・宮殿で「退位礼正殿の儀」(退位の礼)に臨み、
在位中、最後となるお言葉を述べられます。
国民ひとりひとりへのミコトノリです。
今日は我が人生に重なる昭和平成を振り返り、
大いなる感謝の心で一日粛々と過ごして参りたいと思います。



象徴天皇としての陛下と傍らにておささえした美智子さまの尊き長き歩みは、
まさに全身全霊、イノチをかけてヒノモトのタミをお守りくださいました。
「メヲ(陰陽)一対のムスヒ」
いつも私に和歌を送って下さる四国の~希望紫~さんが教えて下さいました。
名もなきて、慈しみ深き最も弱き者は、マコトは最もリムたる強き者、、
美智子さまはやわらにて、あたたけし、マコトリムたるさやのミタマにて、
そのミヤヒ、ヤマトミココロのイロハ(母)なり。
象徴としてのお役を模索し続けられた両陛下。
そのムスヒはサキハヒなり。
このウマシふるさと地球をみなでモリマセリ。

まさにまさにですね!




天皇皇后両陛下は、和暦ヤヨイ十四日(ソヨカ・小望月)、
伊勢神宮外宮(トミヤ)のトヨケカミと内宮(ウチミヤ)のアマテルカミに、
「親謁の儀」にて退位のご報告をなされました。
陛下は、皇位の印として歴代天皇に受け継がれてきた「ミクサタカラ」(三種の神器)のうち、
「剣璽(けんじ)」と呼ばれるヤヱガキツルギ(剣)とヤサカニのマカルタマ(勾玉)を携えて参拝し、
玉串を奉りました。





伊勢志摩の地に現世のアマカミが、「剣と勾玉」を携えておいでになられるという、
大きな歴史の節目に直面していることのエニシのワザにただただ畏れ、
大いなる感謝の意を表し、ひと目お姿を、、
と志摩へご到着される駅からホテルまでの沿道に参列参加させていただきました。





お車の通過するほんの一瞬でしたが、
両陛下の国民への大いなる慈しみのナミ(波動)に、ミタマふるえ、涙が溢れました。
現世のアマカミ、両陛下のお姿に真見え、包み込まれたように、
今も感じられるアイのナミ。

ヲシテの学びを通して知り得たヒノモトヤマトの大いなる尊さに、
深く深く感じ入り、ただただ感謝するばかりでした。





帰り道、英虞湾の真っ赤な夕陽の日ノ丸がとてもとても美しかった!
薄い夕焼け雲を見ながら、両陛下もご覧になられているかしら、と、
あたたかい気持ちに包まれて振り返った空にまん丸お月さま♡
生涯忘れ得ぬ佳き日でありました。





参列に際し、四国の~希望紫~さんより和歌が送られてきました。
謹んで言祝ぎ、ご紹介させていただきます。




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『縄文カレンダー』2019年度版!

2018-11-25 12:50:07 | いせしまホツマ
『縄文カレンダー』~ヲシテ文献から読み取れるコヨミ~

いつもありがとうございます。
おかげさまで、四年目を迎えることができました!


『縄文カレンダー』トホカミヱヒタメ暦 ~2019年度版~  



 

『縄文カレンダー』西暦2019年度版(2018.12.23~2019.12.11))
 ◎縄文カレンダーの一年は、冬の至りの満月から月の巡りの十二カ月です。
 ◎A4判カラー・竹紙20頁の冊子形。
 ◎1冊1500円(10冊以上1000円)でお分けしています。 ※郵送料別途

ご予約承ります。※2018年12月3日より発送いたします。

ご希望の方は、
 ◎送り先のご住所、お名前、希望冊数を下記までメールにてお知らせください。
  ※送料は冊数により異なりますので、折り返し金額と振込先をお知らせします。

日々の暮らしの中に、縄文から伝わる響きを感じていただければと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

冨山喜子
【メール】yoshico1018@yahoo.co.jp
【ブログ】喜びの種☆:http://blog.goo.ne.jp/ten380445





縄文カレンダー◇ヲシテ文献から読み取れるコヨミ
トホカミヱヒタメ暦

『ヲシテ』とは、古代日本語で「ヲし・教える」・「て・手立て(手段)」の意。
ヲシテ文字は、漢字伝来以前、縄文からつながる文化・文明を
人々に伝達し教えるための道具として位置し、
一音韻一文字の「表音表意」文字で、
音韻(四十八音韻)各々のエネルギー(波動)の性質や働きを
カミカタチ(文字)として表わしています。

「見えないエネルギー(音韻・波動)のイメージ(大宇宙の理)」が
その基にある日本語をヲシテに照らすと、時空を超えてエネルギーの躍動が伝わり、
漢字からは読み解けない「本質」の意を感じることができます。
※縄文文字ヲシテ四十八音韻図表参照。

ヲシテ文献は、すべて美しいヤマトコトハの五・七調で綴られ、宇宙創成・天地開闢、
初代アマカミ(天皇)クニトコタチのトコヨクニ建国から続く、
景行天皇ご在位時(ヲシテ文献編纂。以降漢字が主流となる。)までの歴史が詳しく描かれています。
また、ヲシテ文字に代表される日本独自の概念は「縄文哲学」とも称され、
宇宙観や死生観、天地自然の摂理や思想・精神、慣わしや祭りの謂れなど、古代日本を今に伝える貴重な書物です。

※「カクミハタ」・「ミカサフミ」・「ホツマツタヱ」の三文献があり、
 「ホツマツタヱ」と「日本書紀」「古事記」の三書を 比較検証した
 『定本ホツマツタヱ』池田満著(ホツマ刊行会)により記・紀の原書と認められます。

『縄文カレンダー』は、現在のグレゴリオ暦に対応させた太陰太陽暦(旧暦)で、
「トシウチニナスコトのアヤ」(カクミハタ)と「ナメコトのアヤ」(ミカサフミ)の記述を元に、
古来日本の年中行事と祭りやその謂れについて記しています。

「コヨミ」とは、『天体・天地自然』の成り行きを表わしたものです。

一日は太陽の一巡り
 日の出(東)・正午(南)・日没(西)・夜中(北)

一年は天の川(天体)の一巡り
 春(東)・夏(南)・秋(西)・冬(北)

ひと月は月の満ち欠けの一巡り
 東から西へ日々姿を変え循環しています。

天体は北極星を中心に一日に三六一度、一年で三六〇度、私たちの周り(東西南北)を巡り、
日々刻々と時を告げ、様々な情報をもたらしています。

古代日本では、宇宙創造祖「アメミヲヤ」を北極星(北・ねネ)の位置に祀り、
宇宙の中心(源・アモト・アウワ)として、
この世のすべてはアモト(宇宙)から降り注ぐナミのもたらしによるものと考えていました。

周囲八方に、季節・方位の守り「ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ」の八カミを配し、
あわせ「コホシ」(九星・アメミヲヤとハカミ)として祀っていました。

ヒトはアメミヲヤのワケミタマ(ココロ)であり、タマが降され還る場所(アモト)として、
季節の節々に先祖のミタマに感謝を捧げ、お祭りを行っていました。

宇宙のはじまりは、アメミヲヤの一息から兆しが起き、
はじめに「ヲ」(軽)と「メ」(重)に分れたと伝えています。※後の世に「陰陽」と表わされます。

「ヲ」:軽い・温かい・天・太陽・東・昼・男など。
「メ」:重い・冷たい・地・月・地球・西・夜・女など。

季節の移ろいは、ヲ温・メ冷のバランスに表わし、八カミの守りとしています。
 
 ヱ(一ヲ・三メ)冬至満月~    
 ヒ(二ヲ・二メ)立春新月~    
 タ(三ヲ・一メ) 春分満月~    
 メ(四ヲ・夏至)立夏新月~    
 ト(三ヲ・一メ) 夏至満月~
 ホ(二ヲ・二メ)立秋新月~
 カ(一ヲ・三メ) 秋分満月~
 ミ(四メ・冬至)立冬新月~


季節を象徴する方位と色の表わしは、
「春」東キ・白 「夏」南サ・青 「秋」西ツ・赤 「冬」北ネ 。

縄文の年度初めは、シモツキ・ナカ(冬至満月)。
「ヲ」の再来を祝う「ウイナメ・ヱ」、ゑヱのカミの守りです。

つきすみの しがのみことが
ゑとのかみ とよりののとの
ゆえおとふ かれにとよけの
なめことぞ  ミカサフミナメコトのアヤ


九州のシガノミコトがヱトのカミについて質問しました。
兄弟を意味するヱトは、兄がヱで弟がトですが、
トホカミヱヒタメのノト(祝詞)は、トから先に称えられるのは何故でしょうか、
ここに、アマノコヤネはトヨケカミ伝来の「トシウチニナスコトのアヤ」をもとに、
「ナメコト(行事)」についてお説きになりました。

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『縄文カレンダー』7・8月ワークショップのお知らせ。(7/12現在)

2018-07-12 17:17:22 | いせしまホツマ

西日本豪雨災害、被害に遭われた方々へ、心よりお見舞い申し上げます。

未曾有の大災害、あまりの現状に被災したわけではないのに、なにも手に付かず、、
ブログの更新も滞って居ります、、ごめんなさい。

7月12日、旧暦ミナツキ新月前夜祭!
志摩町和具漁港東広場にて
奇祭・潮かけ祭り前夜のご神事「おしょうじ」が行われます。

『アートートーアートートー』の掛け声とともに真っ暗な海に潜り、
海底の那智黒石を拾います。無病息災のお守りです。
西日本豪雨で犠牲となられた方の御霊のご平安をお祈りいたします。
被災された方々、災害支援の方々に心を寄せ、
南の島にかかる天の川に天地自然の安寧をお祈りします。

『アートートーアートートー』

7月12日(木)19:30~20:30
『おしょうじ』煙かぶり 和具漁港東広場
参加団体:富士講・八雲神社



著作者joeparks.jpg







*****


ここ数年の異常気象、記録更新が頻繁になされるようになりました。
十年前、人工林の間伐を経験し、鋸谷式巻がらし間伐を学びました。
素人でもできる、杜の生きる力の再生技術です。
全国に広がる根の粗い飽和状態をはるかに超えた放置林は台風に弱いので、
間伐した木を伐らずに支えとして杜に残す方法です。
「この十年が勝負!これから数十年に一度と言う台風がどんどんやってくる。」

その十年の間には、東日本大震災もありました。
日本の放置林は再生どころか山ごと切り崩して大地への太陽光を搾取する、
メガソーラーパネル覆い尽くされその面積は、日ごとに拡大しています。
森の大地は石ころひとつ置いたって、その下の環境は激変するというのにです!
山を根こそぎ切り崩し、枯葉剤を大量投与し、闇に葬る、、ということです。

原発稼働から五十五年、、
その間に世界はいたるところで人々の暮らしは昼夜稼働しています。
「動きのあるところ熱を生ずる。」
ヲシテ文字のいろはのい(基礎の基礎)です。
五十年前にペットボトルは存在しません。
コンビニもファミレスも高層ビルも高速道路も、
ひとり一台エアコン・テレビ・スマホも、
張り巡らされた地下鉄も、アスファルトも大きな箱モノ施設も、
いま当たり前にあるものは、
縄文から続く一万年以上の歴史のほんのこの100年の事。

大地は、地球は、どれだけの負荷を背負っているのでしょうか、、
「動きのあるところ熱を生ずる。」
気流の変化や温暖化加速などは、圧倒的な負荷から生まれた自然現象ではないか、、
と考えてしまいます。

伊勢神宮のご用材を育てる宮域林は、大正十二年、200年計画ではじまりました。
いま100年弱で、今回のご遷宮にSサイズがデビューしたそうです。
自然の力を最大限活かして杜を育てる、見たことのない美しい色のトンボや蝶、
川面にはホタルの飛び交う究極の人工林です。

この50年で地球表面、地下は宇宙人の襲来ぐらい変わり果てています、、
過去の記録なんて全く当てにならないくらい、
この100年で人類はしでかしてるのかもしれません、、
みんながそれぞれちゃんと防災意識を持ち、
優先順位の基準をもう一度見直すとき、と思います。
いま必要なのは開発より再生だと思います。

一般社団法人大地の再生 結の杜づくり
https://www.facebook.com/daichisaisei/
HPは現在リニューアル中のようです。
https://yuinomori.jimdo.com/


OPEN JAPAN緊急支援プロジェクト
HP:http://openjapan.net/

*******

『縄文カレンダー』7・8月ワークショップのお知らせ。(7/12現在)

◆7月20日(金) 【三重】志摩市
『縄文カレンダー・ほつまことほぎ』18:30~
◎場所:志摩市浜島町南張 ※参加者の方にお知らせします。
◎問:yoshico1018@yahoo.co.jp 冨山
https://www.facebook.com/events/248242479314083/

◆8月8日(水) 【大阪】北区チャクラ
『縄文カレンダー・ほつまことほぎ』
昼の部:Open:14:00 Start:15:00~①1アヤ
夜の部:Open:18:00 Start:19:00~⑥15アヤ
◎場所:チャクラ  ☎06-6361-2624
https://www.facebook.com/events/189872528360246/

◆8月28日(火) 【東京】新宿成子天神
『縄文カレンダー』ws 13時〜15時
◎場所 : 成子天神社 東京都新宿区西新宿8-14-10
◎参加費:2000/ ※縄文カレンダー別途1000/お持ちの方はご持参下さい。

◆8月29日(水) 【神奈川】あざみ野
『縄文・ほつまことほぎ』WS 9アヤ
◎場所:アートフォーラムあざみ野 1Fコミュニティースペース
◎13時半~16時半
◎参加費:2500/ ※縄文カレンダー別途1000/・テキスト④別途1000/
◎お問合せ先、申込先:UNITY 中村光穂  ✉info@unity15.com
https://www.facebook.com/events/903838633157508/?notif_t=plan_user_invited¬if_id=1530580885523883

◆8月30日(木) 【群馬】前橋市
『縄文カレンダー・ほつまことほぎ』③8アヤ 
◎場所:前橋市内(参加者に別途ご連絡します)
※詳細後報。

◆8月予定 【静岡】浜松
『縄文カレンダー』ヲシテム講座 
◎場所:
◎申込:yedia24@gmail.com 高柳


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『縄文カレンダー』・『ほつまことほぎ』ワークショップのお知らせ。(10/25現在)

2017-10-25 01:53:39 | いせしまホツマ
【縄文カレンダー】【ほつまことほぎ】ワークショップ
 11月のお知らせです。

まもなく来年度の縄文カレンダーの完成です。
『縄文カレンダー』2018版は、西暦2018年1月2日から12月22日です。
11月中旬完成、発送予定にて、ご予約承ります。
また、出張ワークショップも下記メール宛、お問合せください。
日々の暮らしの中に、古代日本の叡智を感じていただけたらと思います。





『縄文カレンダー』2018年度版は、
1冊1500円(10冊以上1000円)でお分けしています。※送料別途
ご希望の方は、送り先のご住所、お名前、希望冊数を明記の上、
下記までメールにてお知らせください。
送料は冊数により異なりますので、折り返し金額と振込先をお知らせ致します。
どうぞよろしくお願いいたします。
ご予約・お問合せ【メール】yoshico1018@yahoo.co.jp


~~~~~◎~~~~~◎~~~~~◎~~~~~

11月【縄文カレンダー】【ほつまことほぎ】ワークショップ





◆11月9日(木) 【大阪】チャクラ
『縄文カレンダー・ほつまことほぎ』④10アヤ
昼の部:Open:14:00 Start:15:00~
夜の部:Open:18:00 Start:19:00~
◎場所:チャクラ ☎06-6361-2624
大阪府大阪市北区菅原町6-12 
http://www.chakra-jp.com/whats/whats_index.html
◎参加費:1500/(onedrink付)※テキスト④9-11別途1000/
◎内容:初代オオモノヌシ、イツモのクニカミ、オオナムチの慢心が、
オオモノヌシ解任の問題に発展し、ツカルへのクニカエに及びました。
国譲り神話の詳しい真相のみならず、ワカの奥深い響きに圧倒されます。


◆11月15日(水) 【東京】北区
『縄文カレンダー・ほつまことほぎ』③7アヤ 13時〜17時
◎場所 : 東京都北区北とぴあ807会議室
◎参加費:3500/ ※テキスト③7-8別途1000/
◎内容:七アヤ『ノコシフミ・サガオタツアヤ』
大事件です!諸臣が集まり、断罪をすることになりました。
罪を裁かれるのは、アマテルカミの弟ソサノヲです。
経緯の馴初めには、ソサノヲ御出生に係る秘密が関与していると、
父イサナギの「ノコシフミ(遺しフミ・ご遺言)」に記されていました。
アマテルカミの天の岩戸お籠り事件の真相です。
◎お問合せ・ご予約:ヒーリングサロンアズリーhttp://www.azriee.com/otoiawase.html


◆11月15日(水) 【東京】北区
『縄文カレンダー・ほつまことほぎ』①3アヤ 18時15分〜21時15分
◎場所 : 東京都北区北とぴあ807会議室 
◎参加費:3500/ ※テキス①1-3別途1000/
◎内容:三アヤ「ヒヒメ・ミヲウムトノのアヤ」
七代アマカミ・イサナギ・イサナミさんのお話。
フタカミの新婚生活は筑波山麓のイサミヤからはじまりました。
あなにえや、、クニウミのコトアゲの成り行きも仔細に記されています。
◎お問合せ・ご予約:ヒーリングサロンアズリーhttp://www.azriee.com/otoiawase.html


◆11月16日(木) 【神奈川】あざみ野
『縄文カレンダー・ほつまことほぎ』②6アヤ 
◎場所:アートフォーラムあざみ野 1Fコミュニティースペース
◎13時半~16時半
◎参加費:2500/ ※テキスト②4-6別途1000/
◎内容:六アヤ『ヒノカミソフキサキのアヤ』
八代アマカミ・アマテルカミのご即位に際し、各地よりお后候補のヒメが続々と現れ、
キツサネ(東西南北※主に東北・九州・東海・北陸)の四方よりそれぞれお三方、
十二人のお后さまがお決まりになりました。
※全国の集合統一的なアマカミの役割がここに認識されます。
◎お問合せ先、申込先:UNITY 中村光穂 ✉info@unity15.com

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『縄文カレンダー』2018版、ご予約承ります!

2017-10-22 17:33:06 | いせしまホツマ


『縄文カレンダー』西暦2018版、順調に製作中です。
ナカツキ新月に、表紙を描き上げました!
あとは最終校正と色決めで入稿となります。

色見本のインクの匂いがかなり苦手なので、
色決めは、秋風そよぐ屋外でできる日、お天気待ち、、^^;
その間、じっぐり校正したいと思います。

『縄文カレンダー』2018版は、
西暦2018年1月2日から12月22日です。
11月中旬完成、発送予定です。

ご予約承ります。
日々の暮らしの中に、古代日本の叡智を感じていただけたらと思います。
ありがとうございます。
以下詳細です。






『縄文カレンダー』は、縄文文字ヲシテで綴られた文献に記された、
古代日本の「季節の移り変わりの事の教え」や「年中行事」の記述を元に、
縄文時代の季節感や行事を、現代のグレゴリオ暦と太陰太陽暦(旧暦)に表しています。
今に伝わる「ヒナマツリ」や「タナハタ」、「豆まき」等、
祭りの発祥や謂れも、たいへんに興味深く、古来日本の慣わしや精神、思想が覗え、
縄文の宇宙的概念や死生観をも読み取れる「コヨミ」です。

参考文献・参考資料
・ヲシテ文献の世界へようこそ:日本ヲシテ研究所
 「ヲシテ文献・大意」http://www.zb.ztv.ne.jp/woshite/
・『ホツマ辞典』池田満著・展望社
・『よみがえる日本語』青木純雄・平岡憲人著・明治書院
・『よみがえる日本語Ⅱ』青木純雄・斯波克幸著・明治書院
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。


************


『縄文カレンダー』2018年度版は、
1冊1500円(10冊以上1000円)でお分けしています。※送料別途
ご希望の方は、
送り先のご住所、お名前、希望冊数を明記の上、
下記までメールにてお知らせください。
送料は冊数により異なりますので、折り返し、
合計金額と振込先をお知らせ致します。
どうぞよろしくお願いいたします。
ご予約【メール】yoshico1018@yahoo.co.jp



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ミナツキ朔 『おしょうじ・煙かぶり』志摩町和具

2017-07-22 23:16:38 | いせしまホツマ

旧暦「ミナツキ朔(六月一日)」は、夏至の周りの新月に当たります。
※今年は閏サツキの挿入される、十三回月の巡りがある年なので、
例年より遅い時期になっています。

志摩町和具の八雲神社の天下の奇祭『潮かけ祭り』の前夜祭に行われる、
富士講の『おしょうじ・煙かぶり』はホツマ的に大変興味深いご神事です。

夜、七時半より行われるこのご神事に行ってきました。



和具漁港東広場に鳥居と祭壇が設置されています。







八雲神社の神主さんの御祭りの後、
ハッピ姿の若衆が真っ暗な浜辺に移動し、海に潜り、那智黒の石を拾います。
この時の掛け声が、

「ア~ト~ト~ア~ト~ト~」です。

真っ暗な浜辺の夜空には、うっすらと天の川が海にかかっています。
八雲神社の真南に位置する大島。

※大島には海の女神・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の祠があり、
年に一度の里帰りを祝い、海女や漁師がアワビ等のその日の獲物をお供えし、
海の安全と大漁を祈願する神事の後、船どうし人どうし海水をかけ合ったり、
海に投げ入れたりする天下ご免の祭、780年余の伝統を誇る奇祭「潮かけ祭り」です!


ヲシテ文献に記される季節の守り「ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ」の
ヤカミ(八カミ・八皇子)は、方位方角の守りでもあります。

夏は「ト」の守りの季節ですが、その季節の真夜中の天の川のかかる方位方角、
夏は南天に降り注ぐことから、「ト」は南の守りでもあります。







夏の新月、電気のない時代、
南の大島に天の川がかかるがはっきりと見えていたと思われます。

天を表すヲシテ文字はアメ・アマの「ア」です。
「アートートー・アートート」の掛け声は、
まさに「南天の天の川」を祭っているのかもしれません。

地元の方々は、この石をいただいて持ち帰り、一年間お守りとします。
漁港広場では、藁を燃やして火をおこし、海に潜った若衆が、
集まった人々の頭をひとりひとりお数珠でなでながら、無病息災を祈ります。
私も石をいただき、頭をなでてもらいました♡ありがたや







また、ヤマトコトハでは南の別称を「サ」といいます。
浅間講(富士講)のアサマとは天の南からの生じ為さしめとも読み取れます。

初代アマカミ・クニトコタチのヤミコ(八皇子・トホカミヱヒタメ)のうち、
「ト」のミコトは、富士山南麓(富士宮浅間大社付近)に繁栄したと
ヲシテ文献は伝えています。

富士山は南の象徴、そして一番天に近いところです。
海に潜り那智黒石を拾う若衆は、
事前に富士山頂へお参りするという風習も大変興味深いです。
八雲神社のご祭神についてはまたいずれ、、


参考文献・参考資料
◎志摩市ホームページ。

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ミナツキ朔 『御潜神事』鳥羽市国崎

2017-07-21 22:40:02 | いせしまホツマ
伊勢志摩ホツマ 御潜神事(海士潜女神社)

旧暦六月一日に行われる御潜(みかづき)神事は、
伊勢神宮へ奉納するアワビを採る、
ヤマトヒメの志摩巡行に由来する、
遥か二千年の歴史を誇る海女の大切な神事です。

御潜神事の伝わる鳥羽市国崎町は志摩半島の最東端。
「志摩の国の先」にあることから「くざき」と呼ぶそうです。
伊勢神宮に奉納するのは、身をそいで乾燥させた熨斗鮑です。
※国崎の「熨斗鰒づくり」の伝統技法は、
平成十六年三重県無形民俗文化財に指定されました。



過去には国崎を含め、答志村、神島村、菅島村、石鏡村、相差村、安乗村が参加して行われた志摩地方で一番大きな祭りとして知られていましたが、明治四年の御贄献身制度の廃止に伴い、盛大な神事は絶えてしまいました。

平成十五年、パールロードの一部無料化により百三十二年ぶりに復活しましたが、
平成十八年で再び断絶、国崎の海女だけが参加する祭りとして再興されました。
平成二三・ニ四年は東日本大震災の影響で開催自粛。
平成二五年は、神宮式年遷宮記念として、
平成二八年は伊勢志摩サミット記念として開催され、
今年は残念ながら行われないようです。

また、同日に開催される海士潜女(あまかづきめ)神社の例大祭では、
伊勢神宮から神職や舞姫(巫女)が訪れて神楽を奉納し、
海女が総出で一年の操業の安全を祈願します。

海士潜女(あまかづきめ)神社の主祭神の潜女神(かづきめのかみ)は、
垂仁天皇二十六年(紀元前四年)、、
伊勢神宮への御贄地を求めて諸国巡幸していたヤマトヒメが国崎を訪れた際に、
アワビを献上した伝説の海女、海女の始祖といわれる「おべん」さん。

以来、国崎は伊勢神宮の神戸に選定され、
外宮旧神楽歌に「ひめ社」として歌われていたそうです。

また、潜女神はめまい除け、トモカヅキ除けにもご利益があるとされ、
地元の海女だけでなく、日本中のダイバーの信仰も集めています。

「トモカヅキ」とは、、
鳥羽・志摩に伝わる海に潜る者にそっくりに化けるという海の妖怪で、
鉢巻の尻尾を長く伸ばしているのが特徴で、、
人を暗い場所へと誘ったり、鮑を差し出したりして、
この誘いに乗ってしまうと、命を奪われると恐れられています。

海女たちはこの怪異から逃れるため、
五芒星と格子の模様を描いた「セーマンドーマン」と呼ばれる魔除けを描いた服、
手ぬぐいを身につけるとの説もあります。



「セーマンドーマン」は、陰陽道に由来するともいわれますが、
陰陽五行の発祥が古代中国の夏(カ)の時代というのも、
ホツマ的には大変興味をそそられます。

ニ千年の歴史を誇る御潜神事、日頃から自然に感謝と祈りを捧げ、
海女の祭りとして伝えられた神事、、大切に遺してゆきたいですね。

参考文献・参考資料
◎ウィキペディア「海士潜女神社」「御潜神事」
◎日本紀行「国崎に海女の祭り御潜神事」

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御田植祭(伊雑宮)

2017-06-08 13:35:53 | いせしまホツマ

◎御神田祭(伊雜宮)
伊雜宮の御神田祭は、重要無形文化財に指定された御田植の祭りです。
祭りの起原は平安時代末頃と伝えられていますが、今から約六百五十年前、
南北朝時代の建武二年(一三三五)が記録上最古のようです。





祭りの次第に「竹取神事」があり、神田の中央に設置された
『太一』と書かれた団扇(ごんばうちわ)のついた忌竹(いみだけ)を男衆が奪い合います。
竹の一片を船に祀れば豊漁になると伝えられます。

『太一』とは、宇宙根元、北極星、大日如来、天照大神と同一視されています。
古代日本の「宇宙根元を表す哲学的概念」では、
宇宙の中心・源は北極星のその先の『アモト(アウワ)』であり、
アモトの中心からの回転の響きはクニタマ(地球)にも及び、
人の呼吸や水面のさざなみに表れるとされています。

また、ヒトの「タマ」は『アモト』から降され来て、
死後は再び『アモト』に還る、ご先祖様も皆いるところとして、
そのつながりを尊び感謝し、新月・満月には常にお祭りしていました。
『太一』の団扇を倒すのは、宇宙の源からの夏至のウルナミ(エネルギー)を
水田にもたらすとの表しなのかもしれません。



毎年西暦六月二十四日に行われる「御神田祭」ですが、
これは「明治改歴」後に定められた祭日です。
改暦以前の祭日は、『磯部町史』によりますと、、

明治二十四年、各区長が神宮に差し出した「御田植旧復義願」の文中には、
「御田植の義は享禄(一五ニ八年~)年中より毎年五月中滞りなく云々」。

また、『磯部の御神田』(磯部町教育委員会)には、、
元禄年中の文書に、磯部町下郷地下所蔵の伊雜宮史に、
万治(一六五九)二年、江戸の寺社御奉行所呈出した旧記勘例の中に、
「一、 五月中旬有 御田之神事是、、今之定例也」とありました。

もともとは旧暦(太陰太陽暦)の「サツキナカ(望・五月十五日)」、
夏至の満月(トの季節入)であり、夏至のウルナミ(エネルギー)を
享けいただく行事であったとも考えられます。
また、西暦11月23日の新嘗祭が旧暦「シモツキ望(十一月十五日)」であり、
冬至の満月(ヱの季節入)と相対しています。



◎七本鮫
御神田祭と同日、六月二十四日は、
倭姫命の巡行の際に七匹のサメが野川を遡上し、
倭姫に伊雜宮の鎮座地を示したという伝承があり、
毎年この日には七匹のサメが伊雜宮に参詣するとされ、
近隣の漁師は休漁する風習だそうです。
この日もやはり明治の改暦以前は、
夏至の満月・旧暦五月十五日ではなかったかと思われます。




参考:
◎『磯部町史』
◎『磯部の御神田』(磯部町教育委員会)
◎ウィキペディア「磯部の御神田」




伊勢志摩ホツマ勉強会(第二回)
◆日時:6月14日(水)18:30~
◆場所:TOBI hostel & apartments
    三重県志摩市大王町波切3626-7
    https://www.facebook.com/tobi.iseshima/
◆参加費:カンパ(500/~)又は差し入れ
◆内容:イサワノミヤ(現伊雑宮)・御神田祭・磯部の花ササユリ(天の岩屋)・フタミカタ(二見浦)


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イセノミヤ(伊勢神宮)

2017-05-09 17:25:21 | いせしまホツマ

伊勢神宮、、二十年毎に行われる式年遷宮
第一回は持統天皇四年(西暦690年)から、西暦2013年に六十二回目が行われました。
垂仁天皇二十五年(紀元前5年)ヤマトヒメさまにより伊勢の地に祭られたイセノミヤ。
ホツマツタヱ三十六アヤ『ヤマトヒメ カミシツム アヤ』よりイセノミヤをご紹介します。
※ヤマトヒメはこちらです。







◎イセノミヤ
ミツカキ(祟神天皇・瑞垣の宮)三十九年(BC59年)三月三日、
ミマキのキミ(祟神)より「トヨケカミとアマテルカミをお祭りする」とのミコトノリです。
初代ミツエシロのトヨスキヒメは、ミマキのキミ(祟神天皇)のミコ(皇女)。
アマテルカミのお告げにより、ミタマケ(アマテルカミの心の乗り代)をお担ぎになり、
ヨサ(京都府与謝郡、天橋立の宮津市付近)からアフミ(近江)よりミノ(美濃)を巡り、
イセ(伊勢)のタカミヤ(三重県松阪市山添町、神山神社)をお造りになり、
アマテルカミのお心をお鎮めになって居られました。
※この間の諸国巡行は『倭姫命世記』に詳しいが、トヨスキヒメとヤマトヒメのご交代時期の錯誤も混入。

イクメ(垂仁)二十二年(BC8年)十二月二十八日、
ヤマトヒメ・ヨシコが十歳でミツエシロに定まり、トヨスキヒメの許で三年の見習いの後、
イクメ(垂仁)二十五年(BC5年)三月八日、二代ミツエシロ二にヤマトヒメが任ぜられます。

サルタヒコの告げにより、ヤマトヒメはウヂ(内宮の場所)に至り、見て仰います。
「これは、カンカセのイセノミヤです。
 イヤマヒ(尊敬)をかえすアマテルカミご存命時代のアクライシもあります。」
ヤマトヒメは、ウチのミヤ(内宮)の場所をここに定められました。
オオハタヌシや随身のヤソ(八十)人たちに、ヰソススハラのクサ(草)を刈らせ、
オチコチ(近遠)ヤマの木を伐らせます。
モト(元)、スエ(末)、モトシ(逆にして)、マナカをもちて、オオミヤハシラを敷き立てます。
チギ(千木)は、たか(タカ・春と秋・日の出と日の入)シ(為し)りて、ミヤが成り、
ミカド(皇居)のイクメのキミに報告します。

イクメのキミ(垂仁天皇)のミコトノリです。
「ミカサのヲトト(ミカサ・カシマ)をイワイヌシとします。
ワタラヒトミはカンヌシ、アヘ・タケヌガをミカワリ(私の代理)に、
ワニ・クニフクをウチカワリ(皇后の代理)に任じます。
モノヘ・トチネをミウエカラ(皇太后代理)、
タケヒ・アサトをミコカワリ(皇太子代理)に任じます。各々、詣でてください。」

イクメ二十六年(BC4年)九月十六日(西暦10月神嘗祭?)、
ヲヲンカミ(アマテルカミ)のお遷しが執り行われます。
ヰソススカワのサコクシロのウチのミヤ(伊勢神宮・内宮)にわたましが行われ、
十七日の夜にミタケハシラ(真の御柱・スヘラギ(天皇)のタケ(身長))を納め祭りました。
ミヤコ(皇居)にて、ソロ(田畑の作物)の順調なる成長を祈り、
雨、風、ノフシ(台風)の程が良くて豊かになれと臥して澄みイヤマヒ(敬い)て
ノト(祝詞、祈りの言葉)を申す、御恵みに通じるのです。

アマテルカミも、お喜びにて告げて仰います。
「昔わが住むサコクシロのシキナミよするイセのミヤ、
 長くしつまり守るべし。トヨケノカミともろ共ぞ。」
イクメのキミは喜ばれて、早速トヨケカミの鎮まりますアメノマナヰ(京都府京丹後市、
此沼真名井神社)にニキテを持ちて、サオシカ(勅使)を派遣なさいます。
トヨケのカミを伊勢にお遷し申し上げるためのサオシカにはミワのミケモチを、
イワヒト(祝い人)はタニハ・ミチウシが任ぜられました。

○ウチミヤ
アマテルカミは、世継ぎ子を得ることを願われて、イセノミチをお説きになりました。
※イセ(イモヲセ):メヲト(夫婦)のこと、イモは妻、ヲセは夫を意味する。
 稲作の普及とともに結婚の制度が誕生(四代アマカミ)し、八代アマカミ・アマテルの御代に
 イモヲセノミチ(結婚の制度・心得)が説かれた。ホツマツタヱ十三アヤに詳しい。
 イセノミヤは、イモヲセノミチを制定したことを尊称しての呼び名。
 八代アマカミを引退してのちのアマテルカミの晩年にイサワノミヤから
 現神宮内宮のウヂにお遷りになっている。
 地名となったイセクニ及びイセミヤを指す。イセノクニは伊勢・志摩を含んでいる。
ヤモヒトクサ(全国民)を活かして恵むものですから、カツヲキはヤキ(八本)です。
チギのウチ(内)をそぐのはウチミヤ(内宮)です。
ウチ(内)を軽くして、タミを豊かにとの願いの故です。
ウチミヤ(内宮)は、母親が子供を恵み愛しむような、
キミ(天皇陛下)が国民を愛しみ恵むノリ(定め・役割・精神)なのです。

○トミヤ
トヨケカミは、サカホコのノリを強調なさいました。
アメのホシのコクラ(九星、中心とトホカミヱヒタメ)を表すカツヲキはコギ(九本)です。
チギはト(外)をそぐので、トミヤ(外宮)です。
ウチを篤くいつ(イツ・心をしっかりさせる)のタミのチチ(国民全体の父親)の役割です。
畏れ、ミチを学び得るようにしなさい。



神嘗祭は明治六年の太陽暦改暦以前は旧暦九月十七日でした。
改暦後、西暦の九月十七日に実施となりましたが、稲穂の生育が不十分な時期であるため、
明治十二年以降は月遅れとして十月十七日に実施されています。
神嘗祭は神宮の正月ともいわれ、式年遷宮後最初の神嘗祭を「大神嘗祭」と呼び、伊勢の民衆は奉祝の行事を行います。
旧暦九月十六日、イセノミヤにアマテルカミのお遷しが執り行われたとあります。
神嘗祭はアマテルカミのイセミヤお遷しの奉祝行事がその源にあったのではないかと考えられます。


参考文献・資料:
・ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所
「ヲシテ文献・大意」http://www.zb.ztv.ne.jp/woshite/index.html
・『ホツマ辞典』池田満著・展望社
・「上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧」「神嘗祭」ウィキペディア






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ヤマトヒメ

2017-05-09 00:31:24 | いせしまホツマ

伊勢神宮(三重県伊勢市)
伊勢志摩サミットでも各国首脳が訪れて世界的な話題となり、
また、平成二十五年の第六十二回式年遷宮はまだ記憶に新しいかと思います。

神宮式年遷宮の第一回は持統天皇四年(西暦690年)からですが、
垂仁天皇二十五年(紀元前5年)ヤマトヒメさまにより、伊勢の地に祭られたイセノミヤ。
ホツマツタヱ三十六アヤ『ヤマトヒメ カミシツム アヤ』の記述より、
ヤマトヒメさまとイセノミヤをご紹介します。





◎ヤマトヒメ

時はスヘラギ・イクメイリヒコ(十一代垂仁天皇)の世。(在位BC29~AD70年)
タマキミヤ(奈良県桜井市巻向)に政庁が開かれて九年目の九月十六日のこと。
正后(二代)カハイ・ツキヒメが、ヤマトオオクニカミ(二代目オオモノヌシ・クシヒコ)より
シテ(幣)を賜る夢を見て、身籠りましたが臨月を過ぎても産まれずに、病になりました。

イクメ(垂仁)十二年(BC18年)九月十六日、お生れになられましたのはヒメ皇子、
ヤマトヒメ・ヨシコ(イミナ・実名)と名付けられました。
産後、ツキヒメは病の床に就いたまま、十月二日にお亡くなりになられてしまいました。
※カハイ・ツキヒメ:樺井月神社:京都府城陽市水主宮馬場・延喜式名神大
イクメ(垂仁)二十五年(BC5年)三月八日、ヤマトヒメは二代目ミツエシロに任ぜられます。

初代ミツエシロのトヨスキヒメは、ミマキのキミ(十代祟神天皇)のミコ(皇女)。
ミツカキ(十代祟神天皇・瑞垣の宮)三十九年(BC59年)三月三日、
ミマキのキミ(祟神)より「トヨケカミとアマテルカミをお祭りする」とのミコトノリです。

トヨスキヒメはアマテルカミのお告げにより、ミタマケ(アマテルカミの心の乗り代)を
お担ぎになり、ヨサ(京都府与謝郡、天橋立の宮津市付近)に向われます。
ササハタミヤ(篠畑神社、奈良県宇陀市榛原区山辺)に戻りますと、
またカミ(アマテルカミ)のお告げがあり、再びヲヲカミのミタマケを奉賛し、
アフミ(近江)よりミノ(美濃)を巡り、イセ(伊勢)のイヰノ(飯野)のタカヒオガワにススを留められ、
タカミヤ(三重県松阪市山添町、神山神社)をお造りになり、アマテルカミのお心をお鎮めになって居られました。
※この間の諸国巡行は『倭姫命世記』に詳しいが、トヨスキヒメとヤマトヒメのご交代時期の錯誤も混入。

イクメ(垂仁)二十二年(BC8年)十二月二十八日、
ヤマトヒメがミツエシロに定まり、オバ(伯母)のトヨスキヒメに見習いして、
アマテルカミのお心にお仕えします。
ワカコ親子がお伴をしての道中、ウスメ(若い女性)がクシ(櫛)をあげようとして、
川に落としてしまいましたので、そこでとどまり年を越します。※松阪市櫛田町、櫛田神社、櫛田川
新年のハツヒの出で立つとともに、アケノハラ(明野)のイセタカミヤにお入りになりました。
※三重県多気郡明和町斎宮、竹神社:http://www.genbu.net/data/ise/take_title.htm

三年の見習いの後、イクメ二十五年、トヨスキヒメ(百三歳)よりヤマトヒメに
ウチ(アマテルカミのウチミヤ)のヲミコ(ミツエシロ)を任せることになりました。
ヤマトヒメはミタマゲを担いで、イヰノ(飯野、タカミヤ、神山神社)から
イソヘ(イソミヤ、磯神社?伊勢市磯町。伊蘇上神社?三重県多気郡多気町大字相可)に
お遷しして鎮め祭ります。

「良きミヤトコロ、サ(南)にあり。」
と伝わりきましたので、ワカコを遣わしたところ、ヰススカワ(五十鈴川)に至りますと、
フモヤヨロホ(二百八万歳)のサルタヒコがあらわれワカコに告げます。

「われ昔、カミ(アマテルカミ)からの賜り物を
サコクシロのウチミヤ(アマテルカミの晩年のご座所、伊勢・内宮)に入れ、
アラミタマ、ヤヨロホ(八万年)待ちました。
『カカン・ノン・テン時待ちて、ミチ表せ』、アマテルカミよりの申し渡しです。
コニモヱズ(亡くなることを得ず)して、お渡しするべきヌシを待っておりました。」
※アマテルカミのご遺詔はホツマツタヱ二十八アヤ。
とサルタヒコはワカコにミクサのカンタカラを渡します。

報告を聞いたヤマトヒメは、早速にウヂ(内宮の場所)に至りて見て仰います。
「これは、カンカセのイセノミヤ、ミクサは祭るミナモト、
イヤマヒ(尊敬)をかえすアマテルカミご存命時代のアクライシもあります。」
ヤマトヒメは、ウチのミヤ(内宮)の場所をここに定められました。
※三重県伊勢市、伊勢神宮・内宮



イセノミヤにつづく。

参考文献・資料:
・ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所
「ヲシテ文献・大意」http://www.zb.ztv.ne.jp/woshite/index.html
・『ホツマ辞典』池田満著・展望社
・ホツマツタヱ勉強会(イセの会)池田満先生講義資料
・上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧ウィキペディア

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『波切神社』主祭神国狭槌神(くにのさづちのかみ)志摩市大王町

2016-05-20 10:39:06 | いせしまホツマ

伊勢志摩サミットの開催地伊勢・志摩は、縄文後期から弥生と呼ばれる時代頃、、
八代アマカミ(古代天皇)・アマテルカミの政庁(イサワのミヤ・現伊雑宮)が置かれたミヤコ(首都)でした。


いせしまホツマ、所縁の場所は数々あれど、、どこからご紹介したものかと
まずは志摩市の神社のご祭神を検索。
あまりにヲシテ文献に所縁深いご祭神の方々に、当然の事ながら驚き、頷き!!!
今回は、志摩市大王町の「波切神社」の主祭神を中心に、
ヲシテ文献の記載に基づきご紹介します。




波切神社 三重県志摩市大王町波切1番地
写真:ウィキペディア


◎国狭槌神(くにのさづちのかみ・クニサツチ):波切神社鎮座。主祭神
クニサツチとは、二代目アマカミのこと。
初代アマカミ・クニトコタチは、遠方の人々の生活を向上させるため、
ヤミコ(八人の御子、ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ)を各地方に派遣しました。
長男のヱのミコトは本拠地の琵琶湖湖岸(トコヨクニ建国の地)を継ぎ、二代アマカミとなりました。
弟のうち、トのミコトは富士山南麓に派遣され(トのミヤ・トシタミヤ)繁栄し、
長生きをして、兄の後を継いでアマカミを継ぎました。
兄のヱのミコトに、弟のトのミコトも含めクニサツチと呼びます。
※何世代かに渡り、交代で二代アマカミとして継承していたようです。
 兄弟のことをヱトというのはその由縁です。

トホカミヱヒタメの各々が各地に遣わされたことから、
各方角・季節の守り神ともされるようになり、
ヱはネ(北・冬)、トはサ(南・夏)、タはキ(東・春)、カはツ(西・秋)に宛てられました。
このうち、真夏のトのミコトの季節こそ、人々に潤いを齎してくれるとして重要視され、
サ(夏・南)、ツ(集める)、チ(力)によって、クニを治める、『クニサツチ』の称号となったのです。

『志陽略誌』『三国地志』に記さる八幡社・八皇子社・八幡宮・八皇子社・八王子祠など、
また、全国にある八王子神社、八柱社などは、トホカミヱヒタメをご祭神としていると考えられます。


◎天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ・アマテルカミ):境内社神明社鎮座
八代アマカミ・アマテルカミ
アマテルの語意は、アメミヲヤ(宇宙創造祖)により
アマヒ(太陽)からミタマが分け降されてきてヒト(人)に生まれた事を表しています。
アマテルカミはマツリゴト(政)を行うに際し、
全国をブロックに分けヲシカ(勅命治政官)を任じ、統括を行いました。
※その下で旧来のクニカミがクニを治める体制を確立。
また、クニカミやモノノヘたちのトミ(臣)は、国民を教え導くべき役目を負っていることを改めて明確にし、教育立国の方向性を決定づけました。
○アマテルカミの思想
人のマコト(真実)の幸せとは何かを希求し、
人々にこの善を勧めることを眼目としていると推察されます。


◎天児屋根命(あめのこやねのみこと・アマノコヤネ)境内社春日社鎮座
アマノコヤネ
コヤネの語意は、子を宿す根本の意。
その本質をウタに詠み、理解し得たことからアマテルカミより授与された賜名。
父はココトムスヒ(カスガトノ)、祖父はツワモノヌシ(カスガノモリ・現春日大社の祖)。
若い頃から優秀さを認められ、カスガマロと呼ばれていました。
アマテルカミのお側に侍り、薫育を受けて成長し、多くのミチを学び、
歴代のアマカミの左の臣として仕え、その功績は大変に大きなものでした。


◎表筒男神(うわつつのおのかみ)・中筒男神(なかつつのおのかみ)・底筒男神(そこつつのおのかみ)境内社住吉社鎮座
七代アマカミ・イサナギが、九州のアワキ(宮崎市阿波岐原:江田神社)での禊ぎに赴かれ、
所々にマカツヒのカミを生みて祭られます。
ナカカワ(福岡市那珂川)には、ソコツツヲ、ナカツツヲ、ウワツツヲをお生みになり、カナサキ(スミヨシ)に祭らしめました。
という記述がホツマツタヱ五アヤにあります。
※現在の住吉神社(福岡市博多区住吉)に所縁を留めています。
参考:『ホツマ辞典』池田満著・展望社


波切神社西参道口近くに恵比寿を祀る蛭子神(ひるこのかみ)の祠があるそうです。
蛭子といえば、ヲシテ文献ではヒルコヒメ、イサナギ・イサナミさまのご長女です。
興味深いところでは、伊雑皇大神(いざわのすめおおかみ):境内社伊雑皇社鎮座、
素戔嗚尊(すさのおのみこと・ソサノヲ):境内社津島社鎮座、伊弉冉神(いざなみのかみ・イサナミ):境内社熊野社鎮座、大山祇神(おおやまづみのかみ・オオヤマスミ)、蛭子神(ひるこのかみ・ワカヒメヒルコ)、金山彦命(かなやまひこのみこと・カナヤマヒコ)、猿田比古神(さるたひこのかみ・サルタヒコ)、白髭神(しらひげのかみ・シラヒゲ・サルタヒコ)、、まさにホツマツタヱに登場するヲシテ時代に活躍された先人たちの軌跡です。
参考:ウィキペディア





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イサワノミヤ(伊雜宮)

2016-05-16 21:10:28 | いせしまホツマ

伊勢志摩サミットの開催される伊勢・志摩は、
縄文後期から弥生と呼ばれる時代頃、、
八代アマカミ(天皇)・アマテルカミの政庁が置かれたミヤコ(首都)であったと
ヲシテ文献は伝えています。

伊勢志摩サミットにちなみ、
ヲシテ文献が伝える伊勢志摩の原風景をお伝えしていきたいと思います。


アマテルカミが八代アマカミに即位なさった当初のミヤコは、
富士山南麓のハラミノミヤです。
当時の直轄地はコヱクニ、あるいはヤマトクニとも呼ばれ、
常陸・下総・上総・武蔵・相模・甲斐・駿河・伊豆・遠江・三河・尾張・伊勢・志摩にかけての
東海道諸国にほぼ匹敵し、富士山の見える地域でもありました。


外祖父であり、師であったトヨケカミ(外宮ご祭神)のご遺言の
アメノミチの奥義に基づいて、国民をより豊かにしようとの意図により、
ミヤコウツシ(遷都)のミコトノリ(詔)をお発しになりました。
富士山南麓よりさらに南(サ)の地(ワ・大地)が良いとのお考えを示され、
その候補地を絵(江)に写してくるようにと、ヒノハヤヒコにお命じになりました。
 
 ※ヒノハヤヒコ 島根県斐伊川あたりを本拠地とする人物。
 雲南市木次町のあるヒノカミヤシロ(斐伊神社)、
 同座のヒハヤヒコノカミヤシロ(斐伊波夜比古神社)が延喜式に記され、
 また、斐伊川の中流には、イサハノカミヤシロ(伊佐波神社)が延喜式に記されています。


南のことを別の呼び方で「サ」といいます。
「サ」は栄えるの「サ」、クニをもっと栄えさせるためです。
縄文後期頃、先年来の気候変動があり、寒くなってきたために、
以前のように稲が多く実らなくなりました。
アマテルカミの父母、七代アマカミ、イサナギ・イサナミは、
新田開発(水田・畜耕・養蚕技術含)により人々の経済を立て直し、
人々の暮らしは豊かになり、人口は爆発的に増えていきました。
イサナギ・イサナミが国生みのカミ(指導者)と言われる由縁です。


その後のトヨケカミの教えでは、
もっと他に国民を豊かにする方法を考えよというものでした。
収穫高のため、さらに新田を増やしても、より人手がかかり、生活が豊かになるには及びません。
そこで、一反当たりの収穫高を増やすべく、稲の新品種の普及や耕作技術の革新を図るため、
南にミヤコを遷すことをお決めになられたのです。
南には、日照時間の長い土地があり、耕作方法の改善を行うのに好適です。
また、物資の流通も盛んになり、海運に適した土地にミヤコを遷すことも意義深いことです。

ヒノハヤヒコは、安房・伊豆・伊勢・志摩などを重点に巡り、絵図(江図)を提出しました。
候補地の中からアマテルカミがお選びになったのは、志摩のイサワでした。



的矢湾・伊雜ノ浦



イサワは天然の良港です。
太平洋から約10kmも入り組んだ奥にあるので、嵐や津波の直接的被害も緩和されます。
入り江の入口は安乗崎と菅崎との間、切り立った菅崎の絶壁は、船乗りたちの目印になります。
安乗崎と菅崎の間を入ってゆくと波も静かになります。
的矢湾を3km程入ると渡鹿野島があります。
さらに奥へ進むと幅300m程の水路が右へ左へ曲がりくねりながら3km程も続いています。
川のように細長い水路を抜けると伊雜ノ浦が広がっています。
伊雜ノ浦は波もなく、現在では真っ青な海に青海苔が栽培されています。
伊雜ノ浦を過ぎ、神路川を1km程遡ったところが新しい宮地となるイサワです。


ミヤコの造営はオモイカネに委ねられました。
オモイカネは、ウリフツキ(閏月)を取り入れて太陰太陽暦の精度を上げた技術者で、
アマテルカミの信任篤く、イサワノミヤ造営の指揮を執り、
アマテルカミのマツリゴト(政)の基礎を固めました。


イサワノミヤは、現伊雜宮が最有力候補と考えられます。
深い杜に囲まれた伊雜宮では、現在も6月24日に御田植祭が行われています。
伊雜宮御師の西岡家に伝わる文書に、ご祭神「玉柱屋姫神天照大神分身在郷」と書かれ、
同じ箇所に「瀬織津姫神天照大神分身在河」と記されているのも興味深いです。
セオリツヒメ・ホノコさまは、ヲシテ文献ではアマテルカミのマキサキ(正后)ムカツヒメです。










また、伊雜宮から800mの丘の上にある佐美長神社が
東(伊雜ノ浦の方角)を向いて建てられているのもたいへん興味深いです。
明治時代までは伊勢神宮の所管で、佐美長神社末社に「秋津社」も祀られていました。
現在は磯部神社に合祀されていますが、アマテルカミの西の后がハヤアキツヒメであったこと、
またハヤアキツヒメの父は造船に長けたカナサキ(後のスミヨシ)であったことなど、
西の后の宮だったのではないかと、、と想像を巡らせます。
 
※カナサキ
 ナカクニ(近畿地方)のクニカミ・後に九州全土をアマテルカミの名代として治める。
 アマテルカミの信任篤く、後にスミヨシの名を賜る人物。
 舟造りと海運に秀でたシマツヒコ一族の七代目・造船技術に長けていた。
 和歌に通じ、病知らずで七代イサナギ・イサナミより長女ワカヒメの養育を委ねられた。


参考文献・参考資料
◎『ホツマ縄文日本のたから』池田満著・展望社
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ウィキペディア「伊雜宮」・「佐美長神社」


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