喜びの種☆

yoshicoの徒然日月
ひとふたみよ
いつむゆななやここのたり、、ももちよろず
天の数歌

キツヲサネ(東・西・中・南・北)

2023-05-30 21:31:43 | ほつまカフェ
縄文時代、、ヲシテ文献では地図もコヨミもが上に表わされています。
それは、最も潤いを与えてくれる方位を重要視ししての表わしです。





一日の太陽の巡りで、正午に天中にある方角が南です。
南の語源は、身にナミうけるミナミ

南が前上なら左手側は東です。
東の語源は、日が昇るカシラはヒガシ

そして右手側は真っ赤に沈む夕日、煮え沈むニシです。
ニとは、丹生(水銀)、赤を象徴した表しです。

さらに、沈んだ太陽は後ろの正面、、気を溜めるキタとなります。

すると、中央が現れます!
この中央は自分の立ち位置でもあり、また宇宙の中心でもあります。

また、政庁のミハシラを宇宙の中心に見立てたヤヒロのトノは、
クニの中心として、宇宙の法則に則って、
社会をオノコロ(自ずと安定する)に治める意があります。
宇宙をタカマハラと表わし、政庁(宮中)をそれに準えてタカマと呼んでいました。



東西中央南北の別の呼び名がキ・ツ・ヲ・サ・ネです。




は、きざす(兆す・萌す)東、季節はを象徴しています。
白々と夜が明ける、また春は新芽が山をく染めていきます。
東・春・白・左・男性的エネルギーでもあります。



は、燃え尽きる(夕日・紅葉)西、季節はを象徴しています。
赤い夕日、紅葉も、また収穫の季節、実を結びます。
西・秋・赤・右・女性的エネルギーでもあります。


は中央。
四方(東西南北)、ヨモナカなりです。



ヨモオ母音🔲の表わしは、
固い、物質化、安定、定まる、大地、などのイメージ。

ナカア母音の表わしは、
気体、大気、見えないモノが満ちている、はじまり、源、概念などのイメージ。
ナカのナは何かのナ、それは何なのか?のナ、名前のナ、
ナカは、自分の立ち位置でもあり、国の中心でもあり、宇宙の中心でもあり、、、!




は、サにさかえ(栄え)の南、季節はを象徴しています。
生い茂るアオバ、日照時間が長く、恵みの雨、サミダレ(五月雨・梅雨)の季節です。
南・夏・青です。




は、根っこのネ、ばみ落ちる落ち葉の季節、を象徴しています。
根を構築する季節、また、夜は寝るゆえキタはネです。
北・冬・黄です。




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ほつまことほぎ勉強会のお知らせ(5/29現在)

2023-05-29 22:04:58 | ほつまことほぎ勉強会のお知らせ
「ほつまことほぎ勉強会」・「縄文カレンダーワークショップ」

初夏の満月(2023.6.4 12:42 旧ウツキ満月)
5月29日、気象庁は九州北部~東海地方が「梅雨入りしたとみられる」と発表しました。
5月の梅雨入りは、東海・近畿地方では10年ぶりだそうです。
良いお湿りの梅雨でありますように

6月の勉強会のお知らせです。
5月29日現在の開催予定です。
随時更新いたします。



clubhouse「ほつまことほぎ」
◎毎月1日・15日21時~22時
 次回は6月1日(木)です。
  テーマは「初夏の満月🌕サビラキマツリ」
  トホカミヱヒタメ暦・縄文カレンダーを通して、
  縄文の宇宙観、季節感、マツリの由来や
  ヲシテ文字を読み解くヒントなど
  ゆるく楽しくシェアしています。
  既存の曲にアワウタを乗せて~のアワウタコーナーも🥰
  雨にまつわる歌、探してみようかな♪
  アーカイブで過去の放送も全ていつでもご視聴いただけます(^^)v
 ご参加は、
 clubhouse「ほつまことほぎ」
 よりお進み下さい。
 





◆6月17日(土) 【志摩】ホツマなんばり勉強会


◆6月18日(日) 【多気】菜食ゆにわ
◎12時~15時
◎場所:菜食ゆにわ 多気郡多気町片野1213 ☎0598-49-2812
◎縄文・ほつまことほぎ勉強会
◎参加費:3000/(菜食ランチ付)・2000/(ランチ無・13時~15時)
 ※縄文カレンダー2023版別途1000/・テキスト③(9-11アヤ)別途1000/
  お持ちの方はご持参ください。
 ※要予約!
◎内容:ホツマツタヱ10アヤ「カシマタチ・ツリタイのアヤ」


◆6月27日(火)【東京】久我山LaniHonua
『ヲシテ勉強&お話会』 13時〜16時
◎場所 : LaniHonua 杉並区久我山4-2-4久我山センタービル2F
◎参加費:2000/ 縄文カレンダー2023年度版別途1000/ テキスト①(1-3アヤ)別途1000/


◆6月28日(水) 【飯能】名栗の杜
◎12時半~15時半
◎場所:名栗の杜 埼玉県飯能市上名栗571 ☎042-979-0646
◎ホツマツタヱの12~14アヤ 古代の叡知への誘い
◎参加費:2000/ 定員:10名
 ※縄文カレンダー2023版別途1200/・テキスト⑤(12-14アヤ)別途1000/
  お持ちの方はご持参ください。
◎内容:ホツマツタヱ13アヤ「ワカヒコ・イセススカのアヤ」
※当日は休業日になります。
 ご希望の方、酵素玄米のお稲荷さんと具沢山のお味噌汁を800円にてお出しいたします。
 ご予約ください。






『縄文カレンダー』令和五年度版
ご希望の方はこちら↓
https://blog.goo.ne.jp/ten380445/e/5c198c750fa286d4423531b7a2927f26


※終了しました。
◆1月10日(火)【志摩】あめつちの館
『縄文カレンダーワークショップ』 14時〜16時
◎場所 : あめつちの館 志摩市磯部町穴川1453-2 2F
◎参加費:1000/ 縄文カレンダー2023年度版別途1500/
◎内容:ヲシテ文献の記述を基に、コヨミを通して古代日本独自の概念や季節の過ごし方、
    祭りの謂れなどについて紐解きます。
   「ヲシテ文字」の読み解き方や楽しく歌えるアワウタも伝授いたします。

◆1月22日(日・旧暦元旦)【多気】菜食ゆにわ
◎縄文・ほつまことほぎ勉強会
◎参加費:3000/(菜食ランチ付)・2000/(ランチ無・13時~15時)
◎内容:ホツマツタヱ5アヤ「ワカのマクラコトハのアヤ」

◆1月24日(火)【東京】久我山LaniHonua
『ヲシテ勉強&お話会』 13時〜16時
◎参加費:2000/ 縄文カレンダー2023年度版別途1000/

◆1月25日(水) 【飯能】名栗の杜
◎ホツマツタヱの9~11アヤ 古代の叡知への誘い
◎参加費:2000/ 定員:10名
◎内容:ホツマツタヱ10アヤ「カシマタチ・ツリタイのアヤ」

◆2月12日(日) 【多気】菜食ゆにわ
◎縄文・ほつまことほぎ勉強会
◎参加費:3000/(菜食ランチ付)・2000/(ランチ無・13時~15時)
◎内容:ホツマツタヱ6アヤ「ヒノカミ・ソフキサキのアヤ」

◆2月17日(金) 【志摩】
◎ホツマなんばり勉強会

◆2月21日(火)【東京】久我山LaniHonua
『ヲシテ勉強&お話会』 13時〜16時
◎参加費:2000/ 縄文カレンダー2023年度版別途1000/

◆2月22日(水) 【飯能】名栗の杜
◎ホツマツタヱの9~11アヤ 古代の叡知への誘い
◎参加費:2000/ 定員:10名
◎内容:ホツマツタヱ11アヤ「ミクサユツリ・ミウケのアヤ」

◆3月21日(火・祝春分)【東京】久我山LaniHonua
『ヲシテ勉強&お話会』 13時〜16時
◎参加費:2000/ 縄文カレンダー2023年度版別途1000/

◆3月25日(土)【岡崎】Hug-cafe
『縄文カレンダーワークショップ・春』 11時00分から13時00分
ヲシテ文献の記述を基に、コヨミを通して古代日本独自の概念や季節の過ごし方、
祭りの謂れなどについて紐解きます。
「ヲシテ文字」の読み解き方や楽しく歌えるアワウタも伝授いたします。
◎場所 :「ハグカフェ」Hug-cafe
    岡崎市井ノ口新町3-10 ラフビル101
    駐車場有。
◎参加費4600円(ランチ.カレンダー付)
    ※カレンダーお持ちの方はご持参ください。

◆3月26日(日) 【多気】菜食ゆにわ
◎12時~15時
◎参加費:3000/(菜食ランチ付)・2000/(ランチ無・13時~15時)
◎内容:ホツマツタヱ7アヤ「ノコシフミ・サガオタツアヤ」

◆4月1日(土)【志摩】ホツマなんばり勉強会

◆4月9日(日) 【多気】菜食ゆにわ
◎12時~15時
◎参加費:3000/(菜食ランチ付)・2000/(ランチ無・13時~15時)
◎内容:ホツマツタヱ8アヤ「タマカヱシ・ハタレウツアヤ」

◆4月22日(土)【志摩】あめつちの館
『縄文の雛祭り』 

◆4月25日(火)【東京】久我山LaniHonua
『ヲシテ勉強&お話会』 13時〜16時
◎参加費:2000/ 縄文カレンダー2023年度版別途1000/ テキスト①(1-3アヤ)別途1000/

◆5月14日(日) 【多気】菜食ゆにわ
◎12時~15時
◎参加費:3000/(菜食ランチ付)・2000/(ランチ無・13時~15時)
◎内容:ホツマツタヱ9アヤ「ヤクモウチ・コトツクルアヤ」

◆5月23日(火)【東京】久我山LaniHonua
『ヲシテ勉強&お話会』 13時〜16時
◎参加費:2000/ 縄文カレンダー2023年度版別途1000/ テキスト①(1-3アヤ)別途1000/

◆5月24日(水) 【飯能】名栗の杜
◎12時半~15時半
◎ホツマツタヱの12~14アヤ 古代の叡知への誘い
◎参加費:2000/ 定員:10名
◎内容:ホツマツタヱ12アヤ「アマガツのアヤ」



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ウツキ・サビラキ・夏は来ぬ!

2023-05-18 01:12:10 | ナメコト(行事)
ウツキハツヒ(旧暦4月1日・西暦2023.5.20 0:53)夏は来ぬ!
トホカミヱヒタメ、
の守りは立夏から夏至頃🌞
太陽の巡りの立夏(2023.5.6)から遅れること2週間、
この新月から夏至に向かいぐんぐん加速していきます。







ウツキ「ウ」は、
熱エネルギー・温・動く・ウイ(初・発動・発意)・生まれる・大いなるの意~イメージ。
*「動き」様々な変化・動く・生れる・移動を強調。
*「熱」の発生・伝達。熱のあるところには必ず「動き」がある。
*「原動力」大地から立ち昇るエネルギー、いままさに(現在進行形)。
*「大いなる」大きいモノ・果てしないモノ・激しいモノ
立夏からぐんぐんと日が伸び、夏至に向かうエネルギッシュなイメージです。


メはツネにすむ
みづのかみ うづきはうめの
ヲおまねく さなゑあおみて
なつおつぐ  なかわたぬきて
 トシウチニナスコトのアヤ





今年の立夏は旧暦3月の満月、
少し遅れてのウツキ(旧暦4月)です。
日ごとに昼が長くなり、早苗が青さを増し、夏を告げます。

のヲシテ文字の表しは、
ミナソコにふす メのなさけ

ヲカミ(温エネルギー・陽)極まる陽光に、
メカミ(冷エネルギー・陰)の及ぼしは(マ行父音)水の底に潜り、
サミタレ(五月雨)のミツ(水・エ母音)に響くカミカタチ(文字形)。


🌕満月にはサヒラキマツリ【旧暦4.16・西暦2023.6.4】

つきなかは さびらきまつる   
ゐなるかみ
 ミカサフミナメコトのアヤ


(南)のヲシテは、太陽の恵みが広い大地に行き渡るイメージ。
太陽が一番高く昇る方角、ミにナミ享ける南、サビラキ(早苗開き・南開き)のお祭りをします。
田植えに必要な雨が、この時期に十分にもたらされる、
サミタレ(五月雨・梅雨)の恵みへの感謝の行事です。







お供えはフキの葉で包んだ豆ごはん。
フキは抗酸化作用もある身近な薬草です。
三重県の郷土料理「蕗俵」(ふきだわら)は、豆ご飯を蕗の葉で包みます。
田植えの時期に行う農耕神事では、田の一角に蕗俵を御供えし、豊作を祈願するそうです。







早苗の水田に映る太陽と月の✨光✨のさざなみ
ウケモチさんのヒヨウルタネの名に沁みます。
満月のサビラキマツリ、
遠い昔のご先祖さまも、水面に映る月の出を愛でていたのかもしれませんね💛


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縄文のこどもの日🎏サツキヰツカ

2023-04-24 01:13:25 | ナメコト(行事)
☽ヰワタマツリ【旧暦5月5日・西暦2023.6.22】

旧暦5月5日こどもの日、
ヲシテ時代のサツキヰツカの「ヰワタマツリ」は、
コタネ(胎児)の健やかなる成長を願う腹帯の教えを伝え広める行事です。
鹿嶋神宮の「腹帯」は、古のヒノモト・ヤマトを伝えています。
犬が安産だからじゃあないです💦






5月5日、ヰヰ(五五)、
数字の連なる日はメヲ(メカミ・ヲカミ、メヲト)のお祭りです。
サミダレ(五月雨)に勢いづくアヤメを愛で、チマキでお祝いします。

のりくらべ ゐゐのつつたち     さつさはゐわた 
めをのほぎ ゐわたちまきや     のりはゐゐ みなそこにふす
めもとかみ             めのなさけ  これカミカタチ

    トシウチニナスコトのアヤ      ミカサフミナメコトのアヤ



「ヰワタマツリ」とは、ハラオビ(腹帯)の教えを伝える行事。

ヰワタヲビ(腹帯)には、コタネ(子種・赤ん坊)の健やかなる成長に、
よくない障りのないようにと祈るタラチネ(父母)の思いが込められています。
「サツサ」には魔除けの意があり、チマキのツルギ(剣)で祓い、ハラオビで守ります。

妊娠五ヶ月に入るとアモト(宇宙の源)からタマが降され、
タマノヲが地上のシヰとむすび、ココロが備わり、内臓が形作られると考えられていました。

「タマ・シヰ」とは、縄文の哲学的概念で、
人の心には「タマ」(良心)と「シヰ」(生命維持欲・物欲・性欲)があると考え、
併せてタマシヰと呼び、タマシヰは生きたヒトであるとしていました。

<タマ>:ココロハ・タマ・ミヤヒの三つ。
<シヰ>:シヰ・シムの二つ。

併せて五つを「ヰクラ」(五クラ・五つの見えない心の働き)といい、
タマとシヰの結び役をタマノヲといいます。
また、人のタマは、宇宙のアモト(大元)からやってくるとヲシテ文献は伝えています。

ホツマツタヱの1アヤのアワウタの効能として、
 おのつとコヱも あきらかに
 ヰクラムワタを ネコヱわけ 
という一説があります。
 ヰクラ(五つの見えない心の働き)・ムワタ(内臓)をネコヱわけ
(人体構成・
心と体の元)

◎タマに関連する人の内臓:フクシ・ナカゴ・キモ
・ココロハ:宇宙の大元とつながろうとする心・真心:フクシ(肺・大腸)
・タマ:この世を楽しもうとする心:ナカゴ(心臓・小腸)
・ミヤヒ:記憶・情け・あわれむ心:キモ(肝臓・胆のう)

◎シヰに関連する人の内臓:ヨコシ・ムラト・ワタ
・シヰ:何かが欲しいという心・食欲など:ヨコシ(脾臓・胃)
・シム:性欲・強い物欲など:ムラト(腎臓・膀胱)
・  :ワタ(三焦)

この「タマ」こそは、
量子力学でいうところの「ゼロポイント・フィールド」であり、
村上和雄博士のいうところの「サムシング・グレイト」なのではないか⁈
と、私は秘かに確信しています。


後の時代には
「五臓六腑」(肺・心臓・肝臓・脾臓・腎臓・大腸・小腸・胆のう・胃・膀胱・三焦)と表されますが、
ヤマトコトハの「五クラ六ワタ」は、漢字の五臓六腑とは意味・概念が異なります!
・ヰクラ:見えない心の五つの働き(タマ・シヰ)
・ムワタ:内臓。  


ハラオビ(腹帯)の縦糸はヲツルの羽24筋、横糸はメツルの羽24筋、
併せて48のアワの守り、そしてオビの長さは、夫の身長とあります。
ヨソヤ(四十八)のアワの守りと父親の愛で包みこむ、、
そんな思いのあらわれなのかもしれませんね。






     
ノリクラベ  ヰヰノツツタチ(馬術の技法)。
国家の形態を整えてゆく行事にも因むようになります。
秩序維持強化の訓練行事として、ノリユミ(乗り弓・流鏑馬)も行われていました。
子供の日の鯉のぼりや武者人形も、その発展的行事とも考えられます。

京都上賀茂神社の西暦5月5日の賀茂競馬(かもくらべうま)は、
いにしえの伝統がその源に在りそうです。※写真:上賀茂社
旧暦の5月は夏の至り、万木生い茂り、実を結んでゆく準備に入ります。


「ヰヰノツツタチ」の記述が、ホツマツタヱ十九アヤ・ノリノリヒトヌキのアヤにあります。
抜粋でご紹介します。

ムマのさためは         
めはなより おほねえヤタの   
つゝたちは ヰタヰキのりお   
はつきもち さつきゐつかの   
ことほぎの のりにかけたは   
あやしあり たとえふとくと   
ヤツヰヰの わりあひかがゑ   
たまふへし 
  
        


高度な技に適したムマ(馬)は、目鼻の先からオホネ(尾骨)に至る長さが
ヤタ(八尺・一般国民男子平均身長)のものがおおよそです。
ツツタチ(繋がり立つ位置?詳細未詳)は、ヰタヰキ(五尺五寸)の位置が最も適しています。
全体の長さのヤタ(八尺)をハツキモチ(八月満月)に例えたら、ヰタヰキ(五尺五寸)は、
五月五日に相当します。
五月五日のノリ(乗馬)の祭典はなんとも神妙です。
たとえ太く体格のよいムマであっても、
ヤツヰヰ(八対五・五)の割合を考えて対応すればよいのです。(以上抜粋)


また、ヰワタオビのお話は、ホツマツタヱ16アヤに詳しくあるので、ここにご紹介します。
タケミカツチ(カシマカミ・鹿嶋神宮)の一人娘ヒトリヒメのご懐妊に際し、
安産を祈念したコモリカミ(三代モノヌシ)の「ミタネフミ」のご講義より抜粋です。


もしあやまれは         
タネたちて みとがめあれど   
そのひとは まだたちもたず   
つゑうたず ひとうちころす   
ゆえもなし メはひとみちに   
おもえとも ねたみわつらふ   
むねのホが オロチとなりて   
コタネかむ さわりのぞかん   
よつきふみ つゝしむあやの   
はなとはな うてばちるなり   
もろともに つねにつゝしみ   
なわすれそこれ
         


まちがった強い思い込みはタネを断つほどの力があるのです。
でもその人は手にタチ(剣・武器)を持っているわけでも、
ツヱ(制裁の棒)で人を打つわけでもなく、人を打ち殺すわけではありません。
女性は一途に思い詰めることが多いですが、妬みの思いを募らせて心を患うこともあります。
胸に燃える炎が、やがてオロチとなりて他人のコタネを噛み砕きます。
「ヨツキフミ」とは、そんな禍を防御するための教えです。
「ツツシム」ということを良く理解してください。
ハナとハナ、打ち合えば双方ともに散ってしまいます。
ツツシミとは、日常の常に気をつける、ということなのです。
決して忘れないでください。


ハラミコお とひうるための   
たひやどり あるひヒメカミ   
またのとひ おしえのおびは   
わさありや コモリこたえて   
タマキネの をしゑのおびは   
ミミノハに しなわきまえて   
クニおさむ おびはヰわみの   
かためなり ヲはしたあわせ   
メはうえぞ
 

          

コモリカミの講義にじっと聞き入るヒトリヒメでしたが、初めての妊娠は、
まだまだ不安に思うことも多く、コモリカミはしばらく滞在することになりました。
おそらく、タケミカツチの歓待を受け、カシマのミヤでの滞在でしたでしょう。
ある日のこと、ヒトリヒメはまた質問なさいました。
「オビ(腹帯)について、詳しく教えていただきたいのですが。」
コモリカミは答えます。
「腹帯については、タマキネ(トヨケカミ)の『ミミノハ』の教えに詳しくあります。
腹帯はヰワミの固め、つまり、(五色の固形物による)物質化の成長を、
外的な妨害要素から保護するためのものなのです。」
 ※ヰワミ:ヰツイロのハニもてつくる(14アヤ)・ヰいろハニ、これクラワタと(16アヤ)
男の子を孕んだ場合には、オビは下合わせに、
女の子の場合は上合わせにします。


はらみのおびは         
かつらきの よつきやしろに   
みたねのる ときにアメより   
にいとりの ひとはおつれは   
アマツノリ これはいふきの   
なるもみぢ ばけてかつらき   
いとりやま はねさきみれば   
フソヨすぢ かずそなはれと   
つねあらず もろとりみれは   
ソヰにさけ ヒタカミにツル   
たてまつる はねさきみれは   
フソヨなり かれもろはねお   
よりたゝし ヲツルおたてに   
メおよこに ケフのほそぬの   
おりもつて ヨソヤそなはる   
みはらおび          
 



そもそも孕みの帯のはじまりは、トヨケカミが七代イサナギ・イサナミの皇太子誕生を願い、
カツラキに世継ぎ子を得るためのヨツキヤシロを建て、八千回のミソギをし、
祈っていた時の事、アメ(空)からニイトリの羽根が一葉落ちてきたのです。
『アマツノリ』それはアマのお告げであるかも知れない。
その一葉の羽先を見てみますと、フソヨ(二十四)のスヂ(筋)があります。
フソヨとは、アワウタ(ヨソヤ・四十八音)の半分です。
縦横フソヨ筋ずつで編めば、ヨソヤのアヤ(布・文章)になります。
普通の鳥の羽根は、ソヰ(十五)に分かれており、フソヨはとても珍しく、

その羽根の鳥を探し求めていましたら、ヒタカミのトヨケのもとにツル(鶴)が献上されました。
羽根先をみるとフソヨの筋でしたので、鶴の羽を縒りただし、
ヲ(オス)の羽根を縦糸に、メ(メス)の羽根を横糸に、布を織りゆきます。
ケフのホソヌノとは、ヨソヤ(四十八・完全)が備わるミハラオビ(御腹帯)です。
 ミハラ:コタネが種を成してさらに実体化する。
 オヒ:固め護り、形に形成すること
腹帯には、コタネへの深い思いが込められていました。


ははのイサナミ         
ながはらみ コソムつきへて   
うみたまふ アマテルカミぞ   
ハタレマの さはれどおびに   
とゝのひて ヨソヤそなはる   
そのためし てれはヒメキミ   
さはらねと いきすひたちと   
なすおびぞ ときにミカツチ   
いぶかしく いきすひたちと   
なるおびの わざにいきすは   
いつこえか 
          


ハハ(母・生成為し行くもの)のイサナミの妊娠期間はとても長く、
コソム(九十六)月を経て、アマテルカミをご出産なさいました。 
※ハラミ:ハ生成・ラ為し行き・ミ実体化

コタネを噛み砕こうと攻め寄ってくるハタレマをオビが防いでくれます。
※ハタレマ:ハ(生成・形成)をタレル(垂れる・垂れさせる)、マ(影響を及ぼす)。

オビにより整いて、ヨソヤ(四十八・元素の成り立ち・完全)が備わります。
ヒメキミにはハタレマのような悪い障りもないでしょうが、
「イキス・ヒタチ」と為すオビを締められることをお勧めします。

と、コモリカミがトヨケカミの故事から講義なさいましたその時、
父のタケミカツチがふと疑問を呈します。
「我がクニは、イキス(息栖のミヤ)・ヒタチ(常陸のミヤ)とも呼ばれます。
それはオビに関係があるとのことですが、どのような謂れなのでしょうか。」


ときにコモリの         
こたえには むかしトヨケの   
のたまふは アメよりさつく   
ケフのおび アメにのとりて   
ちゝのたけ くらぶるおびに   
はゝのいき ひたちとなるは   
いたくなり アメにうなづき   
はにあみて つらなりそたつ   
このためし ちゝのめくみは   
いたゝくア はゝのいつくし   
のするはに
 
          


コモリカミの答えには、
「それは昔、トヨケカミの教えにありました。
アメ(天・アマカミ)からの賜わりモノ(宝物)としてのケフ(ヒタチオビの別名)のオビは、
アメ(天地創造の構造)に則って織りあげられています。
オビの丈はチチ(父)の身丈に合わせます。
そこにハハ(母)のイキス(息・心が来る事)がヒタチ(養い・育む)となるのです。

アメ(宇宙の中心)からタマ(魂の本体)の分け降しを頂き、
そして、ハ(地球の方)よりシヰ(魂の生命維持の部分)が編み込まれ、タマシヰとなるのです。
そこに物質が備わって育って来ることでコタネに成長します。
チチ(父親)の恵みはイタタク・「ア」(降臨するタマをこころにと、来させること)、
ハハ(母親)のイツクシ(こころにと編み為すこと)は
「ノ」(成りかためる事)をするハニ(固形化・物質化)となるのです。


アマテルカミも         
わすれじと いとフソヨすぢ   
よりあはせ メヲはふたえの   
みはとおり このみはめして   
あさことに あめつちまつり   
たらちねに つかふみこゝろ   
そのキミも これともふせは
   


アマテルカミも、この事を忘れてはならないとおっしゃっています。
そこで、イト(糸・こころの集まり・固形化してゆく)を二十四筋縒り合せて紡ぎ、
縦横にメ(横)・ヲ(縦)を準えてハフタエ(柔らかい織物)の衣を作ります。
その衣を召して、毎朝、アメツチを祭り、タラチネ(両親)への感謝を祈ります。
そこには、コタネ形成・生成への深い敬慕と感謝の念が込められているのです。
ケフとは、毎朝、毎朝の意味もあり、
 ケ:来たり為さしめる
 フ:開き発展する様子)という,
コタネが生成し成長する意味合いも込められています。

中略

これおうく カトリとカシマ   
イキスミヤ たまふひたちの   
おびのなも ヰハタオビとぞ   
たけヤタは ヤソヨロヲノコ   
なれたけぞ はらみのうちの   
あそひには まめおひろえよ   
まめなるぞ もしもソフこお   
うむはゝは ツキのくらいそ   
ひとはらみ ミツこおうめは   
ミひかりの さいわひありと   
アメにつぐ あまねくふれて
 
  


ここに、カトリ(フツヌシのミヤ)とカシマ(タケミカツチのミヤ)、
さらにイキス(アマノコヤネ・ヒトリヒメのミヤ)のミヤにそれぞれヒタチのオヒを、
時のアマカミ・オシホミミから賜りました。
オビの名もヰ・ワタ・オヒ(ヰワタ帯)といいます。
コタネのつつがなき成長を守る帯で、長さはヤタ(八尺)、国民男子平均身長に合わせたもの。
オシホミミはケフのホソヌノをヒタチオビとして賜りミコトノリなさいました。

「ハラミのウチ(妊娠中)の遊びには、マメ(豆)拾いが良いでしょう。
その子はマメ(何事にも熱心であること)になることでしょう。
マメ(熱心さ)はすべてにおいて、身の宝だと思います。
もしも十二人の子宝に恵まれた母は、ツキ(月)の位として賞賛しましょう。
三つ子を産んだ母は、ミ(三)ヒカリのサイワヒ(幸せ)に浴するものです。
ともにアメ(朝廷)に報告してください。賜わり物を授与します。」
※ホツマツタヱ《十六アヤ・ハラミツツシムオヒのアヤ》より抜粋。


参考文献・参考資料
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
◎『記紀原書ヲシテ』上・下巻 池田満著・展望社
◎『よみがえる日本語』青木純雄・平岡憲人著・明治書院
◎『縄文カレンダー』冨山喜子編
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。




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閏キサラキ♡縄文のウリフツキ(西暦2023.3.22)

2023-03-30 23:03:13 | ほつまカフェ
春分の日(2023.3.21)
ハルイタル🌸桜も開花のまさに春爛漫!
この日、旧暦ではキサラキ・ミソカ(2月30日)、
翌日はハツヒ(新月)で、本来ならばヤヨイ(3月)を迎えるところですが、
今年はここからもう一度キサラキ(旧暦閏2月)が始まります。

閏キサラキ🌸縄文のウリフツキとは?
太陰太陽暦(旧暦)では、
ムツキハツヒ(旧暦1月1日・新月)から始まる月の巡り(約354日)と、
ハルタツヒ(立春)から始まる太陽の巡り(365日)、
月の巡りの12ヶ月では1年365日に約11日足りません。
そこで、季節と月の巡りの調整のための閏月が約三年に一度挿入されます。

では、どこに閏月を挿入するのか?
太陽の巡りの基点は冬至・春分・夏至・秋分です。
旧暦では、月の巡りの12ヶ月を4等分して季節の目安とします。
春は、1,2,3月、ムツキ、キサラキ、ヤヨイ。
夏は、4,5,6月、ウツキ、サツキ、ミナツキ。
秋は、7,8,9月、アフミツキ、ハツキ、ナカツキ。
冬は、10,11,12月、カミナツキ、シモツキ、シワス。

立春は旧暦元旦ムツキハツヒ頃、
春分は、春の真ん中、旧暦2月キサラキの満月(十五夜)頃、
夏至は、夏の真ん中、旧暦5月サツキの満月頃、
秋分は、秋の真ん中、旧暦8月ハツキの満月(中秋の名月)頃、
冬至は、冬の真ん中、旧暦11月シモツキの満月頃が季節の目安となります。

が、
今年は春分の翌日が新月です。
月の巡りが約半月先に季節の到来を告げています。
このままでは夏至がミナツキに入ってしまうため、
今年は、旧暦2月末日の翌日(新月・ハツヒ)より
月の一巡りを閏月(閏キサラキ)としています。

その大いなる大宇宙のリズムを知り、丸ごと受け止めて、
そのウチ(内・中)にある私たちのイトナミ(営み)に活かす工夫から
トホカミヱヒタメ暦(縄文太陰太陽暦)は誕生したのですね!
今年は、季節の基点からの月の満ち欠けのエネルギーが反転しているので、
それがどのように作用するのかなど、観察してみるのもおもしろいですね。





縄文文明!
ヒヨミ(コヨミを作ること)は、早い時代から行われていました。
初代アマカミ・クニトコタチは、コヨミの樹であるマサカキを植えて、
長い年数の計数に用いました。
キ・ツ・ヲ・サ・ネ(東西中央南北)と
ア・ミ・ヤ・シ・ナ・ウ(天からのもたらしと大地の育み・暦を編みて人々を潤す)の
ソヒカミ(11カミ)を編みだして、ヒヨミを為すことを始めました。
キツヲサネ・アミヤシナウは、トシノリカミとも呼ばれます。

七代アマカミ・イサナギ・イサナミは、コヨミの守り神として、
ヤマサカミを祭ります。
ウツロヰ・シナトヘ・カクツチ・ミツハノメ・ハニヤスメ・
ヲヲトシ・スヘヤマスミ・タツタヒメのヤカミ(八カミ)です。

八代アマカミ・アマテルカミの時代には、コヨミのより高度な精度さが求められ、
初代ヒヨミノミヤ・オモイカネにより、閏月が設けられたと想像されます。

ヒヨミノミヤとは、毎年のコヨミ(暦)を作る重要な仕事で、
カガミのトミ(左の臣)の奥を守る長官にあたります。
初代ヒヨミノミヤ・オモイカネは、太陽の巡りをベースに、月の巡りを立てて、
コヨミの精度を高め、天体観測と計算により、太陰太陽暦に表しました。

◆オモイカネ・アチヒコ
アマテルカミのイサワノミヤ遷都の際、新都の造営の任に就き、
また、フタカミ(イサナギ・イサナミ)の長女ワカヒメとメヲトとなり、
皇太子オシホミミの教育を任された程の優秀な技術者です。
晩年、ヱナガタケ(恵那山)に納められたアマテルカミのヱナ(胞衣)を護るため、
恵那山東麓のシナノ(長野県飯田市阿智村)に居を移す。※阿智神社ご祭神。


ホツマツタヱの六アヤに「ウリフツキ」(閏月)の記述があります。
アマテルカミの十三人目のオキサキに上がられたウリフヒメの名に因んでの
命名です。
ヒノモト初の試みである全国各地から十二人のオキサキを迎えたアマテルカミの
ご即位当時(縄文・弥生時代)の日本の成り立ちもうかがえます。
ホツマツタヱ(六アヤ)より抜粋でご紹介します。


フソヒスス モモフソムゑだ   
としサナト やよいついたち   
ひのやまと にいみやつくり   
アメミコは ヒタカミよりぞ   
うつります
           

マサカキのフソヒスス(21本目)、モモフソムヱダ(126枝)の
サナト(58年)の年の春のヤヨイツイタチ(旧3月1日・西暦4月上旬頃)。
ヒタカミ(東北地方)のトヨケカミの許へ留学されていたアマテルカミが
ご誕生地のヒノヤマ(富士山南麓)に新たに宮を建てお戻りになられました。

フタカミヱメお         
みことのり カンミムスヒの   
ヤソギネが モロとはかりて 
  

フタカミ(イサナギ・イサナミ)は、お遷りに際してお后を定めようと、
ミコトノリ(詔)を出されました。
全国に豊かさと安定が及んでいた時代、各地より候補のヒメが続々と現れます。
カンミムスヒ(当代(六代)タカミムスヒ)のヤソキネ(イサナミの兄)が中心となり、
諸臣と相談し、キツサネ(東西南北)の四方にそれぞれ三段階、
スケ・ウチ・オシモの位を設け、十二人のお后をお選びすることとなりました。
※全国の集合統一的なアマカミの役割がここに認識されることになります。




クラキネの マスヒメモチコ   
ネのスケと そのとめハヤコ   
コマスヒメ ネのウチキサキ
   

ネ(北・現北陸地方)はイサナギのご出身地です。
イサナギの弟クラキネの娘ご姉妹、マスヒメ・モチコをネのスケに、
そのトメ(妹)のコマスヒメ・ハヤコをネのウチキサキにと決まりました。

ヤソキネの オオミヤミチコ   
キのスケに タナハタコタヱ   
キのウチメ
           

キ(東・現東北地方)は、議事進行のヤソキネの娘ご姉妹にと
オオミヤ・ミチコをキのスケに、
妹のタナハタ・コタヱをキのウチメに

サクラウチがメ         
サクナタリ セオリツホノコ   
サのスケに ワカヒメハナコ   
サのウチメ 
          

サ(南・現関東東海地方)は、オオヤマスミのご当代サクラウチの娘ご姉妹、
サクナタリ・セオリツホノコをサのスケに、
妹ワカヒメ・ハナコをサのウチメに

カナサキがメの         
ハヤアキツ アキコはしほの   
やもあいご ツのスケウチは   
ムナカタが オリハタオサコ   
オシモメは トヨヒメアヤコ
   

ツ(西・現近畿地方)のスケには、カナサキ(住吉)の娘、ハヤアキツ・アキコ、
大海原の潮の寄せ来る海上でお生まれになられたと聞いております。
とてもご闊達な姫君であらせられるとの事です。
ツのウチメは、カナサキのご親戚のムナカタの娘、オリハタ・オサコに
オシモメは、妹のトヨヒメ・アヤコ。

カスヤがメ イロノヱアサコ   
サのオシモ カダがアヂコは   
ネのオシモ ツクバハヤマが   
ソガヒメは キのオシモぞと
   

カスヤ(九州地方)の娘、
イロノヱ・アサコには、サのオシモメにお成りいただきましょう。
ネ(北)のオシモメは、カダ(京都地方)の娘、アチコに、
キ(東)のオシモメは、ツクハハヤマ(関東地方)の娘、
ソガヒメにお成りいただきましょう。
※全国各地からの入内となり、何処の地方にも不満なく、、とはいえ、
 建国はじまって以来の初の試み、、この事が思わぬ混乱の原因にもなって行きます。

つきによせ ミコはアマヒの   
くらゐのる ヒノヤマのなも   
オオヤマぞ かれオオヤマト   
ヒタカミの ヤスクニのミヤ
   

十二人のお后は、十二か月の月に準えられました。
ミコ(アマテルカミ)は、「アマヒ」の位に就任されたのだと言われました。
富士山の古称、ハラミヤマも「ヒノヤマ」・「オオヤマ」との新呼称が付き、
新宮は「オオヤマ」をクニの中心に、「オオヤマト」力併せひとつになるための、
ヒタカミの「ヤスクニのミヤ」と名付けられました。

キツサネの ツホネはかわり   
ミヤつかゑ そのなかひとり   
すなおなる セオリツヒメの   
ミヤヒには キミもきさはし   
ふみおりて アマさがるヒに   
ムカツヒメ ついにいれます   
ウチミヤに
           

キツサネ(東西南北)のツホネ(局)のお后たちは、月替わりで宮仕えをします。
その中で、お一人、とても素直なお心のお后が居られました。
セオリツヒメ・ホノコさまです。
他人(ひと)を思い遣る「ミヤヒ(心の五つの働きの内の一つ)」のお気持ちの
強いお方で、アマテルカミは感動され、思わずキザハシ(階段)を踏み降りて
お迎えに歩き下られた程でした。
「あまさがるひ(アマヒのキミが降り)に、お迎えになられたヒメ」の意から、
「ムカツヒメ」の讃え名が付き、ウチミヤ(正后)におなりになりました。

カナヤマヒコが         
ウリフヒメ ナガコおスケに   
そなゑしむ みなはたおりて   
みさほたつ これおコヨミの   
ウリフツキ
            

サ(南)のスケの後任に、カナヤマヒコ(中仙道開拓)の娘、
ウリフヒメ・ナガコがお入りなさいます。
お后達はハタ(機)を織り、棹を立て、月毎にご奉仕役が交代します。
※ミサホとは、ハタ(機)の棹を立てる意
また、十三人目のウリフヒメの御名にちなみ、太陽と月の巡りの調整のための
挿入月を「ウリフツキ(閏月)」と称するようになりました。



参考文献・参考資料
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
http://www.zb.ztv.ne.jp/woshite/index.html
◎『記紀原書ヲシテ』上・下巻 池田満著・展望社
◎『よみがえる日本語』青木純雄・平岡憲人著・明治書院
◎『縄文カレンダー』冨山喜子編
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。


『縄文カレンダー』
ヲシテ文献の記述をもとに縄文時代の季節感や行事を、
現代のグレゴリオ暦と太陰太陽暦(旧暦)に表しています。
今に伝わる「ヒナマツリ」や「タナハタ」、「豆まき」等、祭りの発祥や謂れも、
たいへんに興味深く、古来日本の慣わしや精神、思想が覗え、
縄文の宇宙的概念や死生観をも読み取れる「コヨミ」です。
縄文カレンダーの一年は、冬の至りの満月から月の巡りの十二カ月です。
A4判カラー・竹紙20頁冊子型。
春分より一冊1300円送料込でお分けしています。

ご希望の方は、
送り先のご住所、お名前、希望冊数を下記までメールにてお知らせください。

冨山喜子
【メール】yoshico1018@yahoo.co.jp

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縄文のひなまつり🌸ヤヨイミカ

2023-02-27 12:34:02 | ナメコト(行事)
ヒナマツリ【旧暦3月3日・西暦2023.4.22】

西暦では、まもなく3月3日を迎えますが、
旧暦では、今年は春分の後、閏2月となり、
旧暦の3月3日は、西暦4月22日。
アースデイと重なります✨
4月下旬だと桃の花はどうだろう、、
でもアースデイに三日月と若葉を仰ぎ、サカツキを頂くのもいいですね(^^)v

ヲシテ文献より、古来日本のヒナマツリをご紹介します。




日本で最初の結婚の儀を記念し、トツギのノリ(法)を教え導くお祭り。
満開のモモ(桃・百・子孫繁栄の象徴)の花の許、
クサモチ(よもぎ餅)とミキ(御酒)でメ・ヲのヒナマツリです。



やよいのはしめ         
ももやなき みきひなまつり
ゑもぎもち たみなわしろに
たねおまく
   ミカサフミナメコトのアヤ


やよゐきて ももさきめをの
ひなまつり くさもちさけに
ひくゑもせ
   トシウチニナスコトのアヤ



ヒナとは半人前(未熟・七分目)のこと、
メヲトとなり一人前のヒト(一から十)となる意が込められています。

トツギのミキ(御酒)は、身籠る(ミ)女性から先に飲み、兆す(キ)男性にすすめます。
三三九度は、ヤヨイ(三)ミカ(三)のトツギ(ト)固め(コ・九つ)のミキ(酒)のこと。
三日月をミキに浮かべてすすめます。
サカツキ(盃)の名は、逆さに映る月のことから。



また、メヲトとは、
ヨメ(良き女)とヨオト(良き男)が
それぞれの役割で力を合わせ、
為し固め、子孫につなげるという意です。
トツギとは、「トのヲシヱ」をつなぐ儀なのです。
日本語はなんて素晴らしいのでしょう♡
※嫁は後の漢字の当て字、女が家に入るは大陸の概念。

桃の花の下、夕暮れの細い三日月を愛でながら、男女でお酒を酌み交わす、、
春の大人のひな祭りとして復活させたいですね!
今年はアースデイですよ✨🌎✨
うれしいひな祭りの節にあわのうたをのせるとピッタリはまって楽しくなりますよ♪
きょうはたのしいたらさやわ~~(^^♪


「ヒナマツリ」の所縁について、
ホツマツタヱ2アヤ・アメナナヨトコミキのアヤより抜粋でご紹介します。

よつぎのヲカミ         
ウビチニの スビチおいるる   
さひあひの そのもとおりわ   
コシクニの ひなるのたけの   
かんみやに きのみおもちて   
あれませば にわにうゑおく   
ミトセのち やよひのみかに   
はなもみも ももなるゆえに   
もものはな フタカミのなも   
モモヒナギ モモヒナミなり
    

四代アマカミはウヒチニ(ヲカミ)でした。
稲作(陸稲)の導入により社会構造に変革がもたらされ、
時代の要請として、女性の社会的役割が求められてきました。
ウヒチニはスヒチニを正后に定め、ここに婚姻の制度が起きました。
サヒアヒとも呼ばれる婚姻制度は、広くタミにも広まってゆきます。

その元オリは、、
ウヒチニが、モモ(日本固有種のモモ)の木の実をお持ちなって
皇位(みくらい)に即かれたことから。

コシクニのヒナルノタケ(福井県越前市中平吹町・日野神社・日野山)の
カンミヤの庭に植えられましたところ、
三年の後の弥生三日、
ハナ(花)も、モモ(百ほどにも多く)に咲き、ミ(実)も成りゆくようです。
それで、もも(モモ・生じて固まる)のハナと名付けられました。
ウヒチニ・スヒチニのフタカミをモモヒナギ・モモヒナミと
お呼びするようになったのは、モモのハナとミに由来します。


ヒナはまた ひとなるまえよ   
キミわソの きのみによりて   
ヲカミわキ メカミわミとぞ   
なつきます ひとなるのちに   
やよひみか ミキつくりそめ   
たてまつる

           

また、「ヒナ」とはヒト(一から十)になるマエ(以前)で、
メヲトとなり初めて一人前という意味です。
ハナもミもそ(ソ・揃う所)の木の実の由来によって、
ヲカミは「キ」、メカミは「ミ」と名が付きました。
ヒトとして表明する婚姻の儀は、弥生の三日にミキ(お酒)を醸し奉ります。


ももとにくめる         
ミキにツキ うつりすすむる   
メカミまづ のみてすすむる   
のちヲカミ のみてましわる   
とこのみき みあつければや
   


モモの花の許、白酒を酌み、細い三日月を映し浮かべてミキ(酒)を勧めます。
メカミがまづお飲みになり、ヲカミに勧めます。
ミ(実・女性)を結ぶ、キ(木・男性)春の兆しのお酒の名の通りです。
ミキを飲みて男女が交わります。
「トコ」(トのヲシヱの精神で絆を固める・床)の「ミキ」(お酒)です。
「ミ」(生じ来る)のメヲト(夫婦)としての意識が篤く備わります。


あすみあさ さむかわあびる   
そでひちて うすのにこころ   
またきとて なもウビチニと   
スビチカミ これもウビにる   
ふることや おおきすくなき   
うすのなも このひなかたの   
ヲわかむり うおそではかま   
メわこそで うわかつきなり 

  

正月三日朝に、サムカワで清めましたときのこと、袖が濡れてしまいました。
ヲカミはメカミをかばって水浴びをしていたので、
ヲカミの袖は大きくヒチテ(濡れて)、メカミは少ないヒチでした。

「ニココロ」、にこやかな、やさしい、思い遣りのお心です。
「ウ」(大きい)と「ス」(少ない)の「ニ」(思い遣り)の心の仕草に現れた
尊いことと、ウヒチニ・スヒチニとお呼びするようになりました。

「ウヒ」とは、クニタマ(地球)の形作られる以前の状態も意識した命名です。
ウヒが煮上がって、固体・液体と気体の分離が進みクニタマに形成されました。

大きい少ないのウスのフルコト(故事)から、ヒナカタ(雛形)が作られます。
ヲ(男)はウオソデ(大袖)とハカマ(袴)、
メ(女)はコソデ(小袖)とカツキ(被衣)です。


このときに みなつまいれて   
ヤソつつき もろたみもみな   
つまさたむ あめなるみちの   
そなわりて たぐひなるより   
としかぞえ ヰモつきあまの   
まさかきや 
          


雛形が示されたので、広く国民にも結婚の制度が広まります。
まず、ヤソ(八十)のトミ(臣)たちが婚姻を行い、
タミ(国民)もツマを定めました。

ウヒよりクニタマが形成され、そこから人類の発生が起きたわけですから、
アメ(天体)の形成からの歴史を踏まえたミチの「トツギ」の制度は、
「アメナルミチ」ともいえるわけです。
これよりタクイ(家族、血族)も生じてきます。

中略

フタカミの ましわるときに   
トコミキや トコわトホコに   
コおもとむ
           

フタカミ(イサナギ・イサナミ)の交わる時も、トコミキ(酒)が用いられました。
トコミキの「トコ」とは、
「トのヲシテ」の「ト」と「ホコ」の「コ」でもあり、
「オノコロ」の「コ」にも掛かって意味します。
国家の安定を実現するためにも、コ(子)を求むるわけです。


ささけわとこよ         
ゐのくちの スクナミカミの   
たけかふに すすめがもみお   
いるおみて ミキつくりそめ   
すすめけり モモヒナギより   
ササナミと なおたまふより   
なもささけ そのカミいまに   
ささけやま ここのくみとわ   
やよいみか さかつきうめる   
カミのなも ヒナカタケとぞ   
たたゆなりける

         

そもそも、「ササケ(酒)」の名は、
トコヨ(琵琶湖湖岸地方)のヰノクチのスクナミカミ(後のスヒチニ)の所にあった竹株に、
スズメがモミ(籾)を入れているのを見て、お酒に醗酵するのを発見したことに由来します。
タケの別名のササからササケ(笹食・酒)と命名されました。

ミキを醸して奉り、モモヒナギ(四代アマカミ)より「ササナミ」という名を賜りました方は、
「ササケヤマ(沙沙貴神社、滋賀県近江八幡市常楽寺)」に当時いらっしゃったとのことです。

ココノクミ(固めの杯)の謂れは、
ヤヨイミカ(三月三日)に結婚の儀式を初めて執り行った故事に因んでいます。
今の世の三三九度とは、、
ヤヨイ三日のトつぎ固めの御酒の意ですね。
サカツキ(酒に逆さに映る細い月、杯)の名称を生んだ四代アマカミ・モモヒナギを尊んで、
その山をヒナガタケ(日野山、日永嶽、福井県越前市)と讃えるのです。


「トコミキ」の所縁について
ホツマツタヱ4アヤ・ヒノカミ・ミヅミナのアヤより抜粋です。
七代アマカミ・イサナギ・イサナミのお話です。

あるひヲカミが         
ヲヱとえは ヒメのこたえは   
ツキのヲヱ ながれととまり   
ミカののち みのきよけれは   
ヒまちすと ヲカミもゑみて   
もろともに おがむヒノワの   
とびくたり フタカミのまえ   
おちととむ おもわすいたく   
ゆめここち さめてうるほひ   
こころよく ミヤにかえれは   
ヤマスミが ササミキすすむ 

  

そんなある日のことでした。
ヲカミ(イサナギ)が月の障りを尋ねますと、イサナミは「三日前に月の障りが終わり、
身も清く気持ちも良いので、ヒ(太陽)待ちをしましょう」とお答えになり、
イサナギも「それは良いことですね」と笑顔で答えます。

一心に心を併せ、日の出を拝んでいますと、
ヒノワがフタカミのすぐ目の前に飛び来たって輝いているように見え、
まるで夢のような心地でした。

心の中がポカポカとしてウキウキと快く、、ミヤに戻りますと、、
オオヤマスミが、ササミキ(お酒)を勧めてくれました。
このタイミングの良さには、得も言われぬ神妙さを感じます。



かれヲカミ トコミキしるや   
メのこたえ コトサカノヲが   
ミチきけは トコミキはまつ   
メがのみて のちヲにすすむ   
とこいりの メはことあげず   
ヲのよそヰ メがしりとつく   
したつゆお すえばたがゐに   
うちとけて たましまかわの   
うちみやに やとるコタネの   
トツキノリ こおととのふる   
トコミキは クニうむミチの   
ヲシヱぞと 

          

ヲカミはトコミキについてメカミに尋ね、メカミはお答えになられました。
「トツキ(結婚)の際、トコミキのことは聞いたことがありました。
コトサカノヲに尋ねましたらば、このようにお教え下さいました。」

イサナミは言葉を続けます。
「トコミキ(寝所にてのお床入の際にお召し上がりになるお酒)は、、
まず始めに女性から飲み、次いで男性に勧めます。
その後、床入では女性はコトアゲ(願文を言う事)をしないことになっています。
男性の誘いに、女性が寄り添いとつく(トツク・交わる・トを継ぐ)のです。
そして、シタツユ(精子)を得てお互いが本当に打ち解けるようになります。
アモト(大宇宙の中心)から、ヒトの形成の元となるタマが降され、
ウチミヤ(子宮:見えないものが物質を結び合せて具体化させてゆく場所)に
子種が宿る、これが「トツキノリ」です。」
子種の宿り整うるプロセスは、国家形成の方途とよく似ています。


「ひなまつり」と「スクナヒコナ」
ホツマツタヱ9アヤ・ヤクモウチコトツクルアヤより抜粋です。

スクナヒコナは         
アワシマの かだがきならひ   
ひなまつり をしえていたる   
かだのうら アワシマカミぞ
 
  

さらに後、スクナヒコナは、
アワシマ(琵琶湖周辺もしくは淡路島、、フタカミに由来、、)のカタガキ(コト)の楽曲演奏を習い、
ヒナマツリ(四代アマカミのトツギノリ)を全国各所に教えつつ巡りました。
行き至った場所はカダノウラ(現和歌山市加太)でした。
そこで、スクナヒコナはアワシマカミと讃え呼ばれるようになります。
※加太淡嶋神社(延喜式記載の古い神社)として、伝承も残されています。
 雛流し、二万体の人形で有名な神社です。
 ご祭神は少彦名命・大己貴命・息長足姫命(神功皇后)



ヲシテ文字で感じよう!
📌メヲト:メ(女性)・ヲ(男性)・ト(力を合わせ、子孫につなげる)▲夫婦。
📌トツキ:日本最初の国号「トコヨクニ」とは、トの教えを建国の理念とした事。
「タミが力を合わせ、得意を持ち寄りみんなでより良い世を為しつなげてゆく」意。
結婚式は「ト」を継ぐ儀なのです。×嫁ぐ。



『宇治山田市史』宇治山田市役所編 年中行事より
「宮中神事」
◎桃花御饌【三月三日】
式は新菜御饌(わかなのみけ・正月七日)同様であるが、今日の御饌は長き草餅で、
内宮は桃枝を筒に立て、外宮は桃枝を五寸位に伐り、束ねたる草餅に横に挿して供える。

「民間行事」
◎桃の節供【三月三日】
民間では小豆飯を炊き、桃の酒を祝う外、女子のある家では雛祭とて内裡雛を飾り、
草餅を搗き菱餅を供へ、女児の庭訓に資したものである。
市中の人々は主人筋・師匠・得意先などへ節供の禮とて礼服にて廻禮する事もあった。
この廻禮は明治維新後絶えたが雛飾りは近来年を追うてだんだん盛んになった。

◎汐干狩【三月三日】
三月三日の汐干に二見浦には市中の老若男女の貝拾ひ遊びをする風俗であった。
能く干る時は、立石より凡そ十町許りも干潟となったと云ふ。(五十鈴落葉)



参考文献・参考資料
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
 http://woshite.com/page5.html
◎『記紀原書ヲシテ』上・下巻 池田満著・展望社
◎『縄文カレンダー』冨山喜子編
◎『宇治山田市史』宇治山田市役所編 国書刊行会
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。
編集:冨山喜子

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キサラキ・ムママツリ(旧暦二月朔日・2023.2.20)

2023-02-20 00:00:10 | ナメコト(行事)
旧暦ではキサラキハツヒ(旧暦二月朔日・2023.2.20)を迎えました。
昨年のキサラキハツヒはグレゴリオ暦3月3日🎎でしたので、
月の知らせがだいぶ早いです。
今年は、旧暦2月の末に春分を迎え、閏2月がはじまります!





ムママツリ【キサラキ初旬(旧暦二月初旬】




きさらきや こりゑこゝろみ
むままつり よろぎひいつる
かみかたち
    トシウチニナスコトのアヤ



きさらきは メヲほぼやわし
きざしおふ たねかしまつる
いなるかみ のりゆみひらき
もちまてに そこにふきたつ
はつひかせ これかみかたち
 ミカサフミナメコトのアヤ



キサラキ(旧暦二月)に入ると、
ヲカミ(二陽)のキザス(萌す・兆す)働きが強まり、
ヲメ並び立つ(二陽・二陰)「春分」へと向かいます。
メ(固まる力)とヲ(生えゆく力)の拮抗のお祭り。
ノリユミ(後のヤブサメ)を行います。


「タネカシマツル・イナルカミ」とは、
 現在の「祈年祭」・「鍬山神事」に通じると考えられます。
『宇治山田市史』宇治山田市役所編の年中行事には、弓のことも記されていました。


◎祈年祭【キサラキ四日】※旧暦二月四日。改暦後西暦二月十七日。「神宮諸祭典」
 祈年は「トシゴヒ」と読む。年は古語で穀物のこと。
 農本の國として農事の初に本年の五穀豊穣を両宮の大前に祈り奉る祭儀。
 この日神宮には祭主宮を始め奉り、大少宮司以下が神前に奉仕し、
 宮中からは勅使が立ち、儀仗兵の堵列もあって、荘厳に祭典が施行さるる。

※現在の伊勢神宮ホームページによると、、
「祈年祭」は春の耕作始めにあたり、五穀豊穣を祈る「としごいのまつり」とも呼ばれます。
「トシ」とは稲の美称であり、「コイ」は祈りや願いで、お米を始めとする五穀の
 豊かな稔りを祈ることを意味します。
 稲の育成周期が日本人の一年、農耕が生活のすべてであった時代、豊作を祈ることは、
 国家の安泰・国民の繁栄を祈ることに他なりませんでした。
 そのため祈年祭は国家規模で執り行われ、奈良時代の『延喜神名式』によると、
 神宮を始め全国二八六一社の神々に幣帛が奉られていました。
 特に神宮には天皇が勅使を差遣されてお祭りが行われており、朝廷の崇敬の念が窺われます。


◎鍬山神事【二月朔】「宮中神事」
 神田に下種するについての鍬山神事は、内宮は二月朔日、外宮は同月上亥日に行われ、
 内宮では禰宜・内人・物忌等、當年「歳徳神」の在る方を鍬山として之に登り、
 山口の神を祭り、木本祭を為し、木を伐って忌鍬を作り、之を持って山を下り、
 神田に臨んで耕田の型をするのである。
 また神官の一人が桶に小石を入れて種と称へ、之を蒔く型をする事もあった。
 この時田舞といふ舞を為し、折敷を鼓の様に打って歌をうたふ。その歌の一つに

 あなたのし 今日の楽しさ
 いにしへも かくやありけむ
 今日の楽しさ

 外宮では、役人が榊枝を伐って忌鍬を作り、歳徳神の方に祭場を設け、
 役人が多賀山下に至って山入りの行事をなし、禰宜以下本宮に参拝して祭場に列座すれば、
 役人が修祓した後も忌鍬で耕田の状をなし、禰宜もまた其の鍬をとり、
 神歌を唱えて耕田のまねをして豊年を祈り、役人又祓を修し、各員八度拝して退坐するのである。
 是より諸所の神田も耕作せられ、民間のも耕作せらるる事となったのであるが、
 明治五年二月にこの神事は廃せられた。


◎弓の事【正月中】
 弓を射て遊ぶことは古くよりあった事で、宇治地方でも正月中、不動明王院の門内に射場を設け、
 町の人々が素襖(すおう)・鳥帽子で之を競射したが、維新後絶え、明治十年頃より
 町民の協議によって「弓の事」と称し、神事に擬して形のみを再興した場所は、
 中之切町、山神社の下川辺であった。
 宇治神社:https://blog.goshuin.net/uji-ise/


参考文献・参考資料
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
◎『記紀原書ヲシテ』上・下巻 池田満著・展望社
◎『縄文カレンダー』冨山喜子編
◎『宇治山田市史』宇治山田市役所編 国書刊行会
◎『志摩の民俗』三重県郷土史料刊行会 著者:鈴木敏雄
◎『伊勢神宮』ホームページhttp://www.isejingu.or.jp/index.html
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。


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縄文の小正月❄トンドモチ(旧暦1月望・西暦2023.2.6)

2023-02-05 19:59:53 | ナメコト(行事)
ムワタマツリ・トンドモチ【ムツキモチ(旧暦一月望・小正月)】

春のはじまりの満月!
西暦2023.2.6未明、3:29にmaxとなります。
今宵十五夜お月さま。
1月15日といえば、数年前までは成人式の祝日でした。
はじまりの満ち満ちた満月のエネルギーに因んでいたのではと思います。
1月の第二月曜より有難き尊き日に思えますね。
それも旧暦じゃないと満月じゃないし、、、
成人を迎えられた方々へ謹んでお祝い申し上げます。
満ち満ちた満月の朝、月を言祝ぎご来光を迎えます。
春、キザス東、のぼる朝日の波に乗り~いよいよです!



いつかの月の出。




もちのあさほぎ
あつきかゆ さむさにやふる
わたゑやみ さやけをけらに
とんどもち ゑさるかみあり
 トシウチニナスコトのアヤ


モチ(満月)の明けた朝に、ヒモロケ(日月のエネルギーの備わった食物)の
アツキ・カユ(小豆粥)で祝い、ワタ(内臓)へのヱヤミ(病気)を防ぎます。
ササ(笹・竹)、オケラ(薬草)を焚き、
モチ(トンドモチ・餅)を焼いてカユ(粥)に入れます。
小豆粥にお餅♡おしるこちゃんですね♪

現在でも1月15日は「鏡開き」・「トンド焼き」(左義長・小正月の火祭行事)が
全国各地で行われていますが、なんとヒノモト縄文起源の風習といえます!
日本のお正月♡


めをおえば もちのあしたは   
ひもろけの あづきのかゆに   
ゑやみよけ ささおけとんど   
もちやきて かゆはしらなす   
かみありの かゆふとまにや
 ミカサフミナメコトのアヤ


カユハシラナスカミアリのカユフトマニとは、
かゆ(カユ・来たりて跳ね返る様)のウラナイ(見えない世界の成り行く方向を知る)です。


※『宇治山田市史』宇治山田市役所編の年中行事より、
◎御竈木神事【正月十五日】「宮中神事」
神宮に御薪を奉納することで、これは昔、
朝廷にて臣下の薪を献ずる儀のあったのを移して、神前にも奉る式としたものであろう。
この日、一禰宜七荷、余の禰宜各六荷、権禰宜は各五荷、六位の権禰宜・大内人等は各三荷、
小内人は各二荷、諸社の祝部等は各一荷という定であった。
其の木は長さ七尺余りの白削りの細木で、九本を一荷としてある。
之を石壺の上に据えて「御木の数三千五百荷御入り候ふ」と申し、
政所が祝詞を奏し了って、御薪をば忌火屋殿に納める。

神事の祝詞には、
「吾々のかく奉るさまをば、平らけく安らけく聞食して朝廷賓位(みかどのみくらい)」は
動くことなく、常磐(ときわ)に堅磐(かきわ)に、夜の守日の守に護り幸い奉りたまひ
生まれまさむ皇子達をも慈しみ給ひ、百官(ももつかさ)に奉仕(つかえまつ)る人等をも
平らけく、安らけく、天下四方(あめのしたよも)の人民(おほみたから)の作る
五穀(いつくさのたなつもの)も豊かにめぐみ幸ひ給へ」
と祈る所に国民思想の明らかなる反映を見る。

訓読みのやまとことはのなんと美しい響き♡


◎小豆粥【正月十五日】「民間行事」
松飾りは、十四日の夜に納めるので、十五日朝に粥柱の角切餅を入れた小豆粥を煮、
飾りを取り去った跡へ供えるので、飾揚げの祝とも云った。※五十鈴落葉


参考文献・参考資料
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
◎『記紀原書ヲシテ』上・下巻 池田満著・展望社
◎『縄文カレンダー』冨山喜子編
◎『宇治山田市史』宇治山田市役所編 国書刊行会
◎『志摩の民俗』三重県郷土史料刊行会 著者:鈴木敏雄
◎『伊勢神宮』ホームページhttp://www.isejingu.or.jp/index.html
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。





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縄文の節分❄トシワケ・オニヤラヰ

2023-01-30 20:04:43 | ナメコト(行事)
一年のカウントダウン、年の変わり目、、
西暦では元旦を迎える大晦日ですが、
縄文の太陰太陽暦(旧暦)ではハルタツヒ(立春)を迎えるトシワケ(節分)です!
縄文カレンダーもそうですが、旧暦の12カ月は365日ではないからです。
カウントダウンは立春点、2月4日11:43に向けてでしょうか。





ヲシテ文献『ミカサフミ』タカマナルアヤに記述があります。
「タカマ」とは私たちを取り巻く大宇宙のこと。
 縄文哲学恐るべしです!
 ぜひ原文を何度も何度も声に出してイメージしてみてください。


アマメクリ ヒはをゝきくて
ヒトおくれ ミモムソヰたび
ヒトトシの ハルタツヒには
もとにきて ひとたびもとの
ほしにあい つきはおもくて
ソミノリお おくれヒにあふ
ツイタチぞ ほしにソミあふ
アメはヱナ ヒツキヒトみな
アメのエナ そとはタカマノ
ハラまわり



1年365日は、ヒ(太陽)の巡りです。
ハルタツヒにはモトに来て、ひとたび元の星に会い、、
その始まりの基準は「ハルタツヒ」(立春)です。
月の12ヵ月では365日に満ちず、
月は重くてソミノリ(13ヵ月)、遅れて「ツイタチ」になります。
トシワケは「ハルタツヒ」の前日です。

アメ(天)はエナ(コミヤ・子宮)、太陽も月も人も皆、
アメのヱナ、外はタカマ(大宇宙)のハラ(腹)まわり




●トシワケ・オニヤラヰ

としわけのよは
まめおいり みなおにやらふ
かおひらき しめひきふさき
もののかき ほながゆつりは
はゑゆつは むぎにとしこへ
 ミカサフミナメコトのアヤ



トシワケの夜は「オニヤラヰ」。
オニとは、凝り固まった思いや憎しみ、嫉妬心などの事。
オニヤラヰとは、悪い芽が出ぬように豆を炒り、
マ(魔・悪心・障り)のメ(芽)を断つ行事です。




天地自然の安寧を祈願し、「トシノリカミ」「ヤマサカミ」をお祭りします。
カ(西)をヒラキ(柊)とヰワシ(鰯)で塞ぎます。
ウラジロやユヅリハで〆め飾り、麦を食して年越えのお祭りとします。

ちなみに、アマテルカミ最盛期のイサワノミヤのある志摩や鳥羽では、
現在でも「アラクサ」という行事が残っている地域があり、大晦日に豆まきをします。
豆炒りの時に先を削った木にイワシを刺して、パチパチと火であぶり、
その音と臭気で邪気を払うとされ、魔除けとして玄関にさしておくそうです。


◎トシノリカミ
初代クニトコタチの時代、
「キ・ツ・ヲ・サ・ネ」(東西中央南北方位、季節の守り)と
「ア・ミ・ヤ・シ・ナ・ウ」(食べ物・イノチ(生命)の守り・アメのもたらしと地上の育み)の
ソヒ(十一)カミを祭り、「トシノリカミ」としました。
東西南北中央、、中央にミハシラをイメージして、
宇宙からのもたらしと大地の育み、
とは、「ピラミッド」?!
わたしたちはみんな、その守りの内にある、、。ということですね。


◎ヤマサカミ
七代イサナギ・イサナミの時代(大きく事が整えられてきた時代)、
コヨミを守る役目を担ってもらうため、「ヤマサ」の八カミを添えて祭ることにしました。
自然神の八つの働きを祭ります。

ウツロヰ(大気)
シナトヘ(風)
カクツチ(火)
ミツハメ(水)
ハニヤス(土)
・自然界のヲヲトシカミ(穀物を成らせる)
スヘヤマスミ(木々が雨から土を守る)
タツタヒメ(火災からの守り)

トシワケには、天地自然の安寧を祈念する!



トシノリカミ・ヤマサカミについて、
ホツマツタヱ《22アヤ・オキツヒコ・ヒミツノハラヒ》より
抜粋で祭祀のノト(祝詞)をご紹介しています。
祓いの祝詞です。
ハライノリト
https://blog.goo.ne.jp/ten380445/e/c3d9cb93ad8386a554ae10731a58b8da


参考文献・参照資料
◎ヲシテ文献の世界へようこそ:日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
◎ホツマ辞典:池田満著・展望社 
◎よみがえる日本語:青木純雄・平岡憲人著・明治書院
◎よみがえる日本語Ⅱ:青木純雄・斯波克幸著・明治書院 
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。





『縄文カレンダー』2023年度版 A4判カラー・竹紙20頁の冊子形。
一冊1500円でお分けしています。※立春より送料込。
ご希望の方は、送り先のご住所、お名前、冊数を下記までメールにてお知らせください。

冨山喜子
【メール】yoshico1018@yahoo.co.jp
【ブログ】喜びの種☆:http://blog.goo.ne.jp/ten380445
◎構成・デザイン:きくデザイン制作室 http://kikudesign.jp
◎発行:喜びの種



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縄文の春七草【ムツキユミハリ】(旧暦1月7日・西暦2023.1.28)

2023-01-28 17:40:43 | ナメコト(行事)
七草・シムノフシヱ【ムツキユミハリ:旧暦1月7日】

ヲシテ七草
《ごげふ・はこべら・ゐたひらこ・すずな・すずしろ・すせり・なつ》


春の陽を享けて、野草アオナがいっせいに顔を出します。
弓張を祭る七草は、イノチ(生命)を養う行事です。
冬の間のビタミン・栄養不足など、滞ったからだに、
春最初の芽吹きの力強いエネルギーをいただき、病や災いを払い整えます。


ヒの守りは、一日に例えると今日未明、、
夜明け前の一番冷え込む時間帯。
春は名のみの大寒波到来!
北風が木の葉を舞い上げて吹き荒れる。
先日行った名栗のお山には、焚き付け用のスギッパがザックザク!
刺すように冷たい北風にさらされて身をすくめながら、
春を迎える大祓のように感じました。

新月から七日目。
満月へと生え出でるエネルギーが強まります。
「ナナクサ」は春の最初のエネルギー!
今年は立春より一週間早い大寒波中の七草ですが、
庭や道端の草たちを観察してみるのも面白そうです。





しむのふしゑは
たるむつみ ゆみはりまつる
みそのなは ぬゑあしもちか
かさくさお こげふはこべら
ゐたひらこ すずなすずしろ
すせりなつ このなゝくさに
のぞくなり
   トシウチニナスコトのアヤ




しむのより ゆみつきのよは
ゐのみづに ヌエアシモチが   
ガダヲヱオ ごけふはこべな   
いたひらな すずなすずしろ   
すせりなず なみそにのぞく
 ミカサフミナメコトのアヤ


みそのなは… 味噌の七葉・菜葉?
なみそ… なみそ 七味噌・菜味噌?
春の七草、お粥さんだけじゃなく、味噌和えや味噌汁もいいですね♡
「味噌?」は、いつからあるのでしょう?

※味噌の起源ウィキペディア参照。
日本の味噌の原型は歴史が古く、弥生時代からとする説もあるが、
豆を用いた現在の味噌とは違う液体状のもので、魚醤に近い。
日本においては縄文時代から製塩が行われ、
醤(ひしお)などの塩蔵食品が作られていたと見られる。
縄文時代後期から弥生時代にかけて遺跡から穀物を塩蔵していた形跡が見つかっている。
古墳時代からは麹発酵の技術を加えたものとなった。
現在の味噌の起源に連なる最初は、奈良時代当時の文献に
「未醤」(みさう・みしょう:まだ豆の粒が残っている醤の意味)と呼ばれた食品の記録がある。



すずな・すずしろ♡志摩の朝市




ヲシテ春七草の記述は、ホツマツタヱ <十九アヤ・その二> にあります。
ノリのフミ テルタエのアヤ(抜粋)

フソヰすゝ モゝミソゑたの   
としサナト はるのはつひに   
よのひつぎ ミコオシヒトに   
ゆつります アメよりイセに   
おりいます 
          


マサカキ暦二十五スゝ百三十枝サナト(キシヱ暦五十八年)のハルノハツヒ(元日)に、
アマテルカミは皇太子オシヒトにアマカミを譲位なさいました。
アマテルカミは譲位ののち、人を教え導くことに熱意を持たれ、
イセのミヤ(現伊勢神宮内宮)にお遷りになられ、日々教導に捧げてゆかれるお考えでした。


ときにつきすみ         
おゝくまど ひつめアオコマ   
たてまつる カミおもしろく   
おほすれば クマトにたまふ   
みあえには ヌヱアシモチが   
がさくさも ごげうはこべな   
いたひらこ すゝなすゝしろ   
すせりなつ このなゝくさに   
のぞくなり           



ちょうどその頃に、ツキスミ(九州)のオオクマド(アメクマ)が、
ヒツメ・アオコマ(馬ムマ・詳細未詳、、)を曳き歩んで参りました。
献上されたアオコマ(馬)に大変興味を示されたアマテルカミは、
オオクマドにミアエ(御饗)を賜うことになさいました。
ヌエアシモチ(悪さをする鳥?)がガサクサ(禍や病気、皮膚炎。詳細未詳)も、、
とは、冬の間のビタミン不足など滞った健康幣害を解消するの意でしょうか、
生命エネルギーに満ち溢れた春の新芽の七草です。
「ごげう・はこべな・いたひらこ・すずな・すずしろ・すせり・なづ」、
この七草に除くなり。


さくらばなれば         
またのもち こかねひつめの   
クロコマの タカギがひけば   
たてまつる 
          


サクラの季節の満月(春分頃)に、ヒタカミ(東北)より、
当主七代タカミムスヒ・タカギがコカネ・ヒツメ(黄金の蹄?詳細未詳)のクロコマを
献上なさいました。
タカギはアマテルカミの従兄妹であり、ご学友であり、
また、九代オシホミミのお后チチヒメのお父上でもあります。


みつほマナヰに         
のりみゆき しばしばまつり   
きこしめす これそらくもり   
あらざりき  
         


これらの献上馬にはアマテルカミのお后三名がお乗りになり、
マナヰ(トヨケカミの御陵)まで御幸をなさり、お祭りをなさいました。
ひ孫にあたるオシホミミの九代アマカミご即位のご報告です。
天下安寧の一助となり、また女性にも乗馬の技術が浸透したことには、
トヨケカミもお喜びのことと思われます。



参考文献・参考資料
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
◎『記紀原書ヲシテ』上・下巻 池田満著・展望社
◎『縄文カレンダー』冨山喜子編
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。



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