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会津の刀鍛冶

2015-07-11 19:18:55 | 見る
「歴史秘話ヒストリア 日本刀」
日本刀というよりも会津魂の話がほとんどだった。

日本刀の見方なども紹介されました。
刃の部分に見える波模様のようなものを刃文(はもん)といい、
峰のほうに出ている模様を地鉄(じがね)といい、それぞれさまざまなタイプがあって名前がついている。
拵えの鐔(つば)などの驚くほどの細かい作り、豪華な装飾も。

しかし、最もメインで紹介されたのが、和泉守兼定。
そうなの、土方歳三の愛刀です。
この刀を打った兼定さんは会津の刀鍛冶だったのだそうです。
それだけでも、ええっ!会津の人?と思ってしまうでしょ、
この兼定さん、文久3年、藩命により京へ上っているのです。
会津藩士の刀を京で作るため。
歳三はこのときに会津藩から兼定作の刀をいただいたらしい。

兼定さんは、禁門の変のときは戦に加わってるの。
そして、長州の鉄砲の前に、刀が役に立たないことを知る。ショック!

慶応4年、会津のお城が攻め込まれたとき、兼定さんも籠城してたんだって。
しかし、官軍に砲弾を撃ち込まれる城内で兼定さんがやっていたのは、
刀ではなく、鉄砲の銃弾を作る作業。
撃ち込まれた弾を作り直して使っていた。

ここで、ボロボロになった鶴ヶ城の画像が出たの、これ「八重の桜」のかしら。
あれが出ると、自動的に涙が出るのだ、私は。(T_T)

兼定さんは後半生は福島県の公務員として生活していたけど、
明治36年に陸軍に呼び出されて、英国公使に献上する刀を作るように要請されて引き受けたのが、
最後の刀鍛冶の仕事だったんだって。

いやー、全然知らなかった。
兼定って、何代も続いた名前なんでしょう?
この兼定さんは、素材も会津の砂鉄を使ったり、会津の刀であることにこだわりを持って作っていたと。
歳三の愛刀ということで、土方資料館も出ましたし、
「池田屋事件などでも使われ」なんてナレーションもありました。
私、土方資料館で特別展示をしているときに見学に行った。
大河の年でしょうね。
そのときに、刀は展示しているとすぐサビが出て手入れがとても大変なので、
いつもいつもは展示できないのですとお話を聞いた覚えがあります。
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