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魂の取材「不死身の特攻兵」ゴロウデラックス

2018-06-29 22:00:22 | 見る
6月8日放送のゴロウデラックスは鴻上尚史ゲスト。
人気劇作家ですが、今回の本はお芝居ではなく、「不死身の特攻兵」特攻隊の兵士の実話、
十死零生と言われた特攻に9回出たが生還した隊員に取材した本。
鴻上さんはそういう人がいることを知って、各テレビ局に話をしたんだそうだ。
毎年4月ごろに、8月の終戦特集に向けて何か題材はありますか?と聞かれる、
そのときに話をしたら、あるテレビ局(TBSじゃなくて)のディレクターが、
「その佐々木さんという元特攻隊の方、生きてますよ」と情報をくれた。
(2年前の話だそうだ)
鴻上さんは当時、佐々木さんが入院していた札幌の病院に話を聞かせてもらいに出かけた。
佐々木友次さんは優秀なパイロットだった。

1944年(昭和19年)立川飛行場に内密に置かれていたのは、九九双軽という爆撃機が改造された飛行機。
爆撃機でありながら、爆弾を投下する装置はついていない。
機械は全部はずしてしまい、体当たりして起爆管のスイッチが入るようになっている。

スタジオでは九九双軽の説明のためにプラモデルが出てきまして、ゴローちゃんの目が輝いた。
「プラモデル大好きなのでよくわかります!一式陸攻の話、しなくていいですか?」
「長くなりそうなので」と笑いながらバッサリ切る外山アナ、
鴻上さんもおかしそうに笑ってる。
(話題は怖ろしい、そしてひどい話なんだけど、こういうところが、この番組のよさね)
改造された九九双軽は、起爆管が外についていて、積んだ爆弾も多すぎて機体の扉が閉じられない状態。
体当たりしか攻撃の手段はない作りだが、
しかし、飛行機は飛ぶために空気抵抗があるように作ってある上に、斜めに突っ込む角度になるので、
実は真上から爆弾を落とした方が、飛行機が突っ込むよりもずっと威力があるのだそうだ。
その当時でさえも、計画に反対する人はいて、
「コンクリートに生卵をぶつけるようなものだ」と言われていた。

佐々木さんの属していた万朶隊(ばんだたい)の岩本隊長は、
こんな攻撃をさせる上層部がおかしいと、上層部には言わずに、
整備兵たちに爆弾を落とせるように改造しなおしてほしいと頼んで、改造させた。
佐々木さんはその特攻機に乗り込んで、1回目は爆弾を投下させて生還した。
ところが、生きて帰ってきたのに、戦死したことになっていて「軍神」になった。
新聞にも発表してしまった、天皇陛下にも報告がいってしまった。
何も確認せずに、死んだはずだということでそうなったのだ。

必死で飛行訓練してきたプライド高い飛行兵たちに、
上層部は、ただ突っ込んで死んで来いと命令した。
2回目、3回目と出撃しては、攻撃されたりして生還する佐々木さんに、
上官は「次こそ死んで来い!」「次はほんとうに死んで来い!」と脅した。
死ぬことより敵をたくさん倒すことのほうが重要だと考えていた佐々木さんだが、
「死んで参ります」と言うしかない。

佐々木さんの地元では、1回目のときにもう葬式が出されていて、
その後、2回目の葬式を出すなんてことが行われていた。
佐々木さんは、結局9回出撃し、生還した。
故郷に帰って辛かったですか?と鴻上さんが聞くと、「辛かった」と答えたが、
それ以上は語らなかったと。

日露戦争で突撃隊の隊員だったお父さんは勲章ももらっていたが、「死ぬと思うな」と佐々木さんに言っていた。
それに、無駄死にすべきでないという岩本隊長の言葉、
何よりも、飛行機が大好きだった佐々木さんの「自爆したくない」という思い、
それが、軍隊という「ブラック企業」に対して戦い抜いたと言える佐々木さんの原動力だったのではないか、
と鴻上さん。

9回の出撃のうち、味方の援護機の不調とか敵の攻撃とか、途中で帰還した理由はさまざまなんだけど、
私が、おお!と思ったのは、8回目の出撃のとき。
佐々木さんは「ばかばかしくなって引き返した」
狂気の空気の中で、冷静だ。
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