6月28日公開になった映画「凪待ち」を初日に見てきた。
監督:白石和彌 主演:香取慎吾
競輪にはまりこむギャンブル依存症の男が、
同棲している女が実家に帰るのについて、彼女とその連れ子と一緒に、
川崎から宮城県石巻に引っ越していく。
心機一転して再出発した三人だったが、
些細な口喧嘩から、女を夜の道に置き去りにし、その後、女は殺される。
その悲劇をきっかけに、男は再びギャンブルにのめりこんでいく。
白石監督といえば「孤狼の血」とか「凶悪」とか、バイオレンスのイメージ。
この映画の予告編でも、荒れ狂う主人公のシーンがあったので、
その覚悟をして行ったのだが、予想外に家族の物語だった。
主人公の郁男は、のっそりと大きな子供のような人。
慎吾くんが「ひたすら逃げている男」と言っていたので、
心を閉ざしている人と思い込んでいたのだが、そうではなかった。
郁男は、人懐っこいわけではないが、人に対して壁がない。
川崎で元同僚がいじめられているのをかばったり、
後半ではやくざにも向かっていったりする。
まったく無防備、無警戒。
愛想がなく、表情が乏しいが、人を避けているふうでもない。
内縁の妻・亜弓(西田尚美)の娘・美波(恒松祐里)と仲がいいのも、
「なついている」とセリフがあったが、むしろ対等の友達のようだ。
殺人事件が起きてサスペンスのようでもあるが、犯人探しの要素はない。
むしろそれによってざわざわと荒れてくる郁男の内面のほうがサスペンスなのだ。
亜弓を失い、警察や周囲に疑われ、
喪失感と苦しみから、ギャンブルの闇に引きずり込まれるように呑まれていく郁男。
それを見せる香取慎吾が凄い。
わかりやすいセリフや表情ではなく、ズブズブと落ちていくのが見える。
慎吾くんが「細胞が反応する」と言っていたが、(どの記事だったかもうわからない)
まさに!
後半の郁男は、香取慎吾の身体がすべてだ。
白石監督はひたすら彼を映す。その顔を、大きな背中を。
慎吾くんはぶよんとしていて、デブっとしていて、その体が圧倒的に効いている。
なんかじくじくと汁が出てるんじゃないかというぐらい、
じっとりと汚らしい、それがすごくいい。
共演のリリー・フランキーは「男の色気が」と言っていたけど、
腐って崩れていく果物が発酵臭を放っているような感じだ。
今度こそやり直そう、出直そうとするたびに、裏切られ、突き落とされる郁男。
亜弓を殺した犯人の逮捕も、犯人は予想がつくので、それ自体よりも、
そのことで郁男が受ける衝撃と傷の深さを思って、
見ているこっちが呻いてしまう。
またこれでこの男はだめになってしまう!と。
幾度もそういう揺り戻しがあっての最後、
やくざの事務所から、亜弓の父・勝美に救い出され、
待っていた美波と三人で「家に帰ろう」と歩き出す。
死んだ亜弓が結び付けた三人。
血縁ではないのに、自分のために手を差し伸べる家族。
すると、郁男がベエベエ泣き出すのだ、まるっきり子供みたいに。
やくざに痛めつけられて血まみれの、こんもりと大きな体で、
突っ立って手放しで泣いている郁男。
この大泣きが、郁男という男そのものだ。
ラストは、勝美の漁船に三人で乗り込んで海に出るシーン。
三人でやり直そうという希望の見える終わり方で、
つながるエンドロールは、海の底を映し出す。
津波で沈んだピアノ、冷蔵庫、自転車。その時そこにあった日常が呑まれた海。
「自分は疫病神です。自分がいると悪いことが起きる」
と郁男が置手紙を書くシーンがあるが、ほんとにそうだと思う。
この男は、かかわってはいけない人だ。
そして、かかわった人は彼を見捨てることができない。
見終わっても、ずしっと重いものが残って、いろんなことを考えてしまう映画だった。
ようやく光が差したかなという終わり方で、あたたかい涙が流れたが、
しかし、郁男はほんとうにやり直せるのだろうか?
三人の穏やかな時間はどれほど続くのだろう。
勝美が癌で、もう長くはもたないことを思うと、
郁男が美波の重荷になる日が来ませんようにと祈らずにいられない。
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