よむよま

よむ・よまない、それから。

旗印・「八重の桜」展

2013-05-07 22:30:49 | 雑記
連休最後の昨日、江戸東京博物館へ行ってきた。
「八重の桜」展の最終日。
バタバタしてて行かれなかった、やっと間に合った。



京都時代には、新選組についての展示コーナーもある。
池田屋事件のあと、容保公が大変喜ばれて、感状をくださったとか、
会津に入ってからは、近藤亡く、土方負傷中とあって、
山口二郎(斎藤一)を隊長とした名簿や、嶋田魁の日記も。

今回、ちょっと驚いたのは、泣血氈。
どこかの展示で、小片(藩士たちが切ってそれぞれ持っていたという)は見たことがあったと思うけど、
でも、今回出ていたのは、とっても大きいの。
1メートル四方か、もうちょっとあったかな。
もとはこれの4倍ぐらいあったらしい。
この大きいの、誰が持っていたんだろう。

も一つ驚いたのは、奥羽越列藩同盟の旗印というものがあったのです。
初めて見た。
いわゆる五芒星(六芒星?)を絹の白地に描いたデザインで、真四角で大きいの。
危急存亡のときでも、複数の者が集まれば、ともかく旗印を作るんだねー、人間て。
誠の旗にしろ、錦旗にしろ。



この御家訓は、題字が容保公で本文は山川大蔵が書いたもの。
白虎隊自刃の場面を描いた絵の題字も容保公が書いたという解説だったので、思い出したのは、
近藤・土方の「両雄の碑」の題字も容保公でしょう。
このときは慶喜に頼みに行ったら、ただ泣くばかりで、諾とも否とも言わなかった、
それで結局、容保公にお願いしたら書いてくださったという話だったよね。
慶喜が泣いた理由はわからないことになってるけど、
私は「逃げやがったな」と思っておるのだ。

容保公が天皇の御宸翰を入れて肌身離さず持っていたという、
朱の錦の袋もあった。

音声ガイドが草笛光子だというので、借りて聞きながら見たもんだから、
この御宸翰や泣血氈の解説や、いいところでサントラ曲も入るし、泣けて困りました。
コメント
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