オークランド通信

のんびりしたお国柄が気に入りニュージーランド在住27年。仕事、子育て、生活全版にわたって語ります。

その71 父の初盆 27-08-10

2010-08-29 02:38:46 | 第71回ー80回
その71                       27-08-10

父の初盆


20日まで父の初盆のため日本に帰ってました。

日本はとにかく暑かったです。
特にまとわりつくような暑さにはまいりました。
お盆は8月、夏と決まってるし変えようがありませんね。

一番不思議に感じたのは、この暑いのに女の人はほとんど長袖で、半そでの
人は、なんとも不格好な長い手袋してました。
日焼けを気にしてか肌を露出してないですね。
たまにショーツ、タンクトップの女性を見かけると、だいたい外国人でした。
お勤めの女の人はちゃんとストッキングはいてるし、男の人はスーツ着
てました。
エアコンの中で仕事するからあれでいいのかもしれないけど、外へでた時は
熱気でむっとします、

冬でも日中15度くらいまで上がり、夏もせいぜい28度というゆるー
いオークランドの気候に慣れてると、日本の夏はとても耐えられません。
体感温度が日本人と2-3度違うでのはないかと思いました。
体もキーウィー化してしまったようです。


こんな私ですが、父が亡くなってから喪主として葬儀、四十九日、初盆を
執り行い、日本の伝統の重さを感じてます。



昨年暮れに亡くなった私の父の初盆を、8月14日に福岡県の父の本家で
行いました。
本家は父の一番下の弟が継いでいます。

私達姉妹とその家族、父の兄弟、従兄弟達、その子供達総勢30人が集まりまし
た。
我が家ゆかりの人がこれだけ集まるのも、何十年ぶりだったと思います。
私達姉妹は、長女の私はニュージーランド、次女夫婦は千葉、三女一家は山口か
ら結集です。
前日から本家である叔父さん宅には、おじさんの子供達、孫全員が泊まっていて
とてもにぎやかでした。
盆暮れには来ているそうですが、従兄弟達も九州各地からこの日のため集まって
くれ感謝です。


準備のため初盆の前夜から、私は本家に泊まりました。
初盆には遺族がちょうちんを買うしきたりだそうで、仏壇の前に一対、玄関には
お迎え用の家紋と苗字の入ったものをおじさんが用意してくれてました。

まだ箱のはいったままだった父用の盆のちょうちんを従兄弟達と組み立てました。
5歳の従兄弟の子も、“おばちゃん、どれどうすると?”と手伝ってくれました。
祖母の分とあわせて2組のちょうちんを仏壇の両側に飾ると豪華で、盆の雰囲気
がでてきました。


子供達を寝かしつけた後、1時くらいまでビールを飲んで話してました。
この前会ったのは10年以上前で、従兄弟達がやっと成人したところでした。
今はそれぞれに家庭を持ち、いいお父さん達になってました。
ニュージーランドに住む私に興味があるらしく、いろんな質問がでました。
気候、人々の暮らしから、スノーボードのできるスキー場など若者らしい質問も
ありました。


翌日は、朝9時にお坊さんが来て法要が始まりました。
20分ほどの読経の一区切りついた時に、お坊さんにお茶とお菓子を差し上げま
した。
お茶で一服のあと、後半のお経かと思いきや、お坊さんは袈裟を脱ぎ始め、私達
は“これで終わりなの?”とちょっと驚きました。
お盆はどこの家でもお盆だし、お坊さんも忙しいらしく、短いバージョンでした。
膝が悪くて長く座れないおばさんもいるし、後ろでは子供がそわそわし始めたか
ら、逆にお経は短くてもよかったかもしれません。


お坊さんが帰られてから、線香、ろうそく、仏花を持って、全員でお寺の納骨堂
に向いました。
子供の頃、ラジオ体操をした丘の上の広場、その横の盆踊りの練習に通った公民
館のそばの道を通ってお寺で向いました。
子供の時代に、私はタイムトリップしたようです

納骨堂で、私の父、おばあちゃんを始め我が家のご先祖様にご挨拶です。
この納骨堂の建っているところは、元は菩提寺付属の幼稚園でした。
ここらへんは年寄りが死に家が朽ち果てているところもあり、子供の数がへって
います。
きっと納骨堂のほうが必要とされているのでしょう。
敷地内には、幼稚園の名残のジャングルジムがさびたまま放置されてました。
見るにあわれですが、大人の付き合いに飽きた甥の子供達はしばらく遊んでまし
た。
私とお坊さんは、この幼稚園の同級生でお遊戯会で共演したのを憶えてます。
50年近くたってこういう形で再会するとは、夢にも思いませんでした。


納骨堂から帰るとちょうどお昼時で、料亭から法事用のお弁当が届いてました。
何十年も前からそうしているように、仏間と居間のふすまを取り払い、テーブル
を4つ縦につなげてお食事用に設営します。
仏壇に近いところに年配の叔父叔母、私達姉妹が座り、玄関に近いところに子供
達のお母さんが座りました。
少しお酒がはいると、昔話やら今の仕事のことなど話が盛り上がりました。

本家は、少しの改装はしてあるもののほほ元の形をとどめています。
昔スイカを冷やした井戸はまだあるのとか、かまどはどこ、ヤギ小屋はどこだっ
たなどといとこ達と思い出をたどります。
おばあちゃんが元気だった頃は、この家で私達姉妹も夏休みでやってきた従兄弟
達とよく遊んだものでした。

こうした私達のふるさとが残っており、それを維持してくれている叔父さん夫婦
がいて、昔ながらの法事を本家で行えるのもひとつの贅沢とも言えるでしょう。


お供えの野菜、ほうずき、かぼちゃ、なす、すいか、蓮の花の形をしたラクガン
叔母さんが用意してくれてました。
お供え用の栽培されたソフトボール大のすいかがありました。
昔は食べられる大きなすいかがお供えしてあったのを思い出しました。


今回一番感激したのは、この日のためにおじさんが強力なエアコンを3台も新調
してくれていたことです。
私と妹は、真夏の法事に喪服で読経の間正座するのに、かなり覚悟を決めて来て
ました。
エアコンのおかげで、私は前夜も快適に休めたし、喪服、ストッキング履きでも
耐えられました。


法事にあたってお寺への連絡、お料理、お返しの準備、親族への連絡等、法事を
営むのは簡単なことではあありません。
私達は、初めて親が亡くなったわけですから全く法事の経験がありません。
叔父さん夫婦もおばあちゃんの時は、どうやったかねと試行錯誤でした。
お花の手配、お返しの準備等は私達姉妹でしたものの、叔父さんの全面的協力が
なければ、このような和気藹々とした法事はできなかったと思います。
79歳のおじさんから10ヶ月の赤ん坊にいたるまで、親族の交流を図れたのは、
亡くなった父のおかげでもあると思います。


次は12月4日、父の一周忌に帰ります。
昨年からこの一年の間に、4回日本に行くことになるとは思ってもみませんでし
た。次回は夫とふたりででかけるつもりです。
外国人の夫が、日本の法事にどのように反応するか楽しみです。


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