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MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『婚期』

2014-12-20 00:30:47 | goo映画レビュー

原題:『婚期』
監督:吉村公三郎
脚本:水木洋子
撮影:宮川一夫
出演:若尾文子/野添ひとみ/京マチ子/船越英二/三木裕子/高峰三枝子/北林谷栄
1961年/日本

婚期を巡る笑いの「温度差」について

 本作は吉村公三郎監督の傑作といっても過言ではないと思うが、例えば、野添ひとみが演じる唐沢鳩子が「もう」24、5歳になろうとしているのだから結婚を考えろと急かされたり、若尾文子が演じる唐沢波子が「既に」29歳の「オールドミス」で婚期を逃しているというような扱いで、今から観るならば明らかに10歳はズレており、それは今観るから面白いと思える視点であり、当時、同世代の女性が笑えたのかどうかはよく分からない。因みに、当時、野添ひとみは23歳で既に川口浩と結婚しており、若尾文子は27歳で未婚である。妻の静を演じている京マチ子が36歳なのは妥当だとしても、驚くべきことにお手伝いの「婆や」を演じる北林谷栄は当時まだ49歳である。さすがに北林は役作りをした上でおそらく60歳代の女性を演じていると思うが、逆にその「婆や」の、唐沢家住人たちの扱い方が酷くて今となっては笑えない。「ハゲネタ」は当時も今も笑えない人は必ずいるだろう。
 因みに主人公の
唐沢卓夫が寝室で読んでいる本は翻訳されたばかりのベン・ヘクト(Ben Hecht)の『情事の人びと(The Sensualists)』(新庄哲夫訳 1960年)であるが、今は読まれていないようである。


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『ゴーン・ガール』

2014-12-19 00:04:27 | goo映画レビュー

原題:『Gone Girl』
監督:デヴィッド・フィンチャー
脚本:ギリアン・フリン
撮影:ジェフ・クローネンウェス
出演:ベン・アフレック/ロザムンド・パイク/ニール・パトリック・ハリス
2014年/アメリカ

 夫婦の強い絆という「悪夢」について

 主人公のニック・ダンを演じているベン・アフレックの演技が素晴らしい。妻のエイミー・エリオット・ダンが突如として行方不明になり、情報提供を求める記者会見を行った際に、離婚を言いだそうとしていた矢先の事件だったために、複雑な気持ちを抱えているニックは表情を暗く見せているのであるが、時折見せてしまうほんの2度だけの満面の笑みがマスコミで取り上げられて却って顰蹙を買ってしまう。
 そもそも最初に声をかけたのはニックの方だったために、文句は言えない立場ではあったとしても、エイミーは彼女の両親が創り出した「完璧なエイミー(Amazing Amy)」という子供向け絵本のイメージキャラクターの元となった女性で、いつの間にかエイミーは両親の期待に応えようと自らを「完璧なエイミー」に近づける努力をしていたのであるが、それはあくまでも「世間体」の良さを目指したものであり、ニックは彼女が心に抱く理想に切磋琢磨しながら自分を合わせることに疲れ切っており、その疲れ切った感じのベン・アフレックの演技が秀逸なのである。
 イギリスのロックバンドのザ・サイケデリック・ファーズのリチャード・バトラーが歌う「忘れじの面影(She)」のカバー版を特報予告に用いていることにもセンスを感じる。言うまでもなく「忘れじの面影」は『ノッティングヒルの恋人』(ロジャー・ミッシェル監督 1999年)のメインテーマとして有名であり、主人公を演じたヒュー・グラントとジュリア・ロバーツのような理想のカップルをイメージするからで、結果的にニックとエイミーが遥かに「理想を超えた」カップルになるという皮肉が効くのである。
 ネタバレは避けようと思うが、タイトルの「ゴーン・ガール」の「ゴーン(gone)」の意味はここでは「いなくなった」という意味と共に「狂った」という意味も含まれていると思う。


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『黄金の七人』『続・黄金の七人 レインボー作戦』

2014-12-18 00:27:09 | goo映画レビュー

原題:『Sette uomini d'oro』 英題:『Seven Golden Men』
監督:マルコ・ヴィカリオ
脚本:マルコ・ヴィカリオ
撮影:エンニオ・グァルニエリ
出演:ロッサナ・ポデスタ/フィリップ・ルロワ/ガストーネ・モスキン/モーリス・ポリ
1965年/イタリア

原題:『Il grande colpo dei sette uomini d'oro』 英題:『Seven Golden Men Strike Again』
監督:マルコ・ヴィカリオ
脚本:マルコ・ヴィカリオ
撮影:エンニオ・グァルニエリ
出演:マヌエル・サルツォ/ガブリエレ・ティンティ/ジャンピエロ・アルベルティーニ
1966年/イタリア

冒頭とラストのシーンが同一である意味について

 『黄金の七人』はあの『ルパン三世』に影響を与えたと言われているが、『黄金の七人』自体が『トプカピ(Topkapi)』(ジュールズ・ダッシン監督 1964年)から影響を受けたものである。
 ところで下の写真を比較しながら見て欲しい。

 むかって左側の写真が『黄金の七人』の冒頭のシーンで、右側の写真が『続・黄金の七人 レインボー作戦』のラストのシーンである。こうして見ると舞台となるスイスの銀行周辺のみならず、アングルまで同じで、つまりこの二作品は最初から同時に撮られていたことになる。だから本来、この二作品は一つの作品として観られるべきで、散々苦労しながら黄金を奪おうとして失敗したにも関わらず、反省することなしに再び同じやり方を繰り返す窃盗団の滑稽さが醍醐味なのである。そして仲間が増えていく過程はやがてスティーブン・ソダーバーグ監督の『オーシャンズ』シリーズへと引き継がれていくことになる。


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『6才のボクが、大人になるまで』

2014-12-17 00:17:34 | goo映画レビュー

原題:『Boyhood』
監督:リチャード・リンクレイター
脚本:リチャード・リンクレイター
撮影:リー・ダニエル/シェーン・ケリー
出演:イーサン・ホーク/パトリシア・アークエット/エラー・コルトレーン
2014年/アメリカ

3時間近くの上映時間を飽きさせない豊富なネタについて

 主人公のメイソン・エヴァンス・Jrの両親はいわゆる「できちゃった結婚」で、母親のオリヴィアは息子が6歳になった頃に夫のメイソン・エヴァンス・シニアと別れてテキサスにあるヒューストン大学に入り直して心理学を勉強する。やがてオリヴィアは大学で教えることになるのであるが、彼女が教えているのはバラス・スキナー(Burrhus Skinner)という、行動分析学の創始者として知られるアメリカの心理学者で、それは自らの若気に至りによる反省があったのかどうかは分からない。しかし彼女の家の配管を修理していた英語の不自由な男性に、頭がいいから大学に行きなさいと勧め、後に彼が働いているレストランに偶然訪れ、彼女のアドバイスで英語を勉強するために短大を卒業してキャリアを築けたことに感謝していると言われ、それは心理学者としての目利きだとは思うが、そんな彼女がDV常習者のビル・ウェルブロック教授と再婚してしまうのだからなかなか上手くいかないものである。確かに「勉強」にはなったが。
 メイソンの父親がウィルコ(Wilco)の「Hate It Here」を聴きながら、ビートルズのアルバム『アビー・ロード(Abbey Road)』(1969年)と並び称されるものだと言うのだが、おそらく正確には「Hate It Here」が収録されている『Sky Blue Sky』(2007年)を指しているのだろう。ビートルズネタはもう一つあって、父親がビートルズ解散後のソロの曲を集めた『ブラック・アルバム(The Black Album)』を編集しており(これはもちろん1968年にリリースされた通称「ホワイト・アルバム」として知られる『ザ・ビートルズ(The Beatles)』のパロディー)、DISC2のポール・マッカートニーの「バンド・オン・ザ・ラン(Band on the Run)」、ジョージ・ハリスンの「マイ・スイート・ロード(My Sweet Lord)」、ジョン・レノンの「ジェラス・ガイ(Jealous Guy)」、リンゴ・スターの「想い出のフォトグラフ(Photograph)」という並びを息子に勧める。どちらも悪くはないと思う。
 12年かけた演出の特異さが何かと称賛されるが、例えば、メイソン・エヴァンス・Jrが読んでいる本を訊かれてカート・ヴォネガット(Kurt Vonnegut)の『チャンピオンたちの朝食(Breakfast of Champions, or Goodbye, Blue Monday)』(1973年)を挙げたり、メイソンが「The moment is always right now」とニコルに語るラストシーンは、エリック・ロメール( Éric Rohmer)監督の『緑の光線(Le Rayon Vert)』(1986年)を想起させるなど、やはり根底には監督のセンスの良さがあってこそなのである。


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『想いのこし』

2014-12-16 00:08:50 | goo映画レビュー

原題:『想いのこし』
監督:平川雄一朗
脚本:岡本貴也/HARU
撮影:葛西幸祐
出演:岡田将生/広末涼子/木南晴夏/松井愛莉/鹿賀丈史
2014年/日本

三カ月の猛特訓が報われないストーリー展開について 

 平川雄一朗監督の前作『ツナグ』(2012年)と比較するならば、再び幽霊譚である本作が良くなっている理由は脚本を他人に任せたからかもしれない。
 当初は2000万円や600万円などの金銭目的でルカの結婚の「仲介」や、高校野球部のマネージャだったケイの憧れの先輩への手紙の「代筆」や、元消防士だったジョニーが最先端の情報システムを備えた消防署に、もはや何の役にも立たない手作りの報告書を万が一に備えて送り届ける役割を代わりに果たしている内に、主人公で29歳のダフ屋のガジロウが無償で他人のために尽くせる気持ちよさを知り、自らポールダンスを習得することでユウコの10歳の一人息子の幸太郎に見せるというストーリー展開はビルドゥングスロマンとしても悪くはないのであるが、それでもどうしても理解できないことは幸太郎がポールダンサーをストリッパーと勘違いしていることで、当然のことながらユウコが自ら一度くらい幸太郎を店に呼んで自分が働いているところを既に見せているはずだからである。


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『トワイライト ささらさや』

2014-12-15 00:06:12 | goo映画レビュー

原題:『トワイライト ささらさや』
監督:深川栄洋
脚本:深川栄洋/山室有紀子
撮影:安田光
出演:新垣結衣/大泉洋/中村蒼/福島リラ/富司純子/石橋凌/波乃久里子/藤田弓子
2014年/日本

一生懸命する意味について

 主人公のユウタロウの職業が落語家に変更されている理由は、物語の舞台となる佐々良の俯瞰がジオラマに見えるように、本作そのものがユウタロウが語る「噺」のように見せるためであろう。だから本作はユウタロウの妻のサヤの成長物語というよりも、妻と生まれたばかりの息子のユウスケを置いて亡くなってしまった自身の葛藤の物語となっている。それでは結果的に自分を捨てて家を出て行った父親と同じ身振りを演じてしまうことになるからである。
 ユウタロウを演じた大泉洋の演技は相変わらず素晴らしいが、中村蒼や小松政夫はともかく、「大泉洋」を演じるはめになってしまった富司純子と寺田心の熱演は評価されてしかるべきであろう。
 サヤが他の誰も笑っていないユウタロウの噺を「一生懸命にやっていたから」可笑しかったと語り、クライマックスにおいてユウタロウと父親の悲惨な「走馬灯」を同じように笑いながら見つめているサヤに、ユウタロウが何がおかしいのか訊ねた時、「一生懸命にやっていたから」と答えるサヤにユウタロウは返す言葉がなかった。実際に、富司純子と寺田心の熱演を観て私たちは笑わずにいられなかったのだから。
 「噺」が終わり深々と頭を下げたユウタロウの背後から光る「トワイライト」はフィルムが流れ終わった後のスクリーンのように見える。


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「好きにならずにいられない」

2014-12-14 00:07:29 | 洋楽歌詞和訳

Elvis Presley - I Cant Help Falling In Love With You

 英文科の修士課程を修了するときの英文学部門で、名作からの引用文がいくつか

出題された中に、「Fools rush in where angels fear to tread (天使も踏むを

恐れるところに愚者は飛び込んでいく)」という一文があったそうである。

(『教養の力 東大駒場で学ぶこと』 斎藤兆史著 集英社新書 2013.4.22 p.166)

模範解答は「アレグザンダー・ボウブ(1688-1744)の『批評論(An Essay on Criticism,

1711年)』のなかに現れる言葉で、いまでは諺として定着しています。where 以下は

フォースターの小説の題名としても使われています」となる。アレグザンダー・ボウブ

(アレキサンダー・ポープ Alexander Pope)とはイギリスの詩人で、フォースター

はイギリスの小説家のE・M・フォースター(E・M・Forster)のことで作品は

『天使も踏むを恐れるところ(Where Angels Fear to Tread)』(1905年)である。

以上のことを私は全く知らなかったのであるが、残りの「Fools rush in」は

エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)の1961年のシングル「好きにならずにいられない

(Can't Help Falling In Love) 」の最初のフレーズ「Wise men say only fools rush in

(賢者が言う 愚者に限ってあわてて行動すると)」に引用されている事は知っていたから、

どうして「rush in」という言葉が使われているのか不思議に思っていたがこれで謎が解けた。


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市川寛子の毛髪について

2014-12-13 19:35:23 | Weblog

テレ朝女子アナが舌鼓! 「サラダをたくさん食べたい女性」におすすめのカフェ(テレビに出たお店ニュース) - goo ニュース

 好きな女子アナ・嫌いな女子アナという話題の中に、テレビ朝日アナウンサーの市川寛子

が挙がることはないと思うが、個人的には好きな女子アナウンサーの一人で、一番気に

なっていることは、例えば、彼女がメインキャスターを務める『スーパーJチャンネル』の

冒頭で挨拶をして顔を上げる時に、髪の質のせいなのか、よく口や目に髪がかかって

しまっていた。そのことをいつも気にしながらオープニングを見ていたのであるが、

今日は頭を上げる時に、微妙に頭を振って口や目に髪がかからないように予防していた。

もう心配する必要がなくなったのである。


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「学生街の喫茶店」について

2014-12-13 00:46:41 | 邦楽

Hold Your Head Up-Argent-1972-(Long Version)

「学生街の喫茶店」ガロ堀内護さん死去(日刊スポーツ) - goo ニュース

 日本のロックバンド「はっぴいえんど」の功績については、「四畳半フォーク」のような

内省的な歌詞とロックのリズムを組み合わせたことにあったと既に書いたが、ガロの

1972年に発表された「学生街の喫茶店」に関しても、その内省的な歌詞ばかりではなく、

アレンジにも気にかけてみるならば、イギリスのロックバンド「アージェント(Argent)」の

1972年のヒット曲「ホールド・ユア・ヘッド・アップ(Hold Your Head Up)」から

インスピレーションを得ていることは間違いない。アージェントはプログレッシブロックと

見なされており、「学生街の喫茶店」の、特に間奏部分はそういう意味でも革新的な曲

だったのであるが、残念なことに「はっぴいえんど」のメンバーと違って、ガロの

メンバーにそれほどの才能がなかったために却って音楽上のキャリアのバランスを崩して

しまい、間もなくして解散してしまった。ちなみに編曲は大野克夫であるが、ベースに

細野晴臣が参加しているようである。

KAR721 学生街の喫茶店 大野真澄 (1972)160527 vL HD


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『晴れ、ときどき殺人』

2014-12-12 00:04:02 | goo映画レビュー

原題:『晴れ、ときどき殺人』
監督:井筒和幸
脚本:丸山昇一
撮影:浜田毅
出演:渡辺典子/太川陽介/松任谷正隆/神田隆/清水昭博/前田武彦/伊武雅刀
1984年/日本

「飛翔」を巡るアイドル映画について

 美空ひばり、江利チエミと雪村いづみの「三人娘」や森昌子、桜田淳子と山口百恵の「花の中三トリオ」には共演の作品があったが、不運にも薬師丸ひろ子、原田知世と渡辺典子の「角川三人娘」には共演作がない。渡辺典子にとって主演2作目の本作はまだ演技に硬さが見受けられるのであるが、やがてアイドルから本格的な女優へ至るうちに彼女の演技はナチュラルになる。しかしそれはあくまでも「女優」として一流になったということであり、『超能力研究部の3人』(山下敦弘監督 2014年)において秋元真夏、生田絵梨花と橋本奈々未が見せるアイドルとしての「ナチュラルな演技」とは似て非なるものであるということは既に書いた通りである。
 渡辺の硬さは演技だけではなく、レオタードを身に着けたダンスシーンにおいても見受けられるのであるが、それはあくまでも『フラッシュダンス』(エイドリアン・ライン監督 1983年)のパロディーであり、井森美幸の真似ではないことは渡辺の女優としての名誉のためにもはっきりさせておきたい。だからといって本作がいわゆるアイドル映画かといえば、必ずしもそうではない。
 主人公の北里可奈子の母親である浪子に脅迫電話をしたと誤解されて逮捕された青年が、取調室の窓を割って飛び出して転落死した辺りから本作は北里家の一軒家を舞台にした密室劇と化す。とりあえず飛び出すことを「飛翔」として見るならば、その後、北里家を訪ねてきた多田三津男刑事の執拗なくしゃみが「飛翔」し、台所では秘書の水原信吾と家政婦の石田マリ子の吹き出しあう紅茶が「飛翔」し、興信所員の岩下公一が殺された後に、可奈子が「今夜はもう遅いのでこのままお引き取りになってください」と言ったことに対して、水原信吾が帰ろうとして、円谷等志に「勝手な行動は許さん」と言われると、信吾は口にしていたものを吐き出し、それにつられて円谷正彦も飲み物を吐き出すという「飛翔」を見せる。そしてラストは上村裕三が作成した、『E.T.』(スティーヴン・スピルバーグ監督 1982年)ばりの空飛ぶ自転車で可奈子と共に「飛翔」して再び「密室」から脱出し、この一連の「飛翔」を巡る演出が冴えを見せ、ただのアイドル映画にしていないのであるが、皮肉なことに凝った演出を施した『超能力研究部の3人』がアイドルそのものを見せることになり、物語に沿って正当に演出された『晴れ、ときどき殺人』が結果的にアイドルの存在を無視することになってしまっているところが興味深い。


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