MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『教師 女鹿』

2014-12-27 23:23:39 | goo映画レビュー

原題:『教師 女鹿』
監督:曾根中生
脚本:桂千穂
撮影:水野尾信正
出演:栄ひとみ/大塚国夫/高木均/佐藤のぼる/羽田典夫/結城マミ/志麻いづみ/三谷昇
1978年/日本

良い脚本をわざわざ削り過ぎる意図について

 脚本が良すぎて却って観客に理解されなかった不幸な作品として『ザ・メキシカン』(ゴア・ヴァービンスキー監督 2001年)を挙げたのだが、脚本が良ければまだ「再発見」される可能性があるだけ良い方で、例えば、劇場に貼られていたパンフレットのあらすじを読む限りでは良かったのに、実際に映像化された後、その良さが跡形もなく消え去ってしまっていた本作は悲惨である。
 例えば、冒頭で女子高生の早川ルミが白汀高校の中村茂、山本徹、水谷敏夫に車で連れ去られて人気の無い草むらで強姦されようとした時に、現場にいた主人公で、翌日から白汀高校に生物の非常勤講師として赴任する事になっていた女鹿冴子がルミを助けることもせず、ただ傍観しているのであるが、冴子は最後までその理由を明かすことはない。実は、冴子の父親は白汀高校の創立者の柏木牟礼に金を奪われた上に殺されてコンテナに入れられて海中に沈められており、冴子は父親の復讐を遂げるために高校のスキャンダルを収集していたのである。男性カメラマンと浅野姫子と一緒に冴子が3Pに挑んだ理由も姫子が教師の傍ら売春をしている証拠を得るためなのだが、父親の復讐というテーマが明確にならず、ストーリーが掴めないのである。ラストシーンも同様で、海岸で行きずりの男と草むらで性的関係を持つ理由は、牟礼を追い詰めて持病の癲癇を悪化させ死に追いやり父親の復讐を果たした後に、復讐を果たした自分の「人間性」を確かめるためなのであるが、説明が無いために最後まで頭のおかしな女性としか見えない。
 曾根中生監督は前年にあの坂口安吾原作の難解な『不連続殺人事件』(1977年)を映像化した実績を買われて、今回も川崎三枝子劇画、沼礼一原作の難解な『教師女鹿』の実写化を託されたのだと思うが、予算不足だったのかロマンポルノ作品に2時間を超えるような作品が認められなかったのか、オリジナルの脚本がだんだんと削られてしまった結果、残念な仕上がりになっているのだと思う。
 ところで気になるのは主人公の女鹿冴子を演じた栄ひとみの風貌で、奇しくも同じタイトルの『女鹿』(クロード・シャブロル監督 1968年)の主演の一人を演じたステファーヌ・オードラン(Stéphane Audran)とそっくりなのは偶然だったのだろうか? そうなると曾根中生、クロード・シャブロル両監督作品の物語の「壊れ方」も似ているような気がしてくる。


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