MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『ザ・メキシカン』

2014-12-26 00:05:55 | goo映画レビュー

原題:『The Mexican』
監督:ゴア・ヴァービンスキー
脚本:J・H・ワイマン
撮影:ダリウス・ウォルスキー
出演:ブラッド・ピット/ジュリア・ロバーツ/ジェームズ・ガンドルフィーニ
2001年/アメリカ・メキシコ

女性の強さと「男性」の弱さによる「伝説」の不可能性について

 脚本が上手すぎて不幸にもその良さが理解されていない作品というものがある。本作もその一つだと思う理由を考えてみたい。
 最初にストーリーの中心となっている鉱山で発見された「伝説の拳銃」の話を簡潔に要約してみる。昔、銃職人が自分の娘が貴族の家に嫁ぐことになり、相手になる子息に献上するために最高に美しい銃を作った。その子息は軍人だったのであるが、残忍で邪悪な男だった。一方、娘には想いを馳せる人がいて、それは父親の下で修業している助手だった。
 貴族たちが娘を迎えに来た時、銃職人がその銃を男に献上すると、男は試し撃ちをしようとしたのであるが、2回試して2回とも弾が出なかった。その時、娘の挙動から、娘が助手のことを愛しており、自分がバカにされていると怒りを感じた男が助手に拳銃を向けると、娘が献上した銃を拾い、その男に銃口を向けた。もしも引き金を引けば彼女が殺されてしまうと思った助手は娘に運命を受け入れるように懇願する。男は娘が持っている銃は弾が出ないと分かっているから、容赦なく助手を銃殺してしまう。銃殺された助手を見て、娘は銃口を自分の頭に当てて引き金を引くと何故か弾が出て娘も死んでしまうのである。
 同じようなシーンがクライマックスで繰り返される。主人公のジェリー・ウェルバックを「伝説の拳銃」を手に入れるためにメキシコに送ったギャングの副司令官のバーニー・ネイマンがジェリーたちに囲まれている中で車のトランクから拉致したサマンサ・バーゼルを出そうとすると、サマンサはそのトランクに隠してあった「伝説の拳銃」を手にしており、銃口をネイマンに向けた。それを見たジェリーがサマンサに止めるように懇願するまでのシチュエーションは「伝説の拳銃」の話と符合する。
 ここでサマンサはネイマンにある質問をする。「セックスと旅行は好き?(Do you like sex and travel?)」。この質問はネイマンがジェリーをメキシコに送る際に、ネイマンが発した質問と同じである。ジェリーが答えに窮していたにも関わらずネイマンはジュリーをメキシコに送ったのである。ところでネイマンはサマンサに対して、「好きだとも」と字幕では訳しており、正確には「実を言うと好きだったんだ。(As a matter of fact, I did.)」と答えているのだが、サマンサは「間違った答えよ(Wrong answer)」としてネイマンを銃殺してしまうのである。「好き」という答えはジュリーがメキシコに送られる要因になるからである。
 さて、本作が何を言いたいのか勘案するならば、2つの伏線を考慮するべきであろう。一つは「伝説の拳銃」の伝説が不確かでいくつかのヴァージョンが存在することと、二つ目はジェリーとサマンサがセラピーを受けていたという事実である。実際に、ラストでジュリーがサマンサに「伝説の拳銃」の話を語ろうとすると、「高貴な人(noble man)」と「貴族(noble)」の微妙な違いにサマンサがこだわって話がなかなか前に進まない。要するに現代においては女性が強くなったことと「ゲイ」の存在(リロイのセクシャリティとアイデンティティ自体が不確かだったのであるが)による「伝説」の不可能性が描かれているのである。


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