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北海道の樹を訪ねて34  京極開拓記念樹その2

前回記事との間に間奏(=インターメッツォ)が2つも入ってしまいましたが、京極町の開拓記念樹です。

この樹はハルニレで、樹高は26メートル。樹齢は約300年といわれています。
京極町の市街地中心部。
町役場からほどない公園化された広場と小さな林の中に、この樹は立っています。

昨年遅く、その時は車で訪問したのですが、他のきのことりか何かのお客さんもいて、何かと落ち着かなく、十分に出会えなかった気がして、記事にすることができなかったのでした。
今日はGPZで、再訪です。

樹は道から50mくらい奥にあり、他の木々も繁っているので、一本がすっとそびえている感じではありません。
しかし、やはり高い樹です。
そして遠くから見ると高さに目が行くのですが、その幹の太さもやはり尋常ではありません。


周りに柵はなく、これは北海道の記念保護樹ではないので、その看板もありません。
根方に倒れたと思われる木の表柱が立てかけてありました。
私の影と比べても幹の太さが想像できるのではないでしょうか。

大きく太い樹は幾本か見てきましたが、その中でも若い樹は、やはり若々しく、幹の太さやゴツゴツした凹凸は歳を経てきた木々にはさすがに及びません。
この樹は樹齢300年といわれ、ハルニレの中ではすでに長寿の部類に入ると思われます。
若々しい枝振りと、がっちりした幹の大地への踏みしめが両方感じられる、壮年期の姿といえるでしょうか。


京極町は、明治30年(1897年)に、この地に京極高徳が農場を開いたのが始まりとされ、約60戸が明治34年までに入植したと言われています。

当時の農場は農場の地主が農地、作物を所有し、小作人は自分達の所有権を持たずに農作業に従事していました。
つまり、当時の貴族なり、資産家なりが財力で土地を所有して領民に耕作させるという、そんな感じに近い農村のあり方だったのです。
実際に耕作している人たちに所有権を「開放し」、自己経営できるようになるためには、昭和を待たねばなりませんでした。
最終的に第2次大戦敗戦後の農地改革により、地主と小作人という構図は全国的に消滅するのですが、それまではその土地土地で紆余曲折があったのでした。

このあたりも冬季は豪雪地帯であり、かつ冷え込みは厳しく、羊蹄山の麓に広がる原生林を伐採して農地化していくという方法で開拓されたようです。
とにかく森を守ろうとする昨今の風潮からすると、隔世の感があります。
冬の厳しさ、そこで暮らす人たちの暮らしぶりには、多くの話が伝わっています。
苦労の多い生活でした。
それに耐え、乗り越えて、今日の街を人々はつくってきたのです。


この樹は樹齢300年ですから、和人(わじん)の開拓前からこの土地に立ち、季節や動植物たちや、自然と調和した先住民族=アイヌの人たちの暮らしぶりを見てきたことでしょう。

京極町開拓から約110年。開祖100年を記念したこの公園には、未来に向けた子ども達のタイムカプセルも埋められているようです。

300年前と今と、このあたりの風景も大きく変わったことでしょう。
気温にしても、この100年で地球全体で1度、上昇したといわれています。

長くここに立つ樹。
和人がやってくる200年も前からここに立つ樹。
それを「開拓記念樹」と名づけるのは、やはり「開拓」も厳しく、また周りの木々を伐り、畑作をし、市街地を作る中で、この樹には何か伐りがたいものがあったからなのでしょうか。

先人の苦労をしのび、と同時に、この北の大地に和人が明治期と同時に急速に入り込み、瞬く間に樹を切り倒し、山を掘り、ニシンを獲り、この大地の姿を急速に変えてしまったことにも、思いを馳せずにはいられません。

いや、こんな思いあがった感想は、単にふらっとその地を訪ねただけの観光客である私のような人間には、誰も持って欲しくないかもしれませんね。

現に私は平成になってから単に憧れで北海道に引っ越して来た人間で、開拓の苦労など何も知らず、電気や石油などのおかげで冬も快適な家に住み、おまけに用もないのに大型バイクに乗ってただこの樹を見に来ただけなのです。

大きな立派なハルニレの樹。
秋の午後の陽射しを受けたその幹は手で触れると暖かく、陽だまりの匂いさえ、してくるようなのでした。

 「開拓」の 名を負い 立つや ニレ大樹

  暖かき 陽だまりの樹よ 時を越え
                                     和人
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (ぶるーあい)
2008-09-17 07:05:19
一つ一つの木々にその歴史があるのですね。
一人の人間が、その過去に想いを巡らそうとも、それは何も変わるものではないかもしれませんが、みんながそういうふうに、想えばきっと未来は違う結果になるのは間違いのないことではないでしょうか。
 
 
 
歴史と未来と (樹生和人)
2008-09-17 20:30:08
ぶるーあいさん、こんにちは。
ありがとうございます。

一つ一つの木に歴史があり、一つ一つの街に歴史があり、そしてその歴史は、見る角度によって全く違う意味となる…。
元々先住民族が暮らしていた大地に近代国家日本によって一方的に日本にされ、各地から入植者が来て開拓した北海道では、その歴史は誰の立場で語るかによって全く違った物語となります。
どの人の現在も否定せず、しかし、過去は曲げずに真実を多角的に見詰め、みんなにとってよりよい未来を考えていく…。
国内でも、国際社会でも、世界は今そうした姿勢が本当にとれるかどうかを問われているように思います。

ぶるーあいさんがおっしゃるように、みんなが、過去に目をつぶらずに想いを馳せ、そして未来を考えていけば、未来はきっといいほうに進んでいけると思います。私たちはそのために、命のリレーをしているのだと、(ちょっとまじめに)私は考えています…。
 
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