傾かない天秤(19)
友人の恋人。兄弟の恋人。両親の新たな配偶者、子どもが我が家に連れてくるはじめての恋人。
そこに脚本家の技術と無尽蔵な想像力をまぶせば一本のハリウッド映画になる。世界はわだかまりと信頼の狭間で暮らすようになっている。
好意をもっていた相手が、耐えられない存在になり、不快な仕草を発するものと認識するところにまできてしまう。その差や、経過した変化を分析したくも、きちんとした解答はない。ひとは飽きるものだし、また反対に安全に保護された状態で、すっぽりと包まれているのも好むものである。
さゆりとみゆきは四人で会っている。遠いむかし、ふたりはひとりの青年に好意を向けた。あれから十年近く経ち、それぞれの好みも変わる。取捨選択をする。打算から発生するのでもなく。この部分は必須で譲れない。ここは、まあまあ妥協しよう。その駆け引きと兼ね合いを入れても、最終的には恋心というハリケーンに襲われたら解決は簡単だった。いつか、急激に気圧を下げたとしても、あとの祭りである。
優越感があり、劣等感があるのが人間だった。友人通しでも、いや、友人通しだから多少、見え隠れする。容姿と懐具合と会社名と実家の実力とか、いろいろな長短を対面しながら点検する。男性ふたりはなかなか打ち解けないが、大まかにでも一致できる共通の趣味をさがしている。さゆりの恋人は加点方式を取り、みゆきの彼はフラットな立場を維持しながらも、減点方式を採用している。
そのままの隙間がありながら四人は公園を歩いている。間もなく、ひとつのボールを彼らは投げ合った。身体というのは正直な器官である。そうすることによって、彼らの壁はくずれつつある。そもそも、最初から憎もうとしているわけでもないのだ。効果的なとっかかりさえあれば成功する。
四人で食事をする。好みも違う。愛するふたりでも違うものは違う。その差異を大げさにすることもできるし、埋め合わせることも可能だ。
わたしも離乳食をすませ、当初は小さな乳歯にせよ、きちんと自分の歯で咀嚼する時期になるのだろう。いったい、どんなものを好むのだろうか。クスクス。ラザニア。サボテンのステーキ。蜂の卵。
「極端すぎますよ」
「普通って、なんだろう?」
「デリバリーのピザ」
「市民権」
そして、わたしも労働者になる。どんな仕事に着き、どんな技能を身につけるのだろう。おしゃべりが過ぎると呼ばれる男性なのか。無口なデパートの受付の女性になるのか。美は、どの程度あった方がよいのか? 生命と生活は疑問だらけでもある。
四人はふたりの二組になった。もっとも簡単な割り算である。誰かがゼロを発見する、なくて、あるもの。あっても、ないもの。わたしの頭は混乱する。賢い父や母が必要である。
「あっちに行ったら、どうしたいですか?」
「だって、記憶もないんだよ。返答に窮するよ」
「ま、そういわずに。モットーみたいなものがあるはずでしょう? 生きる指針とか……」
「無事之名馬。ブジコレメイバ」
「ブフッ」新たな観察者は急にむせた。「若いときは、もっとがむしゃらな方が頑張れると思いますよ」
「そうだろうな」
ふたり同士は、夜の仕上げをする。睡眠時間を削ってまで。それも若者の仕事なのだ。出生率が低下すれば、わたしの降下の順番も遅れてしまう。今朝、ついに辞令がでたのだ。愚かで、賢い人類の一員として調査生活をする。パスポートに似たものを与えられる。入国のハンコはまだない。我輩はひとである。変な名前を付けられても拒否できない。
「でも、どこなんですかね? 場所」
「アラスカはやだな」
「妊婦の分布図でも出してみます?」担当者はデータを探す。「前年度の統計ですけど」
「ふむふむ」わたしはしばし眺める。「アジアは一部をのぞき、減少しているんだね」
「対策もやっているんでしょうがね」
「でも、今年のこれからだからね。最中」
「ま、そうですね」最中が終わり、モニターが起動する。「まさに真っ只中」
「しかし、わたしを観察する者もでてくるわけだよね。ここのどこかに」
「当然」
「誰なんだろう?」
「収賄は厳重に禁止されてますよ」担当者は突然、まじめな顔になった。「そろそろ、勤務も終わり。明日、最後ですよね。いろいろありがとうございました。簡単に打ち上げでもします?」
「それもいいね。チェーン店にでも予約しておいて」ふたりは笑う。
人間界にはあっても、ここにはない。憂さを晴らしたり、上司の悪口をいう機会もない。絶対的な君主もいない。酔うということ自体が分からなかった。今後、二十年以上経てば、その気持ちも、そして翌日の不快感も、さらには無鉄砲や八方破れになることも分かるようになるのだ。
わたしは部屋にいる。わたしはささやかなコレクションを手放す。わたしは見返りにもらえるものなど一切ない。すべてを放棄してこそ、地上に降りられるのだ。身軽でなければ困る。一財産を抱え込んだ赤ん坊など、どこにもいないのだ。
意識の生物が、肉体を備えて重力の世界に飛び込む。歩く、走る、抱く、叩く、という肉体の機能をつかった運動もできる。年齢という有限のものの奴隷となる。最後には、歩くこともままならなくなって帰ってくるだろう。宇宙旅行から帰還する飛行士のように関節も筋肉も衰えてしまう。だが、希望はずっと大きい。見るという受動的なことから、自発的に動くという能動的な世界の住人になる。使い古された表現で例えれば、失うものはなにもなかった。わたしは最後の夜を迎える。遠足の前日の子どもたちは、もしかしたらこんな浮かれた気持ちだったのかもしれない。てるてる坊主ぐらいは軒下に吊るしておくことにするか。
友人の恋人。兄弟の恋人。両親の新たな配偶者、子どもが我が家に連れてくるはじめての恋人。
そこに脚本家の技術と無尽蔵な想像力をまぶせば一本のハリウッド映画になる。世界はわだかまりと信頼の狭間で暮らすようになっている。
好意をもっていた相手が、耐えられない存在になり、不快な仕草を発するものと認識するところにまできてしまう。その差や、経過した変化を分析したくも、きちんとした解答はない。ひとは飽きるものだし、また反対に安全に保護された状態で、すっぽりと包まれているのも好むものである。
さゆりとみゆきは四人で会っている。遠いむかし、ふたりはひとりの青年に好意を向けた。あれから十年近く経ち、それぞれの好みも変わる。取捨選択をする。打算から発生するのでもなく。この部分は必須で譲れない。ここは、まあまあ妥協しよう。その駆け引きと兼ね合いを入れても、最終的には恋心というハリケーンに襲われたら解決は簡単だった。いつか、急激に気圧を下げたとしても、あとの祭りである。
優越感があり、劣等感があるのが人間だった。友人通しでも、いや、友人通しだから多少、見え隠れする。容姿と懐具合と会社名と実家の実力とか、いろいろな長短を対面しながら点検する。男性ふたりはなかなか打ち解けないが、大まかにでも一致できる共通の趣味をさがしている。さゆりの恋人は加点方式を取り、みゆきの彼はフラットな立場を維持しながらも、減点方式を採用している。
そのままの隙間がありながら四人は公園を歩いている。間もなく、ひとつのボールを彼らは投げ合った。身体というのは正直な器官である。そうすることによって、彼らの壁はくずれつつある。そもそも、最初から憎もうとしているわけでもないのだ。効果的なとっかかりさえあれば成功する。
四人で食事をする。好みも違う。愛するふたりでも違うものは違う。その差異を大げさにすることもできるし、埋め合わせることも可能だ。
わたしも離乳食をすませ、当初は小さな乳歯にせよ、きちんと自分の歯で咀嚼する時期になるのだろう。いったい、どんなものを好むのだろうか。クスクス。ラザニア。サボテンのステーキ。蜂の卵。
「極端すぎますよ」
「普通って、なんだろう?」
「デリバリーのピザ」
「市民権」
そして、わたしも労働者になる。どんな仕事に着き、どんな技能を身につけるのだろう。おしゃべりが過ぎると呼ばれる男性なのか。無口なデパートの受付の女性になるのか。美は、どの程度あった方がよいのか? 生命と生活は疑問だらけでもある。
四人はふたりの二組になった。もっとも簡単な割り算である。誰かがゼロを発見する、なくて、あるもの。あっても、ないもの。わたしの頭は混乱する。賢い父や母が必要である。
「あっちに行ったら、どうしたいですか?」
「だって、記憶もないんだよ。返答に窮するよ」
「ま、そういわずに。モットーみたいなものがあるはずでしょう? 生きる指針とか……」
「無事之名馬。ブジコレメイバ」
「ブフッ」新たな観察者は急にむせた。「若いときは、もっとがむしゃらな方が頑張れると思いますよ」
「そうだろうな」
ふたり同士は、夜の仕上げをする。睡眠時間を削ってまで。それも若者の仕事なのだ。出生率が低下すれば、わたしの降下の順番も遅れてしまう。今朝、ついに辞令がでたのだ。愚かで、賢い人類の一員として調査生活をする。パスポートに似たものを与えられる。入国のハンコはまだない。我輩はひとである。変な名前を付けられても拒否できない。
「でも、どこなんですかね? 場所」
「アラスカはやだな」
「妊婦の分布図でも出してみます?」担当者はデータを探す。「前年度の統計ですけど」
「ふむふむ」わたしはしばし眺める。「アジアは一部をのぞき、減少しているんだね」
「対策もやっているんでしょうがね」
「でも、今年のこれからだからね。最中」
「ま、そうですね」最中が終わり、モニターが起動する。「まさに真っ只中」
「しかし、わたしを観察する者もでてくるわけだよね。ここのどこかに」
「当然」
「誰なんだろう?」
「収賄は厳重に禁止されてますよ」担当者は突然、まじめな顔になった。「そろそろ、勤務も終わり。明日、最後ですよね。いろいろありがとうございました。簡単に打ち上げでもします?」
「それもいいね。チェーン店にでも予約しておいて」ふたりは笑う。
人間界にはあっても、ここにはない。憂さを晴らしたり、上司の悪口をいう機会もない。絶対的な君主もいない。酔うということ自体が分からなかった。今後、二十年以上経てば、その気持ちも、そして翌日の不快感も、さらには無鉄砲や八方破れになることも分かるようになるのだ。
わたしは部屋にいる。わたしはささやかなコレクションを手放す。わたしは見返りにもらえるものなど一切ない。すべてを放棄してこそ、地上に降りられるのだ。身軽でなければ困る。一財産を抱え込んだ赤ん坊など、どこにもいないのだ。
意識の生物が、肉体を備えて重力の世界に飛び込む。歩く、走る、抱く、叩く、という肉体の機能をつかった運動もできる。年齢という有限のものの奴隷となる。最後には、歩くこともままならなくなって帰ってくるだろう。宇宙旅行から帰還する飛行士のように関節も筋肉も衰えてしまう。だが、希望はずっと大きい。見るという受動的なことから、自発的に動くという能動的な世界の住人になる。使い古された表現で例えれば、失うものはなにもなかった。わたしは最後の夜を迎える。遠足の前日の子どもたちは、もしかしたらこんな浮かれた気持ちだったのかもしれない。てるてる坊主ぐらいは軒下に吊るしておくことにするか。