朱蒙(チュモン)が見た日本古代史(仮題)

「朱蒙」「風の国」「善徳女王」・・・韓国発歴史ドラマを題材に日本史を見つめ直す

日本書紀にあるナムセンの記述

2010年03月02日 | ヨンゲソムン

ドラマ「ヨンゲソムン」もいよいよ明日で最終回。よくもここまで続けて観てきたものである。「朱蒙」、「風の国」や「善徳女王」などと比較すると、ドラマとして肝心な盛り上がりが決定的に欠けているし、何より壮年期以降のヨンゲソムンの配役・演技には疑問ばかり。韓国では有名な俳優さん(?)なのかもしれないが、どう見てもイ・セミンの方が人間的に優れている印象が強いではないか。

それでもここまで見続けてこられたのは、かなり細かな部分まで史実を忠実になぞっている展開が多かったからである。基本的には「三国史記」、「三国遺事」をベースにしていると思うのだが、途中のナレーションでも語られるように一般には偽書と呼ばれる史書まで参考にして徹底的に史実を復元しているような印象を受けた。

もちろんドラマならではの脚色・演出の部分はあるのだが、歴史的な事件や隋・唐の国内事情などはWikipediaに記述のある内容そのものだったりすることが多く、その点はかなり興味深かった。

さらに、このブログでもちょくちょく引用してきたが、「日本書紀」の中にもドラマとリンクする高句麗の記述が結構ある。 本日(第99話)とおそらく最終回で描かれる内容についてはずばりそのものが記録に残っている。

『日本書紀』巻二七天智天皇六年(六六七)十月◆冬十月。高麗太兄男生出城巡國。於是。城内二弟。聞側助士大夫之惡言。拒而勿入。由是男生奔入大唐謀滅其國。

667年10月 高句麗の大兄(官位の種類)である男生(ナムセン)が城を出て諸国を巡った。このとき、城内に残っていた弟二人が、側近の人たちの悪だくらみを聞き入れ、(ナムセンが戻るのを)拒んだので(ナムセンは)入ることができなかった。このためナムセンは・・・

以下、最終回に続く。