5日は金沢城(過去記事)、福井・丸岡城(過去記事)と巡りましたが、翌6日は泊まった福井フェニックスホテルからすぐの福井城址をまず訪れました。
(福井県総務部作成パンフより、以下城跡施設の説明も同様)
福井城址は、現在石垣と内堀が残っていますが、天守跡など一部を残してそのほとんが福井県庁の施設となっています。訪れたのは7時半ごろでしたが、早くも多くの県庁の職員さんらしき人が出勤してきていました。さすがに皆さん仕事熱心です。
この福井城を建てたのは「結城秀康」ということです。
「秀康」その名からも分かる通り、家康の次男で子のできなかった秀吉の養子になった人物です。数回通しで読んだ山岡荘八の徳川家康にも登場しますから、このことは知っていたのですが、福井藩の藩主(越前松平家初代)になっていたのは、今回福井城を訪れて初めて知りました。
越前松平家といえば、幕末には松平春嶽など明治を作った重要人物が登場しますが、そちらはPさんにお任せ、私の出る幕ではありません。
前置きはここまで、天守跡などをご紹介しておきます。
(左上段:天守跡、左下段:小天守跡)
ホテルのチェックアウトは11:00でしたので、福井城見学から戻って朝食、11時近くまでホテルでのんびりして、その後ホテルから徒歩で7分ほどの柴田勝家の居城跡である「北の床城址・柴田神社」へと向かいました。そのお話は次回に。
通行止めや迂回路ができていました。
それでも、石垣を、根を張ってぽっこりと膨らませている
老松の見事さ、石垣そのものの見事さなど
想像以上の名城と惚れ惚れしました。
県庁になっていることから、さして期待していなかったのですよね 笑。
さすが、100名城でした。
おっしゃるように、城を眺めながら、松平春嶽公のご落胤の末裔が
歌舞伎役者として活躍した話など、歴史ネタを
夫にアレコレ披露して、煙たがられました (;^_^A
北ノ庄も楽しみにしております。
ありません、
結城秀康も名前だけで詳しくその素性も
知らずに・・意外と福井県の事は知らないことに
気が付かされました。 ここで改めて勉強させて
いただきます、次が楽しみです
一乗谷の記事は何となく印象に残っていて、北ノ庄も
当然行かれたんですよね、そんな記憶があるのですが。
御廊下橋と御門は完成していました。
通勤で御門からも職員の方が入ってこられていました。
毎日お侍気分でしょうね、きっと!
さすがに、石垣と堀が残っていると、お城の雰囲気が
しっかり出ます。
十分整備されていて、重厚さも感じられるいい城址でした。
さらに桜も咲いていて、この時期に行ったのは正解でした。
ハハハ!、春嶽の、ご落胤の、末裔の歌舞伎役者ですか、
そこまで話が行くと、それはご主人も、お付き合い大変ですね。
まあ、お城づきあいですから、ご主人ご苦労様です、
としておきましょう!
桜とお城は似合いますね。
是非、この時期にお出かけください。
本丸跡は県庁内ですが、外観の石垣も見事です。
車で行かれることになるのでしょうか?
電車なら、福井駅からすぐです。この後ご紹介する
北の庄城址も近くで、効率的に見て回れます。