山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

怒りを冷静にぶつけた帚木蓬生の『逃亡』

2015-05-31 20:01:37 | 読書
 帚木蓬生の長編『逃亡』上下巻(新潮文庫、平成12年8月刊)をやっと読み終える。
 香港で終戦を迎えた憲兵の主人公は、中国・イギリスの官憲からの捜索を逃れ、なんとか帰国を果たす。
 しかし待っていたのは国による戦犯追及だった。
 
            
 再び逃亡生活を余儀なくされ、ついには逮捕されてしまう、という流れの小説だ。
 戦争という狂気に翻弄される主人公の姿は、当時の日本人の姿そのものだ。
 それが反省されることなく戦後を生きていく現実。

                        
 日本人は空襲の被害者、原爆の被爆国という自覚は多少あるが、他国を植民地化してしまったという加害者であったことを考えようとしない。
 それは戦後70年たってもなお、いまだ変わっていない。
 安部総理は、侵略とか植民地化とか、加害者とかいう言葉を使おうとしない。
 その言葉から「逃亡」しているのが明らかだ。
 
 秀吉は朝鮮侵略をしたが植民地化はできなかった。
 有史以来の日本の歴史の中で他国を植民地化したのは、わがジジババが体験したこともあるつい70年前のことなのだ。
 この日本の有史以来の汚点を見ようとしないから、中国・韓国から批判されるのだ。

                                
 そのことの重みを戦後教育は伝えたのだろうか。
 ドイツの歴代首相はナチスの誤りを踏まえたうえでの外交を展開している。
 しかし日本の政治家は村山元総理を除き、その自覚が全くない。


 
 そうした怒りがこの小説にも滲み出ている。
 「集められた烏合の衆は、皇軍兵士とおだてられ、兵を預かる責任など、初めから持ち合わせていない将官に動かされ、大陸と南方で無駄死にを強いられたのではなかったか。」
 「国も天皇も軍部も俺たちを見捨てた」と語らせたその先に「逃亡」の意味があったのだ。

 主人公の逃亡状態は、そのまま現代の日本の閉塞状況であるともいえるのではないかと思えてならない。
 金融に芸能界にうつつをぬかすことで、負の遺産を考えないという当局の思考停止政策は大成功を収めている。

コメント
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