明るいときに見えないものが暗闇では見える。

映画を消費モノにさせないための咀嚼用ブログ。自己満足風。
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【シャッフル】 信仰

2009年07月08日 | 映画


【ネタバレあり】

たぶんこの映画を観て「すげぇ面白かった」もしくは「すげぇつまんなかった」という人は稀ではないかと思う。ハリウッドがあのサンドラ・ブロックを配して作った映画にもかかわらず、なんとも言えない中途半端なバッドエンディングに終わってしまうからだ。しかも微妙に宗教くさい。

木曜日に夫が事故死したと聞かされた次の日、なぜか夫は生きていた。リンダは混乱の中、曜日がシャッフルされバラバラの順序で訪れていることに気づく。彼女は夫の死を阻止するために謎の究明に奔走し始める。。。
この映画、タイムパラドックスものなんだから、交差する時間の中うまく辻褄が合いハッピーエンドもしくは無限ループってのが通常のオチっすよね、と思い込んで見ていた。そしたら最後にあっけなく夫は死んでしまう。エエエェェェェェヾ(マジ゜Д゜カヨ)ノェ ってなもんですよ。

何この映画、不条理モノなの?と思ったのだが、あらためて考えてみて感ずるところあり。おおこれは自分の中の正しき宗教感(信仰心)を試すためのリトマス試験紙映画ではないのか?!

何十年ぶりかに教会を訪れ、神父に助けを請うリンダ。しかしそんなリンダに神父は過去の類似事件を並べて諭す。「信仰心のない者はそれより大きな力に飲み込まれやすい。」「信仰とは自分を越えた何かを信じること。」。この時点でのリンダは信仰心を取り戻したのかどうかは分からない。その後彼女は夫を助けに事故現場へ急ぐがその結末は結局彼を死なせてしまい、リンダは未来を変えられない。

OK、問題はここからだ。エンディングに向けての捕らえ方は二つある。
つまりはこういうことだ。

【解釈①】
リンダはこれまで信仰を怠っていたから、大きな力に飲み込まれて時間がシャッフルするような恐ろしい目に遭ってしまったし、結局神を信じなかったからダンナも救えなかったのだ。

【解釈②】
信仰を失ったリンダは大きな力に飲み込まれてしまったが、時間が巻き戻ろうが未来が見えようが結局運命には逆らえない。それは神(自分を越えた何か)のみが知るところであり、心配や恐れによりそれに抗うことに一切の意味はない(すべては「空」である)。悪い結末もすべては大きな流れの中で神の仕業にて決められた最適解のはず。抗うことはやめ、すべては神(自分を越えた何か)にお任せするべきなのだ。


これ、どっちに解釈しても映画は成り立つのだ。

でも無宗教なボクですが、この映画の伝えたい真の意味は②と理解している。ブッシュのおかげにて福音派がはびこることで「一神教を奉じ、私だけが救われる(解釈①)」というエゴ丸出し宗教感となってしまったアメリカに、本来の信仰(宗教)のあり方(解釈②)を説いているのですよ、たぶん。だからそこにスーパーマンも現われなければ奇跡も起きない。そして「生きていること自体が奇跡」と、リンダの宿した新たな命へと続いていくのだ。



なんてな。(長さん風)


だとすればハリウッドがこんな映画撮るなんて時代も変わったな超面白いなーと、脳内補完してみただけ(笑)。そこまでの深さは感じられません。実は最初に言ったとおり中途半端な映画。真剣に時間軸を追っかけてたりして見てみると、「メメント」みたいで面白いかも。実は死んでいたのは自分だったなんてオチもありですね。


ただしこの映画から確実に読み取れる大事な教訓が2つ。

・生命保険はかけておこうね。
・運転中の携帯電話はやめようね。

以上。


[2009.7.10追記]
もしかして夫婦愛(もしく家族愛)を描いた映画なのかな~と再考してみました。
浮気を思いなおしたダンナと、それを見捨てずにいたリンダが真実の愛に目覚めたかのように見せながら、「愛なんて意味はないのじゃ」とばかりにタンクローリーにぶっ潰されるダンナを見るとやっぱり家族愛の映画ではないですねぇ。これは運命を描いた信仰の映画ですよ。だからこそ日本では受けないし理解もされない。

たぶんリンダが車でダンナを追いかけるカットの部分からラストまでに、別エンディング(たぶんハッピーエンド)も用意されているのだと思います。関係者試写にてこちらのエンディングが選ばれたのだと思えば、またさらにハリウッドの変化が垣間見られて面白いw





評価:★★☆☆☆

残念ながらサンドラもお歳を召しましたなぁ。。

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1 コメント

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神をも超える力 (わたるっち)
2017-06-07 02:55:14
もともとリンダの夫が死んでしまう事は運命としてどうしても避けられない事実、リンダが夫の携帯にかけてUターンをさせたのが原因で死なせてしまったようにも思えるがいずれにしてもあの日あの道であったは死ぬ運命なのである。
実はリンダが日にちをランダムに迎える不思議な能力こそ新しい命から授かった神を超える力なのです。
もともとこの映画の起点は、リンダが夫の新しい命を授かるところからなのです。そして夫の死へと向かいます。
大きな力、つまりお腹の中の命は全てを知っています、このまま生まれてきては、リンダが夫に愛されいたことも、娘をこの世の何よりも大切におもっていたこともクレアの事が原因で夫の死後も、リンダや娘たちが悩み苦悩の日々を送る事をあらかじめ阻止したかったのです。
それでないと生まれてくる私(つまりこの映画はお腹の中の子供がリンダに力を授け行わせた事)が幸せになれない。
リンダの夫が死ぬ運命なら、それまでの一週間をなんとかして、夫が家族をどれだけ愛しているかを指し示してくれるものとしてリンダに過ごしてもらいたいとお腹の中の子は思ったのです。
結果的に、夫は死んでしまうエンディングを迎えますが、
あの不思議なシャッフルの7日間があった事で、夫の死後もリンダや娘たちは夫に愛された記憶をもとに、とても満ちた生活を送ることが出来そうですね。
劇中のあの仲直りした時に子供を授かったという見解もあるようでが、私の解釈では違いますね、あれ程計算された時間軸なのにリンダと、夫のベッドインのシーンがないのは逆に不自然です。
一つ不思議なのはリンダが夫の死に目にあっているのにもかかわらずシャッフルの7日間の中で保安官が夫の死を知らせにくるというシーンがありましたが、これはリンダが事故現場から何事もなく自宅へ帰り、夫の死を知らなかったという事になるのでそうしないと(目撃者であるリンダに警察がわざわざ知らせに行くのは変だからである)以上の事から、
物語の終点はリンダの夫が死ぬその瞬間までです。その瞬間にシャッフルは終わりふつうの時間が回り始めます。
あの瞬間から別の未来なのです。
長女の顔の傷は本来であればもう少し傷跡が残っても良さそうなものですが、綺麗に治っていました。つまりあれも幸せの未来には必要のないものなので、綺麗に消し去られるものなのでしょう。
記憶には残りますが。
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