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【星を追う子ども(2011)】

2012年01月13日 | 映画


局所的に超有名な新海誠監督の最新作。これが初の全国ロードショー映画となるのかな?これまで基本短編アニメばかりとってきた新海監督なので、本格的な長編(116分)は今回が初めて。

まあ誰が見ても思うであろう「ジブリっぽさ(というかラピュタっぽさ)」は、ある意味確信犯なのか、あの石とか、あのロボっぽい生き物とか、あのムスカっぽい先生とか(^m^)、(あとテトっぽいネコ)、こんなに似せなくてもいいのにと観ている方が心配になるほど。

まあ庵野・押井大監督方の言うように、すでに今のアニメは「コピーのコピーのコピー世代」ではあるので、すでに何十年もアニメを観てきた我々のような観客にとってそこに疑問を呈したりするのは野暮というもの。残念ながら新鮮な発見は少ないけれども、これを面白いと思って観るか、なんだパクかよとツマラナク思って観るかは既に我々の選択によるのでしょう。

でボクはと言えば、パクであることをツマラナイと思うのではなく、単純に新海節が消えてしまっていることに残念さを感じました。

過去の新海作品3作(『ほしのこえ(2002)』『雲のむこう、約束の場所(2004)』『秒速5センチメートル(2007)』)における魅力はまず映像美。これは『星を追う子ども』でも引き継がれおり満足しました。そしてもう一つの魅力はあの一人称で語られる青臭い哀愁感です。3作品で語られる"初恋"に対する男子の蒼いチェリーな想い。あの少しジメっとネガっとした感じがタマラナイのです。じゃあそれを『星を追う子ども』に入れ込めってのはちょっと無茶やろうと思うところもありますが、それでも新海作品なんだからってのはファンとしては期待したトコロです。主人公が女の子になっていますが、アガルタの少年やムスカ先生との間にそのような青臭さがもう少し強調されていれば多少期待したものになっていたかもしれません。

まあボクがそんなトコロにこだわって能書き垂れている時点で、"ソレ以外のオリジナル性"に面白さを感じきれなかったことの証明になってしまっているのでしょう。

そしてやはり新海監督の世界観は短編だからこそ生き生きとしてくるのだということもあらためて感じました。

前3作(特に『雲のむこう』以外)はその哀愁を淡々と描いていることがそのまま作品の魅力となっていました。今回はその新海的淡々さが長編であるがために間(ま)が持たない感じが散見されました。息が続かない。制作側には"淡々"としている認識はないかもしれませんが、それぞれのカットでは激しい動きや情熱的なセリフなど動きが感じられますが、それをつなぎ合わせた連続性になんとなく必然がなく淡々としているのです。先に言ったこととと真逆の事を言っていますが、そのへんに新海節が出てしまっている感じです。全然種類が違う作品ではあるので同じ俎上で比較するのは難しいかとは思いますが、前3作は"深みのなさ"が作品の良さに繋がっているに対し、本作ではそれが全くのウラ目に出ているというか。。。『秒速5センチメートル』のような短編連作的な話にできるとよかったかもしれません。

ただおハナシは大変面白かったです。オカルト好きとしては、地下世界(アガルタとかシャンバラとかアルザルとか)を取り扱っているだけで全くの擁護派ではありますw。新海監督ってやっぱ趣味合うなぁと思ったりしてw

あと、本物の声優さんを起用するとやはり作品は締まりますね。
ってかこれもパクか。。(島本須美さま)
まあここからも確信犯さがにじみ出ていますがね。。オマージュなのか!?オマージュなのか!?


次回のチャレンジも期待してますっ!


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