明るいときに見えないものが暗闇では見える。

映画を消費モノにさせないための咀嚼用ブログ。自己満足風。
それと苦手な文章の練習用。

【ゾンビランド(2009)】

2011年04月28日 | 映画



ここ数日で観まくったゾンビDVDのうちのもう一つ。
こちらもコメディゾンビ。


全米ゾンビ映画史上No1の興行収入を叩き出したというビッグタイトル。って『全米ゾンビ映画史』ってなんだ!?と思い調べていたところ面白いもの発見。

ゾンビ映画一覧(wiki)

マイナーな作品は掲載されていない感はあるが、こうやって見るとかなりの割合でアメリカがゾンビ映画製造国であることが分かる。感覚的にはイタリア・スペインがもうちょっとあるだろう思っていたのだが、それは遙か昔の70~80年代の話で最近は全く作られてないことに気づく。ルチオ・フルチ先生の影響がデカかった様子。逆に近年の日本の健闘に拍手。

で、そんな中で一位っていうのであれば間違いなく一位なのだろう。

ウッディ・ハレルソンしか眼中になかったのだが、最強のオタク俳優ジェシー・アイゼンバーグが主役なのにひと笑い。『ソーシャル・ネットワーク』を先に観といて良かった。

ただしゾンビ映画としては正直ツマラナイ。(主要人物は)誰も死なない、誰もゾンビ化しない。そのためゾンビが全く驚異の対象とならず、ただの"ジャマな障害物"としてしか見えないのは残念。これは"ゾンビ"がいることを必然としたゾンビ映画ではなくあくまでも道具の一つとして扱っているように感じる。コメディだからそれでいいのでは?という考え方もあるが『ショーン・オブ・ザ・デッド』や『バタリアン』などの名作もあることを考えれば、本作をゾンビ映画とするにはちょっと寂しい。「人間の悲哀」というゾンビ映画の魂をもう少し入れ込んで欲しかった。

一方その部分に目をつぶれば、これまでにない新しいジャンルを確立したとも思える。一般向けの爽快ゾンビ映画として大変楽しい。「2度撃ち」や「ヒーローにならない」などのルールは多少なりともゾンビ映画を観たことがあればかなり笑いのツボを押されるはず。冒頭のゾンビに襲われる人々の映像には愛を感じるし、過去のゾンビ作品へのオマージュも多数散りばめられそれを見つけるだけでも結構楽しい。

ゾンビ世界をバックボーンにした青春映画でありロードムービー。
きっとアナタも「トゥインキー」をググってしまうこと請け合いww
腐らないという都市伝説のあるトゥインキーってのも腐るゾンビへ掛けたギャグなのかしらん。

大物俳優の登場は大サービスで良かったです。


■『ゾンビランド』予告編(Youtube)

評価:★★★☆☆


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【処刑山 デッド卍スノウ(2007)】

2011年04月28日 | 映画


自分の中でノルマと思っていたゾンビものが貯まっていたので一挙に鑑賞。
それぞれに現代のゾンビ映画としての主張があり、なかなかに面白い。

まずはその中の一本から。



めずらしいノルウェーゾンビ。

意外にキチンと作られた作品かと思い観始めるも、10分たらずで「しまった!」と軽く後悔。完全なるC級。しかも後半に入るとどんどん脱力系に。くうだらない(ほめ言葉)ww。

昔、村人に逆襲され雪山に逃げ延びたナチスの一団が、現代にゾンビとして生まれ変わりバカンスに来た学生達を襲うというチープなプロット。ノリとしてはゾンビというかはスラッシャー映画。Hしているバカ学生はちゃんと二人とも殺られるし、ゾンビ側もそこそこ頭も良い。

そのためかいわゆるゾンビ映画的な人間ドラマは少なく、『怪物vs人間』の直接対決にフォーカスされてしまい、「結局人が一番怖い」というようなゾンビの定石が抜け落ちている。それがこの作品の深みを全くゼロにしている要因であるが、まあこの脱力映画にそれはいらんのかも。

軽いノリのスプラッタ描写は楽しいし、ナチの軍服を着たゾンビってだけで萌えるw。内蔵(腸)へのコダワリもなかなかに笑わせる。また「海に行けばよかった」「ノキアめっ!」と名言も数々ありセンスの良さもうかがわせる。

『処刑山』という邦題も本編とあまり関係なく適当に付けたであろう感が大変微笑ましい。

予告編の第九がフカシだったのは残念。


『処刑山デッド・スノウ』予告編


評価:★★★☆☆


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【トイレット(2010)】

2011年04月07日 | 映画



荻上直子監督の作品ってのは肩の力の抜け具合が魅力なのだと思う。

『かもめ食堂』といい『めがね』といい、深くを語らずセリフも少なめに、ちょっとヘンな人たちのちょっとヘンな日常を描く。そこではストーリー性やメッセージ性さえもあえて希薄化されており、我々観客はその行間から流れ漏れる「あ・うん」感を味わいながら"クスり、ホロり"とするのがその鑑賞スタイルとなっている。

本作『トイレット』はその独特な作品感覚の延長線上にありながらも、少しストーリー性を強めてみたものと言える。それによりこれまであまり荻上作品を面白いと思わなかった人たちにも楽しめるものになっているのではないかと思う。



「家族とは何か」

日本でこの問いを発した場合に、我々日本人が単純に思い浮かべるものは結構狭い範囲に収まるのだと思う。単一民族であるがために隣人とあまり違いがない我々は「家系」や「血のつながり」というものに重きを置いてきた。いやいや「血がつながっていなくても家族だ」と発せられるその言葉からは逆説的に血のつながりの重要性を浮かび上がらせる。

本作『トイレット』ではそのようなコダワリから来る家族像を軽やかに笑いとばす。

この主題において日本人キャストだけで劇を作ってしまうと、きっと家族間の確執やら血縁であるが故のさまざまな問題など、観客個人の感情から作品を深読みしてしまう可能性が高くなってしまうと思う。それをアメリカに住む「外国人3兄弟」と「英語のしゃべれない日本人のバーチャン」というある意味誇張化された構図を採用することで、ものスゴク分かりやすく問題を単純化して見せる。

また登場人物達もお得意の誇張化されたキャラ。ロボギークな主人公、ひきこもりの元ピアニストの兄、エアギター好きな芸術系学生の妹、と全く個性の違う3人組が騒ぎを繰り広げていく。母が亡くなったあとにお互いを理解せず自分勝手に振舞う兄弟たち。そんな彼らが英語のしゃべれない、どころか日本語さえ話さないバーチャンとコミュニケーションを試みることにより、次第に自分たちも分かり合っていく。さらにひょんなことから兄弟の秘密が明かされることとなり、お互いを結ぶものは結局相手を思う気持ちなのだと、説教臭さのかけらもない心地良いランディングとなる。

ちょっとヒネった目線から、旧来の使い古された「家族」という題材でさえも新鮮さを持ったものとして魅せてくれる荻上監督。観終わったあとには小さな幸せに肩の力が抜けている自分に気がつく。

手造り餃子が食べたくなり、家のトイレが愛おしくなる、全編英語のヘンな映画。
もたいまさこのキャラは世界に通用すると思わせる一品。

どうして題名が『トイレット』なのかは、観てのお楽しみですよ。(^m^)


■『トイレット』予告編(Youtube)

評価:★★★☆☆


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【ぼくのエリ 200歳の少女 (2008)】

2011年04月06日 | 映画



【ネタバレあり】


話題のヴァンパイア映画を観た。
めずらしいスウェーデンの映画。切なくて甘酸っぱいなんとも言えない余韻を残してくれた。

初恋の物語でもあり、少年の成長譚でもあり、結構激しめなホラー描写もある。それらがしんしんと降り積もる雪の静寂さを媒介にして淡々と溶けあっている様が美しい。

エリは200年もの間12歳の体で生き続けている。人の生き血を喰らい、壁や木を登るような特別な身体能力もある彼女、しかしその姿は「弱き者」として描かれる。体が子供であるために捕食には危険が伴い、光にあたれば燃え尽きてしまう。そのため人間の庇護者が必要となる。

少年オスカーとの交流は純粋な恋心ではなく、エリの生存本能からの選択だったのかもしれない。硫酸をかぶった彼に同じくただの何十、何百人目かのボディガードなのかもしれない。また一方オスカーから見れば都合よく心の欠乏感を埋めてくれるただの隣人だっただけかもしれない。

英語原題は『 LET THE RIGHT ONE IN 』。直訳すると「正しき者を中に入れよ」といったところか。一人ぼっちだった少年と一人で生き続けなければいけない少女が、お互いを受け入れることで迎えるラスト。甘いモールス信号で語り合い、幸福感で満たされるその一刻。まるでハッピーエンドのようにも見えるその先には新しい二人による無間地獄が待っている。あまりの切なさにエンドロール中、呆然とした。



リメイクがクロエ・"ヒットガール"・モレッツというのは嬉しいのだが、これは北欧の土着臭の漂う映画、結果やいかに。


■『ぼくのエリ』予告編(Youtube)

評価:★★★★☆


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