明るいときに見えないものが暗闇では見える。

映画を消費モノにさせないための咀嚼用ブログ。自己満足風。
それと苦手な文章の練習用。

【シャッターアイランド】 プリオの眉間

2010年04月30日 | 映画
【ネタばれしてないですが、たぶんバレるので鑑賞後に読んでください】




↑ 別に謎解きじゃないすよ、コレ。。



こんにちは、刑事プリオです。(本当は連邦捜査官)

よくあるボケで始まったブログですが、タマにあるね、こういう宣伝で台無しになってしまう映画。TVCMでも雑誌でも「シャッターアイランドには謎がある」なんて煽って煽ってハードル上げまくっちゃってさぁ。大丈夫か心配だったのさ。しかもなっちゃんの「<超>日本語吹き替え版」とかまで作っちゃって。で、勘ぐっちゃうじゃん、ああいう話かな?こういうオチかな?って。


で、見事にオチ読めちゃって。。。


普通にそこそこ映画を観たり、小説読んでる人には軽く想像がつくオチ。だって解くほどの謎ないしな。。。ただでさえ反感買いやすく解り易いオチなんだからこんな煽り方すんなよ。。。配給会社バッカじゃねえの。

これ謎解きサスペンスっていうか、サイコスリラーですからっっ!!(ハッ!(`ロ´;) ヤベェ)


とりあえずゴールデンウィークだから映画でも観よって考えている人へ。この映画はビックリオチ一発を待つ薄ペラ映画でなく "背負い切れない過去を持つひとりの男の哀しいお話" ですから。映画冒頭に観せられるくっだらねー注意書きみたいなのは完全無視すること!これ絶対。「視線を追え」とか「手を見ろ」とかバカな指示は完全無視してご覧アレ。ある意味オチはどうでもいい。というかハナッから気づいたほうがいいかも。人間の悲哀が現実と妄想の狭間に緻密に描かれ、オチなんか期待せずともずっとずっと楽しめる映画です。そしてスコセッシらしく手堅い演出。丁寧に丁寧にプリオの心理が積み上げられて行き、そして思った通りの所にランディングします。非常に重厚な造り。だからこそトリッキーな謎解き映画なんかではないのです。

あらゆる過去を精算し、プリオは最後、更に哀しい決断を下します。「モンスターとして生きるか、善人として死ぬか」。人間てホント弱くて哀しいな、切なすぎる最後に泣けます。キーワードは『贖罪』と『作話』。本当にいい映画なんです。。。宣伝を除けば。


あいかわらずこの映画でもマッチ棒が挿せそうなほどに眉間のシワが深いプリオ。次回作の『インセプション』ではさらに深そう。そろそろ『ギルバート・グレイプ』や『キャッチミーイフユーキャン』のような天使の笑顔のプリオが観たい頃ですな。童顔どんとこい!


評価:★★★★☆

他のブログで拾ったネタですが「SHUTTER ISLAND」は「TRUTHS AND LIES」のアナグラムになってます。

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【マーターズ】 最終解脱

2010年04月19日 | 映画



↑ かなりショッキング!ホラーに免疫のない人は閲覧注意!!


最近とっても威勢がいいフレンチホラー。その中でも昨年上映され特に話題となった一作。ついに観賞。

「この映画は本当に上映していいものなのか」というコピーからも、かなりの残酷描写がウリ。ところが観終わってみればトーチャーホラーでありながら宗教哲学と言えなくもないかもな映画。

ホラー映画における「恐怖、怖さ」とは「未知のもの、なんだかよく分からないモノに対する不安」と定義されることが多い。『呪怨』などJホラーにおける幽霊描写や、理解不能な殺戮衝動に駆られた殺人鬼映画などが怖いと感じるのはこのような理由らしい。本作は相当下っ腹にグッと来るのを覚悟で観賞したのだが、その意味での「怖い」というのとはちょっと違うと思われる。

前半(復讐編)はリュシーの心理描写の巧さに加え、怪奇なモノの正体にも十分な説明が与えられる。また本作の正体である後編(殉教編)においては、一見理解不能に思える虐待描写も、ある事象探求のための機械的な作業であり、さらに手を下す者たちの微妙な葛藤も描かれることで非常に分かりやすく精神的なキツさも感じない。そのため同じトーチャーホラー『ホステル』等に見られるような理不尽なサディズムさから来る「怖さ(不快さ)」はなく、"マーターズ(殉教者)" の意味とは何かという本来の問いに意識をフォーカスし楽しむことができる。個人的にはこのような納得感のある「怖くない(府に落ちる)ホラー」を傑作と思う。(サディズムを快楽と考える人々には『ホステル』の方が理解し易いのかもしれぬがw)

とはいえ耐え難いほどの痛みを伴なうヴィジュアルは普通人の観賞に耐えられるレベルではなく簡単にオススメはできないところも本作の魅力だw





【ここからネタバレ:鑑賞予定の方は絶対読まないで!!】

マドモアゼルが言うには「殉教者は地上の悪を引き受けて、自らの身を捧げ自己を超越する。」とのこと。つまりはハリツケの上、天に召されたキリストのように、苦痛の先にはあの世があり我々はそれを探求している、ということらしい。なるほどパスカル・ロジェ監督が『ヘルレイザー』の次回作監督に呼ばれたのも頷ける。この手の話はいろいろあるが、エグゼクティブが組織ぐるみでその実験をしているという設定が目新しく興味をひく。

虐待の上アリスが極致へたどり着く過程も非常に哲学的だ。"抵抗しないこと" が鍵であり、あらゆる宗教が本来唱えている答えに近しい。アリスにはリュシーを信じてあげられなかった贖罪の気持ちと、それ以上に愛があった。だからこそ苦しみを乗り越え神々しいほどの表情を持つに至ったのだ。スピリチュアルな側面からも妄想を膨らませてくれる。

ところが本作を簡単に傑作と呼ぶにはチト問題ありw。最後のシーンは賛否両論。不条理でちょっと監督の逃げラストと言えなくもない。間違いなく「あの世はある」という答えは手に入れたのであろう。マドモアゼルは早くあの世に行きたかったのだろうか。誰にも教えず一人自殺したのはそもそも答えは独り占めする気であり金持ち達を利用していたのか。ボクの中で「疑いなさい」というセリフの意味はまだ解けていないが、考えれば考えるほど興味がつきない。

誰にも賛同してもらえないかもしれないがw、非常に知的探究心をくすぐられる映画だった。普通の善良な人々にはただの痛い映画かもしれない。でも抵抗せず痛さに身を任せていれば、その先に喜びが待っています。たぶんw



評価:★★★★☆


それよか「これ"凌遅刑"の写真やんか」ってスグに解かった自分がイヤンでしたな。。。


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【キング・コーン~世界を作る魔法の一粒~】 ビルには登りませんが

2010年04月14日 | 映画
キング・コーン~世界を作る魔法の一粒~(予告)




これは大きなゴリラがビルに登る映画ではない。こちらはアメリカのトウモロコシの危険を告発する映画。よく町山智浩さんが紹介されているアメリカのヤバさを紹介する系のドキュメンタリー映画である。

映画は「君の体はコーンで出来てるね。」から始まる。
主演二人の髪の毛を研究機関で調べると、ほとんどがコーン由来成分なのだそうだ。

まあ映画の作りとしては実はあまり面白くない。たぶん殆んどの人はこの映画に興味を持った時点で“コーンがあらゆるものに使われていて有害らしい”というオチを知っているだろう。そのため主役の二人が「わざわざ土地を借りて時間をかけてコーンを育て収穫後もその行方を追う」という"どうなるかやってみよう手法" が、オチ前提での手の込んだヤラセのように思えてしまったから。まあただ取材して事実を示すだけのドキュメンタリーを作っても映画としては面白くないだろうからこの作りも仕方ないのかもしれない。

とはいえこの映画で提示される事実は衝撃的だ。アメリカのトウモロコシ栽培は日本の米作を遥かに上回るほど補助金まみれ。売値はバカみたいに安いのだが、作れば作るほど儲かるのでアメリカ穀物の中でも膨大な作付面積を誇る(日本列島にほぼ同じ広さ)。その上品種改良(遺伝子組換え)で虫にも農薬にもめっぽう強く作るにほとんど手間がかからない。ところがそのトウモロコシは澱粉のカタマリでしかなく全く栄養がない。しかもそのままではまずくて食用にはならないため半分以上が家畜の飼料に。残りはコーンシロップ、コーンスターチ(グリッツ、フラワー、ミール etc.)などに加工され食の材料となる。

アメリカの牛はほとんどがコーンで育てられる。すると胃に巨大な穴が開くほどの猛烈な胃酸過多となり薬と抗生物質漬けとなる。しかも牧草地ではなく狭い飼育舎でブロイラー状態。結果、不健康極まりない脂肪分だけの肉となる。この牛がチェーンのハンバーガーに使われ、添え物のポテトはそのコーン油で揚げられる。コーラや飲料には安価なコーンシロップ(果糖ぶどう糖液糖など)が大量に使用され、米国人半数以上の肥満を引き起こし2000万人以上いる糖尿病患者の主要原因となる。ファーストフードのみならず大量のコーンスターチがあらゆる加工食品、加工飲料にも使われ、実は現在の大量生産・大量消費・大量廃棄の食文化はコーンで支えられていることが判明する。結果我々の体はコーン由来の材料で出来上がる。

しかもこの危機は米国内だけにとどまらない。実は日本は世界最大のコーン輸入国。そのうち9割がアメリカから。あなたの今飲んでいる発泡酒の材料"スターチ"はたぶんこのコーンから作られ、最近よく聞く"キシリトール"もコーンから作る。しかも米国国債を買い続けて、実質破綻しているあのヴァーチャル経済を支えているのも日本だ。その金がコーンの補助金にもまわされている。さらにコーンシロップを抽出する技術は日本が開発したというからオドロキだ。

本作はコーンの危険を告発している映画ではあるが、その有害さについては厳密に検証したワケではない。あらゆるモノがコーン由来なのだということを暴いたのみでそれ以上の言及はあまりしていない。その曖昧さが本作のツメの甘さではあるし、そもそもドキュメンタリーというものは "真実っぽい殻を被ったただの主観映像" であることを肝に銘じて見る必要がある。しかしこういうの見せられるとやっぱりゲンナリする。アメリカってのはどうしてこうも極端なのか。サブプライム問題も含め、自国民さえも貶めて何の未来があろうか。まあ資本主義の暴走とその限界が分かりやすく表されており、自身の反省材料には大変よい。

ぜひ本作とともに『いのちの食べかた』『スーパーサイズ・ミー』も観て欲しい。我々の食について真剣に考えるキッカケになると思う。少なくとも食品に表示された『原材料名』はチェックしたくなる。

評価:なし

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【スラムドッグ$ミリオネア】 あなたは呼ばれているか?

2010年04月04日 | 映画
スラムドック・ミリオネア予告編(Youtube)




「人には、インドに呼ばれる人と呼ばれない人がいる。」とよく言われる。インドの神秘さを表しているようだが、つまりは"好き嫌いが大きく分かれる"、ということだと思う。

4年ほど前にインドへ行った。都心部に数日滞在しただけではあるが、えも言われぬ魅力と嫌悪感を催すほどの混沌さが共存する不思議な国であった。高層ビルの立つ首都ニュー・デリーには最高級のベンツと労働者の馬車が並走し、携帯電話をかけるビジネスマンの横で物乞いの子が観光客にタカっている。若者で賑わう繁華街では、痩せこけた野良犬とそれ以上に痩せこけた裸のホームレスが寝コケ、若者はそれを気に掛けることもない。

少し移動すればオールド・デリーと呼ばれる地域にたどり着く。いわゆるスラム街であり、恐ろしいほどの数の貧困層の人々が溢れ返る。小さく狭い建物が立ち並び街はゴミに溢れ、よくこんなところで生きていけるなと思わせる。そしてそこに生きる人々は北中南米のスラム街のように若いギャングが群れるという感じではなく、カーストの国らしくあきらめの目で自らの運命としてその立場を受け入れているように暮らしている。当時ボクはこの光景の放つ陰と陽のエネルギーを感じながら「ああ、ボクはインドに呼ばれなかったのだ。」と思った。

そんな中、子どもたちだけは満面の笑顔を見せ、無邪気に追いかけっこをして戯れる。この映画の主人公ジャマールもスラムで育った。そんな彼には過酷な運命が待ち受ける。宗教対立に巻き込まれ母を撲殺され、兄弟でゴミあさりをして生きるようになる。その後、心ない大人に拐われ物乞いとして働かされる。物乞い仲間は哀れみをかうために目を潰され、手足をも切断される。からくもそこから逃げ出すことができたが、大好きだった幼なじみのラティカはギャングの親玉の女とされ、兄は結局そのギャングへと成長してしまう。アジアの片隅で経済の最下層で生きる子供達の赤裸々な真実がそこにある。

その後兄と別れ真っ当に働くジャマールは「クイズ$ミリオネア」に出場する。無教養であるはずの彼はクイズを次々と正解していく。その答えは"たまたま"彼が過酷なストリートでの過去から学んだものである。しかし真っすぐにそして誠実に切り開いてきた人生だからこそ得られたものだ。それはまるで運命であったかのように彼を導き最後はミリオネアへと結実していく。そして彼はクイズに出場した本当の目的を果たし、お金より大事なものさえも手に入れる。

この作品を"面白い"と言うのは少し違う気がする。爽快感のあるラストではあるが失望感の方が大きい。さらにスラム描写における閉塞感・絶望感は『シティ・オブ・ゴッド』を想起させ、非常にダウナーな気持ちにもさせられる。しかし本作は人の生きる魅力に溢れた傑作である。現在のおとぎ話であり、恥ずかしくなるぐらいストレートな恋愛映画でもある。さらに未曾有の経済発展を遂げるインドの暗部を照らす現在の資本主義経済社会へのアンチテーゼでさえもある。ジャマールを通して "正直者が得をする" という本来あるべき社会の姿を真正面から肯定する。

映像の躍動感はまるで『トレスポ』。結局答えは"D"だったという、オシャレでスタイリッシュな終わり方もダニー・ボイル監督らしい。インド本国には残念ながら呼ばれなかったボクだが、この作品には呼ばれたようだ。

ところで"好き嫌い"というものは、自分の内面を映し出しているものだ。あれから4年、ボクにもいろいろあった。当時インドに呼ばれなかったボクも今はあらためて呼ばれている気がしている。機会があったらもう一度行ってみよう。そんな気持ちにさせる映画だった。


評価:★★★★★


三銃士の問題の答えを知っていたことだけが残念w
いまさらながらアカデミー賞おめでとうございます。


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【G.I.ジョー】 コ~ブラァァ!

2010年04月02日 | 映画



まず最初に誤解を解いておきますが、普通の人の知るG.I.ジョーってのはこち亀を読んでるとよく出てくるリアル軍人フィギアの事を指してると思う。ですのであんな強化スーツ着て戦う劇場予告やTVCMを観て驚いた人もいるかもしれない。実はこの映画はアニメ「地上最強のエキスパートチーム G.I.☆ジョー(1985~1987)」を元にしている。

「G.I.ジョー!チャラ♪ 愛を救うため~♪」って主題歌のヤツ。知らない?25年くらい前に朝やってた(これ)。アメコミみたいな輸入アニメで学校行く前に見ていたからたぶん7:30とかにやってたんだと思う。なんかドタドタしているキャラの動きが可笑しくて特徴的だったのを覚えている。人形からインスパイアされてアニメになって晴れてこのたび映画になったという厳密にはアメコミでさえないのですが、まあトランスフォーマーと同じ系統。(トランスフォーマーは日本のタカラのフィギアが輸出されヒットし、アニメ「戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー」が逆輸入された。)

なのでこの映画、このハチャメチャ感で正解。ボクもそれに気がつくのに見始めて1時間以上かかりすっかりダマされたw。同じアメコミ映画でも「バットマン」と「ファンタスティック4」で言えば「ファンタスティック4」の側の作品。絵に描いたような勧善懲悪のストーリー。世界征服を企むワルモノが出てきてそこに超国際的秘密エキスパート軍隊であるG.I.ジョーが戦うっていう話。分かりやすい!そして今回はそのワルモノ【コブラ】誕生の巻。定番!これ読んでああもういいやと思った人はその通り。それでも観たいという人はぜひご覧アレ。

見所はCG(笑)。どこかで見たことある映像が続く中、パリで繰り広げられるスーパーチェイスだけは必見。強化加速スーツを身につけた二人がハマーに乗った悪のニンジャ(笑)イ・ビョンホンと追っかけっこ。オシャレな石畳を走るパリジェンヌの自動車をブッ壊しながら走る。街もどんどんぶっ壊す。まあミサイルよける様はマトリックスっぽいっちゃあぽいw。そして最後はエッフェル塔崩壊。単にパリをぶっ壊す映像撮りたかったの丸見えw

勧善懲悪なストーリーも、結局は色恋沙汰がどうのこうの、恨みつらみだ復讐だと"ちっせえ"よオマイら!本当にヒーローかよ!こんな子達に地球を守らせられないっっ!そうさ私利私欲が人を動かすエネルギー!

そして決定的なのが。。。ダサいw。あちこちのデザインや雰囲気が微妙にダサい。司令室の作りとか飛行機や潜水艇など兵器のデザインとか、なんか80年代。ちょっとリアル感が足りないというか微妙に昭和風未来チックというか。そういう意味ではアニメのG.I.ジョーをリスペクトしてるのかも。百歩譲って強化スーツはカッコいいと言えるけど、そうなると見せ場は先のパリ破壊のシーンのみかw。しかもそんな兵器達が出まくり戦いまくり。全体の四分の三は戦闘シーンw。アラフォーの身にはコタえます。

一方ひとり気を吐いていたのが、先程の白ニンジャ(笑)イ・ビョンホン。黒ニンジャとの対決シーンでは、カット割りはあきらかにスターウォーズながらもwキレのある華麗な身のこなしと殺陣を魅せてくれます。まあこのニンジャ自体がステレオタイプな日本で修行したという設定なので、そこには一抹の悲しさがありますが、そこはまぁ、ハリウッドニンジャなんでw。もちろん韓流スターなので相変わらず彫刻のような肉体美も披露してます。韓流大好きオバちゃんの目も釘付けです。

そしてシエナ・ミラーとレイチェル・ニコルズはエロい。舶来ボイン好きおじさんにも軽いサービスありです。

見終わって何も残らない爽快感。このテの映画としては完璧な仕上がり。あくまでも映像先行型でお金のかかったお子様向けアクションヒーローもの。ゴメンナサイ、文頭のyoutube予告編がすべてっす!その覚悟でぜひ。

評価:★★☆☆☆


「ハムナプトラ」シリーズの監督スティーヴン・ソマーズなので、あの人がカメオ出演はウレシイ。

← 「Go! G.I.ジョー!YEAH!!」のノリで